社会
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社会 2019年01月03日 12時10分
意外なお正月トリビア、政治家は年賀状が出せない?
年賀状はお正月の風物詩だ。すでに時代遅れとも言われ、発行部数も年々減りつつある。だが、年賀状だけでつながっている古い知り合いがいる人もいるのではないだろうか。年賀状は自分が送っていない相手から来た場合は返信するのがマナー。返信は年が明けて1週間以内、1月7日までがベターとされる。このように、年賀状には細かい慣習が存在する。 さらに、法律で年賀状を出すことが禁じられている職業があるのが面白いところ。それは政治家である。「政治家」には国会議員のほか、自治体の長、県や市町村などの地方議員も含まれる。 政治家は年賀状のほかにも、寒中見舞、暑中見舞、残暑見舞など時候のあいさつ状を選挙区内の人間に送ることは常に禁止されている。これは選挙区内の人間への「寄付」とみなされてしまうからだ。年賀状には、お年玉付きの懸賞ハガキがついている。これは「贈賄」とみなされてしまう。お年玉付き懸賞ハガキと言えば、末席の切手シートくらいしか当たった記憶がない人も多いだろう。だがたとえ何円、何十円であっても利益が生じるものは政治家による有権者の「買収」とみなされてしまうのだ。 ただ、逆に有権者が政治家に年賀状を送ることは禁止されておらず、政治家が年賀状を受け取ったとしても違法性は問われない。ただ年賀状を単に返すことはできない。「答礼のための自筆による」返信のみが許されており、返信は、官製はがきで寒中見舞いを出す形にする場合が多いようだ。 一方で、インターネット上のブログやウェブで新年のあいさつを述べることや、メールマガジンや電子メールなどで、一斉送信の形で新年のあいさつをすることは許されている。年賀状はNGで、ネットメールはOKというのは、なんだかよく分からない基準ではある。
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社会 2019年01月03日 06時30分
誰にでもある年賀状黒歴史!?平成最後の年賀状の発行枚数は昨年よりも減少傾向に
年賀状を出す人は減少傾向にあるとされている。年賀状の発行枚数のピークは2003年の44億5936万枚で、平成最後の年となる2019年用年賀葉書の当初発行枚数は24億0021万2000枚。2018年用の当初発行枚数は25億8600万8000枚だったので、前年比はマイナス約7.2%。今や、スマホなどで気軽に年始のあいさつができる時代であるだけに、減少傾向にあるというのは無理もないだろう。そんな時代だからこそ、「誰にでもある年賀状黒歴史」と題して、年賀状で起きたおもしろ・失敗エピソードを集めた。 「学生時代、好きな人から年賀状が届いて大興奮。『今年もよろしく』ぐらいの言葉で、そっけなかったし、余白もあった。当時はあぶり出しがはやっていたので、隠されたメッセージがあるのかと思って火をかざしたら、火の勢いが強すぎたせいで燃えてしまって…。しかも、あとから本人に聞いたら、別にあぶり出しではなかったと聞いて、二重にショックだった」(20代・女性・事務) 「小学生のころ、クラスメイトの女子から『大好きだよ!今年から付き合って!』と告白の言葉つきの年賀状が届いた。その女子から好かれていることは気がついてはいたものの、年賀状で告白されるとは思ってもみなかったし、家族から冷やかされて恥ずかしかった。告白の返事はしないで、疎遠になった」(20代・男性・営業) いかにも学生時代に“あるある”な年賀状の恋愛エピソードだ。こういったことなら、のちのち笑い話になるだろう。 「昔もらってびっくりしたのが、連れからの往復はがきでの年賀状。誰からも年賀状をもらえそうにないから、往復はがきで返事をしてくれということだった。なんだかかわいそうになって、ちゃんと普通の年賀状を返した」(30代・男性・福祉) 「お恥ずかしながら、いわゆる闇金まがいのところからお金を借りていたことがありまして。