スポーツ
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スポーツ 2019年04月02日 18時00分
低迷ゴルフ…石川遼選手会長もすがりつく“美女キャディー”藤田美里
日本のゴルフ界の救世主は、美女キャディーということになりそうだ。 今さらだが、日本のゴルフ界は、男女ともに低迷。「強いスター選手」がいないからだ。 「男子は将来性を感じさせる若手が何人かいますが、『あと一歩』が足りないんです。そこから抜け出す選手が出現すればという状況です。石川遼は予選落ちを繰り返しているし…。女子も同様ですが、韓国の美女軍団のおかげでギャラリーは集まっています」(専門誌記者) 実力派がいなければ、美女軍団。日本の女子ゴルフ界はそんな見方がさらに強まりそうだ。 「キャディーでありながら、写真集も発売されました。彼女が移動すると、男性ギャラリーやカメラマンもそれに付いていく始末」(同・記者) 写真集の発売まで決まった美人キャディーとは、藤田美里。藤田光里プロの妹で、昨年度のプロテストを受験したものの、かなわなかった“プロ予備軍”だ。姉妹仲と、将来の勉強で姉に付いてツアーを回っているのだが、「このまま芸能活動にウエイトを置いていくのではないか」の声も聞かれた。 「芸能志望がもともと強かったみたい。実際、彼女はプロダクションに所属しており、テレビにも出演しています。テレビ出演の際にはゴルフの話は一切していません。リポーターなどをこなしています」(女性誌記者) プロテストを追うテレビカメラも藤田メインだった。「一次テストで脱落」という結果を聞くと、芸能メインの話にも信憑性が増してくる。しかし、こんな声も聞かれた。 「藤田はモデルのオーディションを10代のときに請け、審査員特別賞でした。ゴルフに専念することは難しいと思いますが、美人で笑顔がカワイイとなれば、ゴルフのツアー関係者が放っておきません。藤田光里とセットにして、ギャラリーの呼べる姉妹として活躍してもらわないと。藤田美里もゴルフを売りに芸能活動を広げていく戦略では」(同・記者) 藤田を男子プロのキャディー役にも借り出す案があるそうだ。人気拡大のためならきっかけは何でもいい。石川遼はツアー選手会長として“柔軟に”対応しそうだ。
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スポーツ 2019年04月02日 17時40分
ハルク・ホーガンの弟分、“ザ・バーバー”ブルータス・ビーフケーキがWWE殿堂入り!
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間2日、ワシントンD.C.のキャピタル・ワン・アリーナで主力ブランドのロウを開催した。 世界最大のプロレスイベント『レッスルマニア35』まで1週間弱。その前夜祭として位置づけられている殿堂入りセレモニー『WWEホール・オブ・フェーム2019』に向けて、WWE殿堂に入るのが誰になるのか注目されていた。既にD-ジェネレーションX、ホンキー・トンク・マン、トリー・ウィルソン、ハーレム・ヒート、ハート・ファウンデーション、スー・エイチスン(アルティメット・ウォリアー・アワード)の6組が発表されていたが、新たに“ザ・バーバー”ブルータス・ビーフケーキの殿堂入りが発表された。 ビーフケーキがWWEに登場したのは1984年。翌年にはグレッグ・バレンタインとのタッグ、ザ・ドリーム・チームでWWE世界タッグ王座を獲得。1987年の『レッスルマニア3』のロディ・パイパー対アドリアン・アドニスの髪切りマッチに勝ち、アドニスの髪を切ったことから「ザ・バーバー(散髪屋)」のニックネームが付くと、その後も大バサミを持ったパフォーマンスで活躍した。 1978年にデビューしたビーフケーキは、“超人”ハルク・ホーガンの弟という“設定”で活動。日本のメディアも当時は“ホーガンの弟”と紹介していた。1982年には“ホーガンの弟”エド・レスリーのリングネームで新日本プロレスに初来日。しかし、ホーガンの弟ではあったが、当時日本陣営(現在の本隊)に属していたホーガンと新日本マットでは対立した。これはビーフケーキのアイデアだったようだが、その後、ホーガンがアントニオ猪木氏を倒し、世界のスーパースターに飛躍したことを考えると、ホーガンと兄弟タッグを結成した方が日本でも人気が出たのは間違いない。 1984年にホーガンの後を追ってWWE入りし、リングネームをブルータス・ビーフケーキに改名。1990年代前半にホーガンがWWE世界ヘビー級王者にもかかわらず、新日本プロレスと複数試合契約を結ぶと、マネージャーのジミー・ハートとともに“バーター”で再来日。目立ったマッチメイクはされなかったが、大きなハサミは持参していた。1994年にはホーガンとともにWCWへ移籍。その後もホーガンの“弟分”として行動をともにしている。近年でもインディー団体にスポット参戦しており、オールドファンを喜ばせている。 『WWEホール・オブ・フェーム2019』は、日本時間7日、ニューヨーク州ブルックリンのバークレイズ・センターから世界配信される。文 / どら増田写真 / ©2019 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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スポーツ 2019年04月02日 11時40分
