スポーツ
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スポーツ 2018年04月25日 16時00分
大谷翔平の打撃を劇的に変えた「13ミリの差」
わずか「13ミリの差」がエンゼルス・大谷翔平(23)を劇的に変貌させた。 4月13日(現地時間)の対ロイヤルズ戦で、打者・大谷は打順を一つ上げ、「7番指名打者」で先発出場。1点を追う8回、低めの変化球をセンター前に弾き返し、メジャー3度目のマルチヒットをマークした。 後続も続き、大谷が決勝のホームを踏む。『翔タイム』は、鮮やかな逆転勝ちで完結した。 「平日のデーゲームでも4万人強を集客しました。大谷目当てなのは言うまでもありません」(特派記者) ここまで「打者・大谷」は30打数11安打(打率3割6分7厘)、打点11、本塁打3。「投手・大谷」は2試合に先発し、2勝。防御率2.08と、二刀流のどちらも絶好調である(16日時点)。しかし、こんな短期間で変われるものだろうか。オープン戦は打率1割2分5厘、防御率は27.00で「高校生レベル」とまで揶揄された二刀流は、劇的にバージョンアップしてみせた。 「大谷はオープン戦後半から右足を上げない“すり足打法”に変更しています。彼の言葉を借りると、『無駄を省く』。メジャーのスピードボールや手元で揺れるムービングボールに対応するためです」(同) それだけではない。大谷を変貌させたのは、「13ミリ」の進化であることが本誌調べで分かった。 キャンプ中の2月19日だった。同日から野手組もキャンプに合流した。彼らも二刀流に興味があったらしく、打撃ゲージの後ろで順番待ちしていた大谷のもとに集まり始めた。 「何人かの選手が話し掛けていました。大谷が日本から持ち込んだ黒塗りのバットを借り、しばらく談笑していましたよ」(現地入りした日本人記者) 一見、ごく普通のキャンプ光景だ。しかし、これが今日の大谷の活躍を示す予兆でもあったのだ。 「昨秋、メジャー挑戦が決まるのと同時に、大谷はニューモデルのバットを注文していました。高校時代から愛用していたのは34インチでしたが、33インチと1/2に変更したいとのことでした」 旧在籍チームの日本ハム関係者がそう言う。重さ、グリップの太さなどは変えていない。バットを短くしたのは“すり足打法”と同じく、メジャーのスピードボールに対応するためだ。 「メジャーのスタンダードサイズは34インチ(約86センチ)です。33インチと1/2を使用している選手もいないわけではない。33インチに関してはディープな支持層というか、コアな愛用者が多いようです」(前出・特派記者) 33.5インチ。大谷がこの約13ミリ短くしたバットを使いこなせるようになったのは、オープン戦終了後なのだ。 わずか13ミリ…。バットの芯の箇所がそれだけ手元にくれば、自身は仕留めたつもりでいても、飛距離が出ないが、すり足打法が体に馴染むにつれ、13ミリほど手元にきた芯の箇所でも、ジャストミートできるようになったのだ。 「大谷がバットを短くしたのは正解です。短くなった分、メジャー独特の小さく変化するボールにもうまく合わせられるようになり、ストレートがきたと思ってバットを出し、途中からカットボールだと分かると、バットのヘッドをわずかに下げ、対応しています」(前出・日本ハム関係者) グラウンド外の大谷だが、エンゼルス首脳陣に怒鳴られたこともあった。大谷は月約4700ドル(約39万円)のマンションに住んでいる。メジャーリーグの新労使協定により、25歳以下の外国人選手はマイナー契約しか交わせないと決まったから質素な暮らしをしているのだが、エンゼルスの本拠地球場とは、クルマで10分ほどしか離れていない。 「自転車を買って、それで通いたいと球団に相談したんです。球団スタッフがクルマで送り迎えしていたので、何か不満があったのかと思い、詳しく聞き直したら、『景色がキレイだから』『気持ちよさそう』と言うんです。『パニックになるからやめろ!』と怒鳴られていました」(エ軍関係者) 全米野球ファンの注目の的という自覚がないのだろう。そういう無垢なところも好感が持たれている。 また、食生活だが、今は球団が雇った栄養士の世話になっている。