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「時代」を彩った男と女・あの人は今 プロ野球選手・山本和範さん

 「カズ山本」の芸名で芸能活動をする山本和範は、1986年のプロ野球オールスターゲームに監督推薦で初出場、この年ゴールデングラブ賞も手にした。プロ野球選手としては努力型の選手であった。

 右耳が難聴であるが、76年に福岡県北九州市の市立戸畑商業高校(現・北九州市立高校)から近鉄バッファローズ(当時)にドラフト5位で指名され、投手として入団した。
 「ドラフトで順位が低かったのは、高校1年の時に留年をしていたから」というが、その留年も単位不足からであった。本来なら単位不足などは隠すものであるが、本人は堂々と公表している。
 近鉄に入団した直後、投手から外野手に転向した。「外野手への転向はバッティングを評価されたから」と、本人も認めるように打撃には非凡なものがあった。そして右翼のポジションを手に入れ、ゴールデングラブ賞を獲得するまでになった。この当時、山本の愛称は顔がドラキュラに似ていることから「ドラ」と呼ばれていた。近鉄入団当初、NHK教育テレビの「若い広場」が2軍選手を取り上げるドキュメンタリーに出演。この時、その番組を見ていた若い女性から初めてファンレターをもらった。この女性に返事を出したことから、やがてその女性と結婚した。

 だが、近鉄では成績が残せずに82年に解雇。バッティングセンターでアルバイトをしながら練習を積むが、83年に南海ホークス(当時)の穴吹義雄監督に誘われて、南海に入団した。
 その後、ホークスは南海から福岡ダイエーへとチーム名が変わったが、主力選手として人気を博した。94年からサッカーの三浦和良にちなんで「カズ山本」に登録名を変えた。99年に現役を引退した。引退後は吉本興業に所属。福岡事務所のタレントとしても活動することが多い。

◎華々しく引退飾る
 現在、プロ野球マスターズリーグの「福岡ドンタクズ」の選手でありながら、社会人野球「福岡オーシャンズ9」の監督も務めている。また北九州市にある「こどもの館〜HOW〜」の館長も務めている。
 95年、試合中に故障を発生した影響で、その年は成績が残せなかったことと、2億円という年俸でダイエーを自由契約になった。翌96年、近鉄の入団テストを受けて復帰、再び登録名を本名に戻した。
 この年のオールスターゲームに初めてファン投票で選出され、古巣福岡ドームで決勝本塁打を放った。そして2度目の最優秀選手に輝いた。
 99年、42歳の山本は戦力外通告を受け引退を勧められたが、それを拒否して残り試合に出場した。その年、優勝したダイエーとの最終試合後の優勝セレモニーの前に、山本はダイエーの好意とファンの声援に応えグラウンド内を1周、「これでオレの現役は終わった」と語った。

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