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スポーツ 2007年10月24日 15時00分
カウント2.99 エメリヤーエンコ・ヒョードル移籍の真意、亀田一家が総合格闘技に転向
今月15日に日本総合格闘技(MMA)協会、コミッション委員会、株式会社ワールドビクトリーロード(WVR)の設立が発表され、PRIDEの事実上の消滅以来、日本の総合格闘技界がにわかに騒がしくなってきた。そこで本紙の名物企画「緊急会議カウント2.99」(不定期掲載)を開催。総合格闘技界の今後を占った。 デスク→元ヤンの敏腕デスク。アフター5は部下と不倫疑惑が浮上中。 A→内外が誇るメガネのエリート記者。仕事はできるがオナニー三昧。 B→毒舌全開のノーフィアー記者。知ったかぶりがタマにキズ。 C→女装が趣味の新宿2丁目出身記者。今日もセーラー服でご出勤。 B チーッス。最近何だか格闘技界が騒がしいことになってますなぁ。 デスク 何がチーッスだ!?こんがり日焼けしやがって!ボクシングの亀田騒動、MMA協会の設立と、てんてこ舞いの時期にノン気にカノジョとグァム旅行とはどういうこっちゃ!?しかも、税関でいかがわしいDVDを没収されたらしいじゃねぇか。 B デスクへのお土産に、と思ったんッスけど…。まあ、チョメチョメなDVDは没収されちゃいましたけど、ちゃんと米国発の情報は持ち帰ってきましたよ。 A どういうこと? B 「Fight Sport」って米国の格闘技雑誌を買ってきたんだ。なんと、エメリヤーエンコ・ヒョードルのインタビューが掲載されてんだ。しかも、結構面白い事をしゃべってるぜ。 デスク 去就が注目されるヒョードルはどんな事をしゃべってるんだ? B まずPRIDEについては「将来が不透明だから…」とバッサリですわ。UFCについても「ダナ・ホワイトは私の意見を理解していない」とあまりいい印象を抱いてはいない様子だなぁ。 A で、移籍先は? B Bodog Fightについては「色んな興味のある選手がいる。可能性を感じる」と終始ベタ褒めですわ。こりゃー、Bodog本格参戦で間違いねえな。 C 甘いわね。日本時間23日になってエメヒョーが米国の新総合格闘技イベント「M-1グローバル」と2年6試合の契約を結んだと、同イベントのオフィシャルサイトで発表されたわよん。 A M-1グローバルといえば、UFCを離脱した元UFCヘビー級王者のランディ・クートァの参戦もささやかれているだけに、ヒョードルとの夢対決があるかもしれませんね。 デスク UFCではブロック・レスナーが契約を交わしたな。元WWEスーパースターで、元IWGPヘビー級王者がオクタゴンでどんな闘いを見せるか楽しみだ。一方、MMA協会とWVRが手掛ける新イベントはどうなっているんだ? A 大みそか、もしくは来年2月の開催が有力といわれていますが、まだ何も見えないという印象。吉田秀彦らをマネージメントするJ-ROCKが協力しますが、國保尊弘代表は「吉田参戦?選択肢の一つ」と語るにとどまりました。 B MMA協会は日本レスリング協会会長でもある福田富昭氏が会長を務めているだけに、レスリング出身の五味隆典、藤田和之、山本“KID”徳郁が参戦って話も誠しやかにささやかれる。 C でもアンタ、日本総合格闘技協会の理事にチョッチュネもいるわ。 デスク んっ、チョッチュネ?ああ、元WBA世界ライトフライ級チャンピオンの具志堅用高か。それがどうした? C カメちゃんよ。世間をにぎわせている亀田家の参戦なんて話が出てくるかもよん。なんてったってチョッチュネが理事でボクシング界に太いパイプがあるんだから、亀田家の総合格闘技転向、新イベント参戦なんてこともアリじゃないかしら。 A 仮にそれだけの面子が集まったらすごいイベントですね。絶対に成功間違いなしでしょう。 B それでヘグッたらそれこそ切腹もんだな。