その栄養士が1週間分の朝飯と夜食を作り、それを1食分ずつタッパーに入れてもらい、冷凍保存しているそうだ。エスニック系のスープ、パスタ、豚肉多めの野菜炒めなどがお気に入りとのことだが、毎朝、電子レンジでチンして“1人メシ”…。前出の日本ハム関係者によれば、近く、母親も渡米する予定だという。 「昨年1月、大谷は元DeNAの三浦大輔氏とテレビ番組で対談しました。当時、22歳。三浦氏が『オレは22歳で結婚した』と話すと、物凄く驚いていました。大谷はまだ子ども」(同) フォークボール系の変化球・スプリットも、メジャーリーグの使用球に馴染むにつれ、鋭さを増してきた。米ファンの関心は「この快進撃はどこまで続くか?」に移っている。13ミリの誤差を修正した今、一気に調子を落とすことはなさそうだ。「何年ぶりの快挙」ではなく、大谷流で新たな歴史を切り開いてほしいものだ。
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スポーツ 2018年04月25日 12時50分
鉄人逝く。連続試合出場の記録を築いた「心技体」
広島東洋カープの黄金期を支え、「鉄人」の異名も持つ衣笠祥雄氏が永眠された(4月23日)。71歳だった。 「鉄人・衣笠」といえば、フルスイングと「連続試合出場」の記録で知られている。1987年6月13日、ルー・ゲーリックが持っていた連続試合出場の世界記録(当時)を更新し、2131試合出場とした。その記録は引退する87年まで継続された。その記録、2215試合連続出場は歴代日本1位で、世界でも2位となる大記録だ。 緒方孝市監督が広島の指揮官に就任した15年から優勝した16年に掛け、氏の書籍をまとめるお手伝いをさせていただいた。その打ち合わせや編集作業の合間だった。「連続試合出場」の思い出話も聞かせていただく機会にも恵まれた。 連続試合出場のピンチは、主に2つあったという。ひとつは怪我、そしてもうひとつは、不振によるものだ。 前者は「心」で乗り越えた。79年8月、巨人・西本聖投手からデッドボールを受け、左の肩甲骨を骨折。その翌日、ドクターストップを振り切って代打出場したエピソードは有名だが、氏はこんなことも話していた。 「だって、申し訳ない…」 死球を受け、球場から病院に直行した。その際、氏に帯同したチームトレーナーが「こんなことで(記録が)止まってしまうのか…」と、悔し涙を見せたそうだ。 氏が繰り返し教えてくれたのが、記録は自身のものではなく、大勢の仲間、球団スタッフ、ファンに支えられてできたものだということ。トレーナーは氏や広島選手がベストコンディションで試合に出られるよう、裏方で尽力してきた。「この人たちから受けたご恩に応えるためにも」の思いが、翌日の”強行出場”へとつながった。骨折してもフルスイングをしてみせた不屈の精神力はさすがだが、「裏方スタッフやファンのために」と捉えたのは、氏の人柄だろう。 また、同年は極度の打撃不振でスタメンから外される試合もいくつかあった。代打、代走、守備固めなどで途中出場できたが、不振が長引けば、それもかなわない。不振脱出について聞くと、「心技体」の言葉を用い、こう教えてくれた。「スランプの原因は技術的な狂い、ズレ。だけど、ここを直してこうすればというふうに、単純にはいかないからね。スランプが長引くと、気持ちも滅入ってしまうし、怪我もそう。怪我で全力プレーができない自分の不甲斐なさを思うと、やはり気持ちが滅入ってしまう。最終的に『心』。気持ちが強くないと、乗り越えられない」 無理や体を酷使させる練習を押しつける精神論とは、全く違った。氏は哲学に触れるように野球とも向き合ってきた。 75年の初優勝、黄金期を築き上げていく当時の広島に関わったことができ、それは氏の誇りにもなっていた。広島市民球場、そこに集まったカープファンにも感謝していると言う。初優勝の思い出を訊ねたとき、「マツダスタジアムにも早く、歴史(=優勝)が刻まれるといいね」と語っていた。合掌。(スポーツライター・美山和也)
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スポーツ 2018年04月24日 21時30分
新日本ジュース・ロビンソン、来日3年目で初のシングル王座獲得なるか?
