レジャー
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
秋華賞追い切り ダイワスカーレット 世代最強へ 磐石の態勢
本当の世代ナンバーワンはどの馬か。ダイワスカーレットがウオッカを食い止める。「第12回秋華賞」(JpnI 芝2000m 14日)の追い切りが11日行われ、桜花賞馬が余裕たっぷりに絶好調をアピールした。ローズSを圧勝した後も順調そのもの。ひと足先に秋初戦を終えたアドバンテージは小さくない。先に先に動いてウオッカを完封した桜花賞の再現が現実味を帯びてきた。 ダービー2勝、そのほかにも数々の栄冠を勝ち得てきた松田国師が言った。 「GIという大舞台に1番人気の馬を出すのが調教師の仕事。だから誰が見ても心配のない完ぺきな仕上げに持っていきたい」 ダイワスカーレットがその思いを見事に具現化した。極上の仕上げでウオッカ打倒に臨む。 秋初戦のローズSを完勝した。積極的にハナを奪うとあとはゴールまで一人旅。上がり3Fを33秒6の鋭さでまとめた。その後の調整には若干の誤算があったという。しかし、それも名トレーナーの経験と工夫で軽々と克服した。 「先週の調教が軽かった。でも、その分は普段の調教を大きめに乗ることで帳尻を合わせた。むしろ、牝馬はビッシリやると掛かるからね。コンスタントに大きめを乗った方がいい」マイナスまでプラスに変える名人技を発揮した。 強い調教をすると体温が上がる春のひ弱さはもうない。前へ前へと行きすぎる気性も随分大人になった。 「ウオッカやベッラレイアは掛かり気味に行く馬。うちのが速いペースで行って、その流れに乗ってうまく2コーナーに入っていけば楽観できない。しかし普通に考えればうちの方が有利でしょう」 相手がどうであろうと自信は揺るがない。底力で世代頂点の座を奪う。 【最終追いVTR】坂路で格下馬を3馬身前方に置いてゆったりとスタート。馬任せでピッチを上げていき、最後も持ったままでフィニッシュ。53秒5→38秒9→12秒8をマークした。ゴール前では自らハミをかんでいく気合で楽々と併入に持ち込んだ。態勢は万全だ。
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
秋華賞追い切り ウオッカ ラスト1冠へ仕上がりパーフェクト
統一王者に上り詰める。女ダービー馬が宿敵ダイワスカーレットとの対決にピリオドを打つべく立ち上がる。「第12回秋華賞」(JpnI 芝2000m 14日)の追い切りが11日、栗東トレセンで行われ、ウオッカが文句なしの走りを披露した。宝塚記念以来の一戦。フランス凱旋門賞挑戦を故障で断念したが、ブランクをまったく感じさせない素軽さ。いやむしろ、ひと回りパワーアップした姿で、桜花賞のリベンジを果たすつもりだ。 ウオッカだけではない。希代の名牝に携わるすべての人々が誇らしげだ。それだけ自信の持てる仕上がりが今、結実しようとしている。 「この馬のいいところは5つある。心配機能、カイバ食い、育ち、血統、そして筋肉。それらがうまく重なって強いウオッカが完成されたんです」 そう言った村山助手の目に力が宿った。華麗に舞った春。牝馬として64年ぶりにダービーを制した。だが、やり残した仕事もある。凱旋門賞を自重した悔しさとともにその思いをぶつけるべく、夏に鍛錬を重ねてきた。この秋、桜花賞で敗れたダイワスカーレットへのリベンジを果たす。 今年の3歳世代は明らかな「女高男低」。ウオッカがダービーを制したといっても、桜花賞でスカーレットの後塵を拝したままでは、世代の頂点とはいえない。 しかし、陣営には、焦りも不安もない。まさに泰然自若。「ダイワスカーレット、ベッラレイアうんぬんではなく、自分の競馬をすればいい。周りにとらわれず自信を持って四位くんも乗ってくれるでしょう」と言い切った。 それだけの力、仕上がりが裏付けとしてあるからだ。道悪で折り合いを欠き、敗れた宝塚記念、凱旋門賞は蹄球炎のため、回避せざるを得なかった。だが、その後は元気いっぱいにトレーニングを積んだ。プールに坂路。物足りなかったトモの筋肉がグンと張り詰め、牡馬でもなかなか出せない威圧感すら漂わせるようになった。 