社会
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社会 2015年07月31日 17時00分
尼崎連続変死事件 法廷で公開された写真で判明 角田美代子ファミリー解体前夜
'11年11月、兵庫県尼崎市の倉庫で大江和子さん(66=当時)の遺体が見つかったことで発覚した「尼崎連続変死事件」。その後の捜査で、主犯とされる角田美代子元被告(64=当時)の周辺で、25年以上にわたって複数の家族が長期間虐待を受け、死亡していたことが明らかになっている。 1年後に“角田ファミリー”が逮捕されたが、肝心の美代子元被告は留置場で自殺。以降は主犯が不在のまま、関係者らの公判が神戸地方裁判所で開かれている。 今年5月13日からは、美代子元被告の内縁の夫である鄭頼太郎(65)、義妹の角田三枝子(62)、長男の健太郎(33)の3被告に対する裁判員裁判が始まった。いずれも殺人罪のほか、それぞれ9つの罪で起訴されているため、7月現在もこの公判は続いている。 7月15日からは、三枝子被告の義弟である橋本次郎さん(53=当時)に対する殺人罪などについての審理が始まったが、その内容は、まさに鬼畜の所業というべきものだった。 美代子元被告の主導のもと、3被告を含む“角田ファミリー”が、マンション屋上の小屋に次郎さんをしばりつけて監禁。食事や排泄も制限し、壮絶な虐待の末に衰弱死させ、遺体を岡山県の海中に遺棄したのである。 冒頭陳述や証人尋問では、生々しい描写が続いたが、その一方で“角田ファミリー”が、林家ぺー・パー子夫妻のごとく、何でもかんでも写真に撮り、「家族の思い出」を残しまくっていたことも明らかになった。 公判を傍聴していたライターの高橋ユキ氏が語る。 「関係者が、『監禁が始まる前日に焼き肉パーティーをした』と供述しているのですが、その日の写真も法廷の大型モニターに映し出されていました。皆で楽しそうに焼き肉を食べている写真で、そこには翌日から監禁される次郎さんも写っていました。別の日の写真には、美代子元被告とその孫、次郎さんの3ショットがあり、それも法廷に出されたのですが、そこに写っている次郎さんの顔には青あざがありましたね。美代子元被告は孫の方を向いてニコニコしていましたが…」 検察側は、こうした写真から「犯行日」を特定し、「虐待の事実」も証明している。何とも間の抜けた話だが、他人の家族を食い物にした悪魔のような女が、「自分の家族との思い出」だけは大切にしていたというのも、なぜか切ない。
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社会 2015年07月31日 16時00分
元暴力団の遺族に5億円! 「日航機墜落事故」封印された補償金の闇(3)
遺族が高齢となってからも、孫たちの世代が慰霊登山を行う際は付き添い、何人かの遺族とは現在でも交流が続いているという。 「中には千葉の私の家に寄ってくださる方もおり、そういう場合には、魚がおいしい勝浦や成田山を案内したりしました。勝浦の海中公園なんかは喜んでくれましたね。私は運転しないので、そういう時は家内が運転してくれました。家内は最初の5年は留守番役で、後半の5年は私と一緒に、家族ぐるみでご遺族のお世話をさせていただいたという感じです。細々とですが、ご遺族とのそうした関係は今も続いています。去年も、私が最初に担当した和歌山のご遺族が『千葉の落花生が欲しい』というので送ったら、すぐに御礼にミカンを送ってくれました。今では本当の親戚のような関係になっています」 現在、天野氏は体調を崩し、酸素ボンベが手放せないが、本誌の取材に丁寧に答えてくれた。とくに、天野氏が最後に語った言葉が印象的だった。 「ご遺族と親戚付き合いができたということは、私にとって生きるための勉強ができたことだと、今では思っています」 もう一人、前出の伊藤氏が忘れられない人物がいるという。 毎月、わずか6万円の給料で「御巣鷹山の管理人」をしていた仲澤勝美氏だ。雨の日も風の日も山に登り、遺族に頼まれれば代理で墓に線香を手向け、花を添えることもあった。 伊藤氏が言う。 「私が観音様を建立する際、旧道の見返り峠からも観音様が拝めるようにと大木を何本も伐採してくれたり、『安全の鐘』の設置にも協力してもらったり、亡くなった方々の墓標を作ったりと、もう本当に筆舌に尽くしがたい働きをしてもらいました。