浮世に咲いた、一輪の徒花(あだばな)として、ご紹介申し上げたい。
2009年、葉桜の候。どうやら地域住民の反対運動も沈静化し、小田急電鉄が勝ちをおさめたもようである。下北沢駅を地下にもぐらせる大型路線工事と、それにともなう駅前周辺の調整が着々と進んでいる。しかるべき将来、この店も立ち退くことになる。それは開業するにあたって、前提になっているはずだ。「やれるところまでやるだけです」と、店主。
街の史料として、どこかに保存されているはずだが、下北沢駅にはヒトラー・ユルゲント(少年団)が下車している。そのときのスナップを路上写真展で見たことがある。日独伊三国同盟が結ばれたころのことだろう。
ヒトラーは日本の回覧板制度がいたく気に入っていた。上意下達の方法として、このアイデアは緻密(ちみつ)さと責任の所在の明確さにおいて抜群の発想であり、いままで知らなかったことが悔やまれる、もうチと早く同盟を結べばよかったと一緒に自殺した愛人に語ったことが、記録されているわけはないのであるが、ま、ともあれいたく気に入っていた。こんな見事な制度を思いつく日本に学び、国民統制のアイデアを貪欲(どんよく)に吸収してきてほしいという願いから、ドイツの少年たちははるばる派遣されてきたのだった。
当時、下北沢に学ぶべきなにがあったのか不勉強にして知らないが、区内に今も残る錬兵場跡や陸軍病院跡に関係しているか、下北沢がむかしも若者の街であったなら、若い衆同士の交流をはかったのかもしれない。
「ウサヤ」は木造の二階家である。いまや粗製濫造気味の昭和レトロ酒場に違いはないのだけれど、肩をもちたくなるような工夫がされてある。この家は映画のセットそのものを移築した。竹中直人主演の「男はソレを我慢できない」(信藤三雄監督)がそれ。階段の急勾配(こうばい)に恐れをなすかもしれないが、ぜひとも2階をのぞいてほしいもの。映画美術でヨゴシといわれる、経年を装う仕事が窓ガラスに施されている。カラカラと引けば、そこに見えるのは戦後のどさくさ。どさくさでここに住み付いたかたがたによって、ここ下北市場は始まって現在に至る。
季節の、いまは早春なのでふきのとうが、たけのこが、主人の趣味で蒐集(しゅうしゅう)された骨董(こっとう)に盛って供せられる。置かれる卓はといえば、これもどこぞの庫(くら)で見つけてきたものなのか、5寸ほどの高さ(低さ)の古木の佳品。春野菜のこの苦味を、あと何回味わえるかはわからない。徒花のゆえんである。
予算2300円
東京都世田谷区北沢2-24-14