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スポーツ 2007年10月31日 15時00分
IGF 藤原喜明がガンを告白!!
IGFのコーチ役を務めている藤原喜明が30日、都内の同事務所で会見。胃がん手術を受けていたことを告白した。 「まあ、藤原も大手術が終わったみたい」。突然アントニオ猪木代表が切り出すと、藤原は「胃を半分取った」と語り始めた。検診で偶然がんが判明して手術。「胃がんですよ。切ってから3週間ちょっと」。黒いYシャツのボタンを外すと開腹手術の跡が残っていた。 手術は無事成功し、3、4日前に退院したばかりだというのに藤原は終始笑顔。衝撃告白がなければ、胃を半分摘出したとは思えない。術後1週間も経たないうちに歩行訓練を開始したというエピソードも明かした。 猪木から「迷わず行けよって…」とエールを送られると「迷わず逝きませんよ」と切り返した藤原。鬼は修羅場をくぐり抜け、一層たくましくなっていた。
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レジャー 2007年10月31日 15時00分
AR共和国杯 東京巧者チェストウイングが初重賞Vに意欲
秋の東京競馬も今週から後半戦。メーンを飾るハンデ重賞「第45回AR共和国杯」(JpnII 芝2500m 11月4日)は一長一短のあるメンバーがそろい、混戦模様となっている。出走各馬は今朝(31日)、東西トレセンで一斉に追い切られた。なかでも、気配の良さが目立っていたのが、左回りは5勝の巧者チェストウイングだ。 東京は5勝とメンバー屈指のコース実績を誇るチェストウイングに絶好の条件がそろった。 調教役の松本助手は虎視たんたん。「前走のオールカマー(4着)は馬インフルエンザの影響で帰厩が遅れ、ケイコ不足が響いた。休み明けを使って、状態はグンと上向いているから、今度は去年のリベンジができそうだよ」と不敵な笑みを浮かべた。 その昨年はトウショウナイトの前に4着と後塵を拝しているが、着差は0秒4。しかも「直線を向いて、さあ、これからという時に前が壁になり、一番外に持ち出して伸びてきた」と悔やむ同助手。 運不運は紙一重だが、あそこで前が開いていれば、上位争いに持ち込んでいたはず。はっきりいえるのは、決して実力負けではなかったということ。松本さんは「脚を余して負けた」と何度も繰り返した。 結果論だが、位置取りが後ろすぎたことが不利につながった。同じ轍は踏むまい。すべてを託された吉田隼騎手の腕の見せどころでもある。 2連覇を目指すトウショウナイト、捲土重来を期すネヴァブションの人気両馬は調子に“?”が付いて回る。もう一頭の有力候補・トウカイトリックもここが4カ月半ぶりの不利は否めない。 ハンデ54kg(前走比3kg減)もアドバンテージになるし、千載一遇のチャンスが到来した。 【最終追いVTR】Wコースで上がり重点に追われ、ラスト1Fは12秒7を計時。終いの伸び脚は実にシャープで、良化の跡は歴然。休み明けをひと叩きされ、万全の態勢が整っている。
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レジャー 2007年10月31日 15時00分
遠い記憶 八王子競馬場の歴史(3)
さて、前回の文末に記した、画期的な馬券「フォーカス馬券」とは…。その前に第2次大戦前後の八王子競馬の歴史から振り返っていきたい。 1935(昭和10)年、新競馬場への移転に伴い、八王子競馬を主催する「多摩八王子競馬会」は「多摩八王子競馬倶楽部」へと改称。さらに、1938(昭和13)年、開催権は「東京府馬匹畜産組合連合会」に移管されることとなった。 そして、日中戦争まっただなかの39(昭和14)年、「軍馬資源保護法」の施行により、多くの地方競馬場が閉場していったなかでも、八王子競馬は存続していた。ただ、従来の競走は「鍛錬馬競走」に改められた。 鍛錬馬競走とは、出走する農耕馬から軍事候補馬を選定し、戦地で使用するというもの。また、戦時中の競馬は馬事の知識普及、宣伝が目的…いわゆる観る競走だっただけに、観衆は集まらなかった。 