中谷仁捕手(32=東北楽天)は、『12球団合同トライアウト』が多忙な1日ともなったのではないだろうか。今年は37人の投手が受験したが、中谷はウォーミングアップの時間から彼らのもとに走り、変化球の持ち球やサインの確認を行っていたのだ。
−−今日はたくさんの投手、それも初めてバッテリーを組む投手も多く、大変だったのでは?
「そんなこと言ってられないし。投手とは話をして、いちおう僕なりに『こうやって』というのはあるけど、打者4人と対戦すると、4球で終わってしまうときもあるんですよね。だから、もし投げたい球があったら投げていいからって。少しでもいいところを引き出せるよう、お手伝いさせてもらいました」
−−楽天での思い出を…。
「やっぱり、野村(克也)さんのもとで野球をやって、クライマックスシリーズに出たことです(09年)。日本ハムに負けてしまったけど、あのシーズンが自分ではいい仕事ができたと思うし、キャリアハイになってしまいました」
−−他球団で現役を続けられたらいい…。
「やっぱり野球がまだまだやりたいですし、日本シリーズなんか見てても、同級生の細川(亨=福岡ソフトバンク)が頑張っているし、そういうのを見て、自分もまだまだって思いました」
約20人の投手のボールを受けたわけだが、力んで制球が定まらない投手もいた。だが、中谷はワンバウンド投球をそつなく捕球し、投手に返球していた。このシーンを見て、思い出したエピソードがある。
星野仙一・現楽天監督が阪神指揮官に就任した02年シーズン、主力選手の故障者続出で中谷にもスタメン出場の好機が巡ってきた。ある試合で途中出場したときのことだ。パートナーは二軍時代から気心の知れた藤川球児だったが、どういうわけか、この日の藤川は低めのコントロールが悪く、得意のフォークボールもワンバウンドしてしまった。
試合後、中谷は「今日、どうした?」と聞くと、藤川がこう言い返した。
「何言うてんねん!? 仁さんのためにやったんやで!」
ワンバウンド投球を捕球する技術の高さ、ボールを後逸しない俊敏な動きは二軍時代から定評があった。弱い時代の阪神に入団し、二軍球場で「悔しい。俺たちが強いチームに変えてやろう!」と励まし合った仲である。藤川は『捕手・中谷』の長所を星野監督に見てもらいたいと思ったのだ。中谷は藤川の友情に感謝し、その年はシーズン終了まで一軍登録を守った…。
中谷は阪神から楽天に移籍したが、ボールを後逸しない捕球技術の高さ、投手のために尽くす姿勢は変わっていない。トライアウトは野球人生を賭けた『一発勝負のサバイバル』でもある。その異様な緊迫感のなかでも、初めて組む投手の長所を引き出そうと、ウォーミングアップの時間帯から奔走していた。27日付の報道によれば、「巨人が中谷を獲得する方向で交渉に入った」という。中谷の野球に取り組む姿勢が目に止まったのだろう。震災被害から再起しつつある東北の人たちのためにも、09年のキャリアハイを塗り替えてもらいたい。(スポーツライター・美山和也)
※藤川球児投手とのエピソードは『猛虎遺伝子』(双葉社刊/中谷仁の章=美山和也著)を参考にいたしました。