社会
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社会 2009年03月28日 15時00分
永田町血風録 民主党若手、中堅議員の“小沢離れ”
「太郎(麻生首相)ちゃん、まさかお祖父ちゃん(故吉田茂元首相)の大磯の旧邸宅のように焼け落ちることはないだろうな」 いささか不謹慎極まりないたとえだが、この旧吉田邸の火災は不人気麻生の前途を見るような気がしてならない。 「自民党にとってみれば、民主党の小沢一郎代表のカネまみれの手法について国会で追及する機会があったのは、2度や3度ではなかった。それもやれない自民党に対して多くの国民は愛想を尽かしてしまった。不人気にさらに輪をかけた格好だ」との声が、永田町界隈から漏れ聞こえてくる。 民主党はガードを固めて自民党を政権から引きずり下ろそうとしていた。小沢の秘書の逮捕起訴で一時はクシュンとなっていたが、また再び、息を吹き返している。 公設秘書の逮捕から2週間。自らの身辺に捜査の手が及ぶ恐れはなくなり、小沢はむしろ動きを活発にしている。 東京赤坂のすし屋で川端達夫副代表、平野博文幹事長代理らと酒のテーブルを囲んでいる。 「なんで、オレだけが刺されるんだ。オレを潰そうとしているの…」 言葉の端々からは、政権交代という平成5年、自民党離党以来の悲願がすぐ目の前に実現しようとしていた矢先の事件への悔しさがにじむ。カネと政治のスキャンダルで、小沢が窮地に立たされたことは間違いない。 しかし、党内外に「参ったな…」といった弱気なところは見せたくない。かといって、秘書の一件は、大筋で容疑を認める供述をしていることもあり、さらに広がりを見せる可能性なしとはしない。 「それは、マスコミ各社の論調を見ればよくわかる。だから小沢は、『腰が痛い』とか何とか言っては人前には姿を見せず、このところホテル暮らしが続いてる。それでも、幹事長の鳩山由紀夫らを呼んでは、『政権奪取』とハッパをかけているが…」(政治ジャーナリスト) だが、民主党の若手や中堅は「もしこのまま小沢のところに捜査の手が伸びたら、民主党は火だるまになる。今のうち、小沢とは一線を画しておくほうがいいか」と逃げ腰になっている。 それでも、政党支持のアンケートや調査では、小沢民主党と麻生自民党を比較すると、まだまだ小沢の方がすべての点で優位に立っている。 だから、民主党は強気で攻めている。これまでよりは少し自民党も人気や支持率で持ち返しつつあるが、今、選挙をやれば、やはりかつてない大火傷を自民党は負ってしまうはず。 麻生もお祖父さんの墓参りをし、「なんとか守ってほしい」と十字(クリスチャンのため)を切ったという。 しかし、そのお祖父さんの旧邸が不審火(失火)で焼失してしまった。なにか先行き不安ではありませんか、太郎ちゃん。(文中敬称略)
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社会 2009年03月28日 15時00分
夜の首都圏PAC3配備、テポドン迎撃の落とし穴
北朝鮮が「人工衛星」として発射する長距離弾道ミサイル「テポドン2」が日本列島に落下した場合に備えて浜田靖一防衛相から破壊措置命令が出されたのを受け、航空自衛隊は27日夜、首都圏警戒のため地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を闇にまぎれて首都圏各地に配備した。一応の迎撃態勢が整ったかたちだが、そこには落とし穴がある。ミサイルの破片が雨あられとなって首都圏に降り注ぐ可能性がある。 首都圏の空を守るPAC3は、陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京都)や防衛省本省がある陸自市ケ谷駐屯地などに移動し、こっそり配備された。北朝鮮が4月4〜8日に打ち上げるとしている人工衛星は、ロケットの先端に弾頭を装着すれば「テポドン2」に早変わりする。1段目に新型ブースター、2段目にノドンを使い、射程は約6000キロ。2段目は日本列島上空を飛び越えていくといい、精度が悪ければ首都圏に落下する事態も想定される。国民の生命・財産を守るためPAC3の配備は当然だろう。 