44(昭和19)年、太平洋戦争の戦局の悪化とともに開催は減少し、ついに八王子競馬は中止に追い込まれる。しかし、45(昭和20)年の終戦に伴い、再び開催されるようになった。 46(昭和21)年、地方競馬法が公布されると、終戦直後の動乱に乗じ、地主や馬主、競馬関係者の間で不正に行われていた各地のヤミ競馬は排除されていく。それに代わって、競馬は主催者が馬匹連合会や馬匹組合が運営する「馬連競馬」へと移行していった。 このころ、誕生したのが「フォーカス馬券」である。戦後間もなく八王子競馬場で発売されたそれとは、出走馬を1枠から6枠の6つの枠に分け、1、2着馬の枠番を着順通りに当てるというもの。そう、今でいう「枠番単勝式」である。当時としては斬新なこの新馬券は、すぐさまファンに浸透する。 八王子競馬場は「多摩八王子競馬」として、46(昭和21)年10月、戦後初の開催が行われた。そして、47(昭和22)年には4開催(24日間)が行われ、入場人員12万2743人、売得金1億9254万円を記録した。この売上高は日本一で、「フォーカス馬券」がいかに人気があったのかが、よく分かる。 ※参考文献(大井競馬の歩み/悲運の多摩八王子競馬/八王子の歴史と文化)
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ミステリー 2007年10月30日 15時00分
ペルーに長年飛来し続けるUFO その目的は?
南米ペルー。この国をイメージする時読者の方々は何を思い浮かべるだろうか?荒涼とした山々、赤茶けた土、そして馬に乗った山岳民族たち。ペルーといえば南米を横断するアンデス山脈なくして語れない国だ。それだけに土の民族と言う印象があるが、実はこのペルーにもアマゾン川の源流が延びジャングルを形成。ジャングルには部落ごとに言語まで異なった民族がコミュニティをなしそれぞれの生活を営んでいるのだ。日本人にはなじみのないこのペルーのジャングル民族。彼らの生活をドキュメントする取材クルーのスタッフの一人が取った写真に円盤タイプのUFOがしっかりと写されていた。さらに、そのスタッフが現地の人から聞いたUFOの実態が宇宙人たちの恐ろしい計画を裏付ける結果となりそうだ。NMR編集部ではこの取材クルーのスタッフの話を基に知られざるペルーのジャングルに潜むUFOの謎に迫る。 今回、こちらの写真を提供してくれたのはペルーのジャングルに取材に出かけた日本のスタッフ…仮にK氏としておく。K氏は番組の取材として日本人にはなじみの薄いペルーのジャングルへと旅立った。そこで繰り広げられる原住民たちの生活は文明とはかけ離れた原始的なものだというが、最先端技術を操る我々が忘れてはいけない大切なものを持っていたと感想を語る。そのまだ旅の中盤、K氏が何気なく撮った写真にかなり鮮明にUFOとおぼしき未確認飛行物体の姿が確認された。色めきだつ日本人スタッフを横目に現地民たちは静観を決めこんでいた。K氏が現地民に写真を見せ事情を聞くと彼らの答えは意外なものであった! 「こんなものはしょっちゅう見るよ。しばらくここにいれば遠くない将来すぐに見れる。これはいつも決まって南の方角に消えてゆく。多分あの辺に基地があるのだろう。隣の村には実際に基地を見た事があるヤツがいるらしい」と彼らにとってUFOとの遭遇は万に一つの奇跡ではなく日常茶飯事の出来事だったのだ! 好奇心と言う名のアクセルが踏み込まれたK氏は矢継ぎ早にUFOについて現地民に質問した。以下はその時帰ってきた現地民の話を要約したものである。 「UFOはよく見かけるよ。うちのじいさんもUFOの話をしていたから昔からいたんだろうな。それより昔は、分からないな。長老の話にも宇宙人の話は出てこないし。俺は宇宙人に会ったことはないよ。この村のヤツで宇宙人に会ったヤツはいないな。UFOが飛んでいるのは昔からよく見るけど宇宙人と俺達が話をしたりってことはないな」 K氏が現地民から聞いた話はざっと以上である。