社会
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社会 2009年04月14日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(29)
浄水場が日本に初めて造られたのは明治20(1887)年、横浜市のことだ。東京に出来たのは明治31(1898)年。日清戦争がぼっ発し資材や労働力が不足したため、当初の計画より4、5年遅れての完成だった。初めは神田・日本橋方面のみ通水したが、翌明治32年末には給水範囲は当時の市内全域にまで及んだ。 水道自在器は水道栓(せん)のネジを開ける専用の鍵の役割をする、水道の蛇口のようなものだ。当時の水道は、各戸に引かれているものはまだ少なく、大抵は近隣の世帯が共同で使用する共同水道だった。共同水道の契約者は、それぞれが水道を使用する際にこの水道自在器を使って栓を開ける必要があった。 水道器具屋というのが鈴を鳴らしながら市内を回り、自在器やホースなどを売った。巻島も水道器具の販売業者で、水道自在器を自分の所で製造して売ろうと考えたのだ。 見本の水道自在器は9個の部品から成る、複雑な構造のものだった。自在器がよく売れるのは夏という話だったので、洋傘の金具の仕事がなくなる時期を埋めるのにちょうどいいと徳次は思った。 芳松の許可が出たので徳次は早速、本所林町の巻島の店に行って相談した。とんとん拍子に話は進み、すぐに自在器の製作にかかった。徳次の作る製品は出来栄えもよく、しかも無理をしても納品日にはきちんと納めたので巻島も大満足だった。 ある日、巻島との間に徳尾錠の話が出た。特許を取ったものの見本を数個製作したままだったのだ。巻島に見せると「面白い」と言って、知り合いの日本橋馬喰町の伊藤ボタンという店に預けてくれた。 しばらくすると、巻島がうれしい知らせを持って来た。徳尾錠の注文だ。それも33グロスという大量注文である。1グロスは12ダースなので396ダース、4752個だ。徳次は巻島に「必ず期日までに納品します」と約束した。
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社会 2009年04月14日 15時00分
永田町血風録 ずさんミサイル防衛で麻生首相解散に二の足
攻める側の民主党、守る側の自民党。この攻防が桜のこの時季、4月になって「まさしく攻守ところを変え」た。 ようやく自民党の支持率がわずかばかりだが上昇。あれほど高支持率だった民主党。千葉県知事選で自民党の一部が推した森田健作が、民主党などの推した他の候補者たちに圧倒的な強さで勝った。 「これからは、今、首相の麻生(太郎)が国会を解散して総選挙を行っても、民主党には勝つと思う」と自民党内には、こういう考えが広がり、一気に総選挙モードになっている。ほんの1カ月ほど前には民主党が「国会を解散して国民に信を問え」と小沢一郎はじめ鳩山由紀夫、菅直人ら民主党の主力は口を開けば、「解散、総選挙」を口走っていた。 ところが民主党の関心が少しずつ薄らぎ始めた。そこへ北朝鮮のミサイル(飛翔体)発射だ。 「どうも共産主義や社会主義というのは人間にとっては利益はないのだ。北朝鮮のミサイル発射について、民主党内にも、この北朝鮮のむちゃな言動を礼賛する人もいるから、国民感情はますます離反してしまっています。選挙をやるなら、今です」(政界アナリスト) だから自民党の国会議員たちは自分の選挙区へ帰り、総選挙の準備に取りかかっている。 公明党代表・太田昭宏は、「東京には東京の問題設定がある。東京都議選と衆院選が重なることは望ましくないという姿勢は全く変わっていない」と述べて、このことを麻生にも伝えたという。 ちなみに東京都議選(7月12日投開票)と衆院選は切り離して行うべきだ、と再三再四、太田は麻生に申し入れている。 