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元暴力団の遺族に5億円! 「日航機墜落事故」封印された補償金の闇(2)

 とはいえ、悪い話ばかりではない。伊藤氏と同様に、事故後も遺族のケアなどに奔走し、人知れず苦労をした“御巣鷹の影のヒーローたち”もいるのである。

 伊藤氏がまず挙げたのは、元日航社員の天野英晴氏(80)だ。
 天野氏は事故発生当時、JALの「整備安全衛生部」という部署に勤務しており、整備士約4500人の健康管理を担当していたという。X線・レントゲン技師の資格を持っていた同氏は、溶接やメッキなどの有害物を扱う社員や、騒音が激しい場所など厳しい環境で働く社員たちの健康管理を任されていた。

 そんな天野氏も、事故直後からは「遺体回収作業」に従事。退職後も遺族のケアを続けた。
 「私は事故当時50歳でした。発生直後は“初動の世話役”を事故翌日からやりました。これは1遺族に対して、JALの4職級の係長以上の社員が1人付いてお世話するもので、私は和歌山のご遺族の担当をさせていただきました。藤岡市(群馬県)の体育館に派遣され、ご遺体が発見・確認されるまで、ご遺族に付き添わせていただいたのです。

 この和歌山のご遺族のご遺体は4泊5日で見つかり、ご遺族を和歌山までお送りして、49日までそこで面倒を見させていただき、東京に戻りました。そして、その後も『清掃登山』を続けたのです」(天野氏)
 清掃登山とは、ひと通りの回収作業が終わった後も、数年にわたって続けられた“残りの遺体の捜索作業”のことだ。
 「事故発生後、ご遺骨はバラバラになり、日が経つと骨が土中にめり込み、雨などで土が溶けて流れると、骨が出てくるという状況でした。その際、ご遺骨なのか、プラスチックなどの機体の一部なのかを見分けるのが難しく、断片に血球を作る組織があれば、『これはご遺骨だ』などと判断することもやりました」

 天野氏によると、JAL職員は金曜日、土曜日、日曜日の3日間、20〜30人で山に登り、墜落現場周辺で捜索を続けたという。
 「そこで、ご遺骨を発見すると、回収して群馬県警に日時や場所などの発見情報を記入して届けるんです。そういうことを続けているうちに、いつしか慰霊のために現場を訪れるご遺族を案内する役目も引き受けることになりました。毎年、山に登っていたので、現場周辺の地理にも詳しくなり、どなたがどこで発見されたか、ということなども分かるようになっていたからです。登山されてくるご遺族の方に、そうした場所の説明、案内をするようになったんです」

 天野氏らは、遺骨の発見場所に登りやすくするための道を、斜面を削って作る作業も開始。急な斜面に、平らな道を40〜50メートル作ったこともあったそうだ。
 「毎年、夏は山にこもっていましたね。5〜6年はやっていたと思います。やがて時間が経過し、年々ご遺族も気持ちが落ち着いてきましてね。何度もお会いしていると、一つの目標に向かって進む“戦友”のような人間関係ができてきました。もちろん遺族と加害者(JAL社員)という関係なのですが、ご遺族のわだかまりも薄まり、お互いに身内みたいな付き合いができるようになっていったんです。私は60歳で定年を迎えましたが、事故当時の50歳の時から、前半の5年は事故の後始末に、後半の5年はご遺族と一緒に、という感じでした」

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