そこの人間から『今年はちゃんと○万円、返してくださいね』という年賀状が届いたときは、ゾッとしました…」(40代・男性・自営業) 往復はがきでの年賀状というのにはびっくりするだろうが、闇金からの返済を催促する年賀状というのは、さらにびっくり、というか恐怖でしかないだろう。 「親がそういうことにうるさい人で、学校の名簿を調べて、知っている人に片っ端から出さないといけませんでした。当時は学校の名簿に住所が普通に載っていましたが、今は無理でしょうね」(30代・女性・主婦) この意見のように、個人情報保護にうるさくなっているご時世、住所という大きな個人情報を知ること自体が困難になっていることは確かだろう。紙ならではのよさがあるだけに、年賀状の慣習が完全になくなってしまうことはなさそうだが、スマホの普及だけが年賀状の減少の理由ではないといえる。文/浅利 水奈
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社会 2019年01月03日 06時00分
2018年も続発した「ながらスマホ」による重大事故 問題視される若者の「安全意識の低さ」
今や1人1台を超え、複数台を持つことも珍しくなくなってきたスマートフォン。Webサイトの確認や、アプリによるゲーム、マップの確認など用途は様々だ。 そんな便利なスマホが死亡事故を起こすケースが相次いでいる。2018年7月には、大阪府堺市の路上でながらスマホをして運転した男(48)が、前を走る自転車に気が付かず接触。自転車に乗っていた男性が死亡する痛ましい事故が発生した。 逮捕された男は、取り調べに対し「音楽を再生するためにスマートフォンを見ていた」と供述。ながらスマホが1人の人生を終わらせ、もう1人の人生を台無しにした。 自動車だけではなく、自転車のながらスマホも重大な問題。同6月には茨城県つくば市で、夜間にながらスマホをしながら耳にイヤフォンをしたうえ無灯火でマウンテンバイクに乗っていた男(19)が、62歳の男性と衝突し、死なせる事故が発生している。 この事故は本サイトでも報じた、川崎市で20歳の元女子大生が手にスマホと飲み物を持ち、極めて危険な状態で走り77歳の女性と衝突し、死なせた事件の後に発生している。危険性が叫ばれていながら、若者がまたも安全意識の低さから自転車ながらスマホで高齢者を殺めたことは、腹立たしい思いを抱かざるを得ない。 川崎の事故では、事故を起こした元女子大生に重過失致死傷罪で、77歳の女性を殺しておきながら、禁錮2年執行猶予4年という軽い判決が下された。「煽り運転」同様、社会問題化し危険度が増している「ながらスマホによる事故」だが、それを取り締まる法律が追いついていない。 ながらスマホをした人間が事故に遭うのは自業自得だが、それに善良なる市民が巻き込まれ生命を奪われている現状は、非常に由々しき事態。とくに若年層のながらスマホに対する「危険意識」の低さは顕著で、現在でもスマホ片手に自転車を走らせる人間を目撃する。 厳罰化を含めた議論を、政府は行うべきだろう。
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社会 2019年01月02日 18時00分
日産・ゴーン追い出しクーデター失敗! 西川社長“道連れ逮捕”
東京地裁が勾留の延長を認めず、保釈秒読みとなったところで特別背任の容疑で3度目の逮捕となった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)。もはやドロ沼と化したクーデター劇が、新たな展開を見せている。「司法取引でゴーン容疑者の不正を暴いた側の西川廣人社長(65)が、ゴーン容疑者の退任後の報酬を払う旨を定めた文書に署名していたことが判明。東京地検特捜部は、西川社長の逮捕も視野に入れ、動き出しているのです」(全国紙記者) 西川社長は、ゴーン容疑者の2度目の逮捕(12月10日)の金融取引法違反容疑で直近3年間の有価証券報告書虚偽記載のうち、'17年と'18年の提出責任者だ。つまり、会社として虚偽の有価証券報告書を提出していた最終責任は西川社長にもある。「西川社長は、調べに対して『役員報酬の支払いとは認識していなかった』と説明しているが、それは通らない。