これには公明党の支援者である創価学会の信者との深いかかわりがあるから、麻生はこの太田の発言に耳を傾けてはいるが、望ましい解散・総選挙の時期について麻生は「選挙で勝てるという現況をどう生むかである。それを考えると、その時期に関しては、いろいろな諸問題をクリアしてからでないといけないだろう」となかなか腰を上げない。 この麻生の立ち居振る舞いに与野党とも「解散かそうでないか、はっきりさせてもらいたい」と首相官邸にお百度を踏む議員も多い。 ただ麻生は北朝鮮のミサイル発射に、日本の“国防”があまりにもずさんで2度にわたって誤報を発信したことで躊躇(ちゅうちょ)があるようだ。 「こんな危機管理のない国家では、もし国会を解散したら、『あの体たらくでよくも…』と笑われるのがオチ。麻生はもう一度、内閣をすべてのことで建て直して、そして本当に国民に信頼されるような様子がうかがえたら、一気に解散・総選挙と。そんなふうに考えている」と麻生の性格をよく知る別の政界アナリストは語っているが…。(文中敬称略)
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社会 2009年04月14日 15時00分
森氏VS中川氏 全面戦争へ
自民党最大派閥の町村派は13日夜、都内のホテルで政治資金パーティーを開いた。“親分”の森喜朗元首相に逆らったため、「降格」され冷や飯を食っている中川秀直元幹事長はこの日も欠席。分裂含みの不穏な空気はいっこうに消える気配がなかった。むしろ、このまま“手打ち”せず森VS中川の全面戦争に突入する可能性も出てきた。西松建設事件以降、やたら能天気ぶりが目に付く麻生太郎首相は、今度は“体内”に大きな爆弾を抱えてしまったようだ。 麻生首相の出身派閥は、麻生派と呼ばれる「為公会」。ありていに言って弱小派閥である。派閥力学がすべてを支配する中、弱小派閥の麻生氏が首相にまで昇り詰めることができたのは、町村派のバックアップを得られたから。その町村派のドンである森氏と、反逆児となった中川氏のいさかいが長引くことは、政権運営には大きなマイナス要因となる。 この日の町村派パーティーでは、会長の町村信孝前官房長官が「森元首相以来、4代続けて首相を輩出した。党内で最有力の集団だと自負して麻生首相を支える」と勢力を誇示。だが麻生政権を支持する森、町村両氏ら主流派と、批判的な中川氏との確執は深い。 町村派では2月5日、事実上のオーナー森氏が町村氏を会長に昇格させ、消費増税問題をめぐる首相批判で対立が決定的になった中川氏を降格する人事を決定。以来、中川氏は「私が発言すれば不協和音が生じる」と派閥の会合に出席していない。この日のパーティーにも姿を見せなかった。 「森-町村」側にも歩み寄る気配はいっさいなし。特に町村氏が4月2日の総会で、欠席を続ける中川氏の姿勢に疑問を呈するなど両氏の亀裂は大きく、派内では「修復は不可能」との見方も出ている。 7日には電柱、電線を地中化して並木道に変える街づくりを目指す議員連盟の初会合で、安倍晋三元首相の両側に町村、中川両氏が座ったが、言葉を交わさないまま中川氏は早々に退席。ここまでほころびが大きくなると、派閥分裂も真実味を帯びてくる。 一方で、この場面が象徴するように、双方をつなぐ役割として安倍氏の存在感が高まっている。中川氏に近い小池百合子元防衛相は、議連発足に際して安倍氏に会長を要請。安倍氏は麻生氏にも近く森氏との関係も良好だ。若手の一人は「『安倍派』への衣替えもそう遠くないのではないか」と指摘する。 パーティーで、乾杯のあいさつに立った安倍氏は、「これまで乾杯のあいさつは森さんだったが、『これからはおまえがやれ』ということでしょうか」と意味深長に話した。 民主党の敵失で浮き足立つ麻生氏だが、知らないうちに抱える爆弾は大きくなっていた。それでも浮かれていられるか?