新日本本隊の人気外国人選手ジュース・ロビンソンが、後藤洋央紀が保持するNEVER無差別級王座に挑戦する。新日本プロレス4.27広島グリーンアリーナ・小アリーナ大会『Road to レスリングどんたく2018〜安芸の国 戦国絵巻〜』のセミファイナルに2人の対戦が組まれた。ジュースは昨年も後藤に挑戦しているが敗れている。“外国人ヤングライオン”は新日本へのプロレス留学3年目にして、念願のシングル王座獲得なるか注目が集まっている。 「俺はジャパン育ちじゃない。シカゴ育ちだ。そこで“WWF”を観て育ったんだ。でも、俺はWWEスーパースターじゃない。俺は自分で選んでニュージャパン・プロレスラーになった。そう、俺は変わったんだ。ニュージャパンのドージョーで徹底的に自分を磨いてハードな日々を過ごした。4月27日、広島の試合で、みんなの目を覚ませてやるよ。NEVER無差別級王座を獲ってやる。いいか、今の俺はアウトサイダーじゃない。ただのガイジンでもない。俺はジャパニーズ・プロレスラーなんだ」 23日の後楽園ホール大会で後藤との前哨戦を終えたジュースは、自らを“ジャパニーズ・プロレスラー”と称した。先日行われた『ニュージャパンカップ2018』では、高橋裕二郎、マイケル・エルガンを破り準決勝に進出。準決勝ではタッグパートナーでもある棚橋弘至に惜しくも敗れ、前日にエルガンも交えトリオを結成した際には試合後の握手を拒否した棚橋に嫌悪感を示した。「闘いは闘いだから、正々堂々とやりたいと思うけれども、明日の試合が終わった後で、自分たちの関係性は変わってくると思っている。友人ではなくなるかもしれないし、どうなるかはやってみなければ分からない」と話し、友情より勝利を優先させると誓っていた。 現在、ジュースが最も意識する存在は、IWGP USヘビー級王者(23日現在)のジェイ・ホワイトであることは言うまでもない。ジュースとジェイは、デビッド・フィンレーとともに“外国人ヤングライオン”として苦楽をともにした仲。昨年、王者だったケニー・オメガにG1クライマックスで勝利を収めた実績が認められ、3人の中で最初にUS王座に挑戦しした。しかし、アメリカでの武者修行を終えて今年“帰国”したジェイは一発でケニーからベルトを奪還してしまった。24日の後楽園大会ではフィンレーが挑戦するが、新日本マットで3年間闘い続けているジャパニーズ・プロレスラーとして、4大シングル王座はジュースにとって喉から手が出るほど欲しいタイトルのはずだ。 棚橋は「ジュースにはジョニー・エースのような華がある」と自身とのタッグを「21世紀の小橋(建太)&エース」と称していたことがあった。試合内容も年々良くなってきているのに連れて、会場人気も上がってきている。ファンもジュースのシングル王座戴冠に期待している。 ただ、こういうシチュエーションのとき、後藤は、とてつもない強さを発揮することが多いのも事実、だ。「俺はNEVERのベルトを背負うつもりで、日本を背負うつもりで戦うよ。オマエは何を背負うんだ?せっかくやるんだから、スケールでっかくいこうぜ」と堂々とジュースの挑戦を受けて立つ構え。4.27広島でジュースの笑顔は見られるか?取材・文 / どら増田写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2018年04月24日 17時45分
「せめて有識者を入れて」“土俵と女性”をテーマに理事会開催の日本相撲協会にネット上で議論
その重い腰が、ようやく上がったのかもしれない。 今月4日の舞鶴場所での「女性の方は土俵から降りてください」というアナウンスに端を発し、6日・宝塚場所での女性市長に対する土俵上でのあいさつ禁止、さらには8日・富士山静岡場所で行われたちびっこ相撲からの女子児童締め出しなど、“土俵上は女人禁制”という伝統が議論を呼んでいる角界。23日、騒動の渦中にある日本相撲協会は“土俵と女性”をテーマにした臨時理事会を28日に開くことを発表した。 複数メディアによって報じられた今回の一件。報道内容によると、この発表は前述の女性市長が“女人禁制”の伝統を見直す議論を始めるように協会・スポーツ庁に要請していた中での発表であったという。