社会
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社会 2009年04月01日 15時00分
森健氏 フライングで公約達成!?
千葉県知事選で圧勝した森田健作氏(59)は31日、首相官邸に麻生太郎首相(68)を訪ね、マニフェストに掲げる東京湾アクアライン通行料を800円に値下げする構想への協力を求めた。29日夜の当確から約42時間後の直談判。森田氏によると、交渉は成功したという。就任前に“フライング”で公約達成!? 森田氏は国会議員時代は自民党に所属していたため、麻生首相とは面識があった。それでもやや緊張した面持ちで官邸入りした森田氏だったが、午後2時31分、首相と会うや「どうも総理! がんばりました」と笑顔で握手を求めた。首相は前回知事選で涙を飲んでから4年間の労苦をねぎらうように、がっちり握手しながら森田氏と肩を抱き合うように祝福した。 この日午前、千葉県庁で当選証書を受け取った森田氏の狙いはひとつ。05年知事選時から公約に掲げるアクアライン通行料の値下げ交渉だった。 会談後、森田氏が報道陣に話したところによると、「アクアラインを値下げできないのなら、もう目の前のニンジンはいらないからぶっ壊してくれ」と迫ったそうだ。 この申し入れに首相は「わかった。国交省に検討するよう指示する」と答えたという。 「首相に『前向きに考えてくださいますね』と念を押すと、『そのようにする』とおっしゃってくださいました。大成功ですよ、これは」と森田氏。千葉県木更津市と神奈川県川崎市を洋上で結ぶアクアラインは、国交省の所管する国道409号。開通当初から高額な通行料がネックとなり、予想をはるかに下回る通行量にとどまっている。3月20日から土日祝日のETC普通車は1000円(平日は3000円)に割り引いたが、森田氏の構想はさらに値引いて年間400億円の経済効果を生むことが狙い。 しかし、森田氏の初登庁は6日の予定で、4日までは現職の堂本暁子氏(76)の任期中。本当にうまくいったとすればフライングで公約を果たした格好だが…。
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社会 2009年04月01日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(21)
何とか元気を振り絞って声を出してみても、妙に咽喉(のど)にからんで心細い呼び声しか出ない。けれども懸命に声を張り上げているうちに、恥ずかしさはだんだん薄れ、少し威勢よくできるようになってきた。 “呼声というのがなかなかコツのいるもので、わざとらしくなく、しかも客の好奇心にぴったり合うように呼ばなければならない。むやみに呼び続けていても効果は少ない”。呼び声を始め、徳次は夜店で客の心理や品の並べ方、タイミング、駆け引き等、いろいろ学んだ。こうしたことは後年、事業を始めてからも、とても役に立った。 当時、鉛筆の市場相場は大体1本1銭だった。それが3本で1銭なのだから、安さの魅力で徳次の店にも少しずつ客が寄るようになった。一人買う人がいると、それにつられるように他のお客さんも買ってくれた。 「ちゃんと書けるのかい?」と疑う客には、鉛筆を目の前で削ってみせて、クズ鉛筆でも十分使用に耐える品であることを証明した。これも現場で自然に体得した宣伝法で、こうすると鉛筆はよく売れ始めた。 売れ始めると段々調子に乗って殺し文句も出るようになるし、客に勧めるコツも自然とわかってきた。最初の日、徳次は24銭を売り上げた。帰りは夜中の12時をとっくに過ぎていたが、芳松夫妻も兄弟子2人も、起きて徳次の帰りを待っていた。 水天宮での縁日を皮切りに、日本橋、浅草、本所、深川と隅田川を中心に右岸・左岸で開かれる縁日に出掛けては夜店を出し、鉛筆を売った。 一晩の駄賃として売り上げの中から2銭ずつ貰った。売れる日ばかりとは限らず、売り上げが少なくて元気なく戻る日もだいぶあった。よく売れた晩は、徳次が話す一部始終を皆で喜んだり笑ったりして楽しく過ごした。芳松が喜んでくれることが何より嬉しかった。
