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斎藤は、東京・早稲田実高3年だった2006年夏の甲子園で決勝再試合の末に北海道・駒大苫小牧高の田中将大投手(現楽天)との投げ合いを制し、優勝へと導いた。「ハンカチ王子」「持っている男」と称され話題を呼ぶと早大に進学。2010年、東京六大学野球で史上6人目の通算30勝、300奪三振を成し遂げ、ドラフト1位で日ハムに。プロ1年目は防御率2.69とまずまずの成績を挙げるも、2年目の2013年以降はケガに悩まされ、“先発”から“中継ぎ”へと転向。結果的に、プロの世界で“日の目を浴びる”ことはなかった。
とはいっても、斎藤を目当てに多くのファンが球場へ駆けつけ、大フィーバーを巻き起こしたのはたしかだ。特に、1年目には現在大リーグで活躍するダルビッシュ有投手がチームに在籍していたことから、大きな注目が集まった。だが、ある事件がきっかけで両者の関係は冷え切ってしまったようだ。
2012年1月に配信された『東スポWeb』によれば、両者は2011年5月を境に決定的な亀裂が入ったと報じている。そもそも両者は、野球の価値観に相違があったというが、当初は“師弟関係”を築き上げていたほど関係は良好。当時の斎藤は「めざすべきはダルビッシュさん」と公言していた。
だが同月、ソフトバンク戦で先発した斎藤は、初回を無難に三者凡退に抑えながらも左脇腹に違和感を覚えて途中降板。ベンチ裏に入った斎藤はトレーナーの指示でしばらく患部をアイシングしていたという。だが、緊急登板した中継ぎ陣が奮闘する中で、斎藤を心配したダルビッシュがベンチ裏に様子を見に行くと、斎藤は携帯電話のメールを打っていたと伝えている。
これに、激高したダルビッシュは「お前、誰のせいで中継ぎや野手の人たちが必死に戦ってくれてるんだよ!治療が終わったら、さっさとベンチに来て応援しろ」と怒鳴りつけたという。
斎藤が打っていたメールだが、ケガを心配して連絡してきた関係者への返信だったという。しかし、日ごろから「打ってもどこか響かない」「野球に対する姿勢が、どこか違う」といった違和感を抱いていたダルビッシュが、このタイミングでブチ切れたようだ。この件以降、ダルビッシュは斎藤との接触を意識的に避け、仲間内には「あいつはいろいろ教えてあげても『はい』というだけで何も実践しない」と不満を漏らしていたという。
また、両者はグラウンド上での会話もなくなったといい、斎藤に限ってはメディアのインタビューで「お手本になるのは武田勝さん」と前言撤回する始末。もはや、両者の関係修復は不能な状態に陥り、冷戦が深刻化したと伝えている。
そんな最中の2012年1月、ダルビッシュはテキサス・レンジャーズへの入団に合意し、6年契約を結んだ。これにより、両者はチームメイトではなくなった。わずか1年限りの関係だったが、和解することなく、互いに別々の地で野球に打ち込んだ。
今回、引退する斎藤に対してダルビッシュは特にコメントを出していない。
2020年10月、右肘の内側側副じん帯断裂と診断された斎藤は、再生療法「PRP療法」を選択。すでにこの時点で選手生命は限界に達していたが、純粋に野球が好きという気持ちが継続につながったのだろう。引退後のセカンドキャリアは未定だが、指導者としての活躍に期待したい。