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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(16)

 徳次の家の事情を知っている芳松が、他の者に気後(きおく)れしないようにと打ってくれた芝居だった。こんな芳松の心遣いに徳次は、口に出してはうまく言えなかったが深く感謝した。そして心の中に“この親方のために…”という誓いのようなものを抱いたのだった。

 徳次の給金は小遣い銭として毎月貰う8銭だった。子供なりにお金の有難さをよく知っていた。給金を貰っても1銭も使わず、荷物の底に大事にしまっていた。
 蓄えは毎月少しずつ増えていく。月の終わりに紙包みを開いて、貰った小遣いを入れ足していく時、日々の辛抱や努力がそこに蓄積されて報われていくような気がした。けれども、この蓄えは手元には残らなかった。義母が店にやって来ては徳次を呼び出し、せっかく貯めた給金を持って行ってしまったからだ。義母が初めて坂田の店に金をせびりに来たのは、徳次が丁稚に入ってから何カ月か経ってからのことだった。奉公に入ったときに熊八には5円という大金が支払われていた。それを使い果たしてやって来たのだ。義母は家の生活が苦しいことを訴え、徳次から芳松に頼んで金を少し借りてくれと言う。

 そんなことは、できる筈(はず)もない。何と返事をしたらいいものか、困惑して黙って俯(うつむ)いたまま、道に転がっている石を見つめていた。義母も帰ろうとしない。いつまでも店から離れているわけにはいかない。仕方なく、徳次はその場を離れて大部屋に行き、荷物の底に大事にしまっていた何カ月分かの給金を取り出して義母の所に戻った。「これ」と言って差し出した給金の包みを、「あるんならとっとと渡しなよ。人をこんなに待たせるんじゃないよ」と悪態をつきながら受け取ると、また来るからと言い残してやっと帰って行った。
 徳次は体の中を風が吹き抜けるような思いがした。そしてその後は小遣いが貯まる頃には決まって義母が現れ、蓄えを持って行くのだった。

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