彼がいなければ、遺族が安全に集える今の御巣鷹山はなかったといってもいいでしょう」 御巣鷹の麓、群馬県上野村で生まれ育った仲澤氏は、若い頃は村で一番の暴れん坊として有名だったというが、一時は村議も務め、晩年は山守として18年間も遺族に寄り添った。 ある日、仲澤氏から「助けてくんろっ!」という電話が伊藤氏のもとに入った。山の尾根にある木のイスが朽ちて、慰霊登山に訪れた人が怪我をしたというのだ。 「村にはイスを新しくする予算はないし、ほとほと彼は困った様子でした。それで、私がスチール製のベンチ20個を寄付したんです。一つ20キロもするベンチを、私の会社の社員たちが文句一つ言わず山の上まで担ぎ上げてくれましてね。勝っちゃん(仲澤氏)にたいそう感謝されましたが、長年、たった一人で山を守ってくれた彼に、私のほうが感謝の気持ちでいっぱいでしたよ」(伊藤氏) そんな仲澤氏も、'06年に86歳で旅立った。 「御巣鷹山を守ってきた男・仲澤勝美のやってきた事を山に残したいという思いから、彼の名前を彫った供養塔を観音様の横に建てました。それと、退職後も遺族のケアを続けた天野さんのこと。2人の男の生き様を、どうか皆さんに覚えておいてほしいのです」(同) 事故後30年という一応の区切りはついたが、すべての関係者の脳裏から、あの日の記憶が消え去ることはないのだろう−−。
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社会 2015年07月31日 10時00分
市場縮小が止まらない… ビール業界“夏の陣”の壮絶
ビール、発泡酒、第3のビールなどビール類の市場縮小が止まらない。 大手各社が発表した今年上半期(1〜6月)の国内総出荷量(課税済み)は前年比0.6%減の1億9575万ケース(1ケースは大瓶20本換算)となり、上半期としては3年連続で過去最低を更新した。ピーク時だった1994年の上半期に比べると、市場規模は約25%も減っている。若者のビール離れ、少子高齢化と、まさに逆風真っ只中だ。 そんな中、関係者が目を剥いたのが昨年まで“独り負け”の烙印を押されていたキリンビールの大健闘だ。出荷量は前年比2.2%増となり、アサヒ(0.5%減)、サントリー(0.7%減)、サッポロ(7.9%減)などライバルの苦戦を尻目に大手で唯一プラスを達成した。同社にとって出荷増は6年ぶり。主力のビールに限ると、実に19年ぶりの快挙である。 結果、キリンの市場シェアは0.9ポイント増の34.0%となり、シェアが横ばいだったアサヒ(38.1%)との差を前年の5ポイント差から4.1ポイント差に縮めた。サントリーは前年に新商品を多く出した反動から出荷量が減少したものの、シェアとしては横ばい。サッポロは『極ゼロ』をめぐる国税当局との綱引きから製法を変更した影響もあってシェアを0.9ポイント落とした。簡単にいえば、その分をキリンがソックリ奪取した図式である。 もっとも1980年代前半までのキリンは6割のシェアを握り、圧倒的な存在感を見せつけた業界のガリバーだった。それがアサヒとの“ドライ戦争”の頃から徐々にシェアを落とし、昨年は上半期と下半期を通した年間シェアが33.2%と過去最低に落ち込んだ。 「キリンの“屈辱”はもう14年も前になります。2001年にアサヒに抜かれ、盟主の座から滑り落ちました。'09年に一度だけ首位を奪回しましたが、そこは“公家集団”と揶揄されたキリンです。規模の拡大よりも収益性の重視を強調したことで地盤沈下に拍車が掛かりました。去年の暮れのドサクサに経営陣の刷新人事を発表したのも、三菱財閥の流れをくむグループ企業として、このままだとサントリーにも抜かれて業界3位に転落しかねないとの危機感が台頭し、背中を押されたからに他なりません」(キリン・ウオッチャー) 実際、天皇誕生日を翌日に控えた昨年12月22日、グループ持株会社であるキリンホールディングスは、三宅占二社長が3月総会を機に代表権のない会長に退き、後任に事業会社キリンビールの磯崎功典社長が就くこと、及びキリンビールマーケティングの布施孝之社長が1月1日付でキリンビールの社長に就くという変則人事を発表した。 布施氏は経営不振にあえいでいた小岩井乳業の社長に転出し、同社を再生させた後、経営中枢に呼び戻された経歴を持つ。その布施社長は上半期の手応えに「今年はV字回復の軌道に乗せる」との声明を発表、市場関係者を小躍りさせたばかりだ。 