特捜部は、捜査に協力している西川氏も“共犯”として立件せざるを得ない状況だ」(捜査関係者) ゴーン容疑者の追い出しに成功したかにみえた西川社長が、道連れになるかもしれない…まるで喜劇のような展開だ。「日産の首脳陣は一枚岩になっているように見えますが、実は西川社長と反目している役員もいるんです。日産プロパーの取締役は社外取締役を除いて3人。そのうちの志賀俊之元副会長と西川社長が犬猿の仲なのは経済界では有名な話」(経済ジャーナリスト) ゴーン容疑者が逮捕された後に開かれた11月22日の取締役会でのこと。当初は西川社長の会長兼務が採決される予定だったが、仏ルノー出身の取締役だけでなく、志賀元副会長も難色を示したことで見送りになったと言われている。「西川社長は社内で人望がありません。ルノーとのアライアンス問題が解決すれば、今度は日産経営陣の対立が表面化する。社内でも“退任後の報酬の合意文書”にサインしていた西川社長の責任が追及されるはず。その前に西川社長が共犯で捕まれば、日産経営陣は崩壊します」(日産関係者) 日産は、法人としてゴーン氏と同じ罪状で12月10日に起訴されている。「ルノーは、日産に臨時株主総会を早急に開催するよう求めている。西川社長を追放し、会長の座を一気に奪う目的ではないか」(同) この問題は、年を越してもさらに複雑化しそうだ。
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社会 2019年01月01日 12時00分
1986年 真理の友教会「神の花嫁事件 女性信者7人は、なぜ焼身自殺を決行したのか!?
1986年10月31日、和歌県和歌山市の浜の宮海岸で、7体の焼死体が見つかった。死体はいずれも女性で、死因は焼身自殺。浜辺には彼女たの無惨な亡き骸が打ち捨てられていた…。 地元警察による捜査の結果、亡くなった女性たちは皆、キリスト教系新宗教教団「真理の友教会」の信者で、教祖の宮本清治が病死したことによる後追い自殺だったことが判明する。7人の女性たちは、生前、宮本の身の回りの世話をし、生活費も工面して「神の花嫁」と信者たちから呼ばれていた女性たちだった。 この「真理の友教会」は、宮本清治が開いた、エホバを主神とする宗教団体である。教義は「正しい人生を歩んで心を清めること」、「救いを死後の天国に求めること」などを掲げるが、特に教典などはなく、宮本の言葉こそが教義だったという。教団は1950年に創始され、1976年に事件が起こる浜の宮海岸近くへと移転。そこで一部信者たちは宮本との集団生活を送っていた。宮本が病死した時点で、信者は80から120人ほどだったという。 実は、事件の3年前、すでに書かれていたという遺書に、こんな一文が記されている。そこには、「先生のお世話をするのが神の花嫁の仕事。先生と天国へいきます」 などと記されていたのだった。 教祖が死んだら自分も死ぬという帰依と心酔ーー。自殺した神の花嫁たちの心の中は、現在も闇に包まれたままだが、この事件を享楽的にとらえた一部マスコミが「セックス教団」などと取り上げたことなどから、「真理の友教会」は解散に至っている。
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社会 2018年12月31日 18時00分
築地の呪いか 歳末商戦不調 豊洲の客離れ
10月11日に開場した豊洲市場(東京都江東区)が初の年末年始商戦を迎えているが、小口の客は大田市場(大田区)や足立市場(足立区)に流れ、早くも零細の水産仲卸業者が経営危機に追い込まれる雲行きだという。 東京都は豊洲市場の水産物取扱量が右肩上がりになると予測していたが、同市場の水産物の取扱量は12月7日までの8週間で前年度比96%と減少。「塩干加工品分野は1割減になっている。豊洲は家賃が高いため、水産物の値段も大田市場や足立市場と比べると当然アップする。小口の客は同じ品質なら、少しでも安い方で仕入れますよ」(水産仲卸業者) 豊洲市場は交通の便の悪さや駐車料金が高いこともあって、電話注文が多くなった一方、「電話注文の場合、市場でのネタの取り扱い状況が分からない。仲卸業者から“今日は高値だったんで”と言われれば、小口の客はどうしようもない。電話注文の客も安い市場に流れているんです」(小料理店店主) 小口の客を失うと現金収入は減る。