3日で62万人! 年々増えるプロ野球観客動員数、広島・DeNAが100万人以上増加した理由とは
球場に足を運ぶファンの数が、年々増え続けているプロ野球。迎えた今シーズンも、先の開幕3連戦で624,850人(1試合平均34,714人)を記録するなど賑わいを見せている。 実数発表が始まった2005年から昨年まで、ほとんどの球団で増加している観客動員数。今回はその中でも、特に人数が増えた3球団を以下に見ていこう。■楽天2005年 : 977,104人2018年 :1,726,004人増加人数: 748,900人 創設初年度のシーズンは、100万人にも満たなかった楽天の観客動員数。ただ、2007年に100万人を突破すると、球団史上初のリーグ優勝・日本一を達成した2013年を機にその人数は一段と増加した。 この間、価格変動制チケットの採用や、観覧車やメリーゴーラウンドを伴った「スマイルグリコパーク」の整備に取り組んだ楽天。これらの施策がリピーターを生んだのか、最下位となった昨年でも球団史上2位の動員数を記録している。■DeNA2005年 : 976,004人2018年 :2,027,922人増加人数:1,051,918人 前身の横浜時代は、年ごとに増えたり減ったりと動員数が安定していなかったDeNA。新体制へ移行した2012年からは、勝てば半額、負ければ全額を返金する「全額返金!?アツいぜ!チケット」を皮切りに、ユニークな取り組みを次々に打ち出しファンにアプローチした。 すると、これが功を奏し、翌年以降の数字は年々右肩上がりに増加。チームが暗黒期を抜け出したことも重なり、昨年は球団史上初めて200万人を突破した。■広島2005年 :1,050,119人2018年 :2,232,100人増加人数:1,181,981人 マツダスタジアムが開場した2009年は一時的に数字が増加するも、そこからは低下傾向が続いていた広島。しかし、関東圏の「カープ女子」を新幹線で無料招待したことも話題となった2014年に、一転して数字が大幅に増加する。 翌2015年は黒田博樹、新井貴浩の復帰もあり、動員数が200万人を突破。そこからはチームの3連覇も追い風となり、現在に至るまで前年比増の客入りを記録している。 14年の間に、大幅な集客増を成し遂げたこの3球団。チームの成績はもちろん、営業面の努力もその一要因となっているのだろう。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2019年04月02日 06時00分
【センバツ】東邦は“平成最初で平成最後”の優勝校なるか 他のベスト4も学校記録を更新中
“平成最後”の優勝をかけ、各校が熱戦を繰り広げている高校野球・春のセンバツ。先月31日に行われた4試合の結果により、ベスト4進出校が決定した。 第1試合の習志野(千葉)対市和歌山(和歌山)は、初回の2点ビハインドを5、6、7回の得点でひっくり返した習志野が「4-3」で勝利。28日の星稜(石川)戦で浮上したサイン盗み疑惑の影響に負けず、初のベスト4進出を果たした。 明豊(大分)対龍谷大平安(京都)の第2試合は、延長11回裏のタイムリーで明豊が「1-0」のサヨナラ勝ち。センバツ初の8強入りから、春夏通じて初の4強入りへと歴史を塗り替えた。 筑陽学園(福岡)と東邦(愛知)が激突した第3試合は、1点リードの6回に一挙5得点を挙げた東邦が「7-2」で快勝。優勝した1989年大会以来、30年ぶりとなるステージまで駒を進めた。 第4試合智弁和歌山(和歌山)対明石商(兵庫)の一戦は、同点で迎えた9回裏に値千金のサヨナラ本塁打が飛び出した明石商が「4-3」でサヨナラ勝ち。秋季近畿大会準決勝で勝利した相手を再び下し、ベスト4最後の1枠を掴み取った。 それぞれの激闘を制し、ベスト4まで勝ち進んだ習志野、明豊、東邦、明石商の4校。無論、どこが“最後の1校”となるかはまだ分からないが、どのような結果になっても、快挙となることが確実な情勢となっている。 春初のベスト4である習志野、明豊、明石商の3校は、学校の歴史を現在進行形で更新中。もちろん、これまでの戦いぶりも十分快挙に値するが、優勝となれば、これ以上ない形での快挙となるだろう。 一方、前述の通り、1989年つまり平成元年の大会で優勝を果たしている東邦は、今大会を制すれば“平成最初・平成最後”の優勝校となる。また、仮にこうなれば現在「54」である春の通算勝利数は「56」となり、中京大中京(愛知)がもつ歴代1位の「55」を塗り替えることにもなる。 先月23日に開幕した今大会も、残るは2日の準決勝と3日の決勝のみ。快挙をかけた戦いの先には、どのような結末が待っているのだろうか。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2019年04月01日 21時40分
ロッタンが那須川天心に「ONEで待ってます」とラブコール、チャトリ会長も後押し!