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社会 2009年03月31日 15時00分
森健&東国原&橋下 知事連合誕生か
千葉県知事選で100万票越えのぶっちぎりVを果たした森田健作氏(59)に強力な“援軍”が出現した。宮崎県の東国原英夫知事(51)と大阪府の橋下徹知事(39)だ。両知事は30日、森田氏に連携への期待を込めた熱いエールを送っており、森田&東国原&橋下という知事連合が誕生する可能性が出てきた。 東国原、橋下両知事に共通するのは、国に対してはっきりモノを言うこと。しかし地方自治体の首長が国と闘うには限界があるため、志を同じくする知事仲間が必要になってくる。発信力ある両知事と、俳優であり衆参両院での国会議員経験もある森田氏がタッグを組めば相当手ごわい存在になるのは間違いない。口先だけで地方分権を唱える国には厄介だろう。 そうした連携を意識してか、知事選から一夜明けた30日、東国原氏と橋下氏がさっそく熱烈エールを送った。 東国原氏は森田氏当選について、報道陣を通じて「認知度も情報発信力もあるので、地方分権を連携して進めたい」とストレートに協力要請した。さらに「『関東の雄』として日本をけん引していただきたい」と最大級の賛辞で“知事連合”のボス就任をうながした。 橋下氏もまた「PR力も国への発信力も格段に僕より上。国会議員としての経歴もあるスーパー知事が誕生した」とベタ褒め。年齢や経験からか、早くも“兄貴分”として頼りにしている姿勢すらのぞかせた。 熱血漢で知られる森田氏はまだ若い。しかしながら東国原、橋下両知事よりは年長者のため存在感もあり、政治家として大先輩でもある。知事就任では“後輩”にあたるが、この3知事が連携する際には必然的にボスの座に就くことになるだろう。さらに、関東-関西-九州と広域連携のかたちになるため、他府県の知事を巻き込める可能性も広がってくる。 森田氏はきょう31日、首相官邸で麻生太郎首相と意見交換する予定。あす4月1日には東京都の石原慎太郎知事に会うという。“青春の巨匠”の当選で、地方がが然アツくなってきた。
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社会 2009年03月31日 15時00分
中国“6月危機” 就職できない新卒者の暴動警戒
4兆元に上る景気刺激策が議論を呼んでいる中国で、その焦点は就業問題に移りつつある。2月危機はなんとか乗り越えたが、次は6月危機。卒業シーズンを迎えて就職できない新卒者が街にあふれ、暴動を起こしかねないというのである。 どうにか回避された2月危機。1月26日から始まる春節(旧正月)を郷里で過ごした労働者が再び都会に帰ってくるとき、仕事が見つからず暴動が起きるのではないかと心配された。今度の6月危機は大学生の就職問題だ。 中国では大学の卒業式は6月。今年は過去最高の592万人の新卒者が見込まれている。しかしその就職活動はきわめて厳しく、約150万人が職にあぶれることになりそう。その不満が大規模な抗議行動につながりかねないと懸念されているのである。 雇用を維持するためには、年間GDPの成長率8%が必要不可欠といわれる。ところが昨年第四半期の成長率は6.8%と大きく下回った。 問題は、中国政府が景気刺激策として投じる4兆元の中身だ。約半分にあたる1兆8000億元が道路や送電線工事などのインフラ整備にあてられる予定。インフラ整備は景気を刺激するが、就業問題の解決にはつながらない。公共工事受注による臨時雇用は生まれても一時的なもの。持続的な就業には直結しないとみられているからだ。 中国の長老エコノミスト・孫鄭軾氏は「4兆元の使い方はアジア金融危機のときと同じ。