スポーツ
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スポーツ 2011年11月30日 11時45分
稀勢の里が大関へ! 基準満たさずとも大関昇進の裏事情
11月30日、日本相撲協会が理事会を開き、関脇・稀勢の里(25=鳴戸)の大関昇進を決めた。新大関誕生は今場所の琴奨菊に続き、2場所連続となった。 稀勢の里は大関獲りが懸かった先の九州場所(11月13日〜27日=福岡国際センター)を、10勝5敗の星で終えた。大関昇進には直前3場所で33勝以上上げていることが目安とされているが、稀勢の里は32勝で星が足りなかった。しかし、その相撲内容、将来性、横綱・白鵬との対戦成績がこの6場所で3勝3敗と五分の星を挙げていることなどが評価され、基準を満たさないなかでの昇進となった。 平成以降では32勝での大関昇進は99年3月場所で昇進した千代大海(現・佐ノ山親方)以来、約13年ぶり2人目。その千代大海はケガにも泣かされ、実に14度もカド番を迎えた末、大関在位65場所(魁皇=現・浅香山親方と並び1位タイ)で関脇に陥落した。 そもそも、協会には大関昇進に当たっての明確な基準はない。直前3場所で33勝以上という目安は、あくまでもマスコミがつくったものといわれている。つまりは昇進させるかどうかは、星だけではなく協会の思惑が絡んでいるということになる。 ここ最近では01年1月場所での琴光喜(後に昇進=解雇)=34勝、06年7月場所で2度目の昇進を目指した雅山=34勝、昨年1月場所での把瑠都(翌場所に昇進)=33勝のように、33勝以上を上げたのに昇進を見送られた例もある。これらには大関陣の人数が多く、安易に上げたくなかったなどの事情がはらんでいる。 逆に基準に満たなかった千代大海の場合は、5年間新大関が出ておらず、新大関待望論が渦巻いていた背景があった。また、時代をさかのぼれば、66年9月場所で昇進した北の富士(後に横綱に昇進)に至っては、わずか28勝で大関昇進を遂げた。これには、大関が一人しかいなかったという裏事情があった。 それでは、なぜ稀勢の里は基準を満たさずとも昇進できたのか。大関はすでに4人おり、どうしても新大関が必要な状況ではなく、むしろ多すぎるほど。通常なら、もう1場所見てという結論が出てもおかしくない。それでも昇進させるからにはワケがある。 現在の角界は致命的な人気下落、大関陣のふがいなさという問題点を抱えている。人気回復のためには強い日本人大関の登場が不可欠。稀勢の里は琴奨菊とともに、その任務を背負ったわけだ。これで、来年初場所には日本人新大関誕生という話題性が付加できるのだ。八百長問題で揺れた今年の角界だが、かねて、稀勢の里は“ガチンコ力士”として定評があった。今回の昇進は、その論功行賞的意味合いもあるだろう。同様に“ガチンコ力士”として鳴らした貴乃花親方の評価が高いのも当然のこと。 最後に付け足していうならば、稀勢の里は大関獲りが懸かった九州場所直前に師匠・先代鳴戸親方(元横綱・隆の里)を亡くす悲運に見舞われた。精神的ショックも大きく、通夜、葬儀に出席のため帰京し、けい古量も不足した。その状況で10番勝ったのだから、「親方の逝去がなかったなら、もっと勝てたはず」との同情論も味方したようだ。 基準を満たさなかった昇進は、協会から大きな期待を寄せられているなによりの証拠。稀勢の里にはぜひ、その期待に応えて横綱を目指してほしいものである。(落合一郎)
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スポーツ 2011年11月29日 15時30分
地に堕ちた過去の栄光 元柔道金メダリストの内柴氏がセクハラでクビ!