また、協会の広報部長を務める芝田山親方(元横綱・大乃国)も、これらの要請が臨時理事会開催の理由であるというニュアンスのことを説明している。 この臨時理事会で実際に“女人禁制”の伝統に手が加えられるかどうかはさておき、ひとまず議論の場が設けられることになった今回の一件。ただ、今回の一件を受けたネット上では「どうせ形だけの理事会だろ」「何も期待できない」「そもそも話し合えるだけの知識はあるのか」といった冷ややかな声が挙がっており、臨時理事会に対する期待値の低さが如実に表れている。 一方で、「伝統を世論で簡単に変更するのはどうなの?」「普段相撲なんか見てない外野のクレームで変える必要はない」「せめて第三者とか有識者を入れて」といった慎重論も少なからず見られる。“女人禁制”をはじめとした伝統の元、大相撲が今日まで生きながらえてきたということがこうした慎重論に繋がっているのかもしれない。 とはいえ、何も手を打たないよりは、今回のように話し合いの場を設けた方が良いということは確かだろう。28日の臨時理事会に出席する方々には、是非ともしっかりとした建設的な議論を行ってほしいものだ。
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スポーツ 2018年04月24日 17時30分
“虎退治”で好成績の巨人・岡本和真 今後のブレークは阪神戦以外がポイント?
オープン戦で打点王に輝くなど、開幕前から今シーズンのブレークが期待されていた巨人・岡本和真。現時点ではその期待に応える活躍ができているようだ。 22日の対阪神戦(甲子園)に「5番・一塁」で先発出場した岡本は、4回表に勝ち越しとなるタイムリーヒットをお見舞い。その後も5回表には試合を決定づける3ランホームランを放つなど快音を響かせた岡本は、この日5打数3安打1本塁打4打点の大活躍でチームの3連勝の立役者となった。 22日終了時点の打撃成績は打率.297・4本塁打・18打点・22安打と、ブレークへ向け着実に結果を残しつつある岡本だが、阪神戦では特に好成績を収めている。22日の試合を含め岡本は阪神戦6試合に出場しているが、この間に打率.417・3本塁打・13打点・10安打という驚異的な成績を叩き出している。チームがこの6試合で5勝1敗と大きく白星を先行させているのも、ひとえに岡本の貢献のおかげといっても過言ではない。 また、岡本は22日終了時点のセ・リーグ打点ランキングでもトップに躍り出ている。このままチームのポイントゲッターとして働き続け、オープン戦に続く打点王を獲得してほしいというのはファンの願いだろう。こうしたファンの願いを現実のものとするために、今後は阪神戦以外での内容が鍵を握ることになりそうだ。 岡本が阪神戦に強いというのは前述の通りだが、他のセ・リーグ4球団に対しては全て打率3割以下(DeNA.222・広島.222・中日.250・ヤクルト.273)と今のところ苦しんでいる。特に今季チームが1勝4敗とカモにされているDeNAに対しては、打率.222・0本塁打・0打点・4安打と阪神戦で見せる豪打が完全に鳴りを潜めているのが現状だ。ちなみに、岡本が唯一打点を挙げられていないのもこのDeNAである。 こうした状況をシーズン序盤である今のうちに打開することができれば、自身の成績のみならず、現在中日・ヤクルトと並び同率4位に甘んじるチームの順位も大きく上昇していくだろう。巨人の未来を担う若武者の今後に注目だ。
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スポーツ 2018年04月24日 12時10分
【追悼】全日本プロレス黄金期の番人、馬場元子元社長逝去