ONEチャンピオンシップ『ONE:A NEW ERA-新時代-』▽3月31日 東京・両国国技館 観衆11,098人(超満員札止め) 『RISE125』幕張メッセ大会(昨年6月)で、“神童”那須川天心を延長まで追い込んだロッタン・ジットムアンノン(タイ)が3月31日、ONEチャンピオンシップ(ONE)日本初進出となる『ONE:A NEW ERA-新時代-』両国国技館大会に出場。ムエタイルールでハキム・ハメッシュ(フランス)と対戦した。 「今回、体調が良くなかったのが残念」というロッタンは、ハキムにフルラウンドまで持ち込まれたが、判定で勝利を収めた。試合後、インタビューに応じたロッタンは10カ月ぶりの日本について「東京には僕のファンがたくさんいる」とファンに感謝し、天心戦のリベンジプランについて次のように話した。 「テンシンがONEに上がればやりたい。テンシンがONEに参戦してくれれば、キックボクシングルールでもムエタイルールでも構わない。昨年の試合の判定に僕としては不満がある。(10月に日本大会を予定しているが)テンシンとの試合を実現させたい。待ってます!」 ロッタンは天心に熱烈なラブコールを送った。現在RISEで開催している世界トーナメントに出場予定だったが、今大会に出場することもあり、トーナメントには参加しなかった。天心はトーナメントの決勝で、ロッタンと再戦することを想定していただけに、“肩透かし”を喰らった形となっていた。いずれにせよトーナメントを優勝し、本人もスッキリしていないロッタンとの再戦に臨みたいところ。 「きょうフロントロー(客席の前方)に天心は来ていた。本人が『ONEに出たい』『ロッタンとやりたい』と言っていたことを知っている。将来的に実現させたい」 ロッタンの発言をONEのチャトリ・シットヨートン会長兼CEOは歓迎した。今大会の中継にはフロントローで観戦する天心が、カメラに笑顔で手を振る場面もあった。山口芽生のセコンドに父の弘幸氏がつき、試合後はケージ内に入り一本勝ちを収めた山口を祝福していた。RISEの伊藤隆代表も来場しており、パイプがないわけではない。 天心はRIZINとの契約もある。ONE参戦はひと筋では行かないかもしれないが、敵地に乗り込んでいくつかある“宿題”のひとつを片付けるようなことがあれば日本のキックや格闘技が盛り上がるのは必至。天心の次戦は4.21RIZIN横浜アリーナ大会が予想されるが、ボクシング企画同様、今後の展開が見逃せない。取材・文 / どら増田写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2019年04月01日 21時20分
【DeNA】「横浜は永遠に忘れない」ダンディな名将・権藤博さん殿堂入りセレモニー
30日のベイスターズ対ドラゴンズ戦に先駆けて、今年1月に競技者表彰委員会・エキスパート表彰で野球殿堂入りを果たした権藤博氏を称え、セレモニーを行った。 権藤氏は1998年、横浜の地に38年振りにチャンピオンフラッグをもたらした際の監督で、2000年まで指揮を振るった名将。現役時代は中日ドラゴンズに所属していたこともあり、球場全体がお祝いムードに包まれた。ビジョンには98年当時の教え子達が登場し、思い出や秘話が明かされた。 不動の司令塔だった谷繁元信氏は「自分のプランを崩さない。信頼感があった」、左腕エースの野村弘樹氏は「信用してくれていたから、責任感が出た」、絶対的クローザー大魔神・佐々木主浩氏は「やりやすい環境を作ってくれた。成長出来た」、三浦大輔現一軍投手コーチは「投手としての姿勢を教えてくれた」、98年の開幕投手、川村丈夫現二軍投手コーチは「弱気になるのがわかると怒る。ピッチャーはストライクを投げろと教わった」、マシンガン打線の3番打者・鈴木尚典氏は「監督と呼ぶなと言われた。