航空自衛隊は、陸自の秋田、岩手両駐屯地などにも30日まで配備し迎撃態勢を完了する予定。しかしながら、これで万事安心とはいかない。迎撃失敗の可能性はもちろん、仮にうまく撃ち落とせたとしても、オフィスや民家などに“ミサイルの破片”が雨あられのように降り注ぐ危険性があるからだ。市街地上空でPAC3で迎撃した場合、破片が拡散し、かえって被害が拡大する恐れが指摘されている。 こうした指摘について外薗健一朗航空幕僚長は27日の会見で「ミサイルの進入角度や気象状況によるので、一概にどういう結果かは予想できない」と述べた。つまり、ひとつ間違えば大惨事につながりかねないわけで、そんなあやふやな状況下でPAC3を配備されても何の気休めにもならないのである。 一方、海上自衛隊は28日、海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載したイージス艦「こんごう」「ちょうかい」を長崎県佐世保港から日本海に向けて出港させる。ほかにSM3を搭載していない「きりしま」も、太平洋側でミサイル航跡の探知にあたるため神奈川県横須賀基地から出港。3隻はすでに周辺海域に展開している米イージス艦と連携してミサイル発射に備える。恐怖の瞬間は刻一刻と近づいている。
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社会 2009年03月26日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(18)
それである日、勇気を奮って芳松に「そろそろ他の仕事をやらせてもらえないでしょうか」と言ってみた。 普段は頭ごなしに怒ったりしない芳松から、この時、徳次はいきなり怒鳴られた。 「何いっ! 炭を搗(ひ)いてちゃ他の仕事が覚えらんねえ? ベラ棒め。門前の小僧習わぬ経を読むってえ言葉を知らねえか。3年、5年、炭の粉を搗いていても、てめえの心がけ一つで他の仕事は覚えられるんだ。他の仕事がわからねえっていうのはお前の心がけがいけねえんだ。習わぬ経を読む心がけで勉強しろ。心がけのよくない野郎だ」と散々な言われようだった。 “門前の小僧習わぬ経を読む”という諺(ことわざ)は、徳次が初めて会得した教訓である。それからは、職人や兄弟子達の仕事をじっと見て、自分から覚えるように努力した。 明治39(1905)年に、1年半にわたって続いた日露戦争が終わった。日本は勝利したが、不況は続いていた。 徳次の奉公も7年目に入った明治41(1908)年のある日、突然、芳松が“鉛筆製造”を始めると言い始めた。既にドイツ製の機械も注文していた。 日本で鉛筆を工場生産した草分けは明治20(1887)年、東京・内藤新宿に造られた水車を動力とした真崎鉛筆製造場が挙げられる。日清戦争(明治27〜28年)後、好景気が訪れ、日本の小学校は就学率も学校数も倍増したが、長い間、筆記用具は毛筆を主としていた。 それが順次、鉛筆に切り替えられて、大正の半ば(1920年頃)には一般家庭にも普及していく。 明治34(1901)年には、全国の郵便局で鉛筆使用を開始していた。 芳松が鉛筆製造に乗り出そうとした背景には、こうした鉛筆の普及と需要の増加があった。ドイツ製の機械を入れた鉛筆工場も都内の各所にできていた。
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社会 2009年03月26日 15時00分
永田町血風録 “次の政権”ひそかにうかがう鳩山兄弟
民主党の鳩山由紀夫幹事長と自民党の鳩山邦夫総務相の兄弟が、それぞれの党内で動き始めた。 「2人とも選挙を意識してのもの。兄の由紀夫は、小沢一郎代表が西松建設の企業献金で身辺に危機が迫りつつあることから、小沢に『ぼつぼつヤバくなったので考えた方がいい』とこのところ、ことある度に忠告している」(政治ジャーナリスト) 確かに小沢にあれこれ言えるのは、自民党時代から行動を共にしてきたし、小沢を支えてきたからだ。最近では、小沢が政治資金規正法で秘書が逮捕された時、地検のやり方を「国策によるもの」と必死で庇(かば)ったことは何度もこの項で書いたとおり。 その鳩山由紀夫が、急に小沢に「国民の声に耳を傾けた方がいい」といったような意見を言い出した。