それこそ、豊洲市場の零細仲卸業者にとって年末年始商戦は大打撃だ。 11月15日には、ターレに乗った70代女性が荷台から転落する事故が起きた。「女性は都内で中華料理店を経営する関係者で、豊洲市場初の死亡事故となりました」(社会部記者) しかも、事故を起こしたターレの所有者は、豊洲移転に反対していた水産物仲卸業者というから複雑だ。「都は解体工事が進む築地市場敷地内で所有物を残していた仲卸業者2社に対し、土地と建物を明け渡すよう東京地裁に仮処分申請していたんです(11月22日仮処分決定)。そのうちの1社は豊洲にも店を出していた。その店のターレが事故を起こした。都は豊洲の店を明け渡しの不備等で営業停止処分にしたんです。同業者からは“都の嫌がらせだ”と非難の声が上がってます」(豊洲の仲卸業者) 豊洲の来年は明るい?
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社会 2018年12月31日 07時00分
1989年「東京・埼玉幼女連続幼女誘拐殺人事件」 宮﨑勤が撮ったビデオに映っていたもの……
「女の子の股間を舐めるシーンで一瞬、男の顔が見える。その口元にホクロがある。それが宮﨑と同じだったのが決め手になったようだ。あとは手の動きかな…」(テレビ関係者・X氏) 1988年から翌89年にかけて、埼玉県と東京都で幼女4人が殺害された「幼女連続殺人事件」で逮捕された宮﨑勤は、2008年に刑死した。宮﨑には生まれつき手が不自由なところがあり、それをからかわれたことで殺された女の子もいたと言われている。口元のホクロとぎこちない手の動き。確かにそんなシーンは確認できたーー。 「オタク」「ロリコン」「残酷ビデオ」ーー。これらの存在を日本中に知らしめた出来事こそ、この宮﨑事件だったと言える。事実、彼の自室に天井まで積まれた5793本ものビデオの山が記録されている。〈宮﨑がレンタルビデオ店や愛好家仲間から借りてダビングしたものがほとんどだという。ビデオにはラベルやパッケージに自筆でタイトルが書いてあるが、タイトルの付けられていない無印のものも二十本ほど確認されている。〉(読売新聞夕刊 89年8月17日) ここで頭に入れていただきたいのは、「ビデオ愛好家仲間」の存在と、「タイトルの付けられていない20本のビデオ」だ。新聞はこう続ける。〈宮﨑は地元の五日市町(現あきる野市)のカメラ店からしばしばビデオカメラを借りだしており、同本部では、無印のビデオテープは、宮﨑自身が撮影、編集したものである可能性が高く、事件の核心部分を自ら撮影していたことも大いに考えられる。〉新聞にも伝えられた「宮﨑が撮影したビデオ」。このビデオテープ自体は、年季を感じさせるベータ方式。保存状態は良好だ。「このテープは一般の裏ビデオ屋でも売られていない。たぶん、一部のマニアたちの間で鑑賞されていたのだろう」(前出・X氏) その後、宮﨑による一連の事件が発覚し、警察は事件の真相究明のため、ビデオ方面からも徹底的に捜査を行った。その動きにもともとのビデオの持ち主は恐怖を感じ、X氏に譲られたのだという。問題のテープは2本。テープの背中部分には、ただ番号が「宮1」「宮2」と記されている。1本目はおよそ15分、2本目が30分。一般の商売用に作られたものにしては「尺」が短い。やはりどこかのビデオフリークがコレクション用に残しておいたものが闇に流れたのだろうか。 内容は、2本ともにひたすら幼女の股間をもてあそぶシーンの連続で、BGMの合間に泣き声のようなものも入っている。宮﨑らしき男は何度も自分のモノを押し込もうと試みるが断念している……。このビデオの制作者が本当に宮﨑本人かどうか、確証はない。というのも、実際にもう一人のスタッフらしき人物も映っているからだ。「誰かと一緒に作ったか、あるいは作らされたか。ロリータビジネスはかなりの規模でネットワークを築いているから、彼がその会員であってもおかしくはない。他に欲しいビデオを入手するためにこれを撮影したのかもしれない。当時はネットもない時代で、“物々交換”が一般的だったから」(ロリータビジネスに詳しいライターA氏) 自分が見たい映像を入手するために、4人もの少女を……。そう考えると、やはり死刑こそこの男にふさわしかったのかもしれない。