全日本プロレスの創立者で、1999年1月に亡くなられた故・ジャイアント馬場さんの夫人で、全日本の社長も務めていたこともある馬場元子さんが、14日に肝硬変で亡くなられていたと全日本が発表した。78歳だった。 元子夫人は馬場さんが存命中、長きに渡って全日本のハード面を仕切っていたこともあり、業界内では「怒らせてはいけない人物」と恐れられていた一方、外国人選手には「ミセスババ」として慕われる存在だった。しかし、選手のグッズなどは元子夫人が代表を務める別会社ジャイアントサービスが管理していたことなどから、日本人選手やスタッフとの衝突はたびたびあったとされ、それが原因となり、1990年の天龍源一郎らによるSWS(メガネスーパーが作った新団体)への大量離脱や、馬場さんが亡くなられた後に勃発した三沢光晴社長の退社と、プロレスリング・ノア旗揚げによる団体としては致命傷とも言える大量離脱劇を起こしている。 所属選手が川田利明と渕正信、太陽ケア、そして、スタン・ハンセンら外国人選手。スタッフもレフェリーの和田京平、リングアナの木原文人ら数名しか残留しなかったが、元子夫人は「馬場さんが作った全日本プロレスを潰すわけにはいかない」と、これまで決して許すことがなかった天龍源一郎と電撃和解。また、日本テレビが独占放映契約を打ち切ったことにより、馬場さんの時代からテレビ局の問題から鎖国路線を敷いていたため、WWEの訪日や、SWSショックが業界を席巻した1990年を除いて交流することがなかった新日本プロレスと対抗戦をスタートさせて、年間で押さえていた年6回の日本武道館大会も開催したのは、元子夫人の意地と馬場さんへの強い思い以外にないだろう。 後楽園ホールや日本武道館のチケットもぎり付近にはほとんど姿を見せており、常連客には声をかけ、おかしいなと思った客には警備員を通じて注意したり、中に入れなかったことを目撃したことが多々あった。元子夫人は全日本黄金期の番人である。 武藤敬司が新日本プロレスから移籍し、元子夫人から引き継ぐ形で社長に就任した後も、オーナーとしてしばらく携わっていたが、やはり現場との対立を繰り返すこととなり、全日本から手を引いた。その後も、2014年に秋山準が社長となり、全日本を新体制に改革すると、これをバックアップする姿勢を示していた。また、2016年には曙が立ち上げた新団体『王道』への協力も表明している。 元子夫人は現在の日本プロレス界にもしっかりと残っている馬場さんの遺伝子をもっと見届けたかったはずだ。現在のところ追悼セレモニーなどの予定は明らかにされていないが、生前、元子夫人が準備してきた馬場さん絡みのイベントに関しては、ご家族を中心に元子夫人の意向を汲んで準備が進められているという。ファンとしては、元子夫人(馬場家)が権利を持っているとされる全日本プロレスや日本プロレス時代の映像の作品化にも期待したいところ。 1999年5月に東京ドームで行われたジャイアント馬場引退試合に参加した選手、レフェリー、リングアナウンサーのうち、ザ・デストロイヤー以外の人物は全員天国に逝ってしまった。ジン・キニスキー、ブルーノ・サンマルチノ、ジョー樋口レフェリー、仲田龍リングアナ…。季節的に天国でもチャンピオンカーニバルが開催されているのではないだろうか。そして、大会を成功させるため、元子夫人は今でも目を光らせているはずだ。合掌文・どら増田
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スポーツ 2018年04月24日 06時35分
金本阪神が甲子園で3連敗! フロント要人がナゾの二軍戦視察
怒りは、頂点に達していた。本拠地・甲子園球場で巨人に3タテを食らった金本知憲監督(50)はゲームセットの瞬間、唇を震わせていたという(4月22日)。ベンチから引き返す際、報道陣に囲まれ、ワンサイドとなった展開についてこうまくし立てた。「選手が悔しい気持ちを持っているか、そこが一番の問題。持っていない選手は使えないと思うし。淡々と終わっているようじゃ使えません。いらないし、そういう選手は」 もう一度、「淡々と流れに身を任せてしまうのがウチの悪いところだから」と言い直した。本当に怒っていた。近寄りがたい雰囲気だった。「明日(同23日)の予定が変更になりました。投手陣だけの軽めの練習が行われる予定だったんですが、全体練習に変更されました。みっちり、(猛練習を)やるんじゃないですかね」(チーム関係者) 守備のミスも重なった。この3タテで勝率も5割を切り、早めに手を打っておこうということなのだろう。 気になる情報も交錯していた。同19日、坂井信也オーナーが抜き打ちで二軍戦を視察していた。先の関係者によれば、オーナーは11時過ぎに突然、「今から行く」と、本社での午後のスケジュールを変更し、二軍戦の行われている鳴尾浜球場にハイヤーを向かわせたそうだ。「二軍首脳陣に連絡が入り、スタッフが出迎えました。