残念ながらK氏の取材クルーの目的は全く超常現象絡みではないために今回はUFOの謎に迫ることはできなかったのだが、次にいつ行くか分からないジャングルの奥地だけに、調査に行かなかった悔いを残しつつUFO写真を私達の編集部に持ち込んでくれたのだ。しかし、この写真と現地民の証言が後日、意外な展開を見せるのである。 「これだけ生々しい証言は久しぶりですね。UFO研究の歴史に一石を投じる物と言って過言ではありません。」 そう語るのはおなじみNMRのご意見番ヤナギ・タカシ氏が紹介してくれた民間の研究所に研究員として勤務するN氏。専門は航空力学、アメリカ・イリノイ州シカゴにある研究所に在籍していたこともある。そのN氏の話によれば現地民の話には2つのポイントがあると言う。 「まずペルーのジャングルにUFOの基地がある可能性を示唆しているところ。これで南米のUFOがどこから現れどこに消えてゆくのか、長年の謎に一つの光明を与えた事になります。しかし、南米はブラジルなど他にたくさんのジャングルが存在します。なぜペルーなのか?今後の研究ではその必然性が焦点となってくるでしょう。さらに、驚きなのが現地民と宇宙人の交流がないということです。世界の民話にはその正体が宇宙人というものが多数語り継がれています。ジャングル奥地の文明の届かない世界ではなおさら口伝えの風習が残っているはず。その彼らが宇宙人との交流にまつわる話を聞いていないというのですから、これまで各地で伝えられてきた宇宙人伝説が根底から覆されることになるのです」 竹取物語、天狗伝説、日本にも正体が宇宙人とささやかれる民話は多数存在するが肝心の宇宙人が地球人との交流を望んでいなければこれまでの宇宙人に関する研究は根拠を失う事になる。 さらにN氏は話をこう続ける。 「UFOは飛来している。しかし地球人と交流を持つ気がない。この意味の重大性にお気づきでしょうか?」 地球侵略…。すぐさまわれわれの脳裏をよぎったのはその言葉だった。写真が証明するUFOの存在と地球人とアクセスせずにひっそりと潜む宇宙人。南米ペルーには我々が取り組まなければいけない多くの問題が山積していると言える。われわれNMRはその謎に迫るため来年早々にもペルーへの調査を決行しようと考えている。(写真(上)=スタッフの撮ったジャングル地帯でのUFO)(写真(下)=ペルーでは山岳地帯でも頻繁にUFOが目撃される)
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スポーツ 2007年10月30日 15時00分
ボクシング 坂田陣営に亀田騒動の思わぬ余波が。防衛戦に向けて暗雲が立ち込め始めた
WBA世界フライ級タイトルマッチ(11月4日、さいたまスーパーアリーナ)で、防衛戦に挑む同級チャンピオンの坂田健史が29日、都内の協栄ジムで練習を公開し、亀田騒動の余波の影響を否定した。しかし、ここにきて坂田陣営の大将格ともいえる金平桂一郎会長が不眠不休のテレビ出演でTKO寸前であることが判明。総力戦ともいえる世界戦で、坂田陣営に暗雲がたれ込め始めた。 亀田騒動の余波が防衛戦に挑む王者陣営に陰を落としているようだ。 報道陣の前でスパーリングを公開した坂田は4Rにミット打ちをこなし、金平会長からも「いいストレート」「ナイスボディ」と声が飛ぶほどの好調ぶり。坂田自身も「すごく体調がいい。いつもの試合ができる」と好仕上がりをアピール。亀田問題について言及されても「協栄ジムの良くないイメージを払拭したい。ボクシングを始めたいと思われるように憧れられる存在になれれば」とサラリと受け流し、あくまで順調さを強調した。 しかし、そんな王者の快調ぶりとは裏腹に協栄ジムの指揮官ともいえる金平会長が、亀田興毅と2人で開いた26日の会見から連日のテレビ出演の影響でタオル投入寸前のグロッキー状態。金平会長は「もうボロボロ。ちゃんと寝ないと死ぬ」と切実な叫びを訴えている。 会見当日からの4日間で合計14本、この日も公開練習前にも3本のテレビ出演をこなす超ハードスケジュールで睡眠時間も1日に2、3時間しか確保できてないという。金平会長自身も「きょうが何曜日かわからない」と焦点が定まらない虚ろな目でうわごとを繰り返すほどの疲弊ぶり。 金平会長の焦燥ぶりは、協栄ジム関係者も「精神的な疲労だろう。