現状にはそぐわない。労働集約型の企業ではなく、高い付加価値を持つ企業を育てるべきだ」と語っている。 一方、中国の経済成長を持続させるためは、就業問題と同時進行でエネルギー問題を解決しなくてはならない。かつては資源大国を称していた中国だが、工業化の急進とモータリゼーションの拡大により、すべてのエネルギーを自給することが困難になった。 中国のエネルギー事情の特色は石炭への依存度が高いこと。エネルギー消費の約7割を石炭が占め、ほぼ自給できるという。しかしながら石油の海外依存度は高い。大慶など東部の油田で産出しているが、消費量の増加に追いつかないのが現状だ。1990年に比べて昨年は石油消費量が約5倍に膨れ上がった。エネルギー消費量も米国に次いで世界第2位である。 石油資源の確保は経済成長のうえで欠かせない問題だ。1992年より中国の3大メジャーと位置付けられるCNPC(中国石油天然ガス集団公司)、SINPEC(中国石油化工集団公司)、CNOOC(中国海洋石油総公司)の各社が海外での石油資源開発やM&Aに乗り出した。その活動はアフリカや中東、アジア、南米など30カ国におよび、投資やM&Aの案件は140件に上るという。 背景には、世界的な金融危機の影響で投機資金が引き揚げられたことや、油田・鉱区の権益の相場が下がったことがある。3大メジャー各社は資源価格が上がった折、安定した財務基盤を構築したため資金的にも問題はなく、権益確保に拍車がかかっている。 さらに中国通のアナリスト・原口浩氏は「中国の財務基盤はまだゆとりがある」と指摘。その理由をこう続ける。 「中国の国債発行残高は対GDP比率が19%ぐらい。150%を越える日本に比べ遥かにゆとりがある。あと数年は財政拡大しても大丈夫だ」 中国の財政拡大を望むもうひとつの要因がある。今や米国の国債の21%を保有しており、日本の20%を上回っている。オバマ政権は景気刺激策として、国債を増発せざるを得ない。その引き受けを中国が担う代わりに、米国は人民元の為替レートに対して黙認するという暗黙の了解がある。 当然ながら財政拡大には限界がある。就労問題、エネルギー問題と並んで今後の大きなテーマとなるだろう。 労働集約型経済から高付加価値型経済へ。6月危機を心配する中国にとって、工業生産の海外へのシフト、サービス産業の発展など産業構造改革が必須の課題だ。そうそう危機が訪れてはたまったものではない。
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社会 2009年03月31日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(20)
再出発したものの、なかなか北二葉町の時のようにはいかない。以前は次から次へと注文があったが、今は仕事が途絶えがちだった。そこへ悪いことに芳松が大火傷を負い、寝込んでしまう。 蝋(ろう)づけ用の石油ランプをうっかり倒して石油を浴び、そこに引火して、あっという間に火に包まれたのだ。右腕から腋(わき)へかけてひどい火傷を負い、動くこともできない状態になった。 坂田の店は徳次たち3人の肩にかかった。洋傘の金具づくりの仕事は3人で何とか続けられるが、営業や取引の交渉になると、少年3人ではどうにもならなかった。芳松を医者に診せるために出費は嵩(かさ)むのに、店の収入は目に見えて減っていった。立て続けに起こる困難に堪(たま)りかねた兄弟子2人は実家に逃げ帰ってしまった。徳次は彼らの実家に急いで出かけ、何とか説得して連れ戻して来た。そしてそのことは、病床の芳松には伝えなかった。 2人を連れ戻した直後、徳次は思いついたことがあった。「あれを売ろう」。隅に置いた石油缶を指さしながら2人に言った。差し押さえられたドイツ製の機械で作った“売り物にならない鉛筆”が2杯の石油缶にぎっしり詰まっていた。 「出来は悪いけど鉛筆は鉛筆だ。