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社会 2009年04月14日 15時00分
「事件法廷」15歳少女“愛人”集団強姦事件(上)
東京地裁で昨年12月から3月にかけ、ある裁判がひそかに注目を集めた。40席ほどの傍聴席は毎回ほぼ埋まった。傍聴人の興味をそそったのは事件そのものと背後にある特殊性だった。 起訴状などによると、事件は2007年9月に都内で起こった。荒川区に住む被告人A(27)ら地元の不良仲間4人は深夜、知人で当時15歳の女子中学生Y子に暴行を加え、A所有のワンボックスカー内で次々に強姦におよんだとされる。 AとY子が初めて会ったのは事件の約3カ月前。Aの友人がY子をナンパしたことがきっかけだった。そのうちに「5回前後」(Aの証言)の肉体関係を結び、AはY子を「年下の愛人」(同)として付き合い始めたという。 異常な“愛人関係”は、Y子がAの友人B(共犯者)に5万円を受け取ったことで破たんする。5万円の返却をめぐるトラブルから事件当日、Y子はA、Bらから呼び出しを受けた。BはいきなりY子の腰あたりを蹴り、髪をつかんで車に押し込んだ。 走行中の車内でさらに暴行を加えられたY子は全裸にされた。小さな公園前の路上に停めた車内で抵抗を続けたが、ガムテープで後ろ手に縛られ目隠しされた。Aから「やれよ」と指示を受けたC少年のあと、A、B、Dと立て続けに4人の男から強姦を受けた。Dはその数時間後にも襲いかかってきたという。 夜が明けてもY子は連れ回され、A、B、C少年のほか、合流したAの友人Eの5人で群馬県の山中に向かった。信じがたいことに今度のドライブの目的は大麻だった。群馬でAらは大麻の収穫を行った後、せっかくだからと温泉に浸かり、東京に戻ってからようやくY子を解放したという。 数カ月後、Y子が警察に告発し事件は発覚。逮捕監禁、集団強姦容疑で手錠をかけられた。しかし、弁護側は「客観的な証拠はない。Y子と(告発後、罪を認め少年院送致となった)C少年の供述に信用性がない」と無罪を主張した。 法廷でのAはメモを取るなど終始落ち着いていた。小太りながらウェーブのかかった前髪を額に垂らしたインテリ風。起訴内容のイメージとはかけ離れている。 第2回公判でY子の証人尋問がはじまった。未成年ということも考慮してか、Y子は別室に控え、裁判官、検察官、弁護人の前だけに置かれたモニターに姿が映し出されたが、傍聴席からはうかがうことはできなかった。(つづく=阿部雄二)
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社会 2009年04月13日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(28)
明治45(1912)年の春、試作を続けていた製品が、ついに完成した。その日も夜遅くまで作業していた徳次が、それも終わった様子なのに寝に行かずに仕事場に残っている。どうした、と芳松がのぞいてみると「親方、出来ました。見てください」と出来たばかりの作品を芳松に手渡した。ふーん、としばらく仕組みを見たり、金具の滑り具合を確かめたりした芳松が言った。「なかなかよく出来てるな」 徳次が作ったのは革のベルトに付ける尾錠(びじょう、バックルのこと)だった。このころには町では軍人や労働者の制服姿も見かけるようになり、洋服を着る人も少しは増えてきていた。徳次自身は洋装をしたことはまだなかったが、浅草の電気館で見た「いたずら小僧」という映画の登場人物のバンドの先が長く垂れているのが気になって“あのバンドを工夫して先が垂れないようにできないだろうか”と思ったのが、考案のきっかけだった。 徳次の尾錠は、中にコロという細い棒のようなものが細工してあり、ベルトに穴を開けずに好きな所で締められる。徳次は完成した尾錠の特許取得を出願した。名前から1字取って“徳尾錠”と命名。特許料の印紙代5円と弁理士への手数料2円を支払い、自分にとっての第1号の特許権を得た。 徳尾錠の特許申請をしたあと、もう次のことを考えていた。水道自在器の製造だ。坂田の店に下請け仕事を出していた杉原という店からきた話で、もともとの注文主は巻島喜作という荒物商だったが、芳松は断るつもりでいた。徳次は傍(そば)で話を聞いていて、この仕事は面白いと思った。やれる自信もあったので個人で受けさせてもらえるよう芳松に頼んでみた。 「あっしに、やらせてもらえませんか」「手が込んでいて面倒だぜ。だが、お前がやりたいなら、やってみな」 芳松はあっさり承諾してくれた。この仕事は個人で請けることになり、やがて巻島とも知り合いになる。(経済ジャーナリスト・清水石比古)
