スポーツ
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スポーツ 2011年10月24日 11時45分
運命の指名「10月27日」へ(3) 球団売却を加速させた1977年の江川指名
昨今、ドラフト会議への注目度が再び高まっている。「再び」と称したのは、一時期、「つまらない」と言ったプロ野球ファンの声がかなり寄せられていたからだ。「つまらなくなった理由」は1つ。1993年、大学生、社会人の1位、2位指名に限り、“逆指名”が認められ、「誰がどの球団に入るのか、事前に分かってしまう」からである。ドラフト制度が導入された目的は『戦力の均衡化』と『契約金の抑制』。当時、“逆指名制”について有力球団は「メジャーに選手を引き抜かれる。好きな球団に入団させることで人材流出を防げる」と提唱していたが…。 「1977年のドラフトがおとなしく終わっていたら…」 元スカウトは「私見」と前置きした上で、そう回顧していた。 1977年11月22日、第13回ドラフト会議−−。同年の注目選手は4年前に阪急の1位指名を拒否した江川卓(法政大)である。巨人希望の思いは、大学生活を経ても変わらなかった。また当時は、指名する順番を決める『予備抽選』なるものが行われていた。長嶋茂雄監督は「くじ引きの練習をしてきた」と意気込んでいたが(どんな練習!?)、2番クジ。「1番クジ」を引き当てたのはクラウンライターだった。 この瞬間、クラウンライターに「江川を本当に指名するのか?」の視線が集まった。さらに、当時は1位指名前に『昼食タイム』も設けられていた。クラウンライターの出席者はその間も11球団の視線を痛いほど感じていたという。 クラウンライターの1人が席を立った。一歩遅れて、巨人職員もトイレに向かう。この光景を見て、何人かのパ・リーグ球団職員もトイレに急いだ。 そう、クラウンライターが江川指名を諦め、その見返りを巨人に求めると思ったのだ。他のパ・リーグ職員は「江川を獲れ! そうすればお客も入る」と、無言でニラミを効かせていたのだろう。 「その巨人職員と2人きりになるよう、指示したのは根本陸夫氏(故人)です」(前出・元スカウト) 根本氏は72年シーズン途中に広島カープの監督を退き、テレビ解説者を務めていた。この77年オフにクラウンライターから監督就任のオファーを引き受けたのだが、「たとえ大金を積んでも、江川はクラウンライターには来ない」と読んでいた。 「いや、正反対の証言も残っています。クラウンライター(本社)は土地開発事業も手掛けていました。江川の後見人は船田中代議士。本社筋から船田氏と話ができる別の代議士を紹介してもらおうとしていた」 そう語る元パ・リーグ職員もいたが、“密談”を指示したということは、根本氏に何かしらの策略があったのだろう。もう真相は分からないが、後に『ドラフトの寝業師』と称される根本氏のことだ。江川指名を見送ることで、巨人相手に有利なトレードを持ちかける策略も温めていたのかもしれない。 巨人と接触できないまま、指名開始の時間が来てしまう。 前出のベテランスカウトが言うように、このときのクラウンライターの選択が違っていたら、ドラフトの歴史は変わっていた。当然、翌78年の江川問題は起こらなかった。だが、当時のクラウンライターは『球団売却の準備』にも着手していたとされ、江川でなくとも、1位指名された選手は入団を即答できなかったはずだ。クラウンライターは他のパ・リーグ職員からの“重圧”に負けたのか、それとも、「本当に欲しいと思う選手を指名する」というドラフトの原理を貫いたのか、1位指名・江川卓をアナウンスさせた。 根本氏が敏腕を発揮するのは球団が「西武」として生まれ変わってからだが、最初の寝業は未遂に終わったようである。 時代は変わっても、特定球団に強い思い入れを抱くドラフト候補生は出現する。密会なんて手口はあり得ないが、当該球団の間で何かのシグナルが送られるのかもしれない。ドラフト会議当日は出席者の表情にも要注意である。(一部敬称略 了/スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2011年10月22日 17時59分
ネット上で“インチキ”と炎上の中日・吉見投手 その最多勝の中身