「本当に順調だし、もうビッシリやる必要はないぐらい。どっしりして最高の雰囲気ですね。京都の内回りもまったく心配していない」 村山助手は最後に、「まるで女王様ですね」とつぶやいた。しかし今、世間をにぎわす“エリカ様”とはまるで違う。ファンが最も喜ぶパフォーマンスは何か、それを一番よく知っているのはウオッカだ。 【最終追いVTR】オーバーワークにならないように併せ馬ではなく、坂路で単走で追い切られた。800m53秒6を計時。鞍上の四位がラストだけ感触を確かめると1F12秒2と鋭く弾けた。馬体の張り、気合乗りともに申し分なく、パーフェクトな仕上がりだ。
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
古賀正俊の当たり馬券直行便 チークピーシーズの効果
馬具、馬装についての3回目は【チークピーシーズ】について書きます。正式にはシープスキンチークピーシーズ(別名オーストラリアン・ブリンカー)といいますが、長ったらしいので、厩舎サイドではチークピーシーズ、思いっきり略してチークといったりもします。 頭絡の馬の両頬に当たる部分に取り付ける羊毛製(ボア)の筒状の物で、見た目はほっぺに小さなシャドーロールを着けているという感じです。後方と横の視野を遮るので、ブリンカーと同じ目的で使用され、レースへいって集中力を上げたり、他の馬が横に並んできた時に馬が畏縮しない効果があります。 ブリンカーと違って出馬登録の際にJRAに届け出がいらず、レース当日の馬の状態(イレ込み等)や馬場コンディション、天候によって着けたり、外したりできるため、最近は多く使われています。馬の癖によって長い物や短い物を使い分けますが、メンコの内側に短い物を着けている時はなかなか見分けるのが難しいのも事実です。 いずれにしても、パドック(下見所)で馬を見た時に、何らかの装具をつけている馬は気性難や悪い癖があると考えていいでしょう。初ブリンカーや初チークをつけてきた時、または2走目までは馬券検討の際に注意が必要です。特に逃げ馬が初ブリンカーを着けてきた時、またダートレースで外枠の馬が使用してきた時は一変するケースがあるので、覚えておいてソンはないと思います。
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
鎌倉記念 ヴァイタルシーズ圧逃V
10日、川崎競馬場で行われた「第6回鎌倉記念」(SIII 1500m)は、左海誠騎手騎乗のヴァイタルシーズ(牡2歳、川崎・武井榮厩舎)が2着を4馬身突き放す”圧逃劇”を演じ、1番人気に応えた。勝ち時計は1分35秒1(稍重)だった。 好スタートからハナへ。1角を膨れ気味に回る不器用な面を見せつつも、直線では粘り強い二枚腰を発揮してみせた。戦前に「内枠だし、先に行った方がこの馬のしぶといところが生きる」と話していた武井榮師の思惑がピタリとハマっての快勝。左海誠騎手も「直線は楽だったし、他の馬がくれば、また伸びてくれそうな雰囲気だった。距離はもう少し延びても大丈夫そう。先が楽しみ」と今後へ期待十分の手応えをつかんでいた。 これで2歳の頂上決戦「全日本2歳優駿」(JpnI 川崎1600m 12月19日)の優先出走権を獲得。大一番へは「平和賞」(SIII 船橋1600m 11月14日)、または「ハイセイコー記念」(SII 大井1600m 11月28日)のどちらかをステップに臨む予定だ。2着ノースダンデー 繁田健騎手「勝ちに行くつもりで前につけた。まだ少し馬に硬いところがあるけど、スピードもあるし、もう少し良くなりそう」3着ブラウンアマゾン 戸崎圭騎手「前半は少し行きたがるところもあったけど、その後は折り合いはついた。左回りもスムーズに回れたし、かなり能力はありそう」4着バルバンクール 内田博騎手「あれだけ砂を被っても終いはよく伸びた。いい経験になったと思う」5着オーラガイア 石崎隆騎手「まだこれからの馬。使いながらだね。距離の適性も未知」
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
秋華賞 東の伏兵アルコセニョーラ陣営を本紙・橋本が直撃!