それにしてもジリ貧の一途をたどってきたキリンが、布施社長の就任を機に変身した理由は何か−−。証券アナリストは「主力のビールで従来は『一番搾り』と『ラガー』の2本柱を並列させてきた。それを『一番搾り』に集中させ、販売促進費を注ぎ込んだ結果、販売数量が6%も増えたのです。キリン内部がかなり活気づきました」と指摘する。 むろん、ライバルも手をこまねいてはいない。アサヒは大黒柱である『スーパードライ』の店頭販売とCMを連動させて販売拡大を狙うだけでなく、この派生商品を次々と投入している。サントリーは『モルツ』を『スーパードライ』や『一番搾り』と同価格帯でコクや旨味の強い『ザ・モルツ』に刷新し、高級ビール『ザ・プレミアム・モルツ』との2本立てでアサヒ、キリンに挑戦する。サッポロも『エビス』の限定商品でシェア拡大を狙っている。市場が縮小する中、夏本番とともにパイの奪い合いがヒートアップするのは確実だ。 「小売りでシコシコ実績を上げるよりも確実にパイが奪えるのは、居酒屋チェーンなど業務用市場の取り込みです。この分野で一日の長があるのは“行け行けドンドン”で押してきたアサヒですが、キリンの布施社長は自らトップセールスを手掛けており、既に回転寿司チェーンの『はま寿司』や婚礼会社『ベストブライダル』などの顧客契約をライバルから奪取した。アサヒ、サントリーなどは布施社長が持つ抜群の営業力に警戒心を募らせています」(前出・アナリスト) ライバルは同業他社とは限らない。上半期の出荷量ではビールが前年比1.1%減だったのに対し、発泡酒は各社が“糖質ゼロ・プリン体ゼロ”を相次いで投入したことから12.4%増となった。これが結果的にビール離れを加速させたのだから、実に皮肉な話である。
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社会 2015年07月30日 16時00分
元暴力団の遺族に5億円! 「日航機墜落事故」封印された補償金の闇(2)
とはいえ、悪い話ばかりではない。伊藤氏と同様に、事故後も遺族のケアなどに奔走し、人知れず苦労をした“御巣鷹の影のヒーローたち”もいるのである。 伊藤氏がまず挙げたのは、元日航社員の天野英晴氏(80)だ。 天野氏は事故発生当時、JALの「整備安全衛生部」という部署に勤務しており、整備士約4500人の健康管理を担当していたという。X線・レントゲン技師の資格を持っていた同氏は、溶接やメッキなどの有害物を扱う社員や、騒音が激しい場所など厳しい環境で働く社員たちの健康管理を任されていた。 そんな天野氏も、事故直後からは「遺体回収作業」に従事。退職後も遺族のケアを続けた。 「私は事故当時50歳でした。発生直後は“初動の世話役”を事故翌日からやりました。これは1遺族に対して、JALの4職級の係長以上の社員が1人付いてお世話するもので、私は和歌山のご遺族の担当をさせていただきました。藤岡市(群馬県)の体育館に派遣され、ご遺体が発見・確認されるまで、ご遺族に付き添わせていただいたのです。 この和歌山のご遺族のご遺体は4泊5日で見つかり、ご遺族を和歌山までお送りして、49日までそこで面倒を見させていただき、東京に戻りました。そして、その後も『清掃登山』を続けたのです」(天野氏) 清掃登山とは、ひと通りの回収作業が終わった後も、数年にわたって続けられた“残りの遺体の捜索作業”のことだ。 「事故発生後、ご遺骨はバラバラになり、日が経つと骨が土中にめり込み、雨などで土が溶けて流れると、骨が出てくるという状況でした。その際、ご遺骨なのか、プラスチックなどの機体の一部なのかを見分けるのが難しく、断片に血球を作る組織があれば、『これはご遺骨だ』などと判断することもやりました」 天野氏によると、JAL職員は金曜日、土曜日、日曜日の3日間、20〜30人で山に登り、墜落現場周辺で捜索を続けたという。 「そこで、ご遺骨を発見すると、回収して群馬県警に日時や場所などの発見情報を記入して届けるんです。そういうことを続けているうちに、いつしか慰霊のために現場を訪れるご遺族を案内する役目も引き受けることになりました。毎年、山に登っていたので、現場周辺の地理にも詳しくなり、どなたがどこで発見されたか、ということなども分かるようになっていたからです。