中日の吉見一起投手(27)が2チャンネルなどのネット上で、“インチキ”と大バッシングを受けている。 ことの発端は、中日が優勝を決めた翌日の10月19日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)での出来事。最多勝、最優秀防御率のタイトルを狙う吉見投手は、この試合で中日が4-0でリードした展開で、5回表から今季初のリリーフ登板をし、2回を無失点に抑えた。試合はその後、7回以降を救援投手が1失点で乗り切り、4-1で中日が勝利。吉見投手はたなぼたの18勝目をマークし、17勝で並んでいたライバルの巨人・内海哲也投手(29)に1差をつけて、最多勝を確定させた。また、防御率は1.65(190回2/3)と下げ、このタイトルも確定させた。 中日は全日程が20日で終了。ライバル・内海投手の巨人の残り試合は22日の横浜戦(東京ドーム)のみ。この試合で内海投手が勝ち投手になっても、18勝止まりで、吉見投手が最多勝を逃すことはない。また、防御率は現在、1.74(180回2/3)の内海投手が9回を自責点0で投げ終えても、1.66となり、吉見投手には及ばない。唯一、内海投手が防御率で吉見投手を抜けるのは、延長戦となって10回1/3以上を自責点0で乗り切った場合のみで、現実的には厳しい条件。 ここで、吉見投手が批判の的となっているのは、防御率ではなく最多勝についてだ。19日の登板で、ふだん通り、先発して勝ち星を挙げたのなら、むろん文句は出ない。勝ち星を得るための方法論が問題だったのだ。この試合は先発の川井雄太投手(31)が4回まで無失点に抑えていた。川井投手があと1回投げて抑えていれば、白星は彼のもので、吉見投手は川井投手から勝ち投手を譲渡されたようなもので、それが“インチキ最多勝”とバッシングを受けているのだ。 しかも、吉見投手は09年も終盤の消化試合で、同様の手法で勝ち星を稼いで最多勝を獲得しており、“インチキ最多勝常習”として、批判もより強くなった。 ただ、終盤の消化試合で、自軍の監督がタイトルを獲らせるための采配、起用をすることは日本のプロ野球では日常茶飯事。打撃部門のタイトル争いでは、露骨な敬遠合戦や、打率を落とさないためにスタメンからはずれたりといった行為は、当たり前になっている。セ・リーグでは現在、長野久義外野手(巨人=26)とマートン外野手(阪神=30)が首位打者争いを、新井貴浩内野手(阪神=34)と栗原健太内野手(広島=29)が打点王争いを繰り広げているが、残った消化試合で醜い駆け引きが見られることだろう。 こういった行為は、例年、当たり前のように行われていることで、吉見投手だけ、ヤリ玉に上げるのは疑問。まして、このような手法でのタイトル獲りは、監督の判断によるもので、吉見投手を批判するのも、ややお門違いのようにも思える。 それよりも、問題なのは最多勝の中身だ。こちらの方が重要だ。吉見投手の今季の成績(交流戦は除く)を見ると、上位球団に対しては、ヤクルト戦が4試合3勝(19日のリリーフ登板は除く)、巨人戦が2試合1勝、終盤までAクラス入り争いをした阪神戦が4試合1勝1敗で、極端に登板数が少ない。一方、下位球団に対しては、広島戦が5試合5勝、横浜戦が5試合4勝1敗。つまりは上位球団との対戦を抑え、下位球団に多く登板して勝ち星を稼いだことが明らかだ。 吉見投手の同僚で、チーム2番目の10勝(14敗)を挙げたマキシモ・ネルソン投手(29)は、ヤクルト、巨人、阪神の3チーム相手に17試合3勝11敗。下位の広島、横浜相手には7試合4勝(交流戦は除く)。チーム方針でネルソン投手は、吉見投手とは逆に、上位球団中心に登板し、負けが込んだ。 一方、ライバルの内海投手は上位の中日戦が7試合3勝2敗、ヤクルト戦が3試合1勝1敗、し烈な3位争いをした阪神戦が7試合4勝2敗。下位の広島戦は2試合2勝、横浜戦は3試合2勝で(21日現在、交流戦は除く)、下位球団相手の登板が極端に少ない。今季の吉見投手と内海投手とでは、真逆の登板傾向があったわけだ。 どの球団相手に投げるかは、ローテーションの順番や日程上の都合がある。しかし、中日は意図的にローテーションの順番を変えることも多かった。消化試合で先発投手から、1勝を譲ってもらったことよりも、弱小球団中心に投げて、勝ち星を荒稼ぎしたことの方が、批判の対象になってもよさそうなものなのだ。とはいえ、筆者はそうではあっても、吉見投手が残した数字は立派なもので、批判する気は毛頭ない。(落合一郎)
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スポーツ 2011年10月22日 17時59分
運命の指名「10月27日」へ(2) 戦力均衡化は2005年の珍事がウエーバー制復活に拍車をかけた?