牝馬3冠の最終関門「第12回秋華賞」(JpnI 京都芝2000m 14日)のカウントダウンが始まった。美浦黄門こと本紙・橋本千春記者が突撃レポートをかけたのは、東の“超新星”アルコセニョーラ。トライアル・紫苑Sを勝って、日の出の勢いだ。ケイコ役の畠山助手に、打倒!3強の意気込みを語ってもらった。 −−メンバー中一番小柄な馬(前走422kg)が、キャリアはメンバー最多の15戦(今年10戦目)。タフですね。 畠山助手「厩舎の方針で、状態のいいときに使った積み重ねが、この数字になっただけで、決して無理使いしてきたわけではないよ」 −−好調の秘密は。 畠山助手「使った後の回復が早くなった(使い減りしなくなった)ことが一番。だから、こうしてタフに使い込める。それもこれも、馬に実が入り、シンが丈夫になった証拠ですね」 −−追い切りの感想を聞かせてください。 畠山助手「予定通り馬なりで流した。順調に使い込んでいるので体はできているし、輸送も考慮したのでこれで十分。状態に関して心配な点は何ひとつないよ」 −−課題は。 畠山助手「関西への輸送は初めてだが、福島、新潟に何度も遠征しているからね。輸送慣れしているので、克服してくれるでしょう。大幅に体が減ることはないはず」 −−長所はどこですか。 畠山助手「どんなレースでもできる自在性と、平気で馬込みに入って行ける勝負根性ですね。だから、枠順もこだわらない」 −−“3強”対策はありますか。 畠山助手「3強どころか、4強、5強が相手だけど、心身ともに充実著しい今の状態でどこまで通用するか、不安より楽しみの方が大きい」 −−最後に意気込みをお願いします。 畠山助手「直線が平坦の京都二千は条件的に打ってつけだし、直線を向いたら声を出せる競馬をしてほしいですね。応援してくれるファンのためにも」
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
今週の有力新馬(京都)
4日目の芝1400m戦(牝)に、“確勝級”の好素材が一頭いる。アドマイヤサクラ(父マーベラスサンデー、母ティエッチマンボ=栗東・友道厩舎)がそれだ。 430kg前後と馬体はそれほど大きくないが、走りが実にダイナミック。1週前追いでは坂路800m51秒8で力強く駆け上がった。 「ケイコではいいスピードを見せているし、追い出してからの反応もいい。仕上がり早の牝馬で状態もいいので初戦から楽しみ」と友道師。岩田騎手を背にデビュー予定だ。
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レジャー 2007年10月11日 15時00分
今週の有力新馬(東京)
5日目の芝1600m戦は外国産馬ゴスホークケン(牡、父Bernstein、Allthewaybaby=美浦・斎藤誠厩舎)が注目の一頭。 「どの馬とやってもアオッてしまうぐらい、かなりケイコは動く。馬格は510kgあるが、体は柔らかい。跳びがきれいだし、反応もいい」と斎藤誠師はゾッコンの様子だ。 同厩舎は2歳戦で2勝を挙げているが、「この世代で一番力があると思っているので、この馬は期待が大きい」と力の入り方が違う。
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レジャー 2007年10月10日 15時00分
秋華賞(JpnI 京都芝2000m 14日) ダービー馬ウオッカがラスト1冠に全力投球
壮大な夢はお預けとなった。ウオッカはその悔しさをぶつけるため、この秋は国内3戦に全力投球する。 「秋はオーナーから3戦と言われている。この後はジャパンCから有馬記念に向かいます」角居師は胸を張り、そう言い切った。 春は64年ぶりに牝馬のダービー馬に輝いた。自らの底力で手にした3歳日本一の座。それをさらに輝くものにするため、秋はフランス・凱旋門賞に挑戦する予定だった。しかし好事魔多し。栗東での調整中、右トモの蹄球炎を発症してしまい、渡仏は幻に終わった。 気持ちの切り替えは早かった。脚部不安が分かると角居師はすぐさま秋華賞へと照準を変更。夏場をじっくり調整にあててきた。乗り運動には師自らまたがるなど、丹念にスキのない仕上げを施してきた。 「いい感じできています。これなら、楽しみですね」じょう舌はいらない。簡潔に師は自信を表明した。 栗東CWコースで3頭併せを敢行した3日の1週前追い切りは、その言葉通り、軽快で力強かった。