登山されてくるご遺族の方に、そうした場所の説明、案内をするようになったんです」 天野氏らは、遺骨の発見場所に登りやすくするための道を、斜面を削って作る作業も開始。急な斜面に、平らな道を40〜50メートル作ったこともあったそうだ。 「毎年、夏は山にこもっていましたね。5〜6年はやっていたと思います。やがて時間が経過し、年々ご遺族も気持ちが落ち着いてきましてね。何度もお会いしていると、一つの目標に向かって進む“戦友”のような人間関係ができてきました。もちろん遺族と加害者(JAL社員)という関係なのですが、ご遺族のわだかまりも薄まり、お互いに身内みたいな付き合いができるようになっていったんです。私は60歳で定年を迎えましたが、事故当時の50歳の時から、前半の5年は事故の後始末に、後半の5年はご遺族と一緒に、という感じでした」
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社会 2015年07月30日 10時00分
達人政治家の処世の極意 第十一回「渡部恒三」
「人生は邂逅である」という言葉がある。邂逅とは、人との出会いを指す。考えてみて欲しい。男の平均寿命約80年、その間に“本当の話”が出来る相手と何人出会うだろう。結局は通り一遍の付き合いで終わり、心を許せる真の友人などは、生涯2、3人出来れば上々である。それでは長い人生、いかにももったいない。友人の輪を、出来れば広げたい。そのほうが、断然、人生は楽しい。それを生きる座標軸にしたのが、福島・会津出身のズーズー弁で人気のあった渡部恒三・元衆院副議長であった。 政界というところは、自分に利ありとなれば、平気でそれまでの人を裏切る人物がウヨウヨの「魔界」である。しかし、渡部は自らの支援者はもとよりどんな若い議員、未熟な記者であっても、相手が裏切らぬ限り、自らは常に相手と前向きに接した。それが表記の言葉である。結果、それらの人の後押しを受ける形で、厚生大臣、自治大臣、通産大臣などの要職を歴任、立法府の最高位にあと一歩の衆院副議長まで登りつめることができたのであった。 筆者も渡部とは長く取材等でお付き合いをさせてもらったが、初対面で渡部はまだ未熟なこの若い記者にこう言ったものである。 「若さは、足りないことだらけで当然だ。勉強をすればいい。大事なことは、ケシカランことは当然書いていいが、取材相手に誠実に接することだ。君がそう接してくれれば、僕は生涯付き合う気構えで君に接する。何でも聞きに来てくれ」と。結局、渡部が政界引退するまで40年の付き合いとなったが、こう接しられるとちょっと厳しいことを書こうかと思っていても、書けなかったことが多々あった。憎めない性格、人の良さ、人情家に見事にヤラレてしまったということでもある。 人情家については、こんなエピソードがある。一時、「天才」「気鋭の論客」と売れっ子作家・評論家だった故小室直樹とは旧制会津高校で同級生であった。高校に入った時、皆が英語の教科書に目を皿のようにしている一方で、すでに世界史などを原書で読みふけっていたのが小室であった。神がかり的な秀才と言われていた。しかし、小室は母1人子1人で生活が貧しく、味噌・醤油の醸造業で成功した旧家の生まれだった渡部はメシの食えない小室を、家にただで下宿させてやった時期がある。小室は「何か家の仕事を手伝わないと悪い」と言い、渡部は「それなら庭に水でも撒いとったらいい」と言った。小室は庭に水をやるのを日課としたが、雨の日でも黙々と水を撒いていたのだった。後日、渡部は「天才とはこういうものだ」と思ったそうである。 卒業後、小室は東京大学へ、渡部は早稲田大学に進んだが、会津高校での別れの日、2人は学校の裏山に登り「オレは学者になってノーベル賞を取る」「オレは総理大臣になるぞ」と誓い合った。その後、小室は天才ながらいささか異端の扱いを受けたことでノーベル賞は取れず、晩年は必ずしも恵まれた人生とは言えなかった。しかし、渡部は東京・石神井公園の3畳間のアパートで暮らす小室を心配し、多忙な政務の間をぬってはこの3畳間を訪れることを怠らなかったものだ。渡部にとっては、人との付き合いかくあるべしの実践でもあったのである。 もっとも、こうした対人関係の“渡部流”には、一方で「八方美人」との周囲の警戒も当然あった。昭和59年暮れのある夜、竹下登が田中角栄に“反旗”、東京・築地の料亭『桂』でやがては竹下政権の母体となる『創政会』旗揚げを決意する会合が秘かに開かれた。