元柔道金メダリストで九州看護福祉大(熊本県玉名市)の女子柔道部コーチの内柴正人客員教授(33)を、同大は11月29日付でセクハラ行為により懲戒解雇処分としたことを発表した。 9月下旬に内柴氏からセクハラ被害を受けたという女子部員の関係者から同大に情報が寄せられ、同大は調査委員会を設置して、非公開で事実関係を調べていた。調査によると内柴氏は、9月19日、被害者とされる女子部員とホテルで、未成年であることを承知の上で、ともに飲酒。その上で、セクハラ行為に及んだ。内柴氏は事実に関しては認めているが、「合意の上だった」と話しているという。 合意もなにも、相手は未成年の女子部員である。内柴氏は客員教授であり、柔道指導者。未成年の飲酒を黙認したうえで、セクハラ行為に及ぶというのは許されない行為だ。ましてや内柴氏には、家族もあるのだから言い訳は許されない。 内柴氏は04年のアテネ五輪、08年の北京五輪の66キロ級で2連覇を果たした。昨年4月に同大女子柔道部のコーチに就任。同年10月に現役引退を表明。今年1月には同大の客員教授に就任していた。04年には出身地の熊本県から県民栄誉賞、合志町(現合志市)から町民栄誉賞も受賞している。 長い日本柔道界の歴史において、五輪で2度金メダルを獲得したのは男子では内柴氏、斉藤仁氏、野村忠宏氏(3連覇)のわずか3人しかいない。女子でも谷亮子氏(旧姓田村)、上野雅恵氏、谷本歩実氏の3人だけ。それだけ偉大な実績を残した内柴氏が、このようなハレンチ行為を犯したのは大変残念なこと。過去の栄光も地に堕ちてしまった。内柴氏の行為は日本柔道界に泥を塗った形だ。(落合一郎)
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スポーツ 2011年11月29日 11時45分
2011年『12球団合同トライアウト』 野球を続けたい! 彼らの願いは叶うか 中谷仁編
『捕手』とは、ピッチャーに尽くすポジションでもある。捕球技術、強肩、配球…。その長所を語るとき、全ては「ピッチャーを助けること」にたどり着く。 中谷仁捕手(32=東北楽天)は、『12球団合同トライアウト』が多忙な1日ともなったのではないだろうか。今年は37人の投手が受験したが、中谷はウォーミングアップの時間から彼らのもとに走り、変化球の持ち球やサインの確認を行っていたのだ。 −−今日はたくさんの投手、それも初めてバッテリーを組む投手も多く、大変だったのでは? 「そんなこと言ってられないし。投手とは話をして、いちおう僕なりに『こうやって』というのはあるけど、打者4人と対戦すると、4球で終わってしまうときもあるんですよね。だから、もし投げたい球があったら投げていいからって。少しでもいいところを引き出せるよう、お手伝いさせてもらいました」 −−楽天での思い出を…。 「やっぱり、野村(克也)さんのもとで野球をやって、クライマックスシリーズに出たことです(09年)。日本ハムに負けてしまったけど、あのシーズンが自分ではいい仕事ができたと思うし、キャリアハイになってしまいました」 −−他球団で現役を続けられたらいい…。 「やっぱり野球がまだまだやりたいですし、日本シリーズなんか見てても、同級生の細川(亨=福岡ソフトバンク)が頑張っているし、そういうのを見て、自分もまだまだって思いました」 約20人の投手のボールを受けたわけだが、力んで制球が定まらない投手もいた。だが、中谷はワンバウンド投球をそつなく捕球し、投手に返球していた。このシーンを見て、思い出したエピソードがある。 星野仙一・現楽天監督が阪神指揮官に就任した02年シーズン、主力選手の故障者続出で中谷にもスタメン出場の好機が巡ってきた。ある試合で途中出場したときのことだ。パートナーは二軍時代から気心の知れた藤川球児だったが、どういうわけか、この日の藤川は低めのコントロールが悪く、得意のフォークボールもワンバウンドしてしまった。 試合後、中谷は「今日、どうした?」と聞くと、藤川がこう言い返した。 「何言うてんねん!? 仁さんのためにやったんやで!」 ワンバウンド投球を捕球する技術の高さ、ボールを後逸しない俊敏な動きは二軍時代から定評があった。弱い時代の阪神に入団し、二軍球場で「悔しい。俺たちが強いチームに変えてやろう!」