同じ立ち位置で戦うボスだった」、ヘッドコーチ(当時)の山下大輔氏は「選手も個性派揃いだったが、その上を行く個性派監督だった」と各々の話に、詰めかけたファンもビジョンにくぎ付けとなっていた。 「監督と呼ばせない」、「ミーティングはしない」、「送りバントはしない」、「2ストライクナッシングから1球ボールを投げさせる意味が分からない」、「中継ぎピッチャーにもローテーション」、などの常識に囚われない野球観は、時に非難も浴びた。しかし、結果で黙らせる様はその風体とともにダンディズムが漂っていた。 セレモニーで横浜DeNAベイスターズ・岡村信悟社長から記念の盾とプレートを、ベイスターズから三浦コーチ、ドラゴンズからは98年の2番センターだった波留敏夫一軍打撃コーチから花束が贈られた後、権藤氏は壇上でスピーチ。第一声で「カッコイイですね。わたし」と発し、ハマスタを沸かせた後、「お客様の声援で日本一になりました。殿堂入りも出来ました」と、観客に感謝の弁を述べ、スタンドからは盛大な拍手が送られた。 1998年以来リーグ優勝、日本一からも遠ざかっているベイスターズ。権藤氏からは「いい選手が揃った面白いチームになったので、チャンスはあると思います」との言葉を送られた。名将のエールを受け、21年振りの歓喜の時が秋にやってくる事を信じたい。写真・取材・文 / 萩原孝弘
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スポーツ 2019年04月01日 21時10分
【追悼】「北尾さんがいなければ僕は…」“プロレスラー”北尾光司さん逝去に弟子の望月成晃、高田延彦氏が悼む
元大相撲の横綱、双羽黒こと北尾光司さんが2月10日、腎不全により亡くなられていたことがわかった。55歳の若さだった。ここではプロレスラー時代の北尾さんを振り返るとともに、レスラー時代に北尾さんとゆかりがあった人物の追悼コメントを掲載したい。 1990年2月10日。この日は北尾さんがプロレスデビューを飾った日だった。横綱からプロレスラーになったのは、故・輪島大士さんに続いて2人目。その後、現在欠場中の曙が3人目のプロレスラーとなったが、横綱まで登りつめてプロレスに転向したのはこの3人しかいない。北尾さんは新日本プロレスのオファーを受け、『'90スーパーファイトIN闘強導夢』のセミファイナルで、クラッシャー・バンバン・ビガロを相手にデビューを飾り、ギロチンドロップでフォール勝ち。新日本にとって2回目の東京ドーム大会で、セミファイナルの破格なデビュー戦。入場テーマ曲はデーモン閣下がオリジナル曲を書き下ろし、デビューまでの指導は“鉄人”ルー・テーズが行った。この大会は直前でトラブルがあり、急遽、故・ジャイアント馬場さんが、全日本プロレスの所属選手と、スタン・ハンセンを新日本に貸し出したことから、全日本のファンも大挙として来場。デビュー前の言動や、相撲界の離れ方が悪かったこともあり、カード発表の段階から大ブーイングが発生。試合も終始ビガロコールが起こるなど、北尾さんにとっては気の毒なデビュー戦だった。しかし、同大会がゴールデンタイムで放映されると、最高視聴率は20%を超えており、世間的な注目度が高かったことが窺える。ちなみに、アントニオ猪木氏の「1、2、3、ダァー」はこの日のメインイベント終了後に初披露されるなど、ドーム大会史上最高興行として、今でも語り継がれる大会となっている。 その後も、北尾さんのビッグマウスは『徹子の部屋』(テレビ朝日系)など、プロレスメディア以外でも見られるようになり、新日本内でも孤立していくが、田中ケロ・リングアナウンサー(当時)は「北尾さんが亡くなっておられました。新日本時代、悪い印象ないんですよ。