この時、集まったのが竹下を先頭に田中派の幹部14人だったが、同じ幹部の渡部はこのメンバーからはずされたのである。竹下の、「アイツは“八方美人”だからこの会合を田中の耳に入れるかも知れない」との疑心からだった。渡部はやがて誕生する竹下政権を夢見ていた1人だっただけに悔し涙を流したが、のちにこう言っている。「人がそう見るのなら仕方がない。誰もが人の真情を理解してくれるものでもない。でも、自分を分かってくれている友人は山ほどいる」と。 言うまでもなく、友人、人脈に優る財産はない。加えるなら、“渡部流”の生き方は少なくとも自らに忠実であったということで悔恨が残らないということである。=敬称略=■渡部恒三=衆議院副議長(第60・61代)、厚生大臣(第64代)、自治大臣(第39代)、国家公安委員長(第49代)、通商産業大臣(第55代)、無所属の会代表、民主党最高顧問を歴任。自由民主党所属時代は竹下派七奉行の1人。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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社会 2015年07月29日 16時00分
元暴力団の遺族に5億円! 「日航機墜落事故」封印された補償金の闇(1)
「事故からちょうど30年。私はこの間、犠牲者の霊とずっと向き合い、供養を続けてきました。私財をなげうって『安全の鐘』や『御巣鷹茜観音像』、慰霊碑などを建立し、灯籠流しも行った。ただ、この30年の間には、美談だけじゃ済まないことも、本当にたくさんあったんですよ…」 こう語るのは、520人の犠牲者を出した史上最悪の航空機事故「日航123便墜落事故」の現場(御巣鷹山)で、機体回収・運搬作業などの総監督を務めた伊藤喜孝氏だ。 同氏は当時、日本通運の提携民間会社を経営。その業務の一環として「滑走路の雪かき」などといった空港整備をはじめ、多種多様な日本航空からの業務依頼も引き受けていたという。 本誌では、昨年も伊藤氏に話を聞き、事故直後の生々しい現場の様子を記事にしたが、今回は事故後の“隠された真実”を明かしてもらった。 「一番、残念なことは、日航側の遺族に対する補償の問題。犠牲者の方々の人数や年齢、社会的地位などで多少の金額の差は出ても仕方ないが、日航は“ある特定の遺族”に対して莫大な補償金を支払い、長年にわたって利益供与を続けた。こんなことが許されていいわけがない」(伊藤氏) “ある特定の遺族”とは、指定暴力団の元組員だったAという人物だ。事故で内縁の妻を亡くしたというAは、犠牲者の年齢などから算出された4500万円という“規定の補償額”に対してゴネまくり、最終的に7000万円という補償金を手にしたという。 しかも、話はこれだけでは済まない。 「Aは、事故から5年以上も経った'91年に旅行代理店を設立。日航のグループ会社から大量のチケットの供給を受け、手数料も大幅に上乗せさせた。わずか3年で、会社の売上を30億円にまで伸ばした。最終的にAが日航から受け取った額は5億円以上とも言われている」(同) この問題は、事故後の各マスコミの検証取材によって明らかになり、『朝日新聞』や『週刊新潮』などが、何度も記事にして取り上げている。当のAも、『朝日新聞』の取材に対して、日航からの利益供与があったことを大筋で認めるコメントを残している。 ただし、Aは'02年に病死しており、今となっては真偽を直接、確かめることはできない。この疑惑に対して、日本航空の広報は次のように回答した。 「補償の内容やご遺族の関係者の情報に関しては、回答を控えさせていただいております。また、利益供与の有無につきましても、個別の商取引の部分は、回答を控えさせていただいております」 伊藤氏が続ける。 「ヤクザの看板で日航を脅していたのはAだけじゃない。もう一人のBという元ヤクザの遺族も同じことをやって、法外な補償金を手にしている。こいつらは言語道断だが、遺族会の一部の人間も、会を私物化するようなことをしたり、遺族という立場を利用して私腹を肥やすなど、目に余る行為をやめない人間もいる。こんなことを、亡くなった犠牲者たちが聞いたら天国で悲しむはずだ」
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社会 2015年07月29日 10時00分