と励まし合った仲である。藤川は『捕手・中谷』の長所を星野監督に見てもらいたいと思ったのだ。中谷は藤川の友情に感謝し、その年はシーズン終了まで一軍登録を守った…。 中谷は阪神から楽天に移籍したが、ボールを後逸しない捕球技術の高さ、投手のために尽くす姿勢は変わっていない。トライアウトは野球人生を賭けた『一発勝負のサバイバル』でもある。その異様な緊迫感のなかでも、初めて組む投手の長所を引き出そうと、ウォーミングアップの時間帯から奔走していた。27日付の報道によれば、「巨人が中谷を獲得する方向で交渉に入った」という。中谷の野球に取り組む姿勢が目に止まったのだろう。震災被害から再起しつつある東北の人たちのためにも、09年のキャリアハイを塗り替えてもらいたい。(スポーツライター・美山和也)※藤川球児投手とのエピソードは『猛虎遺伝子』(双葉社刊/中谷仁の章=美山和也著)を参考にいたしました。
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スポーツ 2011年11月28日 11時45分
大相撲九州場所は横綱・白鵬がV21 際立った大関陣のふがいなさ
大相撲九州場所(11月13日〜27日=福岡国際センター)は、横綱・白鵬(宮城野)が14勝1敗で2場所連続通算21度目の優勝を果たした。残念ながら千秋楽で敗れて全勝はならなかったが、今場所もまた白鵬の独走だった。 白鵬は初日から13連勝で13日目にして、早々と優勝を決めた。ライバル力士は早くから脱落し、優勝争いへの興味は薄かった場所であった。白鵬に次ぐ星を残したのは、西前頭9枚目の若荒雄(阿武松)の12勝3敗。 4人の大関陣はというと、把瑠都(尾上)と新大関・琴奨菊(佐渡ヶ嶽)の11勝4敗が最高で、白鵬とは3勝差も付いた。しかも、把瑠都は4日目までに3敗を喫し、スタート時点で優勝争いに加われず。琴奨菊は初日から9連勝したものの、新大関のプレッシャーもあったか、10日目から4連敗し脱落。他の大関はカド番の琴欧洲(佐渡ヶ嶽)が9勝6敗、日馬富士(伊勢ヶ浜)に至っては2場所連続の8勝7敗というていたらくであった。 毎場所のように繰り返されることではあるが、4人も大関がいながら、誰一人、優勝争いに加われず、白鵬の独走を許しているようでは、ただでさえ下降している相撲人気の回復には到底つながらない。 今場所の琴奨菊に続き、来場所、稀勢の里(鳴戸)の大関昇進が確実となった。長らく外国人天国が続く角界にあって、日本人大関が2人存在するのは、昨年5月場所での魁皇(現・浅香山親方)、琴光喜(解雇)以来、久しぶりのこと。一人横綱の白鵬が、「もう一人横綱がほしい」と語ったように、早期の白鵬のライバル誕生が望まれる。それが日本人力士であれば、なおさらいいことである。 相撲人気の回復は優勝争いができる強い大関の登場、そして新横綱の誕生にほかならないだろう。(落合一郎)
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スポーツ 2011年11月28日 11時45分
2011年『12球団合同トライアウト』 野球を続けたい! 彼らの願いは叶うか 日本シリーズ(日程)編
今年のトライアウトで、日程面でアドバンテージを受けていた投手もいた。前中日ドラゴンズ・河原純一投手(38)である。一般論として、『戦力外通告』を受けた選手はシーズン中盤以降、“もしかしたら”の予感を抱く。二軍にいる若手がとくにそうだが、極端に試合出場機会が減るからだ。実戦から遠ざかっていた彼らが“一発勝負”のトライアウトで結果を出すのは並大抵のことではないが、河原は違った。5日前の11月20日・日本シリーズ第7戦まで『実戦の場』にいた。それも最高峰の舞台で投げ、ゲームセットの瞬間まで肩を作っていたのである。 トライアウト当日の成績だが、吉田真史(21=千葉ロッテ育成)、小林高也(28=中日育成)、松坂健太(26=北海道日本ハム)、石井義人(33=埼玉西武)の4人と対戦。先頭の吉田にはヒットを許したが、後続3人をしっかり抑えてみせた(セカンドライナー、ライトフライ、セカイドゴロ)。 やはり、ボールのキレ、勢いが他投手とは違った…。研ぎ澄まされた『実戦感覚』は取材エリアにもひしひしと伝わってきた。 −−今日の調子は? 「(カウントが)1ボール1ストライクからなんで、難しいところもあったけど、まあよかったとおもいます」 −−トライアウトには日本シリーズとは違う緊張感があるのでは? また実戦から遠ざかっていない分、ボールのキレ、勢いもあったように見えたが…。 「雰囲気も違うし、でもそういう点では自分がいちばん実戦に近かったので」 −−今日のピッチングを振り返って…。 「少しボールが高かったかな。細かいことを言えばね」 好不調に関係なく、淡々と語るのは若手時代から変わらない。第1期原政権でクローザーも務めた。当時は浮き上がってくるストレートの速さが最大の武器だったが、年齢とともにその威力を失った。しかし、落合中日ではむしろストレートの速度を使い分け、緩急でも勝負できるようになった。「まだやれる」というのが周囲の一致した声でもあったが、新生・高木中日は河原に対し、日本シリーズ前に『戦力外』を通告した。 −−解雇を伝えられ、日本シリーズに登板するのは辛かったのでは? 「いや、そんなの…。自分の仕事をするだけ。そのへんは関係ないし、気にしていない」 河原は強く否定した。顔をしかめただけだが、ポーカーフェイスが乱れた。 フロントへの憤りではなく、特別視されることを強く嫌ったのだろう。 また、シリーズ覇者・福岡ソフトバンクホークスを解雇された藤田宗一(39)は「ビール掛けの翌日」に呼び出されたという。 「(解雇は)全く予感していなかったです。いきなりだったんで、ドタドタしてしまったけど…。ビール掛け? 参加しました。次の日の午前中、いきなり電話で『来てくれ』って(球団に)言われて…。(トライアウト受験の)準備はしてきたし、万全ではなかったけど、自分はまだ投げられるってことをアピールできたと思う…。ボールのキレとか見てもらえれば…」 藤田はクライマックスシリーズ、日本シリーズともに投げていない。公式戦19試合に投げ、0勝1敗だが、HP「5」。ソフトバンクの選手枠に割り込むのは並大抵ではない。ファームでは21試合に投げ、1点台の防御率を保っており、藤田の「まだ投げられることをアピールできたと思う」の言葉は、出場機会に飢えたベテランの叫びでもあったようだ。救援投手は「今日は投げる」という確証のない試合のなかでベストコンディションを持続していかなければならない。試合展開が急変すれば、いきなり「すぐ投げろ!」とマウンドに送り出されることもある。勝ち試合の9回1イニングしか投げない『クローザー』よりも、『セットアッパー』の方が精神的負担も大きい…。 解雇通告を受けてシリーズ登板した河原、投手層の厚いチームのなかで実戦から遠ざかっていた藤田。精神面で強くなければ、セットアッパーは長年続けられない。両ベテランの“精神力”を必要とするチームは絶対にあるはずだ。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2011年11月26日 12時45分
新事実は12月の法廷まで持ち越し? 清武・元巨人GMの会見に支持者ナシ…
『球団代表兼GM』の職を解かれた清武英利氏(61)が社団法人・日本外国特派員協会で会見を行った。清武氏側は解任された直後、「まだ明かしていないものが…」とも語っていたため、会見場には約300人の報道関係者が集まったが、その中身は“不発”に終わったと言っていいだろう。 報道陣にも配布した資料によれば、<皆さんに訴えたいことは6点です>とあった。○渡辺恒雄球団会長(85)が不当な鶴の一声でコーチ人事を覆そうとしたこと。○日本のリーディングペーパーの最高実力者である渡辺氏が、多くのマスコミの前で確信犯的に虚偽を述べた。○今回の会長の言動は江川卓氏やファンを愚弄するもの。○騒動に原辰徳監督を巻き込んでしまったこと。○巨人におけるコーチ人事等は球団代表(GM)兼編成本部長にある。○自分はチームの信用回復のため働いてきた。−省略−社会部記者時代、大手企業のコンプライアンス違反やそれを食い止めなかった人々を強く批判してきた。だから…。(抜粋) 解任に対する反論としては筋が通っていた が、『新事実』はなかった。一時は「新聞の再販に関する話まで飛び出す」「球界全体の裏金問題を暴露する」といった“憶測”も流れていただけに、翌朝のスポーツ新聞各紙は清武氏に批判的な論調も多かった。 