野球報道で「もしも…」は禁句だが、こんな「もしも話」をするプロ野球関係者もいる。89年と90年のドラフト会議で阪神が1位指名の抽選に当たっていたら、セ・リーグの優勝チームは変わっていたのではないか、と−−。阪神は89年ドラフトで野茂英雄、90年は小池敏郎の抽選に参加している。野茂と小池がいたら…。91年ペナントレースで『2年連続最下位』に沈むことはなかったかもしれない。ペナントレースはドラフトの「クジ運次第」なのだろうか。 ドラフト制度が導入された理由は『戦力の均衡化』と『契約金抑制』に尽きる。また、何度もルール改定されたように、ドラフトとは試行錯誤の連続である。制度導入の3年目の67年には、早くも「指名する順番を抽選する」やり方に変更され、78年からは「入札方式」となる。そして、01年に『自由枠』が誕生し、04年の栄養費問題を受け、高校生と社会人・大学生の指名を別々に行う分離ドラフトが3年間行われた(05年〜)。今日の1位指名は入札、2位以下はウエーバー制というやり方が復活したのは、08年だった。 そのドラフト史の分岐点とも言える05年、ハプニングが勃発した。「外れクジ」を引いた者が「当たった」と見間違え、「当たりクジ」を引いた側もよく分からず、首をかしげていた。お粗末だったのは、その抽選クジを作成した機構側も「外れクジ」を当たりと勘違いしていたこと…。しかも、その珍事に王貞治・ソフトバンク監督、堀内恒夫・巨人監督が登場しており、恥をかかせたわけだから、機構側の不手際は否めない。 筆者のこの05年のドラフト会場にいたが、いちばん盛り上がったのはこの“失態劇”である。 現在のドラフトルールは『戦力の均衡化』と『契約金抑制』を遵守しているが、不思議に思うところもある。逆指名制が廃止されたのに、ペナントレースの順位が当時とさほど変わっていないのは何故だろうか−−。 1位指名が『入札抽選』だからか? それとも、『育成』など球団内部にも理由があるのか…。FA、外国人選手、トレードといったように戦力補強の手段はドラフトだけではない。だが、会場を一般公開したように、ドラフトはもっともファンの関心の高い補強手段でもある。 野茂、小池を連続して引き当てた場合の「もしも」の話を続けるならば、91年のペナントレースの順位を変えていたと思われるが、一方で、菊池雄星、大石達也を連続して引き当てた埼玉西武の例もある。2011年、埼玉西武は僅差でクライマックスシリーズに滑り込んだが、両投手がその原動力になったわけではない。したがって、「ドラフトのクジ運次第でペナントレースに勝てる」という前述の関係者の言葉には、現実味はない…。 やはり、ドラフトによる戦力均衡化を進められるだけでは、ペナントレースの順位は変わらないのである。育成、FA、外国人選手、トレードなど全ての戦力補強手段が機能しなければ勝てないのであって、最終的には「各球団の努力次第」ということになる。 一方で、一時期ほどではないにせよ、「特定球団以外なら、指名拒否」というドラフト候補もいなくならない。その相思相愛の関係を切り崩せるのもドラフト制度ではあるが、百歩譲って特定球団への情熱を語る気持ちも分からなくはない。あくまでも私見だが、そういう選手にはFA権の取得年数にペナルティーをつける折衷案があってもいいと思う。あるいは、メジャーを参考にして、FA選手を獲得した球団は旧在籍チームにドラフト指名枠の1つを譲るなど、補填方法を拡充してもいいのではないだろうか。 ドラフトの一般公開は好評で、NPB関係者もファン拡大の手応えを口にしていた。テレビ中継も好評を博しているそうだ。昨年の中継について聞き直したところ、オリックス・岡田彰布監督が4度目の入札でやっと1位選手を決められたときが、もっとも反響があったという。斎藤佑樹の抽選で日本ハムが引き当てた瞬間以上であり、多少のハプニングがあった方が盛り上がるのかもしれない。 05年の失態以降、12球団やNPBにも緊張感が強まったと聞いている。「自分たちはファンに監視されている」との自覚が、ドラフト会議を滞りなく進行させようとしているのだが、今のドラフトのルールが完璧だの声は聞かれなかった。おそらく、近い将来、ルール改定論が再燃するだろう。そのとき、「ファンに監視されている」という自覚があれば、戦力の均衡化、契約金抑制の原点から遠ざかることはないだろう。(一部敬称略 スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2011年10月21日 15時30分