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スポーツ 2007年10月24日 15時00分
Dynamite!! 成功に3つの不安要素が発覚
今年で5年目を迎える大みそか格闘技の祭典「Dynamite!!」(12月31日、京セラドーム大阪)の開催会見が23日、東京・赤坂のTBS本社で行われた。桜庭和志VS船木誠勝の第一弾カードこそ発表されたが、一方で目玉だったはずのヒクソン・グレイシーの参戦が見送られ、さらには亀田問題の影響もささやかれ始めている。 この日の会見には谷川貞治イベントプロデューサーとTBSの信国一朗取締役事業本部長らが出席。7年ぶりにリング復帰する船木VS桜庭戦の正式決定とともに、参戦予定だったヒクソンの襲来延期も濃厚となり、谷川EPが「最後までどうなるかわかりませんが、ヒクソンは契約の過程で大みそかは厳しくなった」「桜庭と船木の勝者に来年最初の興行でヒクソンと対戦してもらおうと思う」などと説明した。 第一弾カードとして桜庭VS船木の一戦こそ決まったものの、肝心要のヒクソンが参戦見送りとなればトーンダウンの感は否めない。昨年の秋山成勲によるヌルヌル騒動や放送局のTBSが現在ボクシングの亀田問題で火種を抱えているだけに、大会を成功できるどうか不安要素があるのだ。 同社の信国事業部長は同問題を踏まえながらこの日「色んな批判を頂き、反省していますが、ボクシングはK-1とは違う格闘技。その点ダイナマイトには5年の歴史もありますし」と答弁してみせたが、会見では亀田問題で揶揄(やゆ)される一幕もあった。 ヒクソン襲来見送りに加え、亀田問題、さらには事実上消滅したPRIDEの男祭りとの兼ね合いからも不穏なムードが漂う今年のDynamite!!。それでも「視聴率も去年ぐらいは取れるでしょう」とTBSサイド。さらなるサプライズがあるのか、今後ダイナマイト級のカード発表に期待したいところだ。
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スポーツ 2007年10月24日 15時00分
エメリヤーエンコ・ヒョードルが米国の新総合格闘技イベントと契約
PRIDEの事実上の消滅で、その去就が注目されていたPRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)が、米国の新総合格闘技イベント「M-1グローバル」と2年間、6試合の契約を交わしたと、同オフィシャルサイトで発表された。 M-1グローバルはPRIDEのルールを踏襲し、早ければ来年2月にも米国内で旗揚げされる予定。最高顧問には過去にUFC王者を7人輩出してきた名マネージャーのモンテ・コックス氏が就任しており、UFC系ファイターとのパイプがある。ヒョードルとの対戦を熱望し、UFCを離脱したランディ・クートァとの対戦がにわかに現実味を帯びてきた。
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スポーツ 2007年10月24日 15時00分
NOSAWA GENOME ノサワがミゲルとペペにゲイ化指令
エル・ノサワ・メンドーサが23日、最終自主興行「NOSAWA GENOME ザ・ファイナル」(11月8日、新木場1stRING)の対戦カードを都内のスタジオで発表。主催者権限でミゲル・ハヤシジュニア&ぺぺ・みちのくをゲイ化すべく、新宿二丁目への強制連行をぶち上げた。 「今回を最後にします」とノサワは自主興行の突然の打ち切りを宣言。さらに、主催者権限で「ニュージェネレーションGX(ゲイエクストリーム)」の男色ディーノ&MEN'sテイオーVSペペ&ミゲルを決定させた。 ノサワの傍若無人ぶりは止まらず「目には目を、ゲイにはゲイを。今週金曜日ママさんの都合がつけば、新宿二丁目で特訓やります」とペペ&ミゲルを二丁目特訓でゲイ化させるつもりだ。 この決定にペペ&ミゲルは不満顔。この一件でメキシコアミーゴスに分裂の危機!?
