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芸能ネタ 2019年01月12日 12時20分
小学生時代から山積みのチョコ…キンプリきっての人気者・平野の激モテ人生
平成最後の1年間となった2018年、超絶売れた大型新人といえば、“ジャニーズが送りこんだ王子様軍団”King & Princeだ。5月にリリースされた1stシングル「シンデレラガール」、続く2ndシングル「Memorial」が連続で発売初週に40万枚を突破するメガヒット。先輩グループのKAT-TUN以来、およそ12年3か月ぶり史上2組目となる偉業を達成した。大みそかの『第69回NHK紅白歌合戦』に初出場。めまぐるしいデビューイヤーを飾った。現在は東京・帝国劇場でジャニー喜多川社長が作・構成・演出を手掛ける舞台『ジャニーズ King & Prince アイランド』に出演中だ(27日まで)。 メンバー6人(※現在は岩橋玄樹がパニック障害の治療のため5人で活動)の中で、ソロ活動が抜きんでているのは平野紫耀。ド天然すぎる言動はバラエティー番組にもってこいで、引く手あまたの状況が久しく続く。俳優業としても大忙しで、昨年はドラマ『花のち晴れ〜花男 Next Season〜』(TBS系)に出演、映画『ういらぶ。』で主役を張った。 平野について、スポーツ新聞の記者がさすがと思えるエピソードを明かす。 「顔面偏差値の高さは、大きな自慢。小学生からすでにモテ道を歩んでいて、愛知県名古屋市内に住んでいた小4のとき、バレンタインデーにチョコレートをなんと64個ももらっているんです」 学校の規則で、お菓子を持参することは禁じられていた。そのため、平野の実家の郵便ポストや玄関に、山のようにチョコが積み重ねられていた。どう考えても食べきれないため、名案を思いついた。すべて溶かして、大きな1枚にして、毎日少しずつ食べていったのだ。 エンターテインメントの世界に目覚めたのは、小学生のころ。ダンスレッスンに励み、地元の芸能事務所・セントラルジャパンに籍を置いた。のちに、東海地方出身の男子を集めたメンズアイドルグループ・BOYS AND MEN(ボイメン)のオーディションに合格。第1期生として、アイドル活動をスタートさせた。 運命の歯車が動き出すのは、ボイメン脱退後。ダンスは続けており、通っていたダンススクールのインストラクターがかつて、少年隊や男闘呼組、光GENJIといったジャニーズグループの曲を振りつけていた縁で、東京で合宿があった際に、ジャニー氏を紹介された。初対面のその日、ジャニー氏は「YOU、来ちゃいなよ」と“迷”台詞を口にしている。 小学校の女子から、80歳を超えた老人(ジャニー氏)までをメロメロにしてきた平野。そのモテ人生こそ、“シンデレラボーイ”の成せる業か。(伊藤由華)
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芸能ネタ 2019年01月12日 12時10分
ダウンタウン松本、いいともギャラ告白 ほかの“伝説的バラエティ”のギャラは
ダウンタウンの松本人志が『ワイドナショー』(フジテレビ系)において、かつてレギュラー出演していた『笑っていいとも!』(同)のギャラを告白し話題となっている。松本によれば、4年ほど出演してギャラは一律5万円だったという。お昼の1時間の生放送に加え、日曜日に放送される『増刊号』用の収録も含めて5万円であったようだ。相方の浜田雅功も同額とすればコンビで10万円になるのか。 当時のダウンタウンは20代とはいえ、東京へも進出している。これは少なすぎる数字といえるかもしれない。ネット上でも「関西芸人が上京すると芸歴の扱いがリセットされるのって本当なのかね」「これは少なすぎる。よくキレなかったよな」といった声が聞かれた。だが、若手芸人のギャラは概してシビアな場合が多い。 「ダウンタウンとも比較されることの多いナインティナインの場合、大阪時代はどの仕事もギャラは1本5000円だったようです。コンビならば1万円になりますね。東京進出後は1.5倍の7500円になりました。ただ、これでもコンビで1万5千円にしかならないので、安すぎるでしょう。彼らはそうした境遇に不満を持ち、会社と直接交渉してギャラを上げていったといわれています」(芸能関係者) ナイナイに限らず、ほかの若手芸人も厳しかったようだ。