渡辺会長が貝になってますます混迷深める横浜売却問題
プロ野球・読売ジャイアンツの渡辺恒雄球団会長が一部夕刊紙報道で、横浜の球団売却問題に関する発言を「勘違いも甚だしい」と報道されたことに大激怒した。20日に都内で会食を終えて報道陣の前に姿を見せた渡辺会長は「○○○○(報道社)の記者はいるか! いたら出て来い! いるはずだろ!」と怒声を発した。 渡辺会長は「あの記事はなんだ。俺の知っている情報をTBSに迷惑をかけない範囲でしゃべっていたんだ。井上君(TBS社長)にも迷惑をかけることは何もしゃべっていない!」と一気にまくし立てた。最後には「俺はもう一切しゃべらん! 絶対にしゃべらんからな!」と、今後は報道陣のぶら下がり取材に対応しないことを明言した。 「ちょうど横浜ベイスターズを保有するTBSHD(ホールディングス)がDeNA(ディー・エヌ・エー)と球団売却交渉を進めているところに、京浜急行電鉄が中心となって複数企業の連合体が横浜買収に乗り出すという報道が出たばかり。取材陣はいままで『DeNAで決まりそうだ』と言っていた渡辺会長のコメントをひと言でも取ろうと待ちかまえていたときにあの激怒ですからねえ。がっくりくるとともに、これはもしかしたらDeNAとの交渉の雲行きが怪しくなったことにイラついての暴言だったのかな?という憶測も記者の間で流れたそうですよ」と話すのは某スポーツライター。 横浜の売却先については、小出しにしながらも情報をもたらしていた渡辺会長だっただけに、“貝”になってしまっては情報が入ってこない。混迷を深める球団売却問題だが、まだ二転三転もありそうなだけに取材記者にとっては貴重な情報源がひとつ消えたといったところか。
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スポーツ 2011年10月21日 15時30分
大相撲・春日野親方の弟子暴行問題 発覚したのは内部告発!?
弟子3人をゴルフクラブのアイアンで殴打したとして、大相撲の元関脇・栃乃和歌の春日野親方(49)が、10月19日、両国国技館で開かれた日本相撲協会の臨時理事会で厳重注意を受けた。 発端は埼玉・入間市で合宿中の12日のことで、幕内・栃ノ心、幕下の栃飛龍、栃矢鋪の3人が、協会が定める着物・浴衣ではないジャージー姿で外出。栃ノ心は門限の午前0時を守らなかった。栃ノ心はこれまでも度々、生活態度の乱れで注意されていたという。 これを知った春日野親方は指導の一環として、14日、部屋の力士らの前で、げんこつ、平手、ゴルフクラブのグリップで3力士を殴った。16日に警察に匿名でタレコミがあったため、警視庁本所署の捜査が入ったが、殴られた力士に大きな外傷は認められなかった。 春日野親方は翌17日に協会に報告。19日に理事会で協議されたが、「悪いことをしたら、殴られるのは当然」といった親方擁護論も多く、3力士が被害届を出す意思がないことから、処分なしの厳重注意で収まった。放駒理事長(元大関・魁傑)は「程度の問題だろうけど、ゴルフクラブで殴るのは行き過ぎだということ」と語り、春日野親方は弟子の前で「もう、げんこつも入れない」と約束したという。 相撲界では07年に時津風部屋で力士死亡事故が起きてから、体罰は自粛する流れにある。しかし、その反動として、規則を守らない力士も増えており、指導する立場の親方としてはもどかしいところだ。 ところで、この問題。警察だけではなく、協会や報道機関にもタレコミがあって発覚した。その内容は「死亡者が出るかもしれない」といった大げさなもので、春日野親方は「誰がやったか目星はつけた。証拠を集めている」と発言。状況から見て、部屋関係者でなければ知り得ない情報で、内部告発の可能性が高いようだ。(落合一郎)
