本事件は、10人ほどの中高生ら少年が深夜、横浜の山下公園や横浜スタジアムにたむろしている浮浪者(ホームレス)を次々に襲撃。判明している範囲ではら死者は3名、怪我人は13名にも及んでおり、当時のマスコミは本事件を大々的に報道。「浮浪者狩りに手を染める中高生」と連日扱われた。
本事件は、当初犯人が中高生らだとはわからず、警察は「ホームレス同士の喧嘩か、反社会的勢力に属する人間の犯行ではないか?」と捜査が進められていたが、82年の暮れから公園内で高校生らしき少年たちがたむろしているのが目撃されており、警察は少年たちにも疑惑の目が向けられた。
そして、一人の少年が捜査線上に浮かんできた際に、この恐るべき犯罪が明るみになったのだ。
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少年たちがホームレスを襲っていたのは、全て「遊び」のためであった。少年たちはゲームセンターに飽きると、「じゃあ今夜も行くか」と夜の山下公園や横浜スタジアムに移動し、ホームレスの頭を蹴り上げたり、腹を踏みつけるなどしていたという。
彼らの中では、これらの行為を「浮浪者狩り」と呼んでおり、抵抗しないホームレスをターゲットに日夜行っていたという。
上記の通り、明らかになった死者は3名であるが、事件の発覚戦後、数体のホームレスの遺体が公園内に遺棄されていたこともあり、被害者数はもっといたのではないか?とされるほか、マスコミの取材により、本事件から遡ること約8年前の1975年(昭和50年)ごろから、横浜市内では同様の少年少女による「浮浪者狩り」が行われていたという。
犯行を告白したのは60名ほどの男女で、いくつかの非行グループが始めていたものが広まったものであるという。
現在、「浮浪者狩り」に手を染めていた少年たちは罪を拭い、社会復帰している。