多くの芸人が集まった『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)シリーズの場合はどうか。 「この番組には毎回、20組ほどの若手芸人が出演していました。ギャラは1コンビにつき1万円程度だったようです。これはピン、コンビ、トリオも関係ない一律のものだったようですから、人数が多いほど取り分が少なくなります。さらに、番組は2本撮りで拘束時間も長かったようです。ただ、番組が社会現象的な人気を獲得することにより、若手芸人の知名度は飛躍的に上昇し、舞い込んだ営業仕事などにおいて、それ以上のギャラを手に入れることになります」(前出・同) どんな大物タレントにも安く使われていた新人時代はある。それでもこうした話は知られざる一面ではあろう。
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社会 2019年01月12日 12時00分
下山事件
1949(昭和24)年といえば、日本が太平洋戦争に敗北して4年目の年。未だ東京は空襲の爪痕がいたるところに残り、天皇に代わってGHQ(連合国最高司令官総司令部)が間接統治していた時代で、政治では第3次吉田内閣(民主自由党)が発足していた。当時の社会の動きといえば労働争議が多発し、不可解な事件が連続して起きていた。「下山事件」(7月5日発生)「三鷹事件」(7月15日発生)「松川事件」(8月17日発生)だが、これらの事件の背後には、GHQ内の権力闘争が底流にあったことが後年、明らかにされている。 「三鷹事件」「松川事件」についての詳細は省くが、「下山事件」の結末はどうなったのかといえば、この事件こそGHQの組織にあった「キャノン機関=米軍の謀略機関」や「CIC=米軍の対敵防諜部隊」が登場し、また、旧日本軍の特務機関員や中野学校卒業生の関与が噂され、法医学も巻き込んで死体の「生前轢断(他殺)」説と「死後轢断(自殺)」説がマスコミの取材を、ヒートアップさせてしまった事件として、今も生々しく伝えられている。また、「犯人」が消えてしまい、真相がブラックボックスに閉じ込められていることから、「未解決事件」として見知っている方も多いのではないだろうか。 筆者がこの事件に関心を持ったのは、十数年にわたって追跡してきた「中野学校卒業生の戦後史」がきっかけであった。事件の核心に触れたのは卒業生の1人を取材した時で、本人は仮名(既に88歳で逝去)を条件に取材に応じてくれた。前沢義昭(仮名)の徳島の自宅で行われた取材で、彼はまず、中野学校出身であることを告げた。「中野は42年7月に三丙(入学は41年9月)で卒業しました。初任地は関東軍情報部のハイラル支部で終戦まで満州各地の支部を転属し、最終任地はハルビン特務機関で階級は大尉でした」 戦時中の活動について質問したが、答えは「特務工作」と語るだけで、工作の詳細は語ってくれなかった。「いろいろありまして、中野校友会の会員にも入っていません。仲間で私がここ(徳島)に住んでいることを知っているのは、秋田に住むCIC時代の友だけです。CICは『下山事件』とも関係のあったセクションなんです」 筆者は前沢の言葉に驚愕していた。元中野学校卒業生と下山事件の関係。筆者はかつて卒業生の複数人は「実行犯云々は別にして、あれだけの犯行を決定的な証拠も残さずに実行できたのは、謀略のノウハウを熟知した人間だろう」という証言を得ていた。そして、関心を持つ卒業生には「動機という点では金銭は関係なく、背景には政治謀略があったと思う」と分析する者もいた。だが大半の卒業生は「我々の仲間が事件に関与していたことなど絶対にありえない」と全否定している。だから、当事者の口から下山事件が出るとは思いもよらなかった。 事件に関する数多くの著作物についての感想を聞いてみた。「死因の究明よりも、この事件のキーワードが何なのかを考察すれば、おのずと事件の全体像が把握できるはずなんです。関連書で労作と評価の高い矢田喜美雄さんの本(『謀殺下山事件』祥伝社)に出てくる『フジイショウゾウ』。彼のことを中野学校出身の日系1世で、GHQのGー2(参謀部第2部)の指揮下にあったSPD(公安課)に勤務していた人物と書いていますが、フジイは「藤井正造」で、日系1世ですが中野学校の出身ではありません。私は、彼に協力して隠退蔵物資の摘発や労働組合の内部情報などを集める仕事をしていたんです」 前沢はCIC時代に「藤井」とチームを組んで仕事をしていたと証言した。 