総理大臣からも苦言を呈されるほどで社会問題化してしまったからね。律儀な人だから出演オファーがあったものは全てこなした。一つ一つ言葉を選びながらしゃべらなきゃいけないから、そりゃ疲れる。このままじゃ、倒れかねないよ」と夢遊病患者のごとく足元がフラつくボスの身を案じるほどだ。 ジムに集まった近所の子供たちからは「あのおじさん、すごいクマだねえ!」と驚嘆の声が上がり、報道人の間からは「内藤大助VS亀田大毅戦以来、会長の目の下のクマが日ごとに1ミリずつ広がっている」と誠しやかにウワサされ始めている。 金平会長は「坂田の世界戦は再重要案件」と鋭い口調で力強く語ったが、ここまで心労がピークに達していては、坂田陣営の司令塔的な役割を全うできるのか一抹の不安も残るところ。 亀田騒動が一段落したのも束の間、協栄ジムの再出発となる坂田の世界戦に、会長がグロッキー状態という新たな懸念材料が浮かび上がってきた。
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スポーツ 2007年10月30日 15時00分
HERO'S 秋山成勲が吉田秀彦戦に出撃意欲
“ヌルヌル騒動”のみそぎマッチを制して大みそか「Dynamite!」出場を内定させた秋山成勲(フリー)が29日、韓国・金浦空港で囲み取材に応じ、対戦が浮上した1992年のバルセロナ五輪金メダリストでPRIDE戦士の吉田秀彦戦に出撃意欲を示した。 28日に行われた「HERO'S KOREA2007」でデニス・カーン(カナダ)を豪快KOで仕留め、見事復帰戦を白星で飾った秋山。その鮮烈KO劇にすぐさま谷川貞治イベントプロデューサーからは大みそか出撃要請とともに、吉田との柔道夢対決を猛プッシュされた。 この日は浮上した吉田戦について「僕が大みそか出ることを選択できる立場にない」としながらも「そりゃあ、吉田先輩と一緒にやれたら格闘技界にとっても良い起爆剤になると思います」と前向きに回答した。 吉田との柔道家対決ばかりか、ボブ・サップとの究極みそぎ決戦も取り沙汰されている反骨の柔道王。「正直、体重差がありすぎるのはちょっと…。でも柔道には柔よく剛を制すって言葉もありますしね」。そう複雑な心境を打ち明けた秋山には果たしてどんな大みそか決戦が待っているのだろうか。
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スポーツ 2007年10月30日 15時00分
ノア 秘策アリ! KENTAがROHニューヨーク大会での三沢光晴戦に向けて怪気炎
KENTAが11・3ROHニューヨーク大会での三沢光晴とのシングルマッチに向けて、三沢を孤立無援にするプランを明かした。 2006年にはROHのセミレギュラーとして活躍してきたKENTAは「米国はオレを成長させてくれた、第2の故郷」と人気の面では一日の長があると自負している。 もちろん三沢の初参戦で米国のファンたちが「日本のレジェンドが来る」と心待ちにしていることはKENTAも承知。しかし、KENTAには観客を一瞬にして味方につける秘策がある。 米国マットで絶大な人気を誇るのが、KENTAの必殺技go2sleep。「コールが起きるくらいに向こうのファンも技が出るのを待っていてくれている」と米国ファン垂涎の必殺技を繰り出すことで、一瞬にしてNYをホームグランドに変えてしまうという。 当然“レジェンド”三沢との一戦にも繰り出していく。「最後はgo2sleepで三沢さんを仕留め、ROHマットを熱狂の渦に巻き込んでやりますよ」と主役の座を渡すつもりは毛頭ない。 「丸藤(正道)、森嶋(猛)、同じ世代でまだ超えられない壁を誰よりも先に乗り超えてやる」。GHCヘビー級選手権試合として行われることが濃厚とあって、KENTAは「第2の故郷」で孤立させた三沢から、ベルトもろとも時代をつかみ取るつもりだ。
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芸能 2007年10月30日 15時00分
笑福亭鶴瓶の月収2700万円発言 実は明石家さんまの収入額だった!?