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スポーツ 2011年10月21日 11時45分
運命の指名「10月27日」へ(1) 再評価される1987年ドラフト
10月27日、プロ野球・ドラフト会議が開催される。この時期はライター冥利に尽きる。ドラフト1位指名されたプロ野球OBのインタビュー機会にも恵まれ、「本当はあの時…」なんて秘話を聞くことができるからだ。同時に「今年のドラフト候補がどの球団に指名されるのか」も探らなければならないのだが、某ベテランスカウトの言葉が衝撃的だった。 「昭和62年(1987年)がドラフトの一番感慨深い」 同年ドラフトの主役は、長嶋一茂(立教大)だった。父・茂雄氏の長男に対し、巨人はどう対処するのかも注目されたが、他にも、野田浩司(九州物交=阪神1位)、盛田幸妃(函館有斗高=大洋1位)、岡本透(川崎製鉄神戸=大洋2位)、野村弘(PL学園=大洋3位)、伊良部秀輝(尽誠学園=ロッテ1位)、堀幸一(長崎海開高=ロッテ3位)、吉田豊彦(本田技研熊本=南海1位)、柳田聖人(延岡工高=南海3位)、大道典良(明野高=南海4位)、吉永幸一郎(東海大工高=南海5位)、村田勝喜(星稜高=南海6位)、武田一浩(明治大=日本ハム1位)、芝草宇宙(帝京高=日本ハム6位)、橋本清(PL学園=巨人1位)、鈴木健(浦和学院=西武1位)など、後に第一線で活躍する猛者も多く指名されている。 しかし、同年のドラフトが突出して『後の主役選手』が多かったわけではない。何故、ベテランスカウトが同年のドラフトを「感慨深い」と言うのか−−。指名選手全員がプロ入りした初めての年だからである。 ドラフト会議は1965年に始まったが、全員がプロ契約するまで23回目の同年まで歳月を費やしたのだ。 ドラフトには『表』と『裏』の話がある。強行指名、密約、裏金、特定球団への執着心などが実しやかに囁かれている。この87年も鈴木健が早大進学を一変して西武入りし、中日3位指名の上原晃(沖縄水産高)も進学表明していたため、他球団が指名を回避した。彼らが指名球団と申し合わせをしていた形跡は全くない。本当に欲しい選手を指名し、その熱意が通じたのだが、翌88年は『指名拒否者』を出してしまった。 私見を加えるならば、この翌88年のドラフトが興味深い。88年の『舞台裏』を知ることで、いかに87年ドラフトが意義深いものだったかも再認識できる。 88年はまず、阪神、中日が『球団職員』の指名という裏技を使う。阪神=中込伸(神崎工高/1位)、中日=大豊泰昭(球団職員/2位)。81年、西武が伊東勤(所沢高)を抱え込んだのと同じで、“本家・西武”は1位でプロ入り拒否を明言していた渡辺智男(NTT四国)を、2位でも会社残留を宣言した石井丈裕(プリンスホテル)の強行指名した。 他の1位指名では、3選手に対する抽選も行われた。後年、『巨人キラー』としても一時代を築く川崎憲治郎(津久見高)の抽選に、藤田元司監督が参加したのも何かの運命だろうか。同年ドラフトでもっとも会場がどよめいたのは、西武3位指名。日高高中津分校の垣内哲也の名前が呼ばれたときだった。「分校」というアナウンスに報道陣も戸惑っていた。 これだけの謀略、独自戦略が飛び交う年も珍しい。それにはある有望左腕の去就が影響していたという。東京六大学リーグで通算31勝を挙げた志村亮(慶応大)が「絶対にプロに行かない!」と言い切ったからだ。これを受け、12球団は確実に欲しい選手を獲る方向に一変した。また、志村がプロ入りを拒否した理由も衝撃的だった。 「高校1年の地獄の日々は、何億円積まれても二度とやりたくない」 しかも、このコメントはスポーツ新聞だけではなく、一般紙にも掲載されていた。有望左腕がその素質を開花させるチャンスを自ら摘み取ってしまったことは、多くの学生野球関係者にも暗い影を落とした。 