しかし、配布された資料には、ちょっと衝撃的な一文が記されていた。 <11月9日や11月11日に私が渡辺氏とお会いしたり、電話で説得を受けた際も、この人事の翻意をお願いしましたが、渡辺氏は「巨人は弱いだけでなく、スターがいない。江川なら集客できる。彼は悪名高いが、悪名は無名に勝る。彼をヘッドコーチにすれば、次は江川が監督だと江川もファンも期待するだろう。しかし、監督にはしないんだ」などと、独断人事の狙いを打ち明けました。-省略-「たかが江川」「たかがファン」という底意に基づいた人事を、取締役として到底容認することはできませんでした> 渡辺会長の『江川入閣』構想は早くから伝えられ、また、その交渉役を原監督に委ねようとしていたという。江川氏、原監督の間で実際に相談があったかどうかは不明だが、今後、清武氏側が渡辺氏(読売グループ)を法廷に引きずり出すとしたら、さらに原監督を騒動に巻き込んでいくだろう。 また、記者団との質疑のなかでも、今後の焦点となりそうな言動も見られた。 −−巨人代表職に就いて約7年。今回の告発は、今まで色々なことの積み重ねか? 「これまでにも近いものはありました(コーチ人事一変のような恫喝的発言として)。しかしながら、今回我慢できないと思ったのは、選手、コーチに関することだからです。球団の財産は選手であります。いつかコーチになります。コーチを守ることが選手を守ることにつながります。−省略−もし私が我慢して(渡辺会長のコーチ編成案を)飲んでいたら、通ったかもしれません。しかし、彼らは軽蔑しますよね…」 −−10月20日にコーチ人事を報告したというが、その後、巨人はクライマックスシリーズを敗退している。渡辺会長が民主的に、私案としてコーチ人事の変更を提案してきたら、受け入れたか? 「できません。いくつか問題があると思う。(コーチ人事の)内示を出す前なら相談の余地はあった。もしコーチ人事をひっくり返そうというのなら、CSが終了したのは10月30日。ここから(渡辺氏の「コーチ人事は聞いていない」発言が出たのは)4日経っているわけですよ。私は10月31日の内示を出しました。内示から、7日後に具体的な名前が出てきて(江川氏のこと)、もし変更するなら、もっと早く言っていただきたかった」 −−外部から見ると、清武氏も権勢を振るってきたのではないか。そういう立場にいたのではないか? 「ご批判はあるかもしれませんが、『君は破滅だ、全面戦争だ』と言われ、それはサラリーマンにとって恐怖であります。(組織の)なかにいても、最高実力者の畏怖は感じました。今回はコーチを守ることができたので満足しています」 清武氏が権勢を振るうことのできる立場にいたのは事実である。最後のキツイ質問は「巧く交わした」感も見られたが、最後に、清武氏は「これだけは言っておきたい」と自ら口を開いた。 「私が不当にポストを要求したなんてありましたけど(18日の読売側の会見で)、とんでもない! (11日の自身の)会見後に、実は先輩から心配の電話をいただきまして…。04年、渡辺会長はオーナー職を退きましたが、翌年にはすぐに会長として復帰されました。今回、もし会長職を退いたとしても、まだすぐに戻ってくるかもしれない。た から、監査役が必要で、私はその覚悟があると申しただけ! それも雑談のなかで。言いがかりです」 今回も同席した吉峰啓晴弁護士は、被告が渡辺会長個人になるのか、それとも球団、読売グループなのかは伏せたが、「12月中の訴訟」を示唆していた。清武氏の年収から逆算し、「億単位」の損害賠償額の請求も考えられるが、会見で新事実が出て来なかった以上、「読売内の内輪モメ」の印象は否めない。 「新事実は法廷で切り札として、法廷で明らかにするのではないか」 そう予想する取材陣もいたが、「コーチを守った」と話した清武氏には、改めて「プロ野球ファン、関係者にもご心配をおかけし、申し訳ございません」という謝罪を述べてほしかった。
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スポーツ 2011年11月25日 16時51分
清武元GMが反論会見! しかし新事実は出ず…そんなことを聞きに来たんじゃないとスポーツマスコミ