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社会 2018年12月31日 06時00分
「二度と戻りたくない」居場所がない女性のための福祉施設で体験した、壮絶な女のバトル
DVから逃れてきた人が生活するシェルターや、生活保護の人が暮らす自治体運営の公共福祉施設をご存知だろうか。今では夫と2人の子どもと平穏に暮らしているA子さんは、20代前半の頃、精神疾患で入退院を繰り返していた。当時は実家暮らしだったが、家族との関係がうまくいかなくなり、別々で暮らすか検討した。その際に病院の主治医や医療ソーシャルワーカーから提案されたのが、実家や一人暮らしでの生活ができない女性のために衣食住を提供する「女性限定の市の公共福祉施設」での生活だったという。 「そのとき、実家で暮らすことが本当につらかったので、わらにもすがる思いでその提案を受けました。見学に行ってみたところ、施設はとてもキレイで、一人一人に個室が与えられて、何の問題もないように感じましたし。まさかその施設が、あんなにひどい場所だったとは、夢にも思いませんでしたね…」 その施設は、いわゆる“ワケアリ”の人だけが暮らす施設だった。精神疾患者をはじめ、アルコールや薬物の依存症、刑務所から出所したばかりの人、身寄りがなく何十年間も施設を転々としている人が施設入居者の大半。それだけに、トラブルが起きない日はなかった。単純に不仲が理由のケンカでけが人が出ることもあれば、中には女性同士ながら気になった相手に金銭や物を一方的に押し付ける人やその好意を利用する人もいて、修羅場になることもあったという。 「私はなるべく目立たないように気をつけていたのですが、『あいさつに元気がなかった』とか、その程度のことで施設の中心グループに目をつけられてしまいました。大声で悪口を言われる、朝から部屋に押しかけられて生活態度に関して文句を言われる、ゴミを部屋の前に捨てられる、といった嫌がらせを受けるようになりました」 まるで学生のいじめのような嫌がらせだが、それが毎日続くとなると、たまったものではないだろう。ただでさえ精神疾患を抱えているのに「このままでは生きていけなくなる」とまで思い詰めたA子さん。年末年始が近づくにつれて、どうにかしてまた実家に戻ろうと考え始めた。 「年末年始は、施設でも豪華な食事が出ますし、楽しそうなイベントも開催されるんです。でも、反対に言えば、年末年始も家族やそれに準ずる相手の家に外泊予定がないのであれば、そういう人は死ぬまで一生施設暮らしになる、といった噂がありました。私は多少無理を言って、年末年始は実家に外泊しました。外泊の際に『施設にいることが耐えられない』とありのままの現状を家族に話し、和解して、数ヶ月後に施設を退所して実家に戻ることができました」 A子さんのように、施設での生活が合わなかったという人もいれば、公共施設に救われたという人も当然いる。施設暮らしであることが一概にいい・悪いと決めつけることはできないが、一生施設暮らしとなると、想像を絶するものがある。平穏な暮らしを手に入れた今、A子さんは何を思うのか。 「施設に対しては何の恩も感じませんでしたが、実家や精神病院で生活するよりもひどい場所があると知ることができたことは、かえってよかったのかもしれません。『もう二度とあそこには戻りたくない』その一心で社会復帰し、結婚して自分の家庭を持ちました。施設にいたことは、私にとってまさに黒歴史です」 A子さんには実家があったからよかったものの、どこにも行くところがない人はどうすればいいのか。社会全体で考えるべき問題なのかもしれない。文/浅利 水奈
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社会 2018年12月30日 12時00分
「日航123便墜落事故」後日談でさえも闇に葬られていた…だった