ここで藤井正造について簡単に説明しておく。フジイはシビリアンで、本国ではOSS(CIAの前身)の工作員をしていたが、日本語が流暢ということからGHQに志願してCICに配属された人物だ。諸々の著作物によれば「藤井」は工作活動に「下平」のトリックネームを使っていた中野学校出身者と書かれているが、前沢は「フジイは下平の変名は使っていません。下平は別人で、その人物は私の後輩で二俣(陸軍中野学校二俣分校)を卒業した男なんです」と証言、その言葉には有無を言わせぬ説得力があった。「藤井」の正体をここまで明かした人物を、筆者は初めて知ることになった。 だが、肝心の「下山事件」と中野学校の関係を前沢から聞くことは叶わなかった。一縷の望みは前沢が生前に語っていた「もう1人、真相を知る人物が秋田にいます。その男と相談してみます」と、遺した言葉であった。 その時、前沢は10年前に届いたという年賀状に書かれた名前(大山智也=仮名)、住所と電話番号を教えてくれた。 前沢義昭の訃報に接して1カ月も経っていなかったが、筆者は大山のことが気がかりで2009年の初秋、秋田に飛んだ。事前の確認で夫人から大山が闘病生活を続けていることを聞かされていた。病院は日本海に面する風光明媚な場所にあった。かつて秘密戦士として活躍していた大山は、3階の大部屋で南向きに据えられたベッドに横臥していた。大山は92歳になっていた。果たして真相を語ってくれるのか。突然の訪問なので、追い返されるのではないかと、正直不安であった。だが、不安は杞憂に終わった。 大山は車椅子を利用していた。ベッドを離れると器用に車椅子を操り、筆者を従えて屋上のサンルームに案内した。「あなたのことは前沢から聞かされていました。亡くなったそうですね、あいつ」 短い言葉に前沢の死を悼む情感がこもっていた。「いずれ、あなたが訪ねてくると思っていました。あなたの著作は読んでいます。下山事件と中野学校を結びつけて取材をされてこられたのは、あなたの成果でしょう。私が暗殺チームの一員であったことは前沢から聞き及んでいると思いますが、あの事件の背景には当時の社会情勢が重くのしかかっていたんです」 筆者は大山の無防備とも思える第一声に一瞬、自分の耳を疑ってしまった。大山は「暗殺チームの一員」と、はっきりと語ったのである。それと、「殺人事件」を「暗殺」という言葉で表現したのだ…。「私は、中野の前期を卒業しています。学校は今の東京外大、当時は東京外国語学校と呼んでおり、英文科を卒業したんです。初任地は関東軍のハルビン特務機関で、そこで前沢と出会ったんです。同窓(中野学校)の仲間でした。引き揚げてきたのは46(昭和21)年の夏でした。戦後、就職したのはCICで、ここを紹介してくれたのは中野時代の上官でした」 大山の口調は緊張感もなく、淡々としていた。「CIC、ご存じですね。この組織はウイロビーが実権を握っていたGー2の直轄部隊で、戦犯摘発から協力者のスカウト、共産党や労働組合の監視、政治家、官僚のスキャンダル探しなどを仕事にしており、活動は全国をネットワークしていました。隊員の日常業務は中野時代の偵諜という任務が主でした。偵諜とは視察対象者の行動観察のことです。我々はチームボスのことを『ファースト·ルテナント·マーカス』と呼んでいました。おそらく偽名だったでしょう。階級は陸軍中尉でした。私も中野時代は『丸橋』という変名を使っていましたから、マーカスの態度が分かるんです。彼は幹部の中では珍しく日系ではなく白人の将校でした。私のチームには前沢と下平の2人がいましたが、下山総裁を三越から拉致したのは別のチームなんです」 筆者は固唾をのんで大山の話に耳を傾けていた。そして次の言葉を待った。「私はマーカスの通訳兼連絡係でした。彼から聞かされたのは、あの事件では拉致実行班と暗殺実行班の2つのユニットが動いたそうです。私は直接、殺害現場を見ていませんが、千葉の館山が現場だったと聞いています。それと総裁暗殺の背景には、当時の国鉄労組を政治的に利用するというシナリオがあったんです。下山さんは、言ってみれば、その犠牲者だったんです。おそらく、下山さんに代わる人物が総裁になっていれば、その人物が犠牲者になったでしょう。下山さんはスケープゴートにされたんです。政治の力学は“総裁職”をターゲットにしたわけですから……。私は下山さんを暗殺した下手人ではありませんが、CIC時代はフジイにも協力して右翼、左翼の情報を集めていました。