小沢も「(そのことは)気にしている。24日に大久保隆規秘書の拘留期限が切れた後、どのようになるかを見極めた上で考える」と答えるなど、鳩山兄の言うことを少なからず聞くようになった。 民主党は小沢の続投が決まったことで、代表の座を狙っていた菅直人、岡田克也、前原誠司らも再びだんまりを決め込むことになった。 小沢の側近と自他ともに認める鳩山兄も、彼らの後塵を拝するわけにはいかない。党内で小沢に意見を述べることでその存在がクローズアップされ得る。 一方、自民党の弟、総務相の鳩山邦夫は津島派に所属している。かんぽの宿売却を白紙に戻させ、最近は東京中央郵便局の増改修に烈火の如く怒ってイチャモンをつけて脚光を浴び、その存在は全国区人気になっている。津島派内の5人の若手と新グループを結成した。 「(派閥の)総会に出ないのは派閥離脱ではないか。はっきり、何か狙いがある」(津島派幹部) そんな穿(うが)った見方もされている。 津島派は、昨年の総裁選で石破茂農水相など、複数候補を支持したように、もう1つまとまりを欠いている。鳩山邦夫は「あくまで勉強会であり、これでどうこうしようとするものではない」と、この新グループの旗揚げを説明している。 しかし、かつて兄の由紀夫に従って、自民党を離党して同一行動をしたことがある。 穿った見方をすると、鳩山兄弟はこの混迷している政界をうまく利用して、その再編を行い祖父・鳩山一郎の後を継いで天下(首相)を手に入れようとしているのではないかという声も出始めていた。 小沢は政治資金規正法違反に関する件で、その政治生命を縮めたのは確かだ。鳩山幹事長が「小沢の次」を狙わないはずがない。 邦夫は不人気の麻生太郎に代わり自民党総裁の座が転がり込んでこないとも限らない。鳩山兄弟の動きからは目が離せないのだ。(文中敬称略)
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社会 2009年03月25日 15時00分
政府紙幣発行 効果に疑問
自民党が提言した政府紙幣の発行による景気対策について、麻生太郎首相が前向きな姿勢を示した。古くから政権維持の目的で新しい通貨を発行するのは権力の常だった。しかし、通貨の価値が暴落し、激しいインフレを招くのも歴史が証明しているところ。定額給付金で無駄遣いをした後は新紙幣の発行。麻生首相はどこまで国民を愚弄するのか。 政府紙幣発行プランは自民党の菅義偉選対副委員長らが中心となって進めてきたもの。麻生首相は「100年に1回と言われる金融危機。ありとあらゆることを考えてもいい。非常に興味を持っている」と述べ、田村耕太郎参院議員を会長に党内に議員連盟を発足させた。若手、中堅議員にはおおむね好評だという。 そのひとり山本一太参院議員は「景気刺激効果がある」と高く評価。自民党を離党した渡辺喜美衆院議員も「25兆円発行すれば、現状のデフレと円高を是正し、1〜2%の物価上昇と1ドル120円の円安が期待できる」と麻生首相に提言した。 しかし、政府紙幣発行は本当に景気対策に効果があるのか。 政治評論家の本澤二郎氏が指摘する。 「そんなことをしたら、本来の円の価値がどんどん下落し、日本社会の価値が下がります。日本の税収は毎年40兆円。それなのに90兆円の予算を編成し、足りない部分は国債を発行している。そのトータルが今や1000兆円です。孫の代にまで借金を押し付けている。今でこそ、アメリカの混乱で円高になっているが、こういう状況の中で新たに紙幣を発行したら、猛烈なインフレが起こり、海外での円の価値もなくなって日本人は海外旅行にすら行けなくなるでしょう」 政府発行紙幣で思い出されるのが戦前の軍票である。軍用手形とも呼ばれ、戦時中、占領地で食糧などを調達し戦争遂行のため軍が発行。日本の政府機関に持ち込めば円と交換してくれたが、軍票の乱発で占領地では激しいインフレが起こったという。 海外に目を向けると、新紙幣の発行で国内が天文学的なインフレになっているのがアフリカのジンバブエ。同国は昨年7月、年率2億3100万%の物価上昇を記録した。それというのも、経済政策の失敗で政府が4度に渡って新紙幣を発行したからだ。パン1斤が実に25億ジンバブエドル(1米ドル)。今も超インフレは止まらない。 