日本が未曾有のバブル景気に踊る直前だった昭和60(1985)年の夏ーー。 お盆の帰省客や行楽客たちを乗せた東京・羽田発ー大阪・伊丹行の日本航空123便は、定刻を4分遅れて18時04分に羽田のスポットを離れると、18時12分に離陸。しかしそのわずか12分後の18時24分には、突如として機体に異常が発生、操舵が不能となってしまった。その後、クルーたちによる懸命の努力もむなしく、18時56分30秒に群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根に墜落。わずか4名の生存者以外、乗客乗員合わせて実に520名もの尊い命が奪われることとなってしまった。世に言う『日本航空123便墜落事故』である。 この事故については、その後に行われた事故調査委員会の報告により、既に「圧力隔壁破損による急減圧、空中分解による垂直尾翼脱落、及び油圧系統全滅を含む操縦系統喪失によって引き起こされた」と結論づけられている。しかし、こうした不具合を引き起こした原因や、これほどまでに多くの犠牲者を出してしまった経緯については、今なお様々な憶測が存在しているのが実情だ。 それらの中には、「自衛隊の演習に巻き込まれて撃墜された」とするものや、墜落時にはかなりの生存者がいたものの、運搬していた貨物の中に放射性物質が含まれていたため「見殺しにされた」というもの、さらにはこうした事態を隠蔽するために、「意図的に殺害された」とする陰謀論めいた噂まで存在している。だが、そうした数多くの荒唐無稽な憶測でさえも、一笑に付すことができない出来事が、後に発生していたことはあまり知られていない。「そりゃあもう、当時は大騒ぎでしたよ。なにせ山の中に飛行機の部品が落っこちてるんだから」 123便の事故から20年以上が経ち、21世紀になってすぐに発見されたという同機の部品についてそう語るのは、静岡県某所で暮らす農家のAさんだ。当時、Aさんは農業用水として使用している山水の貯水タンクの状態を確認しに出かけた際、たまたま近隣の山中で、同機の機体の一部と思しき残骸を発見したのだという。 彼はすぐさま地元の駐在に届け、近隣は大騒ぎになったというが、その実、なぜかこの騒動は発見からほどなくして、“闇”に葬られることとなったのだーー。 「最初はね、新聞記者の人なんかも来てね。私も『自分が見たもの』を説明していたんだけれどもね、いつまで経ってもニュースや新聞に出やしない。それどころか、区長(※集落ごとのまとめ役)さんが来て、『誰にも言うな、すぐに忘れろ』なんて言い出してね。だから私は、“あの部品”が、見つけちゃいけないものというか、見つかっては困るものだったんだと、理解することにしたんだよ」 本来であれば、大手メディアで大々的に取り上げられてもおかしくないような出来事であるにもかかわらず、わざわざ取材に来た地元メディアでさもなぜか報じず、それどころか箝口令とも言うべき圧力がかけられたというAさんの“発見”。あまりに不可解な事態をしく思ったAさんが、ほどなくして発見箇所を確認しに行ったところ、驚くことに、その現場は、“それ”があったことすら分からぬほどに、跡形もなく片付けられていたのだという。「(発見直後)駐在さんに話した後、すぐに警察の車が何台か来て。それが終わったと思ったら、今度は自衛隊のトラックみたいなのが真夜中に何台も来ているのを見たんだよな。あの時……きっと部品を引き上げていったんじゃないかって思うよ」 無論、Aさん自身が高齢であることや、その“存在”を示す物証が現在では確認できないため、なんとも言い難い部分ではある。だが、Aさんが語る一連の内容は、“尋常ならざる何か”を、我々に感じさせることも事実だ。実際、Aさんが「今でも覚えている」という発見箇所を、持参した地図上で示してもらったところ、それは紛れもなく、操舵能力を奪われた123便が迷走したルート上に存在していた。 いわゆる「未解決事件」に関する各種の証言がそうであるように、それらの一つ一つについて個別に見ていくだけでは“点”でしかなく、事態の全貌が見えにくいものだ。しかし、そこへ何者かによって意図的に隠された“線”を加えることで、それまで見えてこなかった“何か”が浮かび上がってくることは珍しくないし、筆者自身、今回ご紹介したAさんの証言は、そうした線の一つになり得るものと考えている。 もっとも、その墜落から30年以上経過した今、この墜落事故を巡る謎は、今後も未来永劫、明かされることはないのかもしれないが……。