それと下山さんに関する情報も集めていたんです。中野時代に学んだ知識が大いに役立ちました。皮肉なものですね、占領下で中野の教育が役立ったとは」 筆者は質問を発せず必死になって取材ノートに大山の言葉をメモする。「下山事件。私にとって生涯消えぬ人生の汚点です。誰にも話すつもりはありませんでしたが、前沢の訃報を知ってあなたに話す気になったんです。下平も亡くなり前沢も逝った。私と前沢の2人は中野の校友会情報で、行方不明扱いになっている卒業生なんです」 筆者は最後の質問をした。大山さんは事件に関わったことを「人生の汚点」と言ったが、それは、どんな意味なのか…。「事件当時、私は31歳でした。CICに勤めたのも、中野時代のノウハウを戦後の社会で活かしたかったんです。しかし、“下山暗殺”目的が政治的動機にあったことを事件後に知り、50年にCICを辞めました。下手人ではありませんが、下山暗殺チームで仕事をしたことが私の人生の汚点なんです。イデオロギーや金銭は関係ありません。プロの諜報員としてのプライドが支えだったんです」 話し終えた大山の口元は微笑んで見えた。その心情は60余年の澱を一気に吐き出したあとの安堵感。微笑みがそんな心象として残った。「陸軍中野学校と下山事件」ーー。追跡行はやっと終着点が見えてきた。大山はいま、手記を書いている。大学ノート10冊になるという大山手記。どんな内容が告白されているのか。「下山事件」の真相が明かされる日も、そう、先のことではないのかもしれない。(文中、証言者は本人の希望で仮名とした)
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芸能ネタ 2019年01月12日 12時00分
『R-1ぐらんぷり』予選始まる 注目は相方が騒動を起こしたあの芸人!
ピン芸人日本一を決める『R-1ぐらんぷり2019』(フジテレビ系)の予選が始まっている。決勝戦は春に放送される。 1回戦では上沼恵美子の公認モノマネで知られる天才ピアニストのますみ、その上沼への暴言騒動で話題となったスーパーマラドーナ武智の相方である田中一彦などが2回戦へ進んだ。 さらに、元Jリーガーでヴィッセル神戸に所属した近藤岳登氏も2回戦進出を決めた。昨年度の『R-1』には、ホリエモンこと堀江貴文氏も出場し1回戦を突破している。ただ、今大会から参加資格は「芸能事務所、及びプロダクション所属者」「芸能活動を行っている者」「『芸』を生業としている者」としてアマチュア参加が不可となった。近藤氏の場合はサッカー解説者としてタレント活動も行っているため、参加が可能になった。 『R-1ぐらんぷり』は前の大会で1回戦を突破した場合、シード扱いとなり2回戦からの登場となる。2回戦以降は、名だたるプロ芸人がそろうため、勝負はここからといえるだろう。2019年の注目出場者は誰だろうか。 「2018年度の『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で優勝を果たした霜降り明星の動向は気になるところですね。実は粗品とせいやの2人とも、ピン芸人として『R-1』決勝進出経験があります。せいやの動きネタはもちろん、粗品のフリップダジャレ芸のクオリティも高いです。『M-1』『R-1』の連覇にも期待がかかります」(放送作家) さらに、『R-1』は昨年、2018年は視覚障害を持つ濱田祐太郎、2017年には全裸お盆芸のアキラ100%が優勝している。ひと味違う個性派芸人の登場も待たれるところだ。 「今年の注目株としては、天然すぎるほんわか女芸人として人気のあるいかちゃん、アキラ100%に同じく裸芸ながら、言葉を一切用いない動き芸において海外でも話題のウエスP、前大会では早々に敗れるもその後ブレークを果たした、現役医師芸人であるしゅんしゅんクリニックPあたりでしょうか」(前出・同) ネット上でも「テレビで見ている人か、無名の人かの争いになりそう」「これも平成最後の『R-1』チャンピオンだな」といった声が聞かれる。『R-1』は決勝までに5回の予選が行われる。勝負の行方を見守りたい。
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社会 2019年01月12日 12時00分
誰もしら内容い“吸血鬼”殺人事件 殺人鬼は何のために被害者の生き血を吸ったのか?