闘志をジッと内に秘めながら、ゴールを迎えた。 村山助手は言う。「併せ馬で前に出るとスイッチが入ってしまうので、そのあたりに気をつけて四位(騎手)さんも乗っていた。宝塚記念は壁をつくれず折り合いに苦労したけど、今の雰囲気なら大丈夫でしょう。直前はコースに入らず、坂路でやるつもりです」 太めも、緩みもない。ひと夏を順調に過ごし、左の筋肉が勝っていたトモのバランスも良くなったという。あとは、味付け程度の調整で十分のようだ。 凱旋門賞の夢は来年以降に持ち越されたが、3歳牝馬としてJC、有馬記念を勝てばそれもとんでもない快挙になる。しかし、ウオッカにはその前にやらなくてはならない仕事がある。 3歳牝馬に残された最後の1冠を手にすること。桜花賞はダイワスカーレットに敗れ、オークスは出走しなかった。ウオッカのダービーにとどまらず、スプリンターズSもアストンマーチャンが制するなど、史上まれに見るハイレベルといわれる今年の3歳牝馬。同世代の女の戦いにもきっちりケリをつけ、ウオッカは最高峰をにらむ。
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レジャー 2007年10月10日 15時00分
秋華賞(JpnI 京都芝2000m 14日) ダイワスカーレット 春とは別馬 樫断念の無念晴らす
本当のナンバーワンはワタシ!そう言いたげな強さだった。前哨戦のローズSを完勝してみせたダイワスカーレット。 引っ掛かり気味に先頭を奪うと、そのまま後続に一度も影を踏ませなかった。上がり3Fは例によって33秒6の鋭さ。逃げながら、ラストをこの時計でまとめられては後続はまったく太刀打ちできない。 「体質が強くなった結果、ローズSではああいう競馬ができた」と松田国師は振り返った。春は桜花賞を制したものの、強い調教を課すと体温が上がる弱さに悩まされていた。シーズン最後とぎりぎりの仕上げにかかったオークスも熱発で取り消している。 「まだ強いケイコに耐えられなかったんだね。負荷をかけるとすぐ38度5分まで上がっていた。でも、ひと夏越してそれがすっかり解消された」ふっくらした馬体、迫力ある大きなフットワーク。同じ栗毛の兄、ダイワメジャーを彷彿させる攻撃的な先行力が身についた。 春はウオッカがダービーを勝ち3歳牝馬ナンバーワンの座に就いた。しかし、そのウオッカを完成手前だった桜花賞でねじ伏せたのはこのスカーレットだ。 だが、松田国師はこう言って気を引き締めた。「ウオッカはもちろん夏場に力をつけた馬もいる。簡単に勝てるメンバーじゃない」と。油断は禁物。最後の最後までハードに攻め抜く“マツクニ流”で最後の一冠を獲りにいく。
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レジャー 2007年10月10日 15時00分
遠い記憶 羽田競馬場の歴史(3)
さて、前回は旧羽田競馬場から新羽田競馬場への移り行きを記した。 現在の羽田空港の南東部、A滑走路の先端あたりにリニューアルオープンした新競馬場の経営は東京府畜産奨励会があたった。 当時、日本一の競馬場といわれた羽田競馬は、春秋2回の競馬が開催され、全国から卓越した馬が集まった。その盛況ぶりは周辺の目黒競馬場や、根岸競馬場を凌ぐほどだったという。 新競馬場での最初の開催は1932(昭和7)年7月3日から5日にかけて行われ、55万4229円の売上を記録している。さらに、34年(昭和9年)7月の開催で売上は初めて100万円の大台を突破、その後も地方競馬では全国一の盛況が続いた。 しかし、当時の日本(大日本帝国)は31(昭和6)年の満州事変を機に、33(昭和8)年、国際連盟を脱退。軍事政権の下、第2次世界大戦への道を歩んでいく。そして、日中戦争の勃発に伴い立法された軍馬資源保護法の施行によって、羽田競馬は37(昭和12)年限りで廃止、翌38(昭和13)年に廃場へと追い込まれた。 跡地は日本特殊鋼株式会社の用地となり、その一部には高射砲陣地が設けられた。 こうして幕を閉じた羽田競馬だが、わずか10年余りの歴史とはいえ、日本で最初の少年騎手学校がつくられるなど、日本競馬の発展の過程で果たした役割は大きい。 ※参考文献=大井競馬の歩み/大田区の近代文化財/写真でみる郷土のうつりかわり/地方競馬史第一巻(1972年 地方競馬全国協会)、
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