立派に使えるんだから、夜店で安くしたらきっと売れる」。もちろん、徳次も初めての商売には不安もあったが、何とかなるとも思っていた。 芳松に、鉛筆を売って金に替えましょうと提案したその日の午後、徳次は出来損ないの鉛筆を風呂敷いっぱいに包んで背負うと店を出た。向かった先は日本橋・水天宮。その日は縁日だった。 水天宮は浜町、蠣殻町と抜けて6キロはある道のりだ。隅のほうに場所を見つけて潜り込むと早速、地面に風呂敷を広げてその上に鉛筆の山を作った。 「鉛筆3本、たったの1銭!」と呼び声を出さなくてはいけない。だが初めてのことで、かあっと上がってしまい恥ずかしくてたまらない。
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社会 2009年03月31日 15時00分
永田町血風録 「永田町が小沢でひとつになる日」は来ない
「東京がひとつになる日」。3月22日に行われた「東京マラソン2009」のキャッチフレーズだ。 「日本がひとつになる日」は、同じ24日の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝、日本対韓国戦だ。 「いや、こんなにスポーツが国内の話題を独占するなんて羨(うらや)ましい。早く政治もこうなってほしいものですな」 ある野党の大物政治家がテレビで観戦しながら、そう呟(つぶや)いた。 同じ頃、民主党は小沢一郎代表の秘書の政治資金規正法違反で裁かれるかどうか。小沢とその子分たち、鳩山由紀夫幹事長、山岡賢次国対委員長ら、かつての“小沢派”の面々は、この事件を落着させて次の選挙で国民が民主党になびく、その日を語っていた。 そして、翌々日24日の深夜、小沢が涙を浮かべ秘書の不祥事を説明したがどうにも歯切れが悪かった。 3年前の4月、民主党代表に選ばれた小沢は、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」という名画「山猫」の名ゼリフを引用して、「まず、わたし自身が変わらなければなりません」と大見得を切った。しかし、3年経った今、小沢は少しも変わっていなかった。 民主党は「カネと政治をクリーンにする」のが党是だったのに、その代表は自民党時代からのカネと政治の関係を変えてはいなかったことになる。 政界は、すでに総選挙モードに突入している。24日の小沢の説明で、代表を辞任して民主党も出直す、というコメントでもあるのかと期待した。それは同時に、永田町全体が民主党を見直す時でもあった。 それなのに、小沢は開き直ったのだ。「オレは辞めない」と。この説明を聞いていた国民、いや、それ以上に民主党議員の間には「あの小沢の会見は何なのか」といった落胆の声が大勢を占めた。 「民主党を中心とした政治の波がひとつになるはずが、ひとつになるどころか民主党への期待が雲散霧消してしまいかねない。次の選挙では、もう小沢というか民主党の傘の下では闘えない。いっそのこと、辞めてくれた方が民主党議員には危機感が募り、選挙はいい結果になっているかもわからない」 と、民主党の国会議員の中には小沢以上に半べそをかき、涙さえ流している者もいる。 「なぜ、あの24日の記者会見で『オレは辞める』と言わなかったのかな。このままでは民主党への支持はどんどん下がっていく。やりにくくなるのだけは確かだ」とは中堅の国会議員。 ただし、鳩山だけは「この件に関して何も言わない。あとは麻生(首相)が『国会を解散する』と言わないで、任期まで引きずってくれることを願うしかない。そのうち、国民も小沢の秘書事件を忘れてしまう」というようなことを考えて、じっと我慢しているのか。 「永田町が小沢でひとつになる日」が来ないことだけは、確実になった。(文中敬称略)
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社会 2009年03月30日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(19)