プロ野球・読売巨人軍の球団代表兼GMを解任された清武英利氏(61)が26日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で第二弾の会見を行った。自身をクビにした渡辺恒雄会長(85)に反撃の狼煙(ノロシ)を上げる格好の会見第2弾だったが、一連の報道より新しい事実暴露はなされず、集まったスポーツマスコミからは「何のための会見だったのか?」「やる意味あったのか」との声が挙がった。 代理人の吉峯啓晴(ひろはる)弁護士(62)と共に会見場に現れた清武氏は「6点の訴えたいこと」を述べた。以下は会見要旨。<1>適正なコーチ人事を渡辺会長の鶴の一声で覆されたのはコンプライアンス違反。11日の会見前には「会見を辞めろ。読売新聞と全面戦争になるぞ」と恫喝された。桃井オーナー(当時)も4日の時点で「もう辞めるよ」と漏らしていた。最初に怒りをあらわにしたのは桃井氏。それがきっかけで直談判するに至った。巨人は読売グループ株主のものであり、ファンのものであって、一人の人間のものではない。<2>4日にマスコミを前にして確信犯的に虚偽の事実「コーチ人事聞いていない」と述べた渡辺氏。コンプライアンス違反はここから始まった。<3>適正手続きを無視した行為が、入閣を噂された江川卓氏を愚弄することだ。既に決まっていたコーチ人事を蒸し返された。渡辺氏は「江川は悪名高いが無名よりいい。集客も見込める。次は監督だと誰もが思うが、監督にはしないんだ」と言いはなった。「たかが野球選手、たかが江川」というような態度は許せない。<4>原辰徳監督を今回のゴタゴタに巻き込んでしまった渡辺氏。仕事の範疇以外の江川氏招聘という仕事を原監督に命じることは許されない。<5>GMの権限を渡辺氏に著しく阻害された。コーチ人事権は私にあった。<6>解任の底流にあるもの。2004年就任時はターニングポイントだった。明大・一場投手の“栄養費問題”で巨人の信頼は地に落ちたときだった。そのときに就任した私の命題はコンプライアンスの徹底だと思っていた。球団改革、育成システム作り、スカウト制度に力を入れてきた。しかしこれを「鶴の一声」でねじ曲げられては「人の道」に反すると思った。解任はコンプライアンス違反を隠蔽するもので、近いうちに必要な提訴する。 10枚以上に及ぶ配布資料には、清武氏側の主張が事細かに書き込まれていたが、解任までのゴタゴタが述べられただけで、会見で分かったのは訴訟の時期は来月ということくらい。あるスポーツ記者は「これくらいの会見なら次回はないね(取材にこない)。清武氏は新聞記者出身なのに、この規模で記者会見やるなら、新しい真相の暴露があるのではと、どのマスコミも思ってしまう。そのあたりが分かっていない。これならニコニコ生放送の視聴で十分だった」と手厳しい。会見の最後にフリーランスの記者に「トップで権勢を振るっていた清武氏も、渡辺氏と同じ穴の狢(むじな)だったのでは?」との質問され的確に回答できなかったあたりに今回の会見のつまらなさがにじみ出ていた。
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スポーツ 2011年11月25日 15時30分
2011年『12球団合同トライアウト』 野球を続けたい!彼らの願いは叶うか 古木克明編
11月24日、12球団合同トライアウトが実施された。当番球団のオリックスバファローズによれば、同日スタンド観戦したファンは約1200人だという。受験選手たちには失礼な言い方になるかもしれないが、今年の受験者は“有名選手”も多かった。 その有名選手の1人、古木克明の去就に注目が集まっている。古木は高校通算52本塁打を放ち、『将来の4番候補』として98年ドラフト1位で横浜に入団した。しかし、09年に移籍先のオリックスで『戦力外通告』を受け、トライアウト受験。獲得球団が現れず、格闘家に転身したが、今年4月の試合を最後に、復帰を決意。社会人クラブチーム『かずさマジック』で実戦的な練習も重ね、今回のトライアウト受験に至った。 興味深かったのは、第2打席で放ったレフト前ヒットだった。吉川昌弘(元ヤクルト=33)にタイミングを外されたが、両腕を伸ばし、バットコントロールだけで左方向に流した。