世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第135回 ギリシャの緊縮クーデター
2015年7月15日、ギリシャ議会は増税や年金改革などの緊縮財政法案を可決。緊縮法制化と引き換えにユーロ側は総額820億〜860億ユーロ(11兆2000億〜11兆7500億円)の支援を実施し、ギリシャの再デフォルト(債務不履行)は回避されることになった。同時に、ギリシャ国民はギリシャの“主権”を失った。 7月7日、ジェフリー・サックスやトマ・ピケティ、ダニ・ロドリックら著名経済学者たちが、メルケル独首相への公開書簡を発表し、対ギリシャの緊縮財政を見直すように求めた。書簡では、緊縮こそが、 「ギリシャで大量の失業と金融システムの崩壊を招き、債務危機を深刻化させた」 と、批判している。ピケティに至っては、ドイツ誌のインタビューに応じ、ドイツが第1次世界大戦、第2次世界大戦後の債務弁済が滞った史実を指摘した上で、 「ドイツは対外債務を返済しない国の代表国で、他国を戒める立場にない」 と、痛烈に皮肉った。 国民投票まで実施し、ユーロ(というよりは「ドイツ」だが)からの緊縮の要請にあらがったギリシャのチプラス首相は、あぜんとしたくなるほどの“転向”を見せた。ユーロ側の要求を、ほぼ全面的にのむ形で支援の受け入れを決定。チプラスが勝ち取った譲歩は、500億ユーロ規模の国有資産を欧州連合の監視下にある信託資産に移管し、民間に売却する際に、本拠をルクセンブルクではなく、アテネに置くこと。それだけだった。いずれにせよ、ギリシャ国民の資産(国有資産)は民間に売り飛ばされ、グローバル投資家たちのマネーゲームに活用されることになる。 ところで、筆者がなぜギリシャ問題を繰り返し取り上げるのかと言えば、もちろんわが国がギリシャ以上に長期間「緊縮財政至上主義」という病気で苦しんでいるためだ。いや、ギリシャ人は国民投票で「緊縮にNO」との判断を下したわけだが、日本はと言えば、いまだに「政府は無駄を削れ」「増税やむなし」と、自らの首を懸命に絞め続ける愚かな人々で満ち溢れているわけで、こちらの方がより重症といえる。 今回のギリシャへの緊縮財政強要は、世界中から批判が殺到し、「#ThisIsACoup」(これはクーデターだ)というツイッターのハッシュタグが流行している。国民“主権”に基づき、緊縮を否定したギリシャに緊縮を強要するわけで、確かにクーデターの定義に該当する。 ノーベル賞経済学者のポール・クルーグマン教授はギリシャ危機について、 「今話題となっているハッシュタグ『#ThisIsACoup』は全くもって正しい。この要求は、厳しいという範囲を越えて純粋な報復の域に達しており、国家主権の完全な破壊であるとともに、救いへの希望もない」 と、書いている。 クルーグマン教授の言葉、 「国家主権の完全な破壊であるとともに、救いへの希望もない」 は、大げさに聞こえるかも知れないが、事実である。もともとEUに加盟していることから、移民制限や国境管理(対シュンゲン協定国)の主権がなく、関税自主権もなく、資本規制もできず、さらにユーロに加盟して以降は金融主権をECBに移譲し、そして最後の“財政主権”を今回の“救済案”で喪失するギリシャは、少なくとも「国民主権国家」ではなくなるのだ。現在の欧州で起きているのは、ギリシャという曲がりなりにもOECDに加盟していた国の主権喪失なのである。 極めて悲劇的なのは、今回のギリシャの“救済案”が、全く救済にはならないという点だ。何しろ、ギリシャ経済の問題は「ギリシャは公務員が多過ぎる」「ギリシャ人は働かない」等、マスコミでまき散らされているデマゴギーとは全く別のところに存在するためだ。 下図(本誌参照)の通り、ギリシャの労働時間は主要国の中では突出して長い。ギリシャ人は働かない、というのは、労働時間で見る限り明確な嘘だ。問題は、 「なぜ、労働時間が長いにもかかわらず、ギリシャは貿易赤字が拡大し、(ユーロ加盟前は)高インフレが継続していたのか?」 になる。 答えは簡単で、生産性が低いのだ。すなわち、投資(設備投資、人材投資、技術開発投資、公共投資)が不足し、生産者一人当たりの付加価値の生産(GDP)が少ないというのが、ギリシャ問題の源なのである。 ギリシャは生産性が低いにもかかわらず、EUとユーロに加盟してしまった。 