ドラフト史上初の全員入団を勝ち取った87年と、深謀の指名が繰り広げられた88年は対照的である。野茂英雄たちが指名されるのは89年。この3年間がドラフト史の分岐点になったのではないだろうか。(一部敬称略/スポーツライター・美山和也)※1966年ドラフト会議は『高校生と社会人』、『大学生と国体に出場した高校生』の2回に分けて開催されております。そのため、87年のドラフト会議を「24回目」とカウントするジャーナリストもいますが、本編は関係各位にも確認し、「1966年第2回第一次」、「同第二次」と位置づけ、87年を23回目と表記いたしました。
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スポーツ 2011年10月20日 19時30分
いよいよわからなくなってきた横浜ベイスターズの売却先
プロ野球・横浜ベイスターズを保有するTBS・HD(ホールディングス)がDeNA(ディー・エヌ・エー)と球団売却交渉を進めていることが明らかになったが、そこへきて横浜市内にも路線を持つ京浜急行電鉄(本社=東京・港区)が中心となって複数の企業による連合をつくり球団買収に乗り出すという報道が20日の新聞紙上をにぎわした。大詰めを迎えている球団売却問題に、新たな動きが浮上した形だが、京急の広報は報道を否定する事態にまでなった。 「売却問題が新展開を迎えた」と言うのは、ある在京スポーツ紙記者。TBS・HDとDeNAの交渉が大詰めを迎えている時期に、あえてこのニュースをぶつけてくるのにはワケがあるという。前出の記者は「パ・リーグのある球団からは『DeNAは出会い系サイトを運営しているので反対』と公然と反対の動きがあることも明らかになった。それも複数の球団からです。ライブドアの近鉄買収騒動のときのアレルギーがまだ残っているということでしょうか。すんなりモバイル系の企業・DeNAに決まってしまってはという危機感が“ホワイトナイト”的な企業を現出させたのではないでしょうか」 しかし、火のないところには煙は立たないというもの。京急に白羽の矢が立った背景には、ベイスターズファンが熱望していた「地域密着企業」という側面もあるのも事実。今回の報道でファンの気持ちは一斉に「京急待望論」に傾いたはずだ。世論というものは、あるとき一気に燃え上がり、決まりかけた売却の話を一転破談にするほどの力を持つこともある。横浜ベイスターズの売却先はまだまだ二転三転がありそうだ。
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スポーツ 2011年10月20日 11時45分
球団史上初の2連覇でも観客動員減の中日 最後の最後で“他球団”の観客動員に大きく貢献!
プロ野球セ・リーグは今季限りで退任が決まっている落合博満監督(57)率いる中日が、10月18日、優勝を決め、球団史上初のリーグ2連覇を成し遂げた。 中日は19日、ナゴヤドームで今季の本拠地での全日程を終了。主催72試合の観客動員数は214万3963人(1試合平均2万9777人)で、前年の219万3124人(1試合平均3万460人)からわずかながら減少した。 球団初の2連覇を達成したにもかかわらず、観客動員が伸び悩んだことは深刻で、これが落合監督解任のひとつの要因ともいわれている。今季の不人気を象徴したのが、終盤の10日から13日に行われたヤクルトとの天王山4連戦。10日こそ祝日ということで3万人(3万3192人)超えしたものの、11日からの3連戦は平日とあってか、3万人すら超えず満員にはほど遠い入りとなった。 一方、中日のマジック2で迎えた14日からの敵地・東京ドームでの巨人3連戦には、優勝シーン見たさの中日ファンが数多く駆けつけ、連日超満員。15日の4万6794人は同所の巨人主催試合で今季ベスト、16日の4万6565人は今季ベスト2の入りで、巨人の観客動員に大きく貢献した。 そして、中日が巨人に3連敗を喫し、優勝が延びたことで、18日の横浜スタジアムでの横浜戦にも、中日ファンが殺到。本拠地最終戦とあって、外野自由席を無料開放したこともあったが、2万7518人の観衆が集まった。この観客数は、横浜の今季の同所での最高動員となった。優勝が決まっていたら、単なる消化試合となっていたゲームで、大入りとなったのだから、横浜球団としては笑いが止まらなかっただろう。 優勝しても、地元での観客動員が伸びなかった中日だが、最後の最後で他球団の観客動員に大きく貢献するという皮肉な結果となった。(落合一郎)
