特に、消火技術が発展途上にあった明治~昭和初期は、放火によって人命を奪われる機会は現在よりも多く、身近な恐怖の一つでもあった。
1933年(昭和8年)5月15日、東京都文京区(当時、東京府東京市小石川区)のある街で連続放火事件が発生した。最初はある住宅の隅に置いていた箒(ほうき)がめらめらと燃え、次に数メートル離れた住宅の便所でも火が上がったという。
奇妙だったのは、火のスピードで、わずか25分の間に8軒の住宅からボヤが出ているのがわかった。
警察は、放火魔を「この地域に詳しい者の仕業では」と調べたところ、放火現場の近くでは「水兵服(セーラー服)を着た女の子」の姿が相次いで目撃されていたのがわかった。
ある現場で、水兵服を来た女の子が走って逃げていく姿も目撃されており、「連続放火について何か知っているのではないか」と追う事になった。
そしてしばらくして、脱ぎ棄てられた水兵服、懐に使用された跡のあるマッチが発見され、持ち主はこの住宅街に住む12歳の女学生であることがわかった。
警察はこの女学生の家を訪問し、問い詰めたところ最初は否定していたが、次第に自分の犯した罪の重さに気が付き、放火したことを白状したという。
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この女学生が放火した理由は「消火する消防ポンプが好きで、火事になれば消防ポンプがたくさん見れると思ったから」というトンデモナイ理由であり、周囲を呆れさせた。
だが、保護者によると、この女学生は元は和歌山県で生まれ養女に出された子どもであり、学校でも友達がおらず寂しい思いをしていたという。
そのため、この放火事件は消防ポンプはあくまで理由の一つで、本当は女学生が大人の気を惹こうと放火していたのではないかと思われる。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)