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17歳の少年テロ事件が社会に与えた影響とは【衝撃の未成年犯罪事件簿】

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 1960(昭和35)年10月12日、東京都千代田区の日比谷公会堂で日本社会党委員長の浅沼稲次郎が演説中、少年に刺殺されるという「浅沼稲次郎暗殺事件」が発生した。

 演説中に政党の最高責任者が17歳の少年に刃物で脇腹を刺され死亡するという本事件は、戦後日本を代表する重大犯罪および少年事件として有名だ。

 また、事件の一部始終がラジオで生放送されたことも知られている。本稿では当時「浅沼稲次郎暗殺事件」がどのように扱われたのか、またその影響などを中心に記していきたい。

 浅沼が殺された演説会は、自民党・社会党・民社党3党党首立会演説会「総選挙に臨む我が党の態度」というものだった。国民に向かい、党の掲げる政策や自身の考え方などを明らかにするために行われ2500人の聴衆が集まったほか、NHKラジオ第1でも生中継された。

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 浅沼が刺される瞬間のラジオ音源や、撮影していた映像は鮮明な形で残されており、当時の事件を知る重要な物的証拠となっている。

 また当時17歳の犯人・山口二矢は事件から約半月後の11月2日に東京少年鑑別所で首を吊って自殺している。首吊りの道具として使われたのは、鑑別所で使われたベッドシーツで、シーツを二つに切り裂き、それを電球にくくり付けて自殺するという衝撃的なものだった。監視にあたっていた警官が目を離した30分の間に自殺したため警察の責任が問われたほか、本事件は犯人が「17歳の少年」であった点も社会に大きな影響を与えていた。テレビ局は「子どもを刺激しないように」と子どもが多く見るテレビ番組では、ナイフを使うシーンや暴力的なシーンをカットして放送。その影響はしばらく続いたという。

 なお、浅沼事件のVTRはテロの瞬間をとらえたものとしては鮮明な状態で残されたこともあり、21世紀に入っても映像が使用されることが多かった。ただ、近年は見る人にとってややショッキングな映像であるため、以前に比べ使用される頻度は減っているようである。

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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