長州さんと揉めた時もホテルの部屋まで話にいきましたが、ちゃんと話せば、お互いわかるんちゃうかって思った気がするなあ。めちゃくちゃ恵まれた体格に甘えちゃってる感じがあったんで、もったいないなぁと。早すぎますよ」とツイッターで悪い印象がなかったことを明らかにしながら、早すぎる死を悔やんでいる。田中リングアナが書いているように、当時の現場監督だった長州力と衝突したことから、新日本を離れ、メガネスーパーが同年に旗揚げした新団体SWSへ。大相撲の先輩である天龍源一郎氏を慕って入団となった。天龍氏とは憧れだったWWF(WWE)のリングにも上がっている。だが、ここでもジョン・テンタ(元大相撲力士)を相手に不可解な反則負けを喫した上に、暴言を吐いたことから解雇されてしまう。 新日本、SWSと続けて解雇されてしまった北尾さんは、総合格闘家への転身を模索。そこで声をかけたのがUWFインターナショナルだ。1992年10月に高田延彦(現RIZIN統括本部長)氏との『格闘技世界一決定戦』が実現。この試合で北尾さんは高田氏のハイキックにKOされてしまい、高田氏が最強神話を築くキッカケになる試合となった。高田氏は自身のインスタグラムを更新し、「元横綱の北尾光司さんが亡くなったとの一報を聞いて茫然とした。あの北尾光司がまさか55歳の若さで逝ってしまうなんて今でも信じられない気持ちだ。いつか再会して言葉を交わしたいと思っていたが叶わなかった。本当に残念でならない。心よりご冥福を祈ります」とお悔やみの言葉を送った。 1994年には格闘技塾、北尾道場(後の武輝道場)を設立。再び天龍氏のもとに戻り、WARに参戦。この時、北尾さんに弟子入りしたのが、ドラゴンゲートの岡村隆志前社長、望月成晃、フリーのTARUなどがいる。望月はプロレスリング・ノアの試合前に訃報を知ったそうで、「試合直前に知りました 北尾さんは引退されてから、プロレス界とはほぼ断絶されていたので、僕もお会いする事はありませんでした ただ一つ…間違いなく言えるのは、北尾さんがいなければ、僕はプロレスラーになれなかったという事です 心よりご冥福をお祈りいたします 合掌」とツイッターに悼む言葉を綴った。高田対北尾を見てプロレスラーを目指した望月にとってはショックが大きかったようだ。 その後はPRIDEやUFCなど総合格闘技での活動が目立ち、高田対ヒクソン・グレイシーが行われた1997年10月の『PRIDE.1』東京ドーム大会では、ネイサン・ジョーンズを相手に総合初勝利。この時の喜び方は凄まじく、今でも鮮明に覚えている。1998年、全日本の東京ドーム大会で田上明戦が発表されるもこの試合は中止に。理由は明らかにされていない。同年7月18日にSWS、WARで一緒だった、北原光騎氏が主宰するキャプチャー新宿ACBホール大会での『地下室プロレス』で北原氏を相手に引退試合、10月11日の『PRIDE.4』東京ドーム大会で引退セレモニーを開催し、マット界から完全に離れた。 プロレスラーとしては早すぎた逸材と評価する声も多く、実際、ビガロ、ビッグバン・ベイダー、スティーブ・ウイリアムスといったスーパーヘビー級の外国人選手と対峙しても見劣りはしなかったし、新人とは思えぬほど、肝が座っていた。最初の過度な売り出しが、本人の勘違いを招き、最後まで尾を引いてしまったのは残念でならない。 和製ハルク・ホーガンを目指したプロレスラー北尾光司は、平成を全うして天国へ旅立っていった。 合掌。文・写真 / どら増田 ※文中一部敬称略
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スポーツ 2019年04月01日 20時00分
「最強のMMAファイターになる」“新星”若松祐弥が躍動!メインは青木真也が一本勝ち!