遊撃手が必死に後退したが、まるで守備位置を測ったように左翼手との間にポトリと落ちた。快心のヒットではなかったが、約2年もプロの実戦から遠ざかっていたとは思えない『適応力の高さ』を見せてくれた。 その古木がトライアウト終了後、報道陣に囲まれた。 −−今日のトライアウトを振り返って…。 「(実践は)約5カ月ぶりですか…。かずさマジックでお世話になって、そこで実戦的な練習とかもやってたんですが、プロとアマは違いますから。その意味では今日やれたのは自身になりました」 −−“プロの投手”と対戦してどうだった? 「(第1打席で対戦した)下柳(剛=43/元阪神)さんのスライダーに(打撃フォームを)崩されたりとか、でも、(全体的には)いい感じでボールにも対応できました」 −−トライアウト受験を決めたのは? 「11月の頭(初旬)。自分のなかでは、覚悟はありました」 −−そもそも、野球界に復帰しようと思った理由は? 「格闘技をやっていて、色々なことを考えたんですね。こういうふうにすれば面白かった、こうすれば良かったって…。それは後悔ではなく、前向きな意味で。そういう気持ちが重なってチャレンジしてみようと思った…」 −−実際、復帰は大変だったと思うが… 「復帰に対し、いろんな人に協力してもらい、本当に感謝しています。だから、最後の最後まで諦めない覚悟だし、まあ、年齢的にいつか現役引退を決めなきゃいけない時期が来るんだけど、それまで絶対に諦めないという覚悟でやります」 −−では、格闘技を経験し、野球でプラスになったことは? 「ボディーコントロールとか。バランスも良くなったと思う。体重? 今は野球で現役をやっていたころと同じくらい。格闘技をやっていたときは76?。『77?』で格闘技団体と契約したし。今の体重は、90?近くから80?に絞りました。野球は体重があって動ける方がいいですから」 格闘技の世界で学んだものも多いようである。古木は「プロの投手からヒットを打った」ことが自信に繋がったという。また好きな野球ができる…。古木は「今日は楽しかった」とも話していた。 トライアウトを受験しても、現役生活を続けられるとは限らない。その残酷なサバイバルテストの内情は分かっているはずだ。しかし、この日の古木は本当に野球を楽しんでいたように見えた。 他にもオリックスからの受験者はいたが、古木が着ていたのは旧タイプのオリックスユニフォームで、ネクタイ姿で球場入りしたのも彼だけだった。本当に野球が好きなのだろう。好きなことから離れ、見えて来るものもある。最後に「飛ばないボール(2011年導入の低反発球)を打ってみたい」と笑っていたが、古木にも朗報が届くことを心から祈りたい。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2011年11月25日 11時45分
押切もえと破局した巨人・野間口が結婚
かつて、モデル押切もえと交際していたことで有名になったプロ野球巨人の野間口貴彦投手(28)が、結婚することを発表した。 お相手は神奈川県在住の佐藤千年さんの次女で、ファッション関係の仕事に従事する優里亜(ゆりあ)さん(23)。2人は今年に入って交際がスタート、すでに都内で同居しており、今オフに入籍する。巨人では日本テレビ・森麻季アナと結婚する澤村拓一投手に続く、おめでたい話となった。 野間口は05年秋頃から押切と交際。スーパーモデルの押切に対し、1軍と2軍を行ったり来たりする野間口とは、“格差交際”として話題になった。一時は結婚も秒読みと思われていたが、09年秋頃に破局していた。原因は不明だが、押切は仕事が多忙、野間口も仕事柄地方遠征が多く、すれ違いのためともいわれている。だが、一説によると、精力絶倫の野間口に、押切が付いていけなくなったからとの説もあり、真相はやぶの中。 押切との破局後、野間口は昨季からサイドスローに転向。心機一転を図ったが、2軍暮らしが続き、わずか12試合の登板で1勝2敗と低迷し、一時はトレード要員にも名が挙がった。今季、背番号13をはく奪され、45に変更されて、浮上を期したが、2軍生活が長く、昨季同様、12試合登板で1勝に終わった。 人生の良き伴侶を得て、来季はまさに野球人生を賭けたシーズンとなる。野間口は球団を通して、「今まで以上に責任も出てくるし、家庭も野球も両方がうまくいくように、男としてがんばっていきたい」と決意を表明した。また、押切は元カレに対し、「おめでとうございます」とのコメントを残した。(坂本太郎)
