にわかには信じられない児童誘拐事件が発生したのは、1969年(昭和44年)9月10日のことであった。
この日の朝、東京都渋谷区内に住む正寿ちゃん(7歳)は、朝8時いつものように友達3人と小学校へ向かった。ここまでは、いつもと変わらない何気ない一日のはずであった。だが、通学路の歩道橋の上で正寿ちゃんは走ってきた男に「よお」と声をかけられ振り向いた瞬間、男にグーで顔を殴られ、その場に倒れこんだ。身動きが取れなくなった正寿ちゃんは、男に抱きかかえられ誘拐されてしまった。誘拐までにかかった時間は30秒にも満たなかったであろう。
あっけに取られる正寿ちゃんの友達は、友達が目の前から突然居なくなったことにパニックになった。学友2人は小学校へ走って行き、担任教師に「正寿ちゃんが知らない男に連れ去られた」と伝えた。
友人たちの手によって学校へ誘拐事件が伝えられてすぐ、今度は正寿ちゃんの両親の元に「子供を預かった。500万円を用意しろ」と電話があった。両親への脅迫電話、学友からの証言などで「正寿ちゃん誘拐事件」が明らかになり、警察は怪しい男が目撃されなかったか調べた。
すると、数日前から現場付近をうろつき、公園で子供にお菓子などを配っていた19歳の男が捜査線上に浮かんだ。警察はこの19歳の男の所在を突き止め逮捕。だが、既に正寿ちゃんは男の手によって殺害されてしまっていた。
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正寿ちゃんは誘拐された後、渋谷区内の公衆便所の中で刺殺。その遺体は男がバッグの中に入れて持ち出し、なんと渋谷駅の荷物預り所へ預けていたというのだ。
男は犯行の理由について、「小さい時から友人にいじめられていた。身代金で得た金で柔道や空手などを覚え仕返したかった」と犯行を自供した。あまりに身勝手すぎる許されない動機である。
また、白昼堂々と誘拐が行われた背景には手口が一瞬であったこと。大人の目撃者はいたものの、「お兄ちゃんが弟を叱っているのかと思った」といった不運な状況が重なり、止めることができなかったようだ。
男はその後、死刑判決が下り、1979年10月に執行された。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)