星野さんは中日で2期10年(1987-1991,1996-2001)にわたり監督を務めた。今回の動画で小松氏は1987年から1991年にかけ共に中日で戦った星野さんとの思い出をテーマにトークを展開。その中で星野さんが、1987年から1993年にかけ中日でプレーした元中日監督・落合博満氏への怒りで周囲の物をたびたび破壊していたという話を披露した。
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落合氏がロッテからトレードで加入した1987年の4月中旬ごろに、後楽園球場で巨人と戦った試合があった。小松氏はその日休養日で滞在先のホテルのミーティングルームで選手・監督らの帰りを待っていたというが、巨人に敗れた後に戻ってきた星野さんは目が血走っていたという。
その後ホテルでは選手全員が参加したミーティングが行われたというが、星野さんは開始直後いきなり自身の机の上に用意されていた食事を手でなぎ払うと、「落合!お前いつになったら打つんだ!なんとかせえ!」と落合氏を名指しで叱責。小松氏によると、落合氏は星野氏の剣幕に気おされたのか「はい」とうなずくのみだったという。
その落合氏は当時チームの本拠地だったナゴヤ球場内に設置されていた赤電話(委託公衆電話)を使い、頻繁に妻や知り合いと連絡を取っていたという。ただ、ある試合で負けた後に星野さんはその電話に目をつけ、「こんなんで電話ばっかしとるから打てねんじゃあ!」と激昂しながら地面にたたき付け破壊してしまったという。
壊れた電話に入っていた10円玉が床一面に散らばったため、自身もひろい集める手伝いをするはめになったという小松氏。ただ「面白かったですよ」と、こうした感情が激しいところも星野監督の魅力の一つだったといい、「誕生日には必ず花が贈られてくる」と選手を気遣う一面もあったと振り返っていた。
小松氏は動画で、自身が星野さんに怒られた際の話や目をつけられやすい選手の特徴なども話している。
今回の動画を受け、ネット上には「“闘将”って言われてた星野さんらしい血気盛んな話だな」、「ナゴヤ球場の扇風機をたたき壊した話は有名だけど、電話まで破壊してたのは知らなかった」、「当時は鉄拳制裁が当たり前だったが、本人を直接殴ることはあったんだろうか」、「いくら怒ってるからってものに当たるのはいただけない、今ならネットで確実に炎上するだろうな」といった反応が多数寄せられている。
落合氏は星野さんと在籍期間が被っている1987年から1991年にかけ「628試合・.314・171本・489打点・688安打」といった数字を残し、本塁打王(1990-1991)、打点王(1989-1990)にそれぞれ2度輝いている。その落合氏に星野さんが物に当たるほど怒りをあらわにしたのは、打線の核としての期待の裏返しだったのかもしれない。
文 / 柴田雅人
記事内の引用について
田尾安志氏の公式ユーチューブチャンネルより
https://www.youtube.com/channel/UCujKx9MOD0zja02WXkDAwwA