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スポーツ 2011年11月25日 11時45分
2011年『12球団ペナントレース総括』 エースのお値段! 福岡ソフトバンク編
03年以来の日本シリーズ制覇から2日後、渦中の杉内俊哉(31)が球団側と交渉した。『国内FA権』を行使するかどうか、結論を保留したが、一部では移籍は規制路線のように伝えられている。また、和田毅(30)も海外FA権を行使するとされ、球団は帆足和幸(32=埼玉西武)、井川慶(32=ヤンキース2A)の調査を進めるなど、万が一に備えている。杉内、和田クラスを同時喪失するとなれば、不安に駆られる気持ちも分かる。しかし、大隣憲司、山田大樹、陽耀勲といった好左腕も控えている。「まだ補強するか!?」と思うファンも少なくないだろう。 杉内が国内FA権を行使するとすれば、この『大型補強』にも理由がありそうだ。 杉内の推定年俸は3億5000万円。3億円からの5000万円アップだったが、本人は納得していない。昨年の契約更改だが、1回目の交渉から前述の金額が提示されていた。杉内は怒った。横浜からFA移籍してきた内川とは「4年最大12億円」、同じく埼玉西武からやってきた細川とも「4年8億円」で契約。ライバルでもあるチームメイトの和田は1億2000万円から一気に3億円までアップし、「オレの評価はこの程度か!?」と−−。和田は17勝で最多勝、杉内は16勝。07年から15勝、10勝、15勝…と、『4年連続2ケタ勝利』を収めており、「上がり幅で和田とここまで違うのは納得できない」という言い分にも筋が通っていた。最終的にはその額でハンコを押したが、契約更改後の球団批判は強烈だった。 「携帯電話会社と同じですよ。新規加入の人には優しくて既存の人にはそのまま。年越しも…」(1回目の交渉決裂後) 杉内は『環境の変化』を嫌う。日本人メジャーリーガーの話を振っても、「生活サイクルとかも変わるし、自分は海外に行ってまで野球をしたくない」と返していた。したがって、「慣れ親しんだ福岡からも出たくないのではないか?」と見られていたが、昨年オフの公約更改のゴタゴタ以来、他球団は「国内FA権を行使する可能性アリ」と、内々に調査を進めてきたのだ。 今季の成績は23試合に先発登板し、8勝7敗。しかし、防御率1・94の数値が示しているように投球内容は昨季よりも良くなっている。勝ち星が伸びなかったのは、9月14日に一軍登録を抹消され、約1カ月間、登板間隔が「空いた」ためである。その登録抹消の理由にしても「過労に因る左肩痛」。復帰登板となった10月8日、6回を10奪三振無失点に抑えてみせた。1年を振り返ってみても、先発23回中21回の『クオリティースタート』(6回3失点以内に抑える/以下=QS)をマークした。 左肩痛による戦線離脱前、自身初の4連敗もあったが、QSの多さが証明するように投球内容が悪かったわけではない。「8勝」の数値は“3億円投手”としては寂しいが、ソフトバンク球団は「優勝、日本一のご祝儀」も含め、1億円強のアップを提示してもいいのではないだろうか。 また、他球団と比較するのは“危険”だが、ダルビッシュは3億3000万円(2010年度)から5億円にアップした。杉内もダルビッシュに近い上がり幅を提示される可能性がある。しかし、ダルビッシュはその昨年の契約更改後の会見でこう答えている。 「まさか、こんなに…」 球界には3億円を越えると、「その後は昇給幅が小さい」という“定説”もある。ソフトバンクは球界の定説に則り、『誠意』で杉内を説得するか、それとも、ダルビッシュ級の大幅昇給を提示するのか…。 巨人、阪神、新生・横浜DeNA、楽天が本当に「杉内獲得」を目指すのなら、5億円のマネーゲームに発展するだろう。 他球団に移籍した際、「環境の変化」を嫌う杉内の弱点が、別の形で露呈するかもしれない。杉内は相性の問題で山崎勝己捕手を好む。移籍先の球団にもそういった相性の良い捕手がいればいいのだが…。(スポーツライター・飯山満)