「日本は“中曽根バブル”のツケを今も払わされている。ゼロ金利政策をとり、どんどん紙幣を刷って市場に流したのは中曽根康弘元首相です。ダブついた金で不動産や株が次々と買われ、バブル経済が起こったが、結局1990年にはじけて1500兆円ともいわれる金が消えてしまった。その借金を国民はずっと背負わされているのです」(本澤氏) 政府紙幣の発行について財務省は「法改正する必要がある。偽造防止コストがかかる。印刷についても時間がかかる」と慎重な構えを見せ、日銀も「政府発行紙幣と同じ意味を持つ量的緩和政策を2001年3月から5年間実施したが、効果があったとは思えない」と懐疑的だ。 「こういうナンセンスなアイデアが飛び出すのも、次の選挙で自民党が敗北するのが確実だからです」(本澤氏) 2兆円の定額給付金の支給の次は政府紙幣の発行…。麻生首相はいったい国民をどこへ連れて行こうとしているのか。
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社会 2009年03月25日 15時00分
WBC収益配分 ベスト4止まりの米国が66%
WBC連覇で日本列島が湧いた24日、侍ジャパンをスポンサードした関係企業は優勝セールや記念品販売を決定。商魂たくましく“回収”に着手した。しかし、今回のWBCでいちばん笑いが止まらないのは日本ではなく米国だ。チームはベスト4止まりにもかかわらず、収益配分率は全体の66%を確保。最低でも約16億円と見込まれる収益のうち10〜11億円以上が配分されるという。日本はわずか13%だから、完全なぼったくりである。 WBCは開催2回と歴史は浅いが、サッカーでいえばW杯のような位置づけ。これを連覇しながら侍ジャパンに配分されるスポンサー料は全体の13%にすぎない。優勝賞金と第2ラウンド1位通過ボーナスを合わせ総額310万ドル(約3億700万円)という。ここからアマチュア野球振興に使われる支援金を除き、原監督以下首脳陣と選手計36人で均等割りすると決められているため、1人あたりの取り分は4万3000ドル程度。日本円にして500万円にも満たない金額である。 ところが米国はボロ儲け。そもそもWBCは米大リーグ機構(MLB)と大リーグ選手会が主催しており、それぞれが収益の33%を獲得。つまり合計66%が米国に配分されることになる。 前回第1回大会の収益は推定1600万ドル(約15億5000万円)といわれる。今回はそれを上回りそうな情勢といい、仮に前回並みだったとしても最低10〜11億円は米国に流れる計算。侍ジャパンが準決勝で下したベスト4止まりの米国が“ひとり勝ち”というわけだ。無邪気にはしゃぐのがバカらしくなってくる話ではないか。 しかもWBC決勝の激戦を演じたのは日本、韓国のアジア勢。ところが決勝ラウンドは米国で開催されたため、米国は日曜日でも日本国内は月曜日の昼間。サラリーマンは営業の合間に家電量販店の大型テレビの前で歓喜するしかなかった。決勝戦に地元ロサンゼルスのリトルトーキョーやコリアンタウンの在米日本人、韓国人が大勢詰め掛けたのがせめてもの救いだった。 WBCのスポンサーになっているセブン&アイ・ホールディングスは25日から優勝セールを実施。日本マクドナルドは28日からハンバーガー類を最大120円値引きするという。しかし、いちばん儲けているのは米国というのはどうにも納得できない話である。
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社会 2009年03月25日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(17)
