徳次が作ったのは革のベルトに付ける尾錠(びじょう、バックルのこと)だった。このころには町では軍人や労働者の制服姿も見かけるようになり、洋服を着る人も少しは増えてきていた。徳次自身は洋装をしたことはまだなかったが、浅草の電気館で見た「いたずら小僧」という映画の登場人物のバンドの先が長く垂れているのが気になって“あのバンドを工夫して先が垂れないようにできないだろうか”と思ったのが、考案のきっかけだった。
徳次の尾錠は、中にコロという細い棒のようなものが細工してあり、ベルトに穴を開けずに好きな所で締められる。徳次は完成した尾錠の特許取得を出願した。名前から1字取って“徳尾錠”と命名。特許料の印紙代5円と弁理士への手数料2円を支払い、自分にとっての第1号の特許権を得た。
徳尾錠の特許申請をしたあと、もう次のことを考えていた。水道自在器の製造だ。坂田の店に下請け仕事を出していた杉原という店からきた話で、もともとの注文主は巻島喜作という荒物商だったが、芳松は断るつもりでいた。徳次は傍(そば)で話を聞いていて、この仕事は面白いと思った。やれる自信もあったので個人で受けさせてもらえるよう芳松に頼んでみた。
「あっしに、やらせてもらえませんか」「手が込んでいて面倒だぜ。だが、お前がやりたいなら、やってみな」
芳松はあっさり承諾してくれた。この仕事は個人で請けることになり、やがて巻島とも知り合いになる。(経済ジャーナリスト・清水石比古)