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社会 2009年04月13日 15時00分
石原都知事が陸自練馬駐屯地で祝辞
東京都練馬区の陸上自衛隊練馬駐屯地(師団長・渡邉隆陸将)で12日、同駐屯地と陸上自衛隊第1師団の創立記念行事が開かれ、隊員約1000人と車両約100両が観閲行進を行った。 式典には石原慎太郎知事(76)も出席。先ごろ北朝鮮が発射したミサイル問題に触れ、国連安全保障理事会での制裁が議長声明に終わる見通しとなったことを批判した。 「相変わらず日本は国連さまに依存し、結局何の役にも立たなかったじゃありませんか。国連は虚構のメカニズムだったんです。私たちは国連やアメリカを気にしなくとも自分自身でこの国を十分守れるんです」と隊員を激励した。
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社会 2009年04月11日 15時00分
森健知事またまた政治資金めぐる大チョンボ発覚にも、元気ハツラツキャラ貫く
千葉県の森田健作知事(59)にまたまた政治資金をめぐるミスが発覚した。資金管理団体「森田健作政経懇話会」が2005年に2つの政治団体から受けた寄付計400万円について、政治資金収支報告書に記載していなかったことが10日、判明した。ところが森田氏はこのテの話でも不思議なほどさわやか。この日訪れた東京都庁で記者団に、「聞いたよ〜。(担当者に)気をつけてと言っていたんだ」と元気ハツラツキャラを貫いた。 10日午後、都庁の都議会議事堂で群馬・八ッ場(やんば)ダム建設推進議員連盟の設立総会に出席した森田氏は、帰り際に記者団に囲まれ、政治資金をめぐるミス連発を突っ込まれた。 森田氏は「聞いたよ〜。前の選挙(05年千葉県知事選)のときのだよね。『気をつけて、気をつけて』と言っていたんだ」とさわやかな受け答えに終始。担当者のミスをなじることもなかった。 同懇話会は10日までにいずれも総務省に訂正を届け出た。森田氏の個人事務所は「会計担当者が交代した際の引き継ぎミス。現在事務所ですべてチェックし直しているところだ」と説明しているが、政治資金のずさんな管理が批判を呼びそう。決してさわやかでいられるような状況にはない。 森田氏をめぐっては、自ら代表を務める自民党東京第2支部が05〜06年、当時の政治資金規正法で禁じられていた外国人・外国法人の持ち株比率が50%を超えるディスカウントストア大手「ドン・キホーテ」から献金を受け取ったことが明らかになったばかり。初当選からまだ2週間しか経っていないのに、政治とカネをめぐる問題が立て続けに表面化した。 ドンキの件についても森田氏は「なにしろ人間だから失敗もあるかもしれない」などと“ドンマイ精神”をアピール。ネガティブな話題から逃げないのは立派だが、元気ハツラツムードまで漂わせては違和感が残る。 2つの政治団体は自民党山崎派(近未来研究会=当時)と甘利明行政改革担当相の資金管理団体「甘山会」。近未来研究会の報告書には300万円を05年2月14日に、甘山会の報告書には100万円を同月24日にそれぞれ同懇話会に寄付したとの記載があるが、いずれの寄付も同懇話会の報告書には記載がない。
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社会 2009年04月11日 15時00分
五輪招致に向けOI砲結成