芳松は初め、機械さえ入れれば簡単に鉛筆が作れると思っていた。ところが実際は、鉛筆の芯を木の軸の真ん中に1本、真直ぐに通すのは容易なことではなかった。 芯が一方に片寄ってしまったり、斜めに通ってしまったりして、真直ぐに通ることが滅多になく、通ったと思うと中で何か所も折れていたりした。こうして作れば作るほど材料を使うばかりで、売れる鉛筆ができない。芳松は鉛筆製造のために抱えた借金を返済できず、家財から工場までの一切を差し押さえられてしまった。店は大混乱で、職人や徒弟たちはこの時にほとんど辞めてしまった。最後まで残ったのは徳次と、2人の兄弟子たちの3人だけだった。 芳松は北二葉町にいることができなくなり、知り合いから借りた中ノ郷竹町35番地(現東駒形1丁目付近)の裏長屋に引っ越す。そこで一から出直すという芳松に、3人は引っ越しの手伝いを申し出た。北二葉町から半里(約2キロ)ほど北の中ノ郷竹町までの引っ越しは、運ぶ物もほとんどないので、すぐに終わった。今までと同じ本所だが、だいぶうらぶれた町という印象を徳次は持った。 芳松は3人に引っ越しの礼を言うと「俺はもう店を閉めたも同じだ。この先、お前達がいても将来の見込みはありそうにない。付いてきてくれる気持ちはありがたいが、構わねえから、これからお前達はいい所へ行って出世してくれよ」と別れを告げた。 徳次は初めから芳松について店にどこまでも留まる決心だ。2人の仲間にも前もって意見を尋(たず)ねてみると、2人とも同じ気持ちだった。3人は芳松から離れない約束をしていた。2人の兄弟子達が黙っているので徳次が芳松に言った。 「3人で相談しましたが、よそへは行きたくないんです。みんなでどうにか仕事もできますから親方に面倒はかけないと思います。みんな親方の傍(そば)にいたいんです」 3人の申し出に芳松は感激し、勇気も湧いたようだった。それでは一緒にもう一度やり直そうということになり、洋傘の付属品製造に返った。
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社会 2009年03月30日 15時00分
白石氏、知名度及ばず
29日午後8時42分。公明党県本部や自民党の一部が支援した関西大学教授・白石真澄氏(50)の選対事務所のテレビから「千葉県知事選、森田健作氏当選確実」のニュース速報が流れると、陣営からため息がもれた。 それでも会見に臨んだ白石氏は笑顔で選挙事務所に現れ、支持者から拍手で迎えられた。 「私の政策と人となりを県民の皆様に理解していただくには時間が足りなかった。今後のことは関係者と相談してゆっくりと決めたい。森田氏には知事になった以上、マニフェストは実行してほしいし、クリーンな政治をしてほしい」 会見中も終始笑顔だったのは、今後に向けて確かな手ごたえを感じたからだ。「街頭で立ち止まってビラを取ってくれた有権者はみな『あなたのマニフェストが一番優れている』と言ってくれました」と胸を張る。 今回の敗戦の理由を知名度しかないと分析する。 「前回の選挙ですでに95万票を獲得した森田氏の名はそれだけ浸透していました。われわれには出遅れ感があり、時間が足りなかった」 選挙戦の序盤過ぎからは、橋下徹大阪府知事、小渕優子少子化対策担当相、義家弘介参議、プリティ長嶋市議、丸山和也参議、やくみつる氏、プロレスラーの大谷晋二郎選手といった豪華メンバーを応援演説に集め、モリケンに対抗して知名度の巻き返しを図ったが、結果は一歩及ばず。“青春の巨匠”の知名度はまだまだ衰えていなかったようだ。
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社会 2009年03月30日 15時00分
千葉県知事選初当選、森田健作氏“ピーナッツ大使”宣言