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その他 2007年10月24日 15時00分
プレゼント 全日本プロレス2008カレンダーを1名に
ノサワから「全日本プロレス2008カレンダー」を1人にプレゼント。 ※応募は締め切りました。
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レジャー 2007年10月24日 15時00分
天皇賞・秋 追い切り メイショウサムソン 王座奪回へ意欲
王座奪回の時がきた。「第136回天皇賞(秋)」(GI 東京芝2000m 28日)の追い切りが行われ、メイショウサムソンが文句なしの仕上がりをアピールした。インフルエンザの陽性反応で凱旋門賞挑戦は断念したが、その後はいたって順調。宿敵アドマイヤムーンの後塵を拝した宝塚記念より状態は上だという。ベストの2000m、ダービーを制した思い出の舞台で、4つめのGIタイトルを奪取する勢いだ。 静の仕上げだ。これまで実戦の前には一番時計を連発してきたメイショウサムソンが、ゆったりと最終調整を終えた。 「単走で終いだけ軽くやればいい。これまでのように速い時計を出す必要がないぐらい」と高橋成師はうなずいた。 宝塚記念の後、この秋は仏・凱旋門賞挑戦を早々と表明。しかし、馬インフルエンザ禍の影響をモロに浴びた。美浦の検疫厩舎に入ったまでは良かったが、なんとインフルエンザの陽性反応が出てしまった。幸い発症はしなかったため一縷(る)の望みを託し、福島競馬場に移動するという「裏ワザ」を繰り出したものの、それでもパリへの扉が開かれることはなかった。 その時点で秋の最初のターゲットは天皇賞に設定された。しかし、輸送制限などもあり、アクシデント後のぶっつけ本番でどこまで仕上がるか。520kg近い大型馬だけに不安が募ったが、見事な仕上げを施された。 あばらがうっすら浮き上がる研ぎ澄まされた褐色の馬体。新コンビを組む武豊が騎乗した17日の1週前が圧巻で、休み明けの不安は皆無といっていい。 宝塚記念は悔しい結果に終わった。皐月賞、ダービーと退け続けたアドマイヤムーンに競り負けた。だが、当時とはデキが違うと師はいう。 「(目いっぱい走った)春の天皇賞の後で、やっと間に合った感じだったあの時より、状態は数段いい。きっちり体調さえ整えば、それに見合った競馬をしてくれる。体が引き締まっている今回は十分力を出せるでしょう」 舞台は東京。ダービーを制した思い出の場所だ。しかも今回は<2100>とベストの2000mで戦える。前走まで鞍上を務めた石橋守が「2000mなら思い通りの競馬ができるし、勝負どころからの反応が違う」と絶賛していたほど。子供のころから仲のいい後輩・武豊にもその感触は伝えられているはずだ。 その武豊にとってもアドマイヤムーンは、主戦から下ろされるという苦い経緯があった。 絶対に負けられない戦い。人も馬も、この勝負にかける思いは強い。 【最終追いVTR】DWコースで6F84秒8、上がり3F38秒7→12秒2(馬なり)。1週前にビッシリ追い切られている関係で、今朝は軽く息を整えただけ。それだけ体ができている証拠で、最後まで武豊の手綱はガッチリと抑えられたままだった。馬体の張りは文句なし。久々も100点満点の仕上がりだ。
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レジャー 2007年10月24日 15時00分
アドマイヤムーン・天皇賞追い切り
秋のGIシリーズの第4弾は最強古馬決定戦「第136回天皇賞・秋」(GI 東京芝2000m 28日)。出走各馬の最終追い切りが今朝、東西のトレセンで行われた。なかでも、注目を集めるのは宝塚記念に続くGI連覇に向け復帰するアドマイヤムーンだが、今朝の追い切りは、やや物足りない印象。ラストの伸びを欠き、久々の不安をのぞかせた。 王者のオーラが漂っている。宝塚記念で念願の国内GIをゲットしたアドマイヤムーンが、満を持して登場する。 「何も変わっていないよ。いつも通り。レース間隔があいても力を発揮できるタイプだし、心配ない」 泰然自若。松田博師はゆったりと笑みを浮かべた。その前走は文句なしの強さだった。雨中の決戦、1コーナーでごちゃついたり、折り合いを欠く馬も続出した乱戦だったが、後方から大外を一気に駆け抜けた。粘るメイショウサムソンをまったく問題にしなかった鬼脚。着差は半馬身とわずかだったが、「どこまでいっても変わらなかっただろう」と自信満々に振り返った。 この中間も順調にきた。放牧先の北海道ノーザンファーム、そして栗東に戻っても丹念に長めを乗り込まれてきた。終い1Fは12秒前後の切れ味を連発している。 「ひと追いごとに体が引き締まってきた」と師がいえば、ケイコ担当の馬場助手も「予定通りの調整ができているし、追い切りと輸送でベストの体に持っていける」とうなずいた。 息の長い末脚は東京の直線に合うはず。「注文のつかないタイプだからどんな競馬でもできるけど、確かに東京はいい。2000mもね」と馬場さん。 負ける要素が見当たらない。そういいたげな自信をみなぎらせていた。 【最終追いVTR】強気に構える陣営とは対照的に、直線で追われてからいつもの切れが見られなかった。DWコースで6F86秒9、終いを重点に1Fは11秒6。ラストは時計だけ見れば悪くないが、併走馬相手に何とか併入するのが精いっぱい。ケイコの動きが実戦へとつながるタイプだけに今朝の平凡な動きは気になるところだ。