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社会 2018年12月30日 07時00分
政界再編 橋下徹が小沢一郎とタッグで亥年に新党党首へ
「2019年政界再進出間違いなし」と言われている橋下徹前大阪市長。しかし、いつ誰とどう組むのかは、本人が「政界進出はない」と宣言していることもあり、これまで憶測はあっても全く不透明だった。ところが、年の瀬になって小沢一郎共同代表率いる自由党、野党第2党の国民民主党(玉木雄一郎代表)と組み、橋下氏が党首で新党を結成するのでは、という情報が永田町を駆け巡ったのだ。 この新情報に自民党や小沢氏らと一線を画す野党第1党の立憲民主党(枝野幸男代表)は真っ青。実現すれば、’19年春の統一地方選や’19年夏の参院選に向け、「橋下・小沢・玉木」新党が政界再編を引き起こす台風の目になる可能性が極めて高くなるからだ。 この一連の背景を連合関係者が解説する。「橋下氏の参院選出馬の可能性は、『政権奪取論 強い野党の作り方』を今秋に出版したときから徐々に強まっていました。さらに最近、自分が持つネット番組で『産まれてから大学まで全部無償にするため、今度の消費増税2%分をぶち当てたらいい』などと政治的発言を強めていることから出馬は確実視されている。だが、どんな形で政界再参戦するのか、それが定かではなかったのです」 というのも、橋下氏は世間から猛批判にさらされた森友・加計学園疑惑で安倍首相に苦言を呈していた。例えば、某メディアでは森友問題絡みで『昭恵夫人が名誉校長を引き受けたことが間違い。昭恵さんが(森友の)広告塔になった責任は免れない』と痛烈批判していた。 その一方、安倍首相とは年に1度か2度、節目節目で菅義偉官房長官も交えて会食する間柄。また、大阪府知事、大阪市長時代に猛烈プッシュした大阪万博が決定すると、「安倍官邸が全力で取り組んでくれた。官邸パワーはすごい」とべた褒めするなど、与党寄りなのか、野党寄りなのかスタンスが見えにくかった。 だが、橋下氏の立場を明確にすべき出来事が今年終盤に相次ぎ、「橋下氏の野党新党結成の腹がいよいよ固まった」(前出・連合関係者)という。「11月に橋下氏と小沢氏が都内のフランス料理店で極秘会食したことは、菅官房長官も衝撃を受けたそうです。当時は何が話し合われたのか全く漏れ伝わってこなかったが、最近になってようやく会談の一部が浮上してきた。要は、立憲民主党も含め野党統一候補が出せないなら、国民民主党と自由党のみで橋下氏を党首に担ぎ上げる新党話が出たというのです」(同) 国民民主党関係者も、この連合関係者の話を追認してこう明かす。「小沢氏は、安倍自民から政権をもう1度奪取したい。そのために肌が合わない立憲の枝野氏とも月に1度の割合で会食を重ねていた。11月の橋下会談前にも枝野氏と会い、野党合流を持ち掛けたが、枝野氏は速攻で断ったそうです。小沢氏は橋下会談後も、再度統一候補を出すため、各政党候補者間で予備選を行い、候補者を絞り込む案を枝野氏に提案したが、またまた“NO”だった」 独自路線にこだわる立憲民主党を象徴するいい例がある。’19年夏の参院京都選挙区だ。12月16日、立憲は経済評論家の勝間和代氏のパートナーでLGBT活動家の増原裕子氏を公認候補者とした。「しかし、同選挙区は国民民主党の前原誠司氏のお膝元。国民民主は前原氏の元秘書で斎藤勇士アレックス氏の擁立を決めていた。改選数は2だが、自民はベテランで選挙に強い西田昌司氏が立つ。共産党も現職擁立の方向です。野党は立憲と国民と共産で残り1議席を争う構図となり、野党共闘どころではない仁義なき戦いとなる。こうした立憲のスタンスに小沢、橋下、前原の各氏も、最終的に立憲と共産を除く新党の腹を固めたと聞きます」(前出・国民民主党関係者) 橋下氏が安倍自民党と一線を画し、野党新党に動いた決定的理由については、『文藝春秋』(11月号)にもヒントがあるという。橋下氏は『安倍首相への忠言』という特別寄稿を寄せているのだが、その中で都道府県制度から全国を9〜10のブロックに分けて地方分権を進める道州制を改めて強く主張しているのだ。 橋下氏は、今の安倍政権は中央集権の度合いを強めすぎていると警告。