任期満了に伴う千葉県知事選は29日投開票され、俳優で元衆院議員の森田健作氏(59)が101万5978票を獲得して初当選した。抜群の知名度で無党派層の支持を集めた森田氏は同日深夜、本紙の単独取材に「手始めにピーナッツを売り出そうか」と宣言。宮崎産マンゴーを全国にPRした東国原英夫知事(51)に対抗し、その知名度をいかして千葉の特産品である落花生をガンガン売り込む考えを明かした。 モリケンの熱血千葉県構想が動き始めた。 開票から1時間もたたず午後9時前に当確が出るぶっちぎりの圧勝だった。思わず男泣きした。千葉市中央区内の選対事務所で支援者や事務所スタッフと午後11時50分まで喜びを分かち合ったモリケンは、たまたま居残っていたため記念撮影のカメラマン役を任されることになった本紙記者に「ありがとう」と笑顔で歩み寄った。マンゴーのPRで好スタートを切った宮崎県に対し、新生・千葉はまず何から売り込むか? 生産量日本一を誇る梨か落花生か、それとも漁獲高1位の伊勢エビか? モリケンは少し考えて「そうだな。手始めに落花生あたりから売り出すか」と微笑んだ。その表情はすでに千葉県政を変える意欲に満ちあふれていた。 陣営幹部は「森田新知事には、東国原宮崎県知事の宣伝力と橋本徹大阪府知事の財政再建力の両方を持って進んでいってもらいたい。千葉の宣伝が足りないのは確か。そういう意味では森田ならば普通の知事にはできないことがある」と言外に知名度を利用した活動をにおわせた。東国原、橋本両知事によって発信力ある首長の強みが認知されたほか、衆参両院の国会議員経験による国政へのパイプもある。100万票越えはそうした千葉県民の期待の表れだろう。 実際、一都道府県の首長選挙にもかかわらずその注目度は高い。きょう30日は早朝6時20分のTBSラジオ出演を皮切りに、テレビ・ラジオへの生出演が計18番組も続く。17日間の選挙戦を闘い抜いたモリケンの喉はつぶれ、痛々しいほどのかすれ声だ。さすがに「ちょっと休ませてくれよ」と本音も漏れたが、それでも千葉のPRのため最後の気力を振り絞って番組出演を受けた。 スポ根テレビドラマ「おれは男だ!」の主人公でスターダムにのし上がって以来、熱血漢で鳴らす“青春の巨匠”はどこまでもアツかった。29日は早々に“当確”が出ると、事務所に押し寄せた数百人の支援者から「バンザイ」の嵐。友人である俳優京本政樹氏(50)も駆け付け、美子夫人(46)と3ショットで「ありがとう」を連発するモリケンを中心に歓喜の輪が広がった。開票を待つあいだ、風呂で自身のヒット曲「さらば涙と言おう」を久しぶりに歌ったという。 モリケンは「中央(政界)にモノを申す、新しいかっこいい千葉県をつくっていきたい」と意気込み、事務所前の路上で合計5回も胴上げされた。2005年の千葉県知事選では約6086票差で現職堂本暁子知事に敗れながら、「また新しい青春の1ページが始まる」と異例の胴上げがあった。4年前のリベンジをきっちり果たし、うれしい胴上げとなった。 モリケンは「ボクは現場主義。いろんなところに行って、まず現場の人に話を聞いて、それを極力政策にいかしていきたい。議会対策にしてもできることとできないことははっきり言うし、別に後援会をつくるわけじゃない。森田に投票してくれたのならば、投票責任もある。感謝するとともに『いっしょにやりましょう』と訴えたい。ボクはこれから中央にモノを申すことが多くなると思います」とイケイケモード。どこまでも突っ走りそうな勢いだった。 森田氏が名誉監督を務める社会人野球チーム「千葉熱血MAKING」の河野和洋監督(34)は、「本当にうれしい。森田さんには試合だけでなく練習でもノックを打ってもらったりと熱血指導を受けてきた。われわれにとって森田名誉監督は、球界でいえば長嶋茂雄さんのようなあこがれの存在。忙しくなるでしょうが、それはしょうがない。これからは恩返しできるよう、地域の少年野球教室のお手伝いなどで貢献したいですね」と話した。ちなみにチームカラーは森田氏にならって「明るく元気に」だという。
