宮崎アナといえば、11年12月にレコード会社勤務の一般男性と結婚。12年3月いっぱいで、日テレを寿退社した。
その後、しばらくは主婦業に専念していたが、同年5月にプロダクション尾木に所属し、フリーとして活動を再開。しかし、仕事はほとんどなく、ここ数カ月はテレビ画面で見る機会も全くなくなっていた。
そんな宮崎アナが、7月1日放送のテレビ朝日系列「もしものシミュレーションバラエティー〜お試しかっ!」で、久しぶりにテレビ出演し、元気な姿を見せてくれた。
9日には、同局の「中居正広のミになる図書館」(午後11時15分〜)で、「美イングリッシュ検定 “できる女”No.1決定戦」に出演する予定で、長い沈黙を経て、復活の気配もある。
宮崎アナは79年9月4日生まれ、宮崎県宮崎市出身。宮崎県立宮崎北高等学校、早稲田大学第一文学部を経て、02年4月に日テレに入社。
入社後、3年ほどは、これといった担当番組はなかったが、05年10月からレギュラーとなった「ラジかる!!」でブレイクした。
08年2月、日テレの同僚アナウンサー11人と東京マラソンに参加し、6時間51分6秒で完走する根性も見せた。
09年6月より、顎関節症の治療に専念するため、レギュラー番組を一時降板して休養する。10年2月に復帰し、同年4月より、「Oha!4 NEWS LIVE」のレギュラーとなったが、体調不良を理由に、同年9月末で降板し、再び休養に入った。
11年4月に復帰したが、相次ぐ体調不良による休養で、重要な番組を担当することがないまま、退社した。
フリー転身後は「アナウンサーという枠にこだわらず、バラエティ、ドラマにも挑戦したい」と話していた宮崎アナ。
女子アナ・ウォッチャーのK氏によると、「おバカキャラで一時は人気が出た宮崎アナですが、すっかり忘れ去られた感があります。バラエティとはいえ、仕事が入り出したのは明るい話題です。もはや、再ブレイクはむずかしいと思いますが、昔の明るい宮崎アナの姿を、取り戻すことができればいいのではないでしょうか」と語る。
くれぐれも、体調に気を付けて、頑張ってほしいものです。
(坂本太郎)