《この下に白骨死体あり。110番通報頼む》 2011年4月、岐阜県下呂市の山中の道路にこんなメッセージが書かれた三角表示板が置かれていた。それを通勤途中の温泉旅館の仲居が発見したことから、世にも奇怪な事件が幕を開けることになった。 通報を受けた岐阜県警高山署が付近を捜索したところ、ほぼ白骨化した女性の遺体を発見。その遺体は約1カ月前から行方不明になっていた長瀬まゆみさん(44)であることが分かった。 高山署は長瀬さんの交遊関係を捜査するうち、勤務先のコンビニで同僚だった後藤明弘(当時46)を浮上させた。後藤は同署に任意同行を求められたが、その際に契約が切れたもう一台の携帯電話を大事そうにセカンドバッグに入れたところを捜査員は見逃さなかった。 その携帯電話を調べたところ、『死に際』というフォルダがあり、「レ・ティ・リー」というベトナム人女性の名前と共に、遺体を切り開いて内臓を露出させた写真などが見つかった。しかも、その写真には〈寝ている娘の頭めがけて鉄パイプを振り下ろし、首を絞めて殺した〉という犯行の経緯が、小説のように細かく書かれていた。 岐阜県警は2006年7月に発生し、未解決事件になっていた愛知県豊川市のベトナム人女性殺人事件の捜査本部に連絡。後藤はまず、ベトナム人女性のレ・ティ・リーさん(24)に対する殺人容疑で愛知県警豊川署に逮捕された。 死因は首を絞められたことによる窒息死。頭にも鈍器で殴られたような跡があった。だが、問題はここからで、レ・ティ・リーさんの遺体は胸が切り裂かれており、その傷口から血をすすったような跡があった。そこに残されていた唾液のDNAが後藤のものと一致したんです」(捜査関係者)遺体が語る“不自然”な痕跡第一発見者の男性も次のように語る。 「レ・ティ・リーさんは布団に横たわっていたが、何か不自然な感じがした。何で遺体に血がないのか、布団にもシワ一つない。不思議でしょうがなかった」 その後、後藤は長瀬まゆみさんに対する死体遺棄や殺人容疑などでも再逮捕されたが、やはり長瀬さんの遺体についても内臓の写真を撮っているのだ。 「後藤は死体の存在を警察に知らせるどころか、死体の足を開いて性器の写真を撮影したり、裂かれたお腹にも手を差し入れて臓器の写真を撮影している。公判では白黒写真にして開示されましたが、それを見た裁判員の若い女性は気分が悪くなり、自力で立つこともできなくなったため、公判が中止になったこともありました」(岐阜地裁詰め記者) もっとも、後藤は「なぜそんなことをしたのか分かりません」「内臓を見たいと思ったこともないし、性的興味を感じたこともありません」と、自身の性癖を否定している。研究が進んだ海外では報告例が多いが、ネクロフィリア(死体性愛者)は幼少期から孤独で、恐ろしい事件を起こして捕らえられても、かつての教師やクラスメートは彼をほとんど覚えていないことが多い。「あまり人と付き合わず、問題を起こしたこともない」という印象だ。 後藤もこれと全く同じなのだ。幼い頃を知る近所の人たちは「大人しくて礼儀正しい子だった」と口をそろえ、中学時代の同級生は「2クラスしかなかったのに、ほとんど印象にない」と話す。 「からかわれても、怒って向かってくるようなタイプじゃない。ひたすら耐えて黙っているような奴だった。年下からも『ガンキン(ばい菌の意味)』と呼ばれ、バカにされていた。校時代は不良たちのパシリにされていたと聞いている」 その鬱憤を晴らすため、異常な空想を積み重ね、犯行に駆られたのだろうか。
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社会 2019年01月12日 11時00分
地面師フィリピン強制送還で新橋資産家失踪事件に新たな展開
小山操、または小山武こと、カミンスカス操容疑者(58) が、不法滞在で身柄を拘束されているフィリピンから新年早々にも移送される見通しであることが明らかになった。カミンスカス容疑者は大手住宅メーカー『積水ハウス』から約55億円を騙し取った大型詐欺事件で、国際指名手配されていた主犯格と言われる。 「カミンスカスは新橋資産家女性失踪事件の関与も疑われている。カミンスカスに積水詐欺の指示を出したとして再逮捕されている内田マイクは、新橋資産家女性が所有する土地の売買契約の現場にいたことが分かっています」(捜査関係者) 新橋資産家女性失踪事件とは、東京・新橋のマッカーサー通りに隣接する土地を所有していた高橋礼子(当時60)さんが2016年3月に突然失踪。同年10月、自宅近くの通路で白骨死体で発見された事件だ。 「当初、警察は“事件性はない”と発表しました。