ONEチャンピオンシップ『ONE:A NEW ERA-新時代-』▽3月31日 東京・両国国技館 観衆11,098人(超満員札止め) ONEチャンピオンシップ(ONE)初の日本大会となった両国国技館大会。客席を見るとアジア圏の来場者が多い。多数の海外メディアも早くから会場に詰めかけていた。演出や映像の作り方も日本とは明らかに違う。世界最大のプロレス団体WWEが初めて単独で日本公演を行った時と似ている。ONEのパッケージで、少しだけアジアンテイストを強めにしたのが、今回の両国大会だったのではないだろうか。 そんな中、7試合のプレビューマッチの後に、K-1などで日本でも活躍したキック界のレジェンド、アンディ・サワー(オランダ)が久々に来日。しかし、ヨドサンクライ・IWE・フェアテックス(タイ)に一方的に攻められ2R、わずか51秒でKO負けを喫した。サワーは「蹴りではなくボクシングで来たので衝撃を受けた」と敗因を分析していたが、ショッキングな結末だった。 「24年間生きてきたのはこの日のためにある。スーパースターのDJをKOして、新時代を築きます」 大会直前にこう話したのは24歳のパンクラシスト若松祐弥。UFCからベン・アスクレンとのトレードで、ONEに移籍したDJことデメトリアス・ジョンソン(アメリカ)のONEデビュー戦の相手に抜擢された。この試合はフライ級ワールドGP準々決勝。ONEとパンクラスの提携がきっかけで、若松が抜擢されたのだ。ONEには2度目の出陣、前回は判定負けだったが、会見では誰よりもギラつきを放っており印象に残った。 「作戦というのはなくて、本当に全部の攻撃で仕留めるということを考えていました。技術は絶対あっちの方が上なので。ハイキックを警戒していたのと、右ストレートを合わせてくるだろうと。でも狙っていた攻撃が当たったので、打撃も出ました。そういうのが全部通用したし、組まれたら終わりだと思っていたのに全然立てた」 試合は2Rフロントチョークで敗れたが、試合後、若松の目からギラつきは消えるどころか増していた。それだけ、UFCでトップを張った男に若松のスキルが通用したのだ。 「俺が主役だと思ってやってきました。負けたのはめちゃくちゃ悔しいですけど、世界の感覚と渡り合えたし、それは俺しか体験していないことで、間違いなく自信になりました。パンチが当たった感覚で相手がひるんだことも覚えています」と若松は手応えを口にする。 「めちゃくちゃ悔しいです。でも、この手応えが肥やしになると思っています。いままでの人生で一番興奮しました。夢の中にいるみたいで。ぶっちゃけ、いつもは試合前、あんなに気合いを入れたことないんですけど、今回は本当に死んでもいい覚悟でやってきました。でも、まだ甘かったです」 人生の全てをかけて挑んだ一戦は結果は黒星となったが、それをはるかに上回る収穫があったようだ。甘いマスクの持ち主で、コメントにも芯がある。24歳とまだまだ伸び代があるのが魅力的だ。このままONEとパンクラスの舞台でうまく育てていけば若松自身がスーパースターになれる可能性はあると言ってもいい。それぐらい今から“見ておくべき”選手である。 「負けて言うのもなんですけど、僕の方が技術的にも威力も上だったと思います。寝技は、もっと差があると思っていましたが、組んで倒せたし、立ち上がれました。全然、そんなにできないわけじゃないなと思いました。今回は、右のアッパーと左フックも当たりました。総合の打撃は僕がトップだと思います。キックやボクシングはまた違いますけど、総合での打撃は僕がフライ級でトップだと思っています」と若松は続けた。 今後については「これで(予定が)全部崩れてしまったんですけど、終わってみたら、思ったよりスッキリしたし、極められたけど惨敗ではなかったと思っています。立ち直って、最強のMMAファイターになりたいです。今、その手応えがあります。特に打撃では、絶対に僕の方が強いと思います」 世界のDJと日本で闘い、敗れはしたが「総合の打撃は俺が一番」と確信を持てた。あとはまだ「一番」になれていないピースを埋める作業をすれば、最強のMMAファイターになれる。「スッキリした」という若松はとても輝いていた。次戦はどんな試合を見せてくれるのか。3度目のONEでは結果も求められるが、ギラつきがあればやってくれるだろう。さらなる飛躍に期待したい。 日本初大会のメインはDREAMなどで活躍した青木真也が、エドゥアルド・フォラヤン(フィリピン)のONEライト級王座に挑戦。大青木コールの中、青木は1R、2分前にタックルでテイクダウンを奪うと、そのまま肩固めを極めて一本勝ち。見事、王座奪還に成功した。 