到着したとき、試合は始まっていましたので、選手たちはオーナーの訪問に気づかなかったと思う」(同) 二軍も勝率があまり良くない。ウエスタンリーグ5球団中4位、もっとも二軍は育成の場であり、勝敗よりも内容が重視される。オーナーは矢野燿大二軍監督(49)と会談の場を持ったわけではない。試合終了後、そのまま引き上げたという。 本社でも要職に就いている以上、気まぐれでの野球観戦はできない。“突然訪問”には何かしらの目的もあったはずだ。「阪神二軍は『記録』を作るかもしれません。25試合で42盗塁という、驚異的な機動力を発揮しているんです。一軍の盗塁数は17試合で1。矢野二軍監督が選手に積極性を植えつけようとしており、1つ先の塁を常に狙うよう指示しています」(プロ野球解説者)「走塁」といえば、3タテを食らった22日、こんなシーンも見られた。初回の阪神の攻撃だった。2アウトながら2人の走者を置いた場面で、5番福留がライト前ヒットを放った。試合には敗れたが、先に点を挙げたのは阪神の方だった。だがそのとき、一塁ベース上で福留は前打者で二塁に到達していたロサリオと目を合わせるなり、三塁ベースのほうを指さした。「なんで、三塁まで進まないんだ?」の“抗議”である。 一塁走者だったロサリオは決して足は速くないが、走れないタイプではない。長打力のある福留を迎えて、巨人外野陣は後方に守備位置を変えていた。福留の打球は一・二塁間をゴロで破っている。右翼手は通常よりも後ろでボールを捕っているので、「鈍足ランナーでも三塁まで進める」というのが福留の指摘だ。走ることを徹底された二軍とは大違いである。もっとも、記録上は誰のミスにもならないが…。 オーナーの二軍訪問の目的は、金本監督と一軍選手に「怒り」を伝えるためだったのではないだろうか。
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スポーツ 2018年04月24日 06時22分
大魔神・佐々木だけじゃない 馬主業に携わる元プロ野球選手たち
22日、元プロ野球選手の佐々木主浩が『ジャンクスポーツ』(フジテレビ系)に出演。引退後の2006年から続けている馬主業について成功の秘訣を語っている。 キャリア10年で稼いだ賞金は20億円以上と、馬主としても成功を収めている佐々木。昨年も「ヴィブロス」が3月にUAEで行われた「第22回ドバイターフ」(GI)を制し、11月の「第37回ジャパンカップ」(GI)では「シュヴァルグラン」が1着となるなど、自身が所有する愛馬が好成績を収めている。 こうした成功の秘訣について、佐々木は「僕は野球はプロでも馬のプロじゃないので、調教師さんとか牧場の人とか色んな方に聞いて馬を選んだりしますね」と、余計な口出しをせずプロの話を素直に聞くことが大事だと口にしていた。 “大魔神”の名の元、抑えのスペシャリストとして名を馳せた球界のみならず、競馬界でもその才能を発揮している佐々木。だが、馬主業に携わっているのは佐々木だけではない。 元中日の山本昌は現在「アルアイン」の“一口馬主”として競馬界に参戦しており、その愛馬は昨年4月に行われたGIレース「第77回皐月賞」を制している。 「ハマの番長」こと三浦大輔は現役時から馬主としての活動を始めている。特筆すべきは愛馬の名前で、現在各レースに出走中の「リーゼントロック」、「リーゼントアイリス」をはじめとした所有馬全てに、自身のトレードマークであるリーゼントの名が冠されている。 現在日本ハムで1軍投手コーチを務めている吉井理人も、2013年11月に自身のオフィシャルブログで「実は、わしも、この春に出したJRAの馬主登録申請が通り、馬主になることができました。(夏に登録の通知が来た)」と馬主になった旨を報告しており、その後「フォーシーム」、「ツキノミチ」の所有馬2頭がデビューを果たしている。 プロ野球選手と同じく、“当たればデカい”夢のある馬主業。今後は引退後の“セカンドキャリア”として選択する人も増えてくるのかもしれない。
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スポーツ 2018年04月23日 21時40分
34回目にして最も日本人が注目したレッスルマニア