ところが、失踪前に高橋さんは周囲に“私は土地を売っていないし、印鑑も押していない”と話していたのに、高橋さんの死体が発見されるまでの間に所有していた新橋の時価総額6億900万円の土地が地面師グループによって売買されていたんです」(事件ライター) 積水事件では、これまで16人が逮捕されているが、そのうちのカミンスカス容疑者を含めた4人が新橋資産家女性失踪事件に関与していると見られている。 カミンスカス容疑者は、詐欺師グループの間では「金になるなら何でもやる事件屋」と呼ばれていた。10年前には不動産会社『ABCホーム』の塩田大介元会長が法人税法違反容疑で逮捕された際、カミンスカス容疑者も一緒に逮捕され、実刑判決を受けている。 「その後、不動産ブローカーに転身したが、上手くいかなかった。積水事件の主犯格の1人として15人目の逮捕者となった土井淑雄容疑者の事務所に転がり込んで、地面師として頭角を現したんです」(同) 積水ハウスがだまし取られた63億円の行方は、これまでのところわかっていない。報道によると、カミンスカス容疑者はフィリピン入国時に少なくとも500ユーロ札100枚(約640万円)を持ち込んだとされるが、拘束時の所持金は日本円換算で360万円だったという。事件の全容解明にはまだ時間がかかりそうだが、加えて新橋事件の捜査も新たな展開を見せそうだ。
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芸能ネタ 2019年01月12日 06時30分
NGT48メンバーの事件を招いた運営側が根本的に見直すべき問題点
昨年12月、男2人に自宅に押しかけられたNGT48の山口真帆。事件発覚後の運営側の対応を疑問視し、批判する声が続々と上がっている。 事件後、体調不良を理由に公演を休んでいた山口だが、1月8日夜のネット生配信、9日早朝のTwitterで告白した。昨年12月に自宅の玄関で男2人に口をふさがれ、その後2人が逮捕されたものの不起訴処分となっていたという。9日昼にNHKが警察への取材をもとに報道し、事態が明るみに出た。 10日、NGT48劇場での公演に出演した山口は「このたびはお騒がせして誠に申しわけありません」とファンを前に深々と謝罪。被害者である山口が謝罪するという不可解な事態に、NGT48の元キャプテンである北原里英は、「あなたは謝るべきではありません!謝らないで」とSNSに書き込んだ。 10日の公演後、NGTの運営サイドは公式サイト上で声明を発表。当初、事件へのメンバーの関与を否定していたが、「メンバーの1名が、男から道で声をかけられ、山口真帆の自宅は知らないものの、推測出来るような帰宅時間を伝えてしまったことを確認しました」と一転、メンバーの関与を認めたのだった。 今後の再犯防止策については、「全グループメンバーへの防犯ベルの支給、各自宅への巡回等の対策を徹底する」と再犯防止に務めるとしたが…。 「ほかのメンバーに“売られた”ような形になったが、防犯ベルを持っていようが何の役にも立たない。地方のグループのメンバーたちは、バスで劇場まで送迎するが、楽に送迎できるように同じマンションに複数のメンバーが居住している。東京ならまだしも、新潟ならばファンが“追跡”すればすぐに分かってしまうことから、今回の事件は起こった。まず、メンバーの居住環境から見直さないと再犯防止にならないだろう」(テレビ局関係者) 今回の事件をきっかけに、体制を根本から見直した方が良さそうだ。
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芸能ネタ 2019年01月12日 06時00分
ミス相次ぐ「とくダネ!」、誤報を謝罪 過去には生死に関わる重大なミスも
7日放送のフジテレビの情報番組「とくダネ!」で、同局の伊藤利尋アナウンサーが昨年12月28日の放送内容について訂正し、生謝罪した。 伊藤アナは「先月28日に放送した救命救急の密着の中で、神戸市中央区の神戸市立医療センター中央市民病院に救急搬送されて来た26歳の女性について、飲酒して転倒とお伝えしたのですが、実際に女性はお酒を飲んでおらず、仕事中に具合が悪くなり転倒、意識障害を起こして救急搬送されていたことが分かりました」と説明した。 これにネットでは「飲酒中と仕事中では、全然違う。まじめに仕事してて体調が悪くなったのに…。失礼な報道するテレビ局は有り得ない」「これは最悪。裏どりをきちんとせず、いかに普段も報道に『都合のいい演出』を入れてるのかがわかる」との声が相次いだ。 