結果的に、 「関税と為替レートで自国市場を外国企業から保護し、投資を拡大することで生産性を高める」 という、正しい経済政策を採れなくなってしまった。 何しろ、ユーロ加盟国は関税自主権がなく、金融主権もない。しかも、ギリシャは国債発行に際してドイツやフランスと“同一通貨”で競争をせざるを得なくなり、金利は高止まりが続いた。 ユーロ加盟後のギリシャでは、不動産投資はともかく、肝心の生産性向上のための投資は拡大しなかった。結果、例えば自動車市場ではドイツ車の圧倒的な攻勢を受けてしまい、貿易赤字と経常収支赤字が拡大し、財政破綻に追い込まれたのである。 ギリシャはユーロ・グローバリズムの頸木にとらわれている限り、未来永劫、低生産性国から脱却できない。揚げ句の果てに、財政主権まで取り上げられたギリシャが、永久に負け組のまま据え置かれることが決定したというのが、今回の「ギリシャ危機」の結末なのだ。三橋貴明(経済評論家・作家)1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。
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社会 2015年07月28日 16時00分
テレビ視聴率低迷の裏で復活するラジオ人気の理由
電車やバスの中でイヤホンを装着した乗客を見掛けなくなって久しいが、ここ最近、再び増え始めているという。耳の中を流れているのはラジオ放送だ。 株式会社ビデオリサーチ(東京・千代田区)は首都圏、関西圏、中京圏の3地区において、それぞれ自主ラジオ個人聴取率調査を実施している。年6回偶数月に行っている首都圏ラジオ調査によると、6月度調査が前回4月度の5.7%から0.3ポイントアップして6.0%になった。またラジオ接触者1人1日当たりの聴取時間量も、30分程度の増加傾向にあるそうだ。 「聴取率はテレビの視聴率と似たようなものですが、視聴率が機械を使った世帯調査であるのとは違い、聴取率は個々人にどの時間帯にどの局を聞いたかアンケートを取る、いわゆる“個人調査”です。数字は状況を反映できていると言えるでしょう」(業界紙記者) ところが、ラジオが売れているというデータはない。では、イヤホンは何につながっているのか。 「スマホやPC、つまりインターネット経由でのラジオ聴取が増えているのです。特に10代に多く、20〜40代もカーラジオに次いでネット経由での聴取が多い。仲介しているのは株式会社radiko(東京・港区)が提供しているサービス『radiko.jp』です」(同) 各放送局は同じ時間帯に同じ番組を、異なるチャンネル(周波数)で放送している。地上デジタル、衛星、ワンセグ、そしてインターネットなどだ。radiko.jpはPCやスマホがそのままラジオ受信機となる配信サービスで、例えば東京在住の中日ファンが中京地区のラジオ中継で試合を聴くことができる。当然出身地の懐かしい方言も聴ける。 「同社は昨年4月に有料サービスを始めましたが、加入理由の1位は居住地域以外のタレントやアイドルの出演番組が聴けるというものでした」(同) ネットラジオの勢いが今後さらに増しそうだ。
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社会 2015年07月28日 10時00分
森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 中国バブル崩壊の意味
中国株のバブル崩壊が、アベノミクスを壊滅させる。そんな恐怖を一部のメディアが煽り立てた。私はそんなことはないと考えている。そこで、まず何が起きたのかを整理しておこう。 中国の代表的な株価指数である上海総合は、6月12日に5166をつけていた。それが急速に下落して、7月8日に3507になった。1カ月足らずで32%もの下落だ。証券会社の前で、「財産をすべて失った」と叫ぶ中国人の映像が世界に配信され、中国バブルの崩壊を印象づけたのだ。 しかし、冷静に振り返ってみよう。上海総合指数は、1年前まで2000前後だった。これは、実はかなり割安な水準だった。例えば昨年は、優良株でも株価収益率が10倍にも届いておらず、配当利回りも5%程度という高い水準にあったのだ。国際的に見て明らかな割安となっている中国の株価を引き上げにかかったのは、中国当局だった。