世界最大のプロレスイベントWWE『レッスルマニア34』(ニューオリンズ メルセデス・ベンツ・スーパードーム)が日本時間の4月9日に開催され、78,133人の大観衆を集めた。おそらくこれが10万人収容可能な会場だったら、10万人入っていたのだろう。 日本での格闘技イベントでは、2002年8月28日に旧国立競技場で開催された『Dynamite!!』の91,107人が最高と言われている。プロレスでは1998年4月4日に東京ドームで開催された新日本プロレス『アントニオ猪木引退試合』の7万人が最多動員記録と思われる。東京ドームでは後にK-1がこの記録を塗り替えたと発表しているが、当時の東京ドーム関係者に話を聞くと「回転扉にカウンターが付いていた(ため、数字は正確でない)。猪木さんの大会を上回った興行は現在までないと聞いています」とのこと。 プロ野球が実数発表になったことに伴い、プロレスでも新日本を中心に来場者数を実数で発表する流れになっているが、今年の1.4東京ドーム大会では、外野席以外はほぼ埋まっていたように見えたが、発表によると来場者数は34,995人とのことだった。新日本の関係者に「東京ドームで札止めになったときは何人で発表するのか?」と聞いてみると「フルハウスにしたら45,000人ぐらいじゃないですかね」との答えが返ってきた。それ以上を目指すなら新国立競技場を目指すということになるが、木谷高明オーナーは「少しでも見やすい会場でたくさんやった方がいい」という考えだ。今夏の日本武道館3連戦のように、大きい会場を続けて使い、トータルで東京ドーム以上の集客を目指していくのかもしれない。 ハルク・ホーガン、ランディー・サベージ、アルティメット・ウォリアー、ジ・アンダーテイカー、ブレット・ハート、ショーン・マイケルズ、“ストーンコールド”スティーブ・オースチン、ザ・ロック、トリプルH、クリス・ジェリコ、ジョン・シナ、ランディー・オートンなどなど、数多くのスーパースターの歩みに寄り添い続けてきたレッスルマニア。今年は中邑真輔とアスカという男女日本人スーパースターの活躍が功を奏し、レッスルマニア34回の中で、最も日本人ファンから注目された大会だったと言ってもいい。 中邑真輔は新日本でも1回シングルで対戦したAJスタイルズとのWWE王座戦がラインナップされた。残念ながらメインイベントにはならなかったものの、WWEでは大会直前までこのカードを“ドリームマッチ”として、メインのカード以上に煽り続けた。英語圏やスペイン語圏の選手に比べると、アジア人の中邑がWWEのトップベルトを獲得するには、われわれが想像するより高いハードルがあるのではないだろうか。 ただ、WWEに挑戦した日本人選手でここまでのチャンスを与えられたことはなかった。今後、中邑が言葉や人種の壁を越えて戴冠する可能性は大いにある。それは大阪弁を貫き通すアスカも同じ。1年後の2人に期待したい。また他の日本人スーパースターもこの輪の中に早く加わってもらいたい。 来年の『レッスルマニア35』は、米国時間2019年4月7日にニュージャージー州のメットライフ・スタジアムで開催されることが発表されている。【どら増田のプロレス・格闘技aID vol.6】写真提供・©2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2018年04月23日 18時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「マサ斎藤」全米を股にかけた“獄門鬼”
アメリカでトップを張った日本人レスラーは何人もいるが、20年近く活躍を続けたとなるとマサ斎藤をおいて他にいない。 さらに日本マットでも、長州力率いる維新軍の参謀役やアントニオ猪木との巌流島決戦で強烈なインパクトを残すなど、まさしく国際派レスラーの先駆けであった。 1999年に現役引退となったその前後からパーキンソン病を発症し、以後は闘病生活を続けてきた斎藤。長らくリングを離れていたが、'16年12月に大阪・城東区で開かれた“斎藤激励”の大会ではメインイベントに出場した。 ただし、メインといっても試合ではなく、斎藤が観客にあいさつするという段取りであったが、そこはプロレスのお約束。アイスホッケーのマスクをかぶった海賊男風のレスラー(中身は武藤敬司)が乱入してきた。 