ドラフト制度が導入された理由は『戦力の均衡化』と『契約金抑制』に尽きる。また、何度もルール改定されたように、ドラフトとは試行錯誤の連続である。制度導入の3年目の67年には、早くも「指名する順番を抽選する」やり方に変更され、78年からは「入札方式」となる。そして、01年に『自由枠』が誕生し、04年の栄養費問題を受け、高校生と社会人・大学生の指名を別々に行う分離ドラフトが3年間行われた(05年〜)。今日の1位指名は入札、2位以下はウエーバー制というやり方が復活したのは、08年だった。
そのドラフト史の分岐点とも言える05年、ハプニングが勃発した。「外れクジ」を引いた者が「当たった」と見間違え、「当たりクジ」を引いた側もよく分からず、首をかしげていた。お粗末だったのは、その抽選クジを作成した機構側も「外れクジ」を当たりと勘違いしていたこと…。しかも、その珍事に王貞治・ソフトバンク監督、堀内恒夫・巨人監督が登場しており、恥をかかせたわけだから、機構側の不手際は否めない。
筆者のこの05年のドラフト会場にいたが、いちばん盛り上がったのはこの“失態劇”である。
現在のドラフトルールは『戦力の均衡化』と『契約金抑制』を遵守しているが、不思議に思うところもある。逆指名制が廃止されたのに、ペナントレースの順位が当時とさほど変わっていないのは何故だろうか−−。
1位指名が『入札抽選』だからか? それとも、『育成』など球団内部にも理由があるのか…。FA、外国人選手、トレードといったように戦力補強の手段はドラフトだけではない。だが、会場を一般公開したように、ドラフトはもっともファンの関心の高い補強手段でもある。
野茂、小池を連続して引き当てた場合の「もしも」の話を続けるならば、91年のペナントレースの順位を変えていたと思われるが、一方で、菊池雄星、大石達也を連続して引き当てた埼玉西武の例もある。2011年、埼玉西武は僅差でクライマックスシリーズに滑り込んだが、両投手がその原動力になったわけではない。したがって、「ドラフトのクジ運次第でペナントレースに勝てる」という前述の関係者の言葉には、現実味はない…。
やはり、ドラフトによる戦力均衡化を進められるだけでは、ペナントレースの順位は変わらないのである。育成、FA、外国人選手、トレードなど全ての戦力補強手段が機能しなければ勝てないのであって、最終的には「各球団の努力次第」ということになる。
一方で、一時期ほどではないにせよ、「特定球団以外なら、指名拒否」というドラフト候補もいなくならない。その相思相愛の関係を切り崩せるのもドラフト制度ではあるが、百歩譲って特定球団への情熱を語る気持ちも分からなくはない。あくまでも私見だが、そういう選手にはFA権の取得年数にペナルティーをつける折衷案があってもいいと思う。あるいは、メジャーを参考にして、FA選手を獲得した球団は旧在籍チームにドラフト指名枠の1つを譲るなど、補填方法を拡充してもいいのではないだろうか。
ドラフトの一般公開は好評で、NPB関係者もファン拡大の手応えを口にしていた。テレビ中継も好評を博しているそうだ。昨年の中継について聞き直したところ、オリックス・岡田彰布監督が4度目の入札でやっと1位選手を決められたときが、もっとも反響があったという。斎藤佑樹の抽選で日本ハムが引き当てた瞬間以上であり、多少のハプニングがあった方が盛り上がるのかもしれない。
05年の失態以降、12球団やNPBにも緊張感が強まったと聞いている。「自分たちはファンに監視されている」との自覚が、ドラフト会議を滞りなく進行させようとしているのだが、今のドラフトのルールが完璧だの声は聞かれなかった。おそらく、近い将来、ルール改定論が再燃するだろう。そのとき、「ファンに監視されている」という自覚があれば、戦力の均衡化、契約金抑制の原点から遠ざかることはないだろう。(一部敬称略 スポーツライター・美山和也)