兄弟子たちから「しみったれ」と言われても気にしないで給金を貯めていたが、義母に取られてしまうのでは貯めても無駄だと思って暗い気持ちでいた。次の日、芳松が徳次に声をかけた。 「昨日、おっかさんが来たんだってな」 徳次は“おっかさんなんかじゃない”と思ったが黙って頷(うなず)いた。芳松は、「今度っから全部、渡しちまうことはねぇんだぞ。今にいい職人になれるんだから辛抱しな。俺には全部わかってる。しっかりしろよ」と言ってくれた。 芳松の言葉に、思わず声をあげて泣いた。 初めは8銭だった小遣い銭も、日が経つにつれて少しずつ上がった。徳次は義母に給金の全額は渡さず、少しずつ貯めていった。 坂田の店で7年7カ月の年季奉公を務める間に、徳次が貰った給金は総計48円63銭。自分の手元には残らないながら、金銭出納簿を作って記録していた。 奉公に入ってから3年も、ワラの炭の粉を付けて金属を磨く仕事ばかりしていた。明けても暮れてもウスで炭を搗(つ)いて細かく砕き、ふるいにかけて粉にして製品を磨く。こうして地金の汚れを取り、次に朴(ほお)炭という研磨用の炭で磨き、さらに硬い鋼(はがね)のヘラでこすって製品をぴかぴかに光らせたら仕上がりだ。 この一連の作業が、他の人たちから言い付かる雑用のほか、徳次に決められた仕事だった。新入りの仕事だが、後からは丁稚(弟弟子)が1人も入ってこないので、ずっとさせられていた。 人一倍辛抱強かったし、坂田の家での待遇にも不満などなかった。 ただ“ずっとこの仕事しかさせてもらえないのか”“このままでどうやって一人前の職人になれるのだろう”“下働きのまま一生過ごさなくてはならないのか”と、だんだん心配になってきた。他の人たちがやっている仕事が羨(うらや)ましくもあった。
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社会 2009年03月24日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(16)
徳次の家の事情を知っている芳松が、他の者に気後(きおく)れしないようにと打ってくれた芝居だった。こんな芳松の心遣いに徳次は、口に出してはうまく言えなかったが深く感謝した。そして心の中に“この親方のために…”という誓いのようなものを抱いたのだった。 徳次の給金は小遣い銭として毎月貰う8銭だった。子供なりにお金の有難さをよく知っていた。給金を貰っても1銭も使わず、荷物の底に大事にしまっていた。 蓄えは毎月少しずつ増えていく。月の終わりに紙包みを開いて、貰った小遣いを入れ足していく時、日々の辛抱や努力がそこに蓄積されて報われていくような気がした。けれども、この蓄えは手元には残らなかった。義母が店にやって来ては徳次を呼び出し、せっかく貯めた給金を持って行ってしまったからだ。義母が初めて坂田の店に金をせびりに来たのは、徳次が丁稚に入ってから何カ月か経ってからのことだった。奉公に入ったときに熊八には5円という大金が支払われていた。それを使い果たしてやって来たのだ。義母は家の生活が苦しいことを訴え、徳次から芳松に頼んで金を少し借りてくれと言う。 そんなことは、できる筈(はず)もない。何と返事をしたらいいものか、困惑して黙って俯(うつむ)いたまま、道に転がっている石を見つめていた。義母も帰ろうとしない。いつまでも店から離れているわけにはいかない。仕方なく、徳次はその場を離れて大部屋に行き、荷物の底に大事にしまっていた何カ月分かの給金を取り出して義母の所に戻った。「これ」と言って差し出した給金の包みを、「あるんならとっとと渡しなよ。人をこんなに待たせるんじゃないよ」と悪態をつきながら受け取ると、また来るからと言い残してやっと帰って行った。 徳次は体の中を風が吹き抜けるような思いがした。そしてその後は小遣いが貯まる頃には決まって義母が現れ、蓄えを持って行くのだった。
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社会 2009年03月24日 15時00分
永田町血風録 献金問題で傷を舐め合う与野党
民主党の山岡賢次国対委員長や鳩山由紀夫幹事長の口から「(衆院解散で)国民に信を問え」といったコメントが、このところほとんど聞かれなくなっている。 山岡は共闘しているはずの野党の同じ国対委員長、共産党の穀田恵二、社民党の日森文尋と個別に会って、平成21年度予算関連法案について話し合い、「この不景気の時、やたらと審議の引き延ばしをしても意味がない。とにかく年度内成立に応じよう」と持ちかけたが、穀田は反対、日森も回答を保留した。 「なにも、そう急いですることはない。野党各党が個別に、それぞれ行動すればいい」という考えが民主党を除く野党間にあるのは確か。さながら、同床異夢だ。 