“世界のホームラン王”王貞治氏(68)が理事長を務める世界少年野球財団と東京都は、来夏の第20回世界少年野球大会と今年7月末のプレ大会を東京で開くことで合意し、都庁で10日、石原慎太郎知事(76)と王氏による調印式が行われた。 本大会では23カ国・地域の少年少女が、寝食を共にしながら交流試合や野球教室を通じて国際親善をはかる。王氏は「いままで以上に中身の濃いものにして、子供たちが素晴らしい思い出をそれぞれの国に持って帰れるような大会にしたい」と意気込んだ。 石原氏は「このごろの子供はスポーツをしなくなった。スポーツに耽溺する機会をつくるのは私たち“老兵”の責任」とバックアップを約束。2連覇で盛り上がった第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を引き合いに、今度は2016年東京オリンピック・パラリンピックで感動を…と夢を広げた。 王氏は「日の丸といえば五輪が最高のもの。東京で開催されればもっともっと日本国中が盛り上がるし、気持ちがひとつになる」と五輪招致に協力する考えを示した。 息ぴったりの2人は素振りでも競演。サイン入りバットをもらった石原氏が軽く素振りをすると、王氏は「健康維持のためにも振ってください。20〜30ヤードは飛ぶようになりますよ」とゴルフの飛距離アップをほのめかして笑いを誘った。 逆に、一本足打法を見せて欲しいとねだられた王氏は「お恥ずかしい」と謙遜しつつ往年のバッティングフォームを披露。石原氏から「あなたがバットではなく刀を振ったCMは、なかなか勇ましく鮮烈なイメージがありましたなあ」と脱線発言が飛び出すほど盛り上がった。 知事退席後、王氏に石原氏のスイングの印象を尋ねた。「回転がいちばん大事。知事のスイングは体がちゃんと回転しておりました。ゴルフやサッカー、水泳をやられているから自然に動くんだろうと思います。たいへんスムーズな動きをされていました」と高評価。現役生活で868本をスタンドに放り込んだ王氏と、左利きながら右で振った石原氏。五輪招致に向け破壊力満点の“OI砲”が完成した。(高)
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社会 2009年04月09日 15時00分
小沢一郎民主党代表&鈴木宗男新党大地代表 政界お騒がせタッグ誕生
北朝鮮による長距離弾道ミサイル発射事件を機に、米・オバマ大統領と麻生首相は強力タッグを結成、国際社会に存在感を示している。そんな中、日本政界にもうひとつのタッグが誕生しつつあるという。かつて“疑惑のデパート”の異名を取った鈴木宗男新党大地代表と、西松事件で正念場を迎える小沢一郎民主党代表の2人だ。にっくき敵「検察」の批判で意気投合した2人は急接近。政界のはしっこで結成された「お騒がせコンビ」は何を生む? 7日で在任期間3年を迎えたばかりの小沢代表。メール問題で深刻な打撃を受けた党の立て直しに全力を挙げ、2007年の参院選では与野党逆転を達成。その勢いを駆り次期衆院選での政権交代に向け歩を進めてきたが、西松建設巨額献金事件で自身の公設第一秘書が起訴され攻勢ムードは暗転。進退が取りざたされる苦しい立場に追い込まれている。 「就任以来、1人でも多くの国民との直接対話をやってきた。万年野党的な発想ではなく、現実に政権を担うという意識がみんなの間に芽生えてきている」。7日の記者会見で、3年間の実績について小沢氏はこう強調。党の“体質改善”を主導してきたという強烈な自負をうかがわせた。 だが現在の小沢氏にそんな感慨に浸っている余裕はない。3月3日の秘書逮捕以来、党内には進退論がくすぶり、気が晴れない日々が続いている。この日の会見でも進退問題に関する質問に「役員会、常任幹事会、議員総会で続投の了承をいただいたばかりだ」といら立ちを隠さなかった。 小沢氏の進退に焦点が当たるのは07年秋の「大連立」騒動以来2度目。小沢氏は当時の福田康夫首相と連立協議開始で大筋合意したが、役員会で猛反対され、「ぷっつん」して辞意を表明。慰留を受けて撤回したという経緯だった。だが今回は次期衆院選を間近に控えた重要な時期。 また、民主党が今月下旬に行う衆院300小選挙区を対象とした党の世論調査の扱いをめぐり思惑が交錯している。党に厳しい結果となれば西松事件に絡んで公設秘書が起訴されても続投した小沢一郎代表の進退が再燃するためで、5月の衆院解散が取りざたされる中、続投支持派と批判的な勢力との駆け引きが強まりそうだ。 小沢氏は今月3日、18、19両日、調査を実施するよう周辺に指示した。小沢氏に距離を置く前原誠司副代表はこの前々日、「今までの調査結果と比較対照する中で、党内全体で議論することが大事だ」と述べ、結果を所属議員に示すよう求めた。 