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社会 2009年03月28日 15時00分
トヨタ“大政奉還”の成否
トヨタ自動車工業は4月、豊田章男副社長が社長に就任する。この発表と同時に営業利益を下方修正し、今期の1500億円にのぼる赤字計上の見込みを公開するという大改革に乗り出した。マスコミ各社は「豊田家への大政奉還」などと騒ぎ立てているが、実際、日本経済をけん引してきた“世界のトヨタ”の行く末はどうなるのだろうか? オーナー企業はマイナスイメージが強い。最近では、保守的で融通が利かないというオーナー経営者のイメージにプラスして、老舗オーナー食料企業の不祥事が相次いだため、ますます風当たりが強くなった。しかし、欧米ではオーナー企業の評価は決して低くないようだ。 経済アナリストの清水崇氏は次のように解説する。 「実際に欧米自動車産業ではオーナー企業がめじろ押しです。米フォードは創業家であるフォード一族が発行済み株式の40%超を保有。イタリアのフィアットはアニエリ一族が30%を持ちます。独BMWは同社を吸収合併したクヴァント一族が50%超、仏PSAプジョーシトロエンは創業者のプジョー家が30%、独ポルシェは創業のポルシェ博士の一族が100%保有し、さらにポルシェを通してフォルクスワーゲンの議決権株式の75%を保有しています」 さらに最近では、オーナー企業の優位性も検証されている。 「第一にオーナー企業は不況に強い。データから見て、雇用の維持を優先する。そのため従業員はオーナーに求心力を感じ、モチベーションを維持することができる」と関係者は話す。全産業のなかでも大手自動車メーカー各社は特に、派遣切りなどで雇用条件のさらなる悪化が懸念されているところ。労働者にとって不安は尽きず、それゆえモチベーション向上は喫緊の課題とされる。 「第二にオーナー企業は長期展望を実現できる。米国企業の多くは株主至上主義にある。専業経営者は株主の顔色を伺わざるを得ず、短期の利益を追求することになり、長期的な視野に基づく方策をとりにくい」(同関係者) しかしトヨタ自動車の場合、株式の保有率では豊田家は決してオーナー家とはいえない。豊田家の持ち株は少なく、関連会社の株式の持ち合いで成立しているからだ。 豊田家への大政奉還の意味を思慮すれば、原初に戻る再生指向か。大量解雇の一方でスタートへの回帰を喧伝することにより、生じるであろうあつれきを少しでも減らすことができる。従業員からの評価が再生のカギを握りそうだ。 トヨタのルーツといえば豊田佐吉だ。地元愛知県が誇る立志伝中の人物で、自動織機を開発して現トヨタの礎を築いた。農家の出身だったが、父が大工仕事に長けていたため、農民でありながら大工仕事に従事。艱難辛苦(かんなんしんく)のすえ自動織機を開発する。その普及に寄与したのは、機械の性能はもとより、当時広まっていた自動織機が木製だったこと。つまり、外国製の自動織機に比べて廉価で販売できたのである。 良い物を安く売るのは商いの鉄則だ。この伝統に章男氏はどこまで従えるだろうか。 章男氏は慶応義塾高校から、ハワイのプンホウスクールに学んだ。この高校には5年遅れて米オバマ大統領も学んでおり、両者同窓生の関係にある。 慶応大学に進んだのち米国バブソン大学でMBAを取得し、米国の投資銀行に就職。2年後トヨタに就職するが、そのとき父章一郎から特別扱いはしないと言われた。現にトヨタで係長から平社員への降格も味わっている。 以後国内営業や生産管理を担当し、販売部門への「カイゼン」活動の横展開などを通じ、販売部門の改革を主張した。 その経営能力については未知数と評価する声が多い。しかし、再出発にあたっては少なくとも豊田家の象徴である物作りの原点に回帰するとともに、オーナー経営者は雇用の維持に全力を尽くすというデータを裏切らないで欲しいものだ。