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スポーツ 2011年10月20日 11時45分
広島が今秋のドラフトの主役? ライバル他球団が有望候補の集中を阻止
10月13日、高校生のプロ志願届け提出が締め切られた。合計87名。今年は駆け込み提出者がいなかったようだが、ある有望高校生を指して「進学の情報は本当だったんだ…」と、安堵の声も聞こえてきた。 27日に開催されるドラフト会議は、広島東洋カープが主役になりそうだ。いや、精神的に疲れてしまいそうな1日となるだろう。 ドラフト候補者の主役はビッグ3(藤岡貴裕=東洋大、菅野智之=東海大、野村祐輔=明治大)、高橋周平(東海大甲府)である。だが、一方で今年は『広島県に縁のある有望選手』も少なくない。広島は地元出身者を大切にする。また、県民も地元出身の雄がカープのユニフォームを着るのを楽しみにしている。しかし、他球団がそこに横やりを入れようとしているのだ。 広島は野村の1位指名を表明している。1年秋に44年ぶり、史上5人目となる『シーズン防御率0.00』を達成。大学祭後の春のリーグ戦で通算300奪三振をマークし、当然、広島はエース候補と太鼓判を押している。しかし、日本ハム、ソフトバンク、横浜、東京ヤクルト、阪神、楽天も熱視線を送っていた。楽天については「同志社大の好捕手・小林誠司の一本釣り」を匂わせたこともあったが、明治大学といえば、星野仙一監督。自分の母校を他球団に踏み荒らされ、面白いはずがない…。 「日本ハム、横浜は藤岡の入札をほのめかしていましたが…。藤岡は秋のリーグ戦で無理をしているというのが(怪我のため)、各スカウトの見方です。おそらく、藤岡を入札する球団が一番多いと思いますので、それを避ける意味で別選手に乗り換えてくる球団もあるかもしれない」(在京球団スカウト) 奇しくも、今年は“広島出身”のドラフト候補生が多い。楽天が示唆した捕手・小林も広陵高校の出身。そう、野村−小林は07年夏の甲子園で佐賀北に逆転満塁弾を浴びた広陵高校のバッテリーなのだ。 当然、広島カープは小林も欲しい。「明治、同志社を経てカープで再会、甲子園のリベンジを!」となれば、地元ファンも盛り上がるだろう。しかも、現時点で向こう10年を託せるような若い捕手がいない。 「同志社大で成長した小林も即戦力です。捕手の人材難のチーム、あるいは正捕手が30代を過ぎたチームは放っておかないでしょう」(前出・同) 広島の捕手は32歳の石原、36歳の倉。23歳の會澤も頑張っているが、強肩堅守の小林を補強しておきたい。楽天以外でも、捕手難・オリックスと横浜、正捕手がベテランの域に達している中日、東京ヤクルトが高く評価しているという。 あくまでも、ドラフト本番の1週間前の情報ではあるが、外れ1位説、並びに「ビッグ3、高橋の競合を嫌った球団が小林を一本釣りする」との情報も交錯している。広島は「2位以下で」と考えていたが…。 “広島出身の雄”はほかにもいる。4年春こそ調子を落としたが、常に3割強の高い成績を残してきた早稲田大学の外野手・土生翔平である。こちらも07年夏の甲子園で涙を飲んだ広陵高メンバーの1人だ。 「神宮の星なので、東京ヤクルトが黙っていません。ソフトバンクも高く評価していますし、阪神は慶応・伊藤隼太外野手(の指名)を外したときに土生を、もしくは1位・伊藤、3位・土生で、2人とも獲るとの情報も流れています」(大学野球要人) 07年の広陵高メンバーって、凄かったんだなあ…。 つまり、広島はこの3人の指名を巡り、他球団と大心理戦を展開しなければならないのだ。