なぜ山岡がこんな言動をするようになったか。いうまでもなく小沢一郎代表の秘書が、公共事業受注企業(西松建設)からの政治献金問題がある。小沢は「この献金による逮捕は国策捜査だ」と発言。国民の間に「やっぱり小沢だね。田中(角栄・故人)、金丸(信・故人)のカネにまつわる悪いところをそのまま引き継いでいる」といった自身への不信を、なんとか払拭しようとしてのものだった。 今までの民主党の主な役どころは“小沢教”であり、党内では誰一人として小沢に対しては口も利けなかった。しかし、小沢の資金管理団体を巡る政治資金規正法違反事件を受け、党政治改革推進本部役員会で政治資金規正法の見直しが俎上に乗せられた。もちろん、その議論の中心になるのが「公共事業受注企業からの政治献金全面禁止」を打ち出すかどうか。小沢の判断次第だが、小沢はことのほか慎重な姿勢を示している。 一方の自民党も西松建設からの資金提供(パーティー券など)で閣僚などがスネに傷を持っている。あまり“大口”は叩けない立場にある。 国会で、これでもかとばかり中傷合戦を展開していた自民党と民主党はなぜか示し合わせたように、この献金問題などカネのことは言わなくなっている。 共産党や社民党は、このチャンスを逃している。社民党内には、今回の事件は共闘している民主党のエラーで、あまり接近して自分たちも砂を被りたくないと、そんな姑息なことを考えて一歩、下がっているフシさえある。国会で積極的に議論に加わらない方がいい、と言わんばかりなのだ。 そんなわけで、国会におけるカネと政治の問題は、四海波静かの状態。 「与野党とも同じ傷を舐め合っている。鳩山も言わないし、山岡も民主党内で口をつむんているのは、口を開いてシッポを掴(つか)まれたくないからだ。自民党にしても、そうだ。藪から蛇でも出したりしたら、今は致命傷になる」(政治ジャーナリスト) 自民党、民主党ともに今は、“イワザル”の心境なのだ。(文中敬称略)
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社会 2009年03月24日 15時00分
成田空港 米貨物機炎上事故 フェデックス社沈黙の怪
成田空港で米貨物大手フェデラル・エクスプレス(フェデックス=以下FDX)のMD11が着陸に失敗し炎上、乗員2人が死亡した事故で、同社は積み荷や機長の操縦歴といった基本データすら明かさず沈黙を守っている。下降気流などの直撃を受けて機体の制御ができなくなった可能性の高いことも24日、国土交通省の調べで浮上。事故機の直前10機は通常着陸していた。沈黙の背景に何があるのか? FDX社は23日、成田空港で北太平洋地区担当の氏家正道副社長らが会見。「ご迷惑をおかけした」などと謝罪の言葉を述べたものの、事故機の積み荷や飛行歴、機長の操縦歴といったきわめて基本的なデータすら明かそうとしなかった。「調査中のため話せない。お答えできない」の一点張りで、事故原因究明に消極的な姿勢をみせた。 これだけの死亡事故を起こしながら、積み荷や機長の操縦歴すらすぐに把握できないとはにわかに信じがたい。また事実であれば逆に、大手航空貨物企業の危機管理能力が問われる。 同社はドイツのDHL、米UPSと肩を並べる世界の総合物流トップ3。会見では、同社の業績低下による労働環境の変化が事故に起因しているのではないかとの質問もぶつけられたが、氏家副社長は「労働時間はいままでと変わらない」と因果関係をきっぱり否定した。個々のパイロットの細かい労働環境については即答できるのに、なぜ基本中の基本といえるデータは「調査中」なのか。機長の操縦歴などについては「プライバシーの管理が厳しい」とも話した。 一方、事故機が着陸する直前の数分、風速や風向きが急激に変化する「ウインドシア」が強まっていたことが分かった。機体を下降気流などが直撃し、制御できなくなった可能性が高まっている。空港では、おもに北西から風速20メートル前後の強風が吹いていたが、事故前に到着した10機はいずれも無事。事故4分前の日本貨物航空のジャンボ機などが強風下のなか通常通りに着陸した。 運輸安全委員会は気象データやフライトレコーダー(飛行記録装置)を解析し、着陸直前の気象変化や、それに伴うFDX機パイロットの操縦状況を詳しく調べる。