本来は地方レベルの森友、加計学園問題が国家レベルの疑惑となり、政権を苦しめているとも指摘している。「橋下氏に言わせれば、今の政権下では半永久的に道州制は無理。結果、日本が行き詰まる。だから道州制可能な政権樹立を目指すのが橋下論です」(同) 表向きは政策だが、表裏一体で“カネと人”にも橋下氏はぬかりない。「国民民主党の金庫には、旧民進党資金などで100億円説も飛び出すほど潤沢にある。このカネに加え、衆参59人の国会議員と全国網、バックには連合がいる。豊富なカネと人、支持率だけない国民民主党を巻き込んだ橋下新党なら勝てると、算盤をはじいている」(全国紙政治担当記者) 安倍政権の強引な国会運営や沖縄・辺野古強行埋め立て問題で支持率は一気に5〜6%減。自民党内からも「統一地方選、参院選は大丈夫か」という不安の声が噴出し始めた。「橋下氏がトップで小沢氏が控える新党が動き出せば、国民の期待は一気に橋下新党に移る」(政界関係者) 政界再編へ猪突猛進。
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都知事選 ラストサンデーで石原氏を袋叩き
2007年04月02日 15時00分
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都知事選特集 占い師対決
2007年04月02日 15時00分
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谷隼人が都知事選候補者を応援
2007年04月02日 15時00分
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都知事候補 黒川氏がメイドさんと“合体”
2007年03月31日 15時00分
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都知事選 ドクター中松、夜の渋谷交差点で新発明「回転舞台」披露
2007年03月30日 15時00分
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都知事選 石原氏「厳戒歌舞伎町演説」で語った手柄話
2007年03月29日 15時00分
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石原陣営に焦りアリアリ!? 今朝の政見放送でまさかの慎太“老”ぶし炸裂!!
2007年03月28日 15時00分
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都知事選政見放送で仰天マニフェスト
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都知事選「浅草雷門で時間差対決、石原VSドクター中松」
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桜金造都知事選正式表明
2007年03月20日 15時00分
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都知事選 黒川氏が石原知事をホリエモン呼ばわり
2007年03月19日 15時00分
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社会
ホリエモン実刑
2007年03月16日 15時00分
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丸山弁護士東京都知事選出馬へ
2007年03月09日 15時00分
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石原カジノ構想消滅!?浅野氏に“追い風”吹く
2007年03月07日 15時00分
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社会
上層部スタッフが告発 NOVA 怪文書
2007年02月21日 15時00分