同番組は17年に放送した「医療PJ『さい帯血医療』“医学博士”が“ヤミ医療”に関与か」と「父親は元京都府知事エリート府議を美人妻が“DV告訴”」の2つの特集が放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会から「放送倫理違反があった」と指摘を受けている。 17年の放送で、同番組は医師法違反事件の容疑者として、赤の他人の男性の映像をインタビューも含めて放送し、謝罪。放送した時点では書類送検されていなかった京都府議会議員については「書類送検された」などと放送し、事実確認が取れていない報道だったとして謝罪した。同委員会は「刑事事件の容疑者の映像」と「処分内容」という最もセンシティブな情報について、同じ番組で間違いが続いたことは大きな問題だとし、川端和治委員長は「先入観を持たずに、基本をきちんと守ることをもっと意識していただきたい」と苦言。フジテレビは「重大に受け止めて真摯に対応し、再発防止に努める」としていた。 しかしちょうどその日、同番組はVTRで、登山家の三浦雄一郎氏の写真に「故・三浦雄一郎さん」とのテロップを表示し、炎上。そして昨年8月には日本ボクシング連盟の山根明元会長について「韓国生まれ」としたが、誤報だったと謝罪。この時も伊藤アナが「昨日の放送で山根会長は韓国生まれというふうにご紹介したんですが、山根会長によりますと、生まれは大阪府堺市で、その後、母親とともに韓国に渡り、10歳の時に日本に帰国されたということです。訂正してお詫びいたします。大変失礼いたしました」と頭を下げていた。 ミスが頻発する「とくダネ!」。「再発防止に努める」の言葉を守るべく、今後は基本をきちんと守る報道をしていただきたい。
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スポーツ 2019年01月12日 06時00分
長州力、最後の相手は「藤波辰爾でしょう」6.26後楽園でファイナル!武藤敬司も復帰!
長州力プロデュース『POWER HALL 2018〜イヤー・エンド・スペシャル〜』▽12月28日 東京・後楽園ホール 観衆 1,580人 今年の夏までに現役生活にピリオドを打つと表明していた“革命戦士”長州力が昨年の12月28日、後楽園ホールでプロデュース興行を開催した。 休憩明けに、長州のファイナルマッチが6月26日の後楽園大会で開催されることが発表されると、場内に『HOLD OUT』が流れた。大きな武藤コールがわき起こる中、現在膝のリハビリで長期欠場中の武藤敬司がリングイン。 90年代のファンが多く集まる会場で、武藤はマイクを握ると「きょうは引退の決まっている長州力。2月15日に行われる俺のプロデュースするプロレスリングマスターズに、最後のオファーをしにやってきました。出場することが決まりました」とプロレスリングマスターズ2.15後楽園大会に長州が最後の参戦をすることが決定したと報告。 続けて「自分自身、今年の3月に両膝を手術しまして、今、復帰に向けて一生懸命頑張ってます。4月に、ニューヨークにグレート・ムタが降臨することが決まってます」とムタ発祥の地・アメリカでの復活を明言。さらに「武藤敬司の復帰戦は、6月に行われる長州力の引退試合に決まりました。武藤敬司新たなる戦い、そして長州力最後の勇姿、みなさん応援に来てください」と、長州のファイナル興行で武藤として復帰すると発表した。 武藤はそのままテレビの実況席へ。長州は「お世話になったところにはできるだけ出たい」と話していた。参戦経験があり、後輩の武藤がプロデュースしているマスターズへの参戦は、「お返し」の一つと言ってもいいだろう。 メインは、長州が藤波辰爾、マサ北宮とトリオを結成し、GHCヘビー級王者の清宮海斗、NOSAWA論外、そして葛西純の異色トリオと対決。この日が誕生日だった藤波に続いて、長州が最後に入場すると会場のボルテージは最高潮に達した。 長州はコンディションが良く、惜しみなくリキラリアットを放っていく。これに対して猛アピールしたのが清宮。プロレスリング・ノアのトップとして、長州に爪痕を残そうと、必死に噛みついて行く姿に90年代のファンからは歓声が送られていた。最後は北宮が清宮を場外で捕まえて、藤波が葛西にドラゴンスリーパーを決めると、長州が論外にリキラリアットを放ちカウント3。長州が2018年のラストファイトを勝利で締めた。 試合後、多数の報道陣に囲まれた長州は笑顔で「6月26日がラスト。あとは藤波さんに頑張ってもらって。できるだけ長くやって、最後に藤波さんが見届けて終わりっていうね。自分で決めたことですから」と永遠のライバル藤波にエール。 北宮には「名前何だっけ?」