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レジャー 2007年10月24日 15時00分
遠い記憶 八王子競馬場の歴史(2)
1928(昭和3)年11月、八王子競馬場の第1回開催の出走馬は179頭、入場人員は3万2466人に上り、売上高15万8165円を記録した。 この成功を受け、初年度は4日間だった開催日数は、翌年からは春秋3日間ずつ、計6日間に増やされた。その後、出走頭数、入場人員、売上高とも八王子競馬は順調に数字を伸ばしていった。そこで、現状の施設では手狭となった競馬場に移転案が持ち上がる。 移転先をめぐっては、近隣農民の反対の声などもあり、一筋縄ではいかなかったが、最終的に現在の八王子市と日野市の境目、甲州街道とJR八高線(八王子〜北八王子間)が交差する付近の日野市旭が丘2丁目〜6丁目付近に落ち着いた。 こうして34(昭和9)年、総面積8万坪の新競馬場が建設された。馬場は2万坪で1週1600m、幅員30m。現在の競馬場の規格に比べても見劣りしない立派なコースだった。 ところで、戦前の八王子競馬の馬券はどのようになっていたのであろうか。当時、地方競馬は正式な馬券を発売することが認められておらず、それに相当するものとしてあったのが、「優勝馬投票券付入場券」。この入場券には1〜12枚の投票券がついており、当然、その枚数によって値段が違った。また、投票できるのは1競走につき1枚1円と決められていた。当初は単勝のみで、配当は最高10倍まで。しかも、当たっても現金が払い戻されるのではなく、相当分の商品券がもらえるという仕組みだった。 その後、この入場券は1枚につき、馬券が1枚、つまり一人1回しか馬券が買えない方式となった。その引き換えとして、配当金は公認競馬(現在の中央競馬にあたる)並に引き上げられる緩和措置が取られた。 こうして馬券の発売に関しては、試行錯誤が繰り返された。そして、誕生したのが今日の馬券の礎ともいえる「フォーカス馬券」だった。次回はこの「フォーカス馬券」の“正体”を中心に綴っていきたい。 ※参考文献(大井競馬の歩み/悲運の多摩八王子競馬/八王子の歴史と文化)
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レジャー 2007年10月24日 15時00分
遠い記憶 八王子競馬の歴史(1)
東京競馬場が建設されるはるか前、東京・三多摩地区にもうひとつ競馬場が存在していたことをご存知であろうか。1928(昭和3)年に産声をあげた八王子競馬場がそれである。 時は大正時代にさかのぼる。当時の東京府南多摩郡小宮村中野(現八王子市中野町、中野上町付近)では、神社の祭礼の余興として「お祭り競馬」が催されていた。 近隣の農家が自家用の農耕馬を出走させ、村の若衆がジョッキーを務める草競馬である。が、侮れるなかれ。この草競馬は東京、横浜などからも見物客が集まるほどの盛況ぶりだった。そんな折、27(昭和2)年、地方競馬規則が制定されると、当地ではブームに乗って「多摩八王子競馬会」が設立された。 ただ、その当初は地方競馬規則により、東京府内に認められた競馬場は1カ所だけであった。当時の東京には9つの馬匹畜産組合があり、競馬開催をめぐって争奪戦が展開された。 そこで、これらを統括する立場にあった東京府馬匹畜産連合会は、事態の収拾に動き出す。競馬事業の一層の振興を目指し、農林省に対して東京府内に新たに2個所、計3箇所の競馬場が建設できるよう規約の改正を求める上申を行った。それに伴い9つあった馬匹畜産組合を荏原・豊多摩・東京、江東・足立・北豊島、八王子・西多摩・南多摩の3組織に統合した。間もなく農林省は新たに1箇所の競馬場建設を許可を出す。 こうして八王子市、南多摩郡、西多摩郡によって組織された「多摩八王子競馬会」(事務所・八王子)は、28年(昭和3)年8月25日、競馬施行許可を受けた後、小宮村西中野に1周1000m、幅員16mの八王子競馬場を建設。この年の11月17日、「第1回多摩八王子競馬」が施行された。 ※参考文献(大井競馬の歩み/悲運の多摩八王子競馬/八王子の歴史と文化)
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ミステリー 2007年10月23日 15時00分
ツチノコ捕獲法