ビートたけし、タモリと並んでお笑い界の“ビッグ3”と呼ばれて久しい明石家さんま(52)。芸能界のトップをひた走る彼にも頭の上がらない先輩は存在する。その一人、笑福亭鶴瓶のある発言が波紋を呼んでいる。 「先日も“Fカップ・キャバクラ嬢”に手切れ金600万円を支払ったと報じられたさんま。女遊びも、仕事量も、そして稼ぎの方も、すでに先の2人の先輩をとうに追い越しています。今のさんまには、怖いものなど、ほとんどないと思われます。長澤まさみと共演したいといえば、実際に共演できてしまうわけですから」(芸能ライター) そんな中、現在テレビ5本、ラジオ2本のレギュラーを抱える人気落語家でタレントでもある笑福亭鶴瓶には、さすがのさんまも今もってさからえないという。 「4〜5年前までは、テレビの生放送中にチ×チ×を露出したり、泥酔して寝込むなどして、“悪瓶”の異名もあった鶴瓶ですが、このところは、小朝、志の輔らとともに落語の勉強にも余念がありません。さんまが駆け出しのころから公私共に“兄さん”と慕う間柄です」(同) 今、さんまのデビューが“笑福亭さんま”という名の落語家であったことを知る人は少なくなってきている。 「この名前で7席ほど落語をやったのですが、そのうちの1席のビデオを鶴瓶が持っているんです。幻の一品というか、お宝というか、さんまにとっては知られたくない過去の映像です。落語家としては、あまり才能がなかったんですから」(同) その後、さんまは師匠、笑福亭松之助の出身地にちなんで明石家さんまと改名。漫談、プロ野球選+手の形態模写などを経て今日の地位へと成り上がってきたというわけだ。 「面倒見のいい鶴瓶師匠は、よく合コンを開いてさんまさんに女の世話をしていたそうです。気に入ったコがいたら“大根大好き”、ダメなら“ニンジンきらい”というサインを決めてやっていた。ですから、さんまさん、今でも鶴瓶師匠には頭が上がらないんです」(芸能リポーター) そんな鶴瓶が、先ごろ自分がメーンDJを務める関西ローカルのラジオ番組で「わしの月収は2700万円」と告白したため、一部マスコミでも報じられた。 「この数字、実はさんまさんの月収ともっぱらのウワサです。鶴瓶さんが面白がって言う分には、さんまさんも何も言えませんでしょうから」(同) やはり、稼ぎだけはさんまにはかなわない!?
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芸能 2007年10月30日 15時00分
米倉涼子 ヒデとの熱愛否定
女優の米倉涼子(32)が29日、都内で行われたスイスの腕時計ブランド「ラドー」の50周年記念パーティーに出席した。 黒のドレス姿の米倉は、浦和レッズの鈴木啓太選手(26)のエスコートで華麗に登場。 6年前に中田浩二選手(28)との交際が報じられ、最近も引退した中田英寿氏(30)との深夜デートがキャッチされた米倉は「サッカーは小さいころから大好きで」と苦笑い。中田氏との関係についても「朝まで飲んでいるお友だち。たまにしか帰ってこない人と恋愛なんてできません」と熱愛を否定した。(写真=「ラドー」のイベントに出席した米倉涼子と浦和・鈴木啓太)
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芸能 2007年10月30日 15時00分
2008東レ水着キャンペーンガール・中別府葵「スク水しか持ってません」
タレントの中別府葵(17)が2008東レ水着キャンペーンガールに選ばれ29日、都内でお披露目された。 6パターンの水着を身に付け、身長173cm、上から80・61・80のボディーを披露。ファッション誌「mina(ミーナ)」の専属モデルで活躍し、仕事ではカラフルな水着を身に着けているが「私生活ではスクール水着しか持ってないんです」。(写真=東レキャンペーンガールに選ばれた中別府葵)
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レジャー
アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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芸能
よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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芸能
マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
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芸能
中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
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芸能
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1980年09月26日 22時06分
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1970年09月27日 12時20分
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芸能
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1970年09月26日 22時43分
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芸能
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1970年09月26日 22時28分
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芸能
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1970年09月26日 22時10分