金融緩和を進め、そして御用メディアを使い株式投資を煽ったのだ。 ところが投資家の反応は、当局の予想をはるかに超えるものだった。何しろ1年で株価が2.5倍に上昇したのだ。明らかにバブルだった。このままでは危ないと、中国当局はバブル封じに乗り出した。 最初は、株式の信用取引規制の強化だった。中国の一部の投資家は、信用取引を使って自分の資金以上の株式を買っていた。これはあくまでも単純化したイメージだが、中国では、個人が借金をすることで、自己資金の3倍までの株を買うことができた。ところが、政府はバブル封じのために信用取引の枠を自己資金の2倍に制限した。そうなると、投資家は規制の枠を超えた株式を売らないといけない。売りが殺到すれば、当然株価は下がる。これが暴落のきっかけとなった。 信用取引で3倍の株式を運用すれば、利益は3倍になるが、株価が下がった時の損失も3倍になる。32%株価が下がると、自己資金の3倍の株式を買っていた人は、ほぼ全損になる。これが破産者の正体だ。ところが、自分の資金だけで株式投資をしていた人は、大した被害を受けていない。1年前の株価と比べたら、現在でも2倍近い株価がついているからだ。 しかも、中国は日本のバブル崩壊を10年以上前から徹底研究していた。株価がつるべ落としに下がるのを防ぐために、露骨な株価維持対策を連発したのだ。 信用取引の規制緩和、証券取引所の手数料引き下げといったルール変更にとどまらず、政府系ファンドや年金基金による株購入、証券当局が証券21社に1200億元で投信買い入れを要請するなどの対策に出たのだ。さらに中国政府は、上場企業の経営陣や大株主による6カ月間の株式売却を禁じ、国有企業に自社株買いを要請した。 こうした暴力的とも言える株価維持策が採れるのは、中国が共産党一党支配の社会主義国家だからだ。もちろん、今回の中国当局の慌てぶりは、株式市場を完全にコントロールできないほど市場経済化が進んできたことの表れとも言える。 だが、少なくとも現時点では、当局が株価を操作する力を残しており、中国は、まともな金融市場にはなっていないことが証明された。中国株に投資する人は、そのことを十分に踏まえて行動すべきだろう。
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社会 2015年07月27日 16時00分
孫社長の大誤算でソフトバンク子会社が連鎖倒産危機
ソフトバンクの孫正義社長が描いた壮大な野望が頓挫寸前!? 2年前に1兆8000億円を投じて買収した米携帯電話会社3位のスプリントについて「近く深刻な財政難に陥る恐れがある」と米国の著名アナリストがテレビで指摘。これを受けて7月8日の同社株は前日比8.1%安の3.95ドルまで一気に売り込まれた。 「買収当時、スプリントは6年連続の赤字垂れ流しで、取引銀行でさえ『デフォルトの可能性がある』と公言して憚らなかった。孫さんの狙い? スプリントに続いて米国4位のTモバイルUSを買収し、業績が好調な同社の力を借りてスプリントを再建すれば、世界一の通信会社AT&Tと互角に渡り合えると、自分に都合のいいアメリカンドリームを考えたからに他なりません」(大手証券マン) しかし、孫社長による派手なロビー活動にもかかわらず、米当局は「消費者にとって国内の携帯電話は(ベライゾンを含む)4社体制が望ましい」として、スプリントによるTモバイル買収を認めなかった。 「そもそも、Tモバイルを買収するには3兆2000億円からの巨額な資金が欠かせない。そうなれば、ただでさえ借金地獄に陥ったソフトバンクの有利子負債は10兆円規模に膨らみます。自力で再建を進めざるを得なくなったスプリントをテコ入れする余裕などありません」(同) ソフトバンクは、もはやスプリントだけを保有していても意味がない。Tモバイルの買収失敗は米携帯市場への参入計画そのものが“中折れ”したに等しく、またアナリストの“予想”通りスプリントが破綻となれば、親会社としてもただでは済まない。ユーザー救済のため、米政府が乗り出すとの見立てもあるが…。 「現実問題としてソフトバンクはスプリントと心中する覚悟はない。そのことは孫さん自身が承知しています」(経済記者) 策士、策に溺れる…。世界一は風前の灯火だ。
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