「35歳になって、好きなことやって、家庭壊して、一人ぼっちで格闘技やって、どうだお前ら?うらやましいだろう。俺はな、こうやって、明日もコツコツ生きてくんだよ」 試合後、マイクを持った青木は久々に青木節を全開。試合前はナーバスになっていただけに、とても晴れやかな表情を浮かべた。最後は「みんな俺たちのファミリーになってるから、みんな頼むぞ!俺たちはファミリーだ!ケツにGOって書いてあるけどな、みんな明日もGOだ!」と絶叫し、青木らしく強引に締めた。 インタビュールームで青木は「日本でやると決まってから、この大会を引っ張るためだけに1年間やってきた」と強調。まだONEが小さかったころ、DREAMがなくなり、上がるリングがない中、「チャトリ(会長兼CEO)が拾ってくれた」恩返しをするため、今大会成功にかけていたことを明かしている。 チャトリ・シットヨートン会長兼CEOは「ツイッターのトレンドで日本とアジア、そしてアメリカでも1位だった。アメリカの団体を集めて対抗戦もやってみたい。世界には若松のようなまだ知られてない素晴らしい選手がいる。青木は傷ついている世の中を闘いを通じて癒やしていこうという、われわれが目指していることを実践してくれた」と総括した。 次回の日本大会は10月の予定。初の日本大会は運営面のバタつきがあったものの、また見たいと思わせるような大会だった。ONEは生観戦をオススメしたい。渋谷から30分で行けるシンガポールは素敵な空間だった。取材・文 / どら増田写真 / 萩原孝弘
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スポーツ 2019年04月01日 18時40分
SNS炎上王ダルビッシュ、本業の野球でも炎上 総額年俸136億円なのに…「貰いすぎ」「野球に集中しろ」の声
日本時間3月31日、カブスのダルビッシュ有がレンジャーズ戦で今季初登板を果たした。右ひじの故障で昨季5月20日以来の登板となったが、2回2/3を投げて7四球、3失点と大乱調。地元の米NBCシカゴに「ワイルドなデビュー」と皮肉な言い方で報じられた。 開幕直前に、現在所属するカブスとの契約が満了する37歳で現役を引退するという衝撃的な発言で注目を集めていたが、復活を飾る投球を見せることは叶わなかった。カブスとは6年総額約136億円という高額年俸の契約を結んでおり、ファンからはさっそく「活躍して貰わないと困る!」「(年俸を)貰いすぎでは」「活躍して引退してくれ」との声が挙がった。 他にもダルビッシュはオフシーズン、ツイッター上でトレーニングや栄養学について、他のユーザーと議論を交わすなどして話題を呼んでいた。ダルビッシュがとある栄養学の本をツイッター上で紹介したところ、それを見たツイッターユーザーから「それはトンデモ本ですよ。エビデンス(証拠・根拠)がないです」と指摘され、討論になったのだ。 このやり取りで、ダルビッシュが「人のアラ捜ししてないでご自分が成長して皆さんに正しい栄養学を教えてくださいね」「これが嘘だという証拠は?」「嘘だって言いたいわけですか?」など、ユーザーに絡むような返信をしたため、ファンからの印象は良くなかったようで「こういうやり取りを見ていてただ悲しい」「ダルは自分の立場を自覚して発言した方がいい」など、非難の声が湧いた。 こうした“お騒がせ”もあり、「いい加減本業に集中しろ」「野球は大丈夫なの?」と言われた中で登板し、結果を残すことができなかったことで「トレーニングもせずにツイッターばかりやってたんじゃないか」と批判するコメントが相次いだ。 試合後にダルビッシュは「そんなに悲観することはない」と自分の投球を振り返ったが、果たしてどうなるのか。高額年俸に見合うだけの成績を残し、外野の声を封じられるほどの成績を残すことができればいいのだが…。
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スポーツ 2019年04月01日 17時30分
プロ野球開幕 広島vs巨人 炎上「丸焼き」ベンチ裏