「攻撃を受けたマサさんが立ち上がって反撃しようとするのですが、そのときにプルプル震えていた。それが現役時代の動きを再現したものなのか、病気の影響なのかよく分からない。全盛期には盛り上がりすぎて首が見えないほどだった筋肉も、すっかり落ちてしまっていて…」(当日に会場を訪れたファン) 斎藤の支援をうたうならば、なぜ住まいのある首都圏ではなく移動をともなう大阪だったのかという疑問はある。また、同大会の主催者が“新日本プロレス土下座外交時代”のブッカーで、退社後には前田日明らともめ事を起こしている上井文彦氏と聞くと、どこかいぶかしく感じるファンもいるだろう。 しかし、どんな形であれリングに上がることが闘病に向けての活力になるなら、かつてプロレスに熱狂したファンとしては応援する以外の選択肢はないだろう。 '64年の東京五輪に、明治大学在学中の斎藤はレスリング重量級フリースタイル日本代表として出場し、3回戦まで進出。翌年に大学を卒業すると日本プロレスに入団し、日本人オリンピアンとしては初のプロレスデビューを果たした。 '66年には猪木が旗揚げした東京プロレスに移籍。斎藤はデビューからわずか2年にもかかわらず猪木、豊登に次ぐナンバー3に格付けされ、このことからも期待のほどがうかがえる。 その東プロが崩壊すると、斎藤はフリーランスとして単身渡米する。 「人間関係のもつれに嫌気が差したというのもありますが、加えて東プロ時代、武者修行帰りの猪木から聞いたアメリカマット事情に、興味を持ったというのも大きかったようです」(プロレスライター) 太平洋戦争の記憶がまだ色濃く残っていた当時のアメリカにおいては、日系人でない純日本人ヒールの需要が高かった。また、この頃はプロモーター側がレスリング技術を重視したこともあって、斎藤は長年にわたり全米の主要テリトリーでトップヒールに君臨することとなる。 同時に日本でも、上田馬之助やヒロ・マツダらとともに、フリーランスによる『狼軍団』を結成し、新日本や国際プロレスに日本人ヒールとして参戦するようになった。 「その後、維新軍において参謀格になったことで日本での試合が増えましたが、これは新日側の仕組んだアングルではなく、長州が同じレスリング出身の斎藤に相談を持ち掛けたことがきっかけでした。頼られると断れない人のよさが出たわけです」(同) 長州らとともに全日本プロレスに移籍していれば、ジャンボ鶴田との五輪代表対決なども実現しただろうが、そうならなかったのには理由がある。直前にアメリカで、警官に暴行を働いたとして国外への移動が制限されていたのだ。 「長州ら維新軍の移籍については『好きなようにやればいい』と背中を押したマサですが、しかし、仮に暴行事件がなかったとしても果たしてこれに同調していたか。義理堅い人だけに、猪木の新日をそうそう裏切るとも考えづらい」(同) 真相はどうあれ、結果的に斎藤は1年6カ月の刑期を終えると、アメリカマット界がWWFの一人勝ち状態になっていたこともあり、新日本に本格参戦。伝説の巌流島決戦をはじめ猪木と死闘の数々を繰り広げることになる。 さらに斎藤は、長州復帰の際の橋渡し役となり、ビッグバン・ベイダーやスコット・ノートンら、のちにエース外国人となるレスラーたちをブッキング。自身が第一線から退いてからもテレビ解説を務め、この時期の新日本を陰に日向にと支えたのであった。 「まだキャリアの浅い時期に、アメリカでの試合中に眼球を負傷し、それ以来、片目が見えない状態だったそうですが、現役時代はそんな様子を少しも見せることはなかった。そんなマサさんであれば根治法が確立されていないパーキンソン病にも、決して屈することはないはずです」(同) 自身の出場した東京五輪から半世紀以上がすぎ、再びの東京五輪が2年後に迫った今、斎藤は「聖火ランナーとして参加する」ことを目標に掲げているという。マサ斎藤(本名:斎藤昌典)1942年8月7日、東京都出身。身長180㎝、体重120㎏。得意技/ひねり式バックドロップ、監獄固め。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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