と確認しながらも「見てて元気いいし、こういう選手が一生懸命練習して、リングに上がってるってのはいいですよね」と孫弟子(北宮は長州の弟子だった佐々木健介氏の弟子)を高評価。「自分で歩けるうちにリングを降りたい」と新世代に託す考えを示した。 長州は1998年の1.4東京ドーム大会で一度引退(2000年に大仁田厚戦で復帰)していることから、“引退”という言葉は使わないというこだわりがあるが、「最後の相手」を聞かれると「それはやっぱり藤波辰爾でしょう。やっぱりもう彼以外は僕はあんまり……。もう、彼がいなかったら今ね、もっと早くやめてるから」と藤波を改めて指名した。これを聞いた藤波は長州と握手を交わすと、ノーコメントで控室へ。藤波にとって長州の存在は大きいだけに、複雑な心境なのは間違いない。37年前に2人の因縁が勃発した後楽園で、シングルマッチが実現しそうだ。 長州と初対戦した清宮は「これが最後ではない。またやりたい」と再戦を望んだ。今後も長州との対戦を希望する選手が続出するのは確実な情勢だが、長州自身は「1試合、1試合を大切にしたい」との考えを持つ。試合数は限られてくると思われる。 「全部できますから」 会見の最後に長州は、このように言い切った。ファンに長州力のプロレスを堪能させる自信があるうちにやめたいというのは、長州らしい考え。それは98年の引退時もそうだった。長州には最後まで鬼の形相を見せてもらいたい。取材・文・写真 / どら増田
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社会 2019年01月12日 06時00分
福島県須賀川市「悪魔祓い事件」の実態②
●同地に受け継がれる拝み屋信仰の源流 須賀川の現場に足を運ぶと、事件が起きた家は今も壊されずに残っていた。それにしても、なぜこのような陰惨な事件が発生したのか。まずは祈祷師の江藤幸子の半生を紐解いてみたい。 江藤は福島県内の高校を卒業後、化粧品の販売員となり、瞬く間にトップセールスレディーに上り詰めた。夫は高校の同級生で、塗装業などを営んでいたそうだ。事件を起こす11年前の1984年に事件現場となった場所に家を建てている。 「化粧品のセールスとい職業柄か、格好は派手でした。見栄っ張りなところもあって、高い調度品を集めていたり、当時は手に入れるのが大変だった金木犀の木を植えたり、家の石や屋根瓦なんかも、高いものを使っていて。車も2台あったし、旦那さんも会社の社長然としていて、地味ではなかったですね」 引っ越してきた当初は近所付き合いもあり、家に招かれることもあったと近所の住民は言う。そして、マイホームを手に入れ、傍から見る分には生活は安泰のようにも見えた。 しかし、江藤は人に言えない悩みを抱えていた。夫のギャンブル癖に頭を悩まされていたのだ。さらに、夫が転職したこともあり、家のローンの支払いにも苦慮していた。 そんな江藤は、その頃から、近所にいた「拝み屋」と呼ばれる祈祷師のもとに通い始めたという。江藤と同じ新興住宅地に暮らす男性が言う。 「よく当たるって評判のお婆さんで、そこに通っていたそうです。この辺りでは、お祓いするために、寺や神社だけじゃなく、拝み屋さんのところに行くのは普通のことなんですよ。今は少なくなりましたが、昔は何人も拝み屋さんがいました」 人に相談できない悩みを拝み屋に話すことによって、江藤の心が満たされていったことは想像に難くない。すると、次第に傾倒が始まっていく。そして、いつの間にか、化粧品のセルスレディーも辞めて、自身が祈祷師となったのだ。 拝み屋と呼ばれる民間の祈祷師たちは、ここ福島だけでなく、日本各地に存在した。その名残りが、青森県のイタコや高知県の山間部にいるいざなぎ流の神官である。 福島の拝み屋は、かつて、「巫女さん」や「法印」と呼ばれたという。明治時代には、日本民俗学の礎を築いた柳田国男が、福島県いわき市の巫女さんを調査している。福島県内には1980年代まで、100人ほどの巫女さんがいたという。そのほとんどが、須賀川市などの県南部に集中していた。理由は、同地の大部分が阿武隈高原の山間部であり、以前は生活が厳しく、病気の治癒など日常生活において人々を支えてきたのだった。さらには、須賀川市と接する玉川村の山間部は平安時代から山岳信仰が盛んで、江戸時代まで修験者たちが庵を結んで暮らしていたという。江戸時代以降、そうした者たちが、祈祷師などになった。巫女さんや祈祷師が日常生活に溶け込んでいることが、江藤の犯行だけでなく、悪魔祓いの被害者を生む要因となった。(明日に続く)
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