発言の背景には、06年4月の代表就任以来、小沢氏らが調査結果を独占、今回も小沢氏に都合の悪い結果が出た場合は「隠ぺいして、西松事件の党勢への影響は少ない、と逃げ切るのではないか」(中堅議員)との疑念がある。 これに対し、鳩山由紀夫幹事長は記者会見で「全員が見れば、メディアに漏れたりする。正確にデータを分析して判断するのは代表、幹事長の責任だ。信頼してほしい」と結果の共有を拒否、小沢代表を擁護している。 現在、小沢氏の辞任を求める声が沈静化しているのも「解散が近づき、党勢が低迷している場合は小沢氏も辞任を決断するだろう」(若手議員)との期待が続投批判派にもあるため。小沢氏は会見で「必要な情報は個人に伝達している。公表はしない」と言い切ったが、7日の党常任幹事会では長妻昭氏が「調査結果はどこまで公表するのか」とやんわりと情報開示を要求。ほかの議員からも今後、公開を求める声が高まるのは確実だ。小沢氏らが調査結果を示さないままの続投は難しいものとなりそうだ。 お膝元からの不協和音が日に日に大きくなりつつある小沢氏。そんな中、妙に意見の合う“お友達”を見つけた。鈴木宗男新党大地代表だ。 小沢氏は7日夜、都内で開かれた鈴木氏のパーティーで、公設第一秘書が起訴された西松事件に関し「政治の世界に公権力、国家権力が口を挟んだり、影響を及ぼすことになれば、民主主義は成り立たない」と述べ、東京地検特捜部のあり方を重ねて批判した。 02年、特捜部に受託収賄容疑などで逮捕され、刑事裁判中の鈴木氏は「国策捜査を受けた者として言うが、小沢代表の秘書逮捕は検察の暴走だ。検察が正義でなく、正義は国民が判断する」と同調。小沢氏は「鈴木代表とも機会あるたびに話すが、われわれ個人の問題ではない」と“激しく同意”した。 オバマ大統領と麻生首相の国際タッグをまねたわけでもなかろうが、政界の片隅に突如誕生した“お騒がせタッグ”の目的が、ただの「愚痴を言い合う会」にならないことを祈るばかりだ。
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社会 2009年04月09日 15時00分
新潮VS朝日急展開 朝日新聞襲撃事件“実行犯”が寝返り新証言「オレは実行犯ではない」
新潮VS朝日が急展開した。週刊新潮で朝日新聞襲撃事件実行犯と名乗って告白手記を掲載していた島村征憲氏(65)が、きょう9日発売の一部新聞・週刊誌で「オレは実行犯ではない」などと新証言したと報じられた。手記の掲載責任や事件の真相をめぐり、新潮、朝日がせめぎあう中、実行犯告白者の“寝返り”は新潮側にとっては大ダメージとなりそうだ。 島村氏の“寝返り新証言”を報じたのは、朝日新聞、産経新聞、そして新潮のライバル誌とされる週刊文春。朝日、新聞は1面でニュースとして報じるとともに、手記を掲載した新潮の責任を問う関連記事も掲載した。 文春は「オレは阪神支局襲撃の実行犯じゃない」とタイトルをつけ3ページさいた。島村氏の正面顔写真入り。最長6時間の面談取材を計5回以上したという。島村氏は同誌に対し、事件の実行犯ではなく「若い衆にやらせた」と話している。新潮に掲載された襲撃場面の描写についても、一橋文哉氏の著書「『赤報隊』の正体」(新潮社刊)などのパクりだとしている。関係者によると、島村氏は「オレは実行犯じゃないんですよ。連載1回目を見たときは心底驚きました」などと話しているという。文春は「手記の信ぴょう性は根本から崩れ落ちた」と断じた。 島村氏は産経に対してもベラベラしゃべっている。1面記事のほかに特集を組み、同紙記者が4月上旬、複数回にわたる対面取材や電話取材を経てまとめた発言要旨などを掲載。手記が掲載される前、新潮と島村氏のあいだで交わされたとする「覚書」の存在を明かしている。島村氏が手記掲載後、証言を虚偽であったと発表した場合、「それは脅迫によって書かされたものである」とする内容らしい。 朝日は1面で、手記掲載をめぐって新潮が島村氏に計90万円を支払っている事実をスクープ。新潮は朝日の取材に「原稿料」などと答えている。 新潮は7日、島村氏が「自らの手記を否定するかのような不可解な発言をしている」として、来週16日発売号で経緯を説明することを明らかにしている。新潮は1月29日発売の2月5日号から島村氏の手記を4回にわたって掲載。朝日は検証記事を掲載して内容を「虚言」と断じ、4月1日には紙面で訂正と謝罪を求めている。