広島サイドからすれば、「よくもヌケヌケと…」といった心境だろうか。 丸佳浩外野手(29)が読売系列のメディア取材に応じ、今シーズンの個人的な目標を聞かれた。広島時代の丸は個人的な目標、数字をあまり語ってこなかった。しかし、メディアサービスもあったのだろう。差し出された色紙にこう記した。「銀座でパレード」――。 巨人は日本一に輝いた2012年オフ、東京の銀座、京橋でパレードを行っている。原辰徳監督(60)はもちろん、当時を知る巨人ナインは鳥肌の立つような感動を覚えたという。 丸は花の都の銀座で、そんな思い出を作りたいらしいが、広島サイドは“ツブシ”に本腰を入れつつある。「広島のジョンソンが23日のオープン戦の先発登板を回避しました。球団は詳細を明かそうとしませんが、関係者によると『調整の必要な体の箇所が生じた』とのこと。巨人との開幕2戦目の先発が予定されていただけに、ちょっと気掛かりです」(スポーツ紙記者) 計算に入れていた左腕がしばらく登板できないとなれば、戦い方も少し変わる。 広島の開幕投手は、昨季、最多勝と最高勝率の二冠に輝いた大瀬良大地が初めて務める予定だ。次の2戦目に来日5年目の実力派左腕が控えていたため、緒方孝市監督(50)も冒険ができたのだろう。 「巨人打線のキーマンは丸です。原監督の構想では2番打者を任される可能性もありますが、4番の岡本和真の前に長打力のあるバッターを入れ、大量得点も狙える打線にしたいと考えています。守備面でも、丸が加入したことで『センターライン』が固定できます」(スポーツ紙記者) 丸を乗せると、巨人が勢いづく。4連覇を狙う広島にとって、丸に打たせないことが重要となる。 「広島の弱点を挙げるとしたら、先発枠と外国人選手枠なんです。先発枠はまず、大瀬良、ジョンソン、野村祐輔。次は3年目の左腕・床田寛樹。5番手以降は、昨季不振だった岡田明丈、九里亜蓮、薮田和樹、高卒3年目のアドゥワ誠といったところ。ジョンソンの欠場が長引くと、先発陣が一気に弱くなります。新加入のレグナルト、ローレンス両投手の評判はいいんですが、外国人枠の問題がある。昨季19ホールドを挙げた救援のフランスアと、昨季25本塁打の外野手バティスタは外せません。4人までしか登録できないので、メヒア、レグナルト、ローレンス、ジョンソン、ヘルウェグの5人で残り2枠を争う図式です」(同) だが、弱点である外国人選手の登録枠が「丸を炎上させるストロング・ポイント」に変わるかもしれない。 「レグナルトは中継ぎを予定して獲得した左腕ですが、先発の経験もある。内角をえぐる速球派で、巨人もデータはほとんど持っていない。ローレンスは先発、救援どちらでもいける右腕。技巧派だが、マリナーズ時代から左打者に投じるチェンジアップに定評があり、『左殺しの変化球投手』と言われていました」(米国在住ライター) ジョンソンの欠場を逆手に取り、両投手を巨人戦にぶつけてくるかもしれない。 また、緒方監督が絶大な信頼を置く救援左腕のフランスアは、昨年8月に18試合に登板し、月間防御率0・51を記録。150キロ台後半の剛速球、そして、丸の嫌いな外角に逃げるスライダーが得意球だ。ドミニカのカープアカデミーから這い上がってきたこのハングリー左腕の脅威は、丸が一番分かっているはずだ。 「丸の後継者として、24歳の西川龍馬が飛躍しそう。昨季は規定打席に届きませんでしたが、3割9厘の高打率を記録し、苦手の守備も三塁から外野にコンバートされたことで払拭されつつあります。本塁打の数は減っても、広島本来の足を絡めた野球に原点回帰するのではないかと見られています」(球界関係者) 広島が機動力野球を前面に押し出した場合、巨人は弱点を晒すことになる。強肩の小林誠司、炭谷銀仁朗の両捕手はいるが、精神的支柱である40歳の阿部慎之助をスタメンで使えなくなるからだ。 一時、左ふくらはぎの張りで離脱していた阿部は、開幕一軍が危ぶまれている。その阿部は代打でしか使えないのはもちろんだが、こんな指摘も聞かれた。 「5番を予定していた新外国人ビヤヌエバの調子がイマイチ。ゲレーロも安定しないため、巨人は5番を託す選手がいません。ベテランの亀井善行か、阿部の復帰待ちとも言われる始末。4番の岡本の後に強打者を置かないと、得点効率はダウンします」(同) 二塁の定位置を掴みつつある吉川尚輝が1番、坂本勇人、丸がその後に続くが、一塁ベースが空いていたら、対戦投手は4番の岡本にストライクを投げてこない。その場合、丸が出塁しても“ムダ打ちの残塁”となる。 「巨人育成のイスラエル・モタが注目されています。長打力があって、ファームでは打ちまくっています。高給取りのビヤヌエバ、ゲレーロを諦めて、『こっちを育てたほうがいい』との声も聞かれました」(同) ゲレーロは年俸4億円、ビヤヌエバは出来高込みで3億円強、丸も推定4億5000万円と伝えられている。丸が広島の新外国人投手の餌食になれば、ファームで同じセンターを守る“年俸240万円”のモタと比較対象されそうだ。 丸がしくじれば、Gファンもバッシングを始め、大炎上の丸焼けとなる。
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