前出の在京球団スカウトがこう言う。 「広島県の高校に有望な内野手がいて、彼が締め切り直前にプロ志願届を提出するとの情報もあったんです。その内野手は12球団が認める打撃センスの持ち主ですが、巨人が一目惚れし、1位の菅野に次いで、2位指名するなんて噂もありました。カープさんにすれば、プロ志願届を提出しなくて良かったと思っているんじゃないですか。地元有望選手を巡る駆け引きが4年後に持ち越されて(笑)」 このうえ、巨人とも心理戦を展開することになったら、野村謙二郎監督はドラフト会場で胃痛を訴えるだろう。 ドラフトの情報は日々変わる。「あと10日余」と迫ったこの時点では、11球団から「広島さんは気苦労が多そうで…」の声も聞こえてきた。(一部敬称略)※プロ志願届の締め切りを受け、本編はそれを提出しなかった高校球児につきましては、進学・就職に配慮し、氏名は明記しないことにいたしました。
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スポーツ 2011年10月19日 15時30分
落合監督を激怒させ皮肉にもリーグ連覇の原動力となった中日球団幹部の実名
プロ野球セ・リーグは18日、中日の2年連続9度目の優勝が決まった。横浜スタジアムで横浜に延長10回3-3で引き分け、球団史上初のリーグ連覇を達成したのだが、歓喜の原動力には指揮官やナインを怒らせた“ガッツポーズ騒動”があったというのだ。複数の朝刊スポーツ紙への手記で「選手に火をつけた分岐点があるとすれば、9月中旬に変な行動を起こした球団の人間がいたと噂になった。負けてガッツポーズされたらオレたち勝っちゃいけないのかよってなる」と落合監督自身が明かしているのだ。 話を総合すると、発端は9月18日の対巨人戦。0-4と敗れた試合後、なんと中日球団幹部が敗戦にガッツポーズをしていたという。この目撃談は落合監督の耳にも入り、球団への不信感を強める事態となった。22日には今季限りで契約更新をしないことを中日側が発表。監督はこの件についても一部朝刊紙の手記のなかで、「当日、あさ一番の新幹線で出向き9時にオーナーと会談して言われた。でも当日の親会社の新聞夕刊には出ていた。オレはその日まで退任か続投か知らされてなかったのに」と“クビ”は確定事項だったことを明かしている。しかし皮肉なことに、一連の騒動に「ナニクソ」と奮起したのはナインだった。退任決定後からチームは猛スパートし、リーグ連覇を果たした。 落合監督は、手記の中でこそ球団幹部の名前こそ出してはいない。しかし、在京スポーツ紙記者は「パッと読んだらピンときましたね。アンチ落合派と言われる坂井球団社長のことですよ。今季から社長に就任した人物で、親会社では『コストカッター』と言われ手腕を発揮していた人物です。西川前球団社長退任を受けて就任、球団運営経費の圧縮について手腕を振るっていましたからね。落合続投となると、もちろん年俸も上がる。ここ数年の観客動員数の低迷で、監督の年俸にまでメスを入れざるを得なかったようです。もちろん、落合退任なら次の監督年俸を安く抑えられますからね」と話す。なんと中日敗戦にガッツポーズをしていた球団幹部とは、坂井克彦・中日球団社長だというのだ。 前出の記者は続ける。「各朝刊スポーツ紙は実名を出すかどうかで迷ったようですね。日刊とスポーツニッポンは球団幹部として実名は伏せた。デイリースポーツだけ見出しで出してしまったあたりで一部夕刊紙あたりも追随したようです。でも、落合監督があれだけ手記でケナしていれば、遅かれ早かれ出てきた名前です」 ネットの反応も早かった。リーグ優勝を果たし、ベンチに戻る際に白井オーナーやマスコットのドアラとはがっちり握手したのに、坂井球団代表との握手だけは拒否したシーンの画像がすぐに流れ、拡散していった。大人げないという声もあるが、大方は落合監督に同情的だ。そもそも一連の騒動も、自分の球団が負けることを喜ぶ球団社長がどこにいるという話で、事実なら言語道断。コトによっては責任問題に発展しそうな雲行きだ。