ツチノコを捕獲する方法がネット上で売られている!われわれNMR編集部ではツチノコに関する情報を以前から集めていたが、読者の方からのお便りで、あるホームページにたどり着いた。なんと、そのHPでは幻の珍蛇「ツチノコ」を簡単に捕獲できる情報を、希望する人に有料で提供するという内容のものだった。あのツチノコが簡単に捕らえられる…。もしそれが事実ならば日本中を騒動に巻き込む大事件である。果たしてツチノコは本当に存在し、簡単に捕獲できるのかNMR編集部は実際にそのホームページを運営する(株)未知のオフィス代表・道野隆司氏に直撃してみた。 「もし、あなたが幻の珍蛇「ツチノコ」をいとも簡単にラクラク、即効で捕獲することが出来たとしたら、あなたの人生激変しますか?」この衝撃的な前文で始まるホームページ。(株)未知のオフィスが運営するホームページ(http://www.michioseibutu.com/tuchinoko/)ではなんとツチノコを簡単に捕獲できる情報を提供するという旨が記載されていた。 ツチノコといえば江戸時代からその存在がささやかれ多くの人が目撃し捕獲にチャレンジ、しかし、いまだに公式にはその存在が認められず幻の生物として知らない人はいないUMAだ。 日本人のツチノコ人気は依然高く、この幻の生物捕獲を町おこしに利用しようと多くの自治体で「ツチノコ捕獲イベント」を多額の経費をかけ開催するなど笑うに笑えない社会事象まで巻き起こしている。 この「ツチノコ」が簡単に捕獲できる…。もしそれが事実ならば大事件である。はやる気持ちを押さえNMR編集部は道野氏からお話を伺った。まずは冷静にならなければ…。きちんと順序を踏み、一体どこから「ツチノコ捕獲情報」を手に入れたのか? という質問からインタビューを始める。 道野「実際にツチノコを2匹捕まえたという、とある山寺のご住職から入手に成功したんです」 実際にツチノコを捕獲した住職…!?それは一体誰なのか?しかし捕獲の情報に触れる内容については答えられないという返事が返ってくる。ただ、捕獲情報を扱う道野氏が実際にツチノコを捕獲していると考えるのは不自然なことではあるまい。われわれは当の道野氏がツチノコを捕獲したのかどうか尋ねてみた。 道野「お恥ずかしい事にまだなんです。ただ珍しい蛇は捕獲しました。私が捕獲するのも時間の問題です。そして、情報入手先のご住職に至っては2匹捕獲しています」 では一体、なぜその情報を一般にリリースすることにしたのだろう? 「それにはいろいろありますが、まず、私自身がツチノコを見たい。誰でも良いからツチノコを発見して欲しいという強い願望でしょう。さらにたまたまご紹介いただいたそのご住職のツチノコに対する熱き思いを世に広めるため、最後に日本中の少年少女へ夢を持つことの大切さを伝えたりツチノコを発見というニュースをきっかけに人々が今一度、自然に目を向け環境保護に興味を持ってくれればと考えての事です」 ツチノコや自然について熱く語る道野氏。では、実際にこれまでの反響はどうなのだろう? 「情報のご購入者からは、家族で楽しくツチノコ探検に出かけたり、今まで興味がなかった方でも、ツチノコにハマったりと、手前味噌ながら、絶賛いただいております。推薦文もホームページ上に掲載しています」 ???…。我々の胸をよぎる嫌な予感。その情報を元にツチノコ捕獲に成功した人がいるのかどうか?インタビューは核心に迫る。 「現在まで報告としては聞いていません。見つけても秘密にしておこうと考える人が多いのでは?この情報の意義は見つけた、見つけないではありません。よって当方としても聞く意味が無いのです」 さらに熱く語る道野氏のツチノコに対する想いはとどまる所を知らない。 「ツチノコがいる、いないレベルの話はナンセンス。ツチノコはいるんです!私の本当の使命は、ツチノコが発見された後、大自然の大切さを訴えることができるのか、その部分に焦点を当てています。ツチノコこそが人間の心を優しくし夢を与えてくれるのです」 われわれは最後にその情報の最も重要な部分は何か?道野氏に尋ねた。 「あなたのお住まいの近所にもツチノコがゴロゴロ生息していることがわかっていただけるところではないでしょうか」 ツチノコ捕獲にかかわる直接の情報に関する質問はいっさいNGという難しい状況の中でのインタビューであったが結局その情報を元にツチノコが捕獲できるのかどうかについて確認することはできななかった。「ツチノコが簡単に捕獲できる」道野氏がこの国家機密級の情報をつかさどるフィクサーなのか単なるエコロジストなのか…。その答えはいまだ闇の中である。 ただ、ツチノコの捕獲が我々の社会に明るさを与え自然保護への取り組みを促すきっかけになる可能性があることは疑いようがない。(写真(上)=「門外不出のツチノコ捕獲秘伝」というHPを開いている道野隆司氏。無料メールマガジンも発行している)(写真(中)=道野隆司氏が描いたツチノコの絵。従来から指摘されているツチノコの特徴がそのまま表れている)(写真(下)=道野氏のHPから申し込むと秘伝のツチノコ捕獲法がPDFファイル形式で全160ページ送られてくる)
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