社会
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社会 2011年04月06日 14時00分
売れ始めている防災グッズ…
アキバの輸入ゲーム店で、ガイガーカウンターが売れているという。数値は参考程度らしいが。 そんな中、最も注目を浴びている防災グッズが、福島第一原発への投入の件で注目を浴びている、放射性物質を吸着する性質のある物質を使った化学剤・「ゼオライト」絡みであるらしい。 ブログ情報などを皮切りに、このゼオライトを内部被曝除去のための切り札と謳う商品が、ネット通販で売れ始めている。 とあるサイトでは、有害物質の“デトックス能力”があり、放射性物質が“6時間で体外に排出される”ので、内部被曝対策としては“最後の砦”だと謳っており、遂には品切れという人気ぶりだ。 デトックスという言葉は、確かに耳にしたことがあるが、このゼオライトを使用した体内被曝の特効薬はあるのだろうか。 独立行政法人・医薬品医療機器総合機構によると、 「解毒する=デトックス作用などというふうに言われることもありますが、ゼオライトを使用していて国内で承認した医薬品はありません。これは無許可医薬品と言われる違法なものであり、ゼオライトは有害な鉱物ですから、是非口にされないでください」 ということである。海外で承認されているのか、サプリメントなのか…それすらもわからない。販売者が逮捕されたという一部情報もある。購入は自己責任という以上に、止めた方がいいだろう。(了)(仙道)
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社会 2011年04月06日 11時45分
計画停電 今後は基本料金見直しの予定
計画停電になる地域とならない地域がある。何故だろう。 そう思って先ず驚くのが、そもそも計画停電から外れている地域があることだ。 何らかの重要地域であることに間違いはなさそう。 では、街の有力者がいる、ということ? NTTの鉄塔や変電所などが近いから? 半導体工場は、電源を入れなおしてもすぐに稼動出来ない仕組みのため、にっちもさっちもいかなくなっている、と聞いた。街では信号が止まって車が譲り合っているし、予告もなしに病院の電気も止まる…国民の怒りも一入だろう。 以下、東京電力のカスタマーセンターにいくつかの質問をしてみた。 −−東京23区の住宅地は計画停電の対象地域から外れている? 「基本的に足立区、荒川区といった23区外に電気の供給源がある自治体も含めて、23区“全域について”、住宅密集、鉄道や空港への送電などの理由で除外地域とさせていただいている」 −−今後もそうか? 「政府と検討の上決まるので、未定」 −−対象地域ではないところも1日二度停電になるところも基本料金は同一のまま? 「今後、基本料金の割引を実施する予定です」 最後の点、是非、早急な具体的決定をお願いしたいところだ。(仙道)
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社会 2011年04月05日 11時45分
放射性物質の拡散予測いちばん必要な日本では知らされないのはナゼ?
ネットで放射性物質の拡散予測を気象庁はナゼ発表しないの? 福島第一原発の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないようだ。 現在、ドイツなど欧州の気象機関は日本の気象庁から得た観測データを基に独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。気象庁の予測は国際原子力機関(IAEA)の要請によるものだという。 「放射性物質予報」を気象庁にもやってほしいという声が出るのは自然な流れだ。データ提供を民間の気象予報会社にも広げれば、「花粉情報」を出すみたいに発信できるだろう。そうすれば今日は洗濯物を外に干せるかどうかや、外出の注意も出来るだろう。子供に「今日は原発からの風がこっち向いてるから、外に出ちゃダメよ」と言えるのだが…。永田町関係者は「国民のパニックを恐れているのでは。しかし海外経由の情報で放射性物質の飛散を知るのは情けない。まあ、お上からの(公表はまかりならんという)お達しがあったんだろうね」と肩を落とす。 それを裏付けそうな書類が出てきた。18日付で日本気象学会会員あてに配布された、日本気象学会理事長名での注意文だ。そこには「放射性物質の拡散は、防災対策と密接に関わる問題であり、適切な気象観測・予測データの使用はもとより、放射性物質特有の複雑な物理・化学過程、とりわけ拡散源の正確な情報を考慮しなければ信頼できる予測は容易ではありません」とし、「防災対策の基本は、信頼できる単一の情報を提供し、その情報に基づいて行動することです。会員の皆様はこの点を念頭に置いて適切に対応されるようにお願いしたい」とクギを刺している。つまり、勝手な拡散予測はするなということ。政府が拡散情報にナーバスになっていることが伺える文書だ。 しかし、海外では入手可能な情報が日本では非公表なのは、国民の知る権利にも抵触することにならないのか? 今後政府の対応に批判の声が噴出してきそうだ。 ちなみに、ドイツ気象庁の予測では、5日は風向きにより四国や九州にも放射性物質が飛散すると予測している。
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社会 2011年04月05日 08時00分
鳩山前首相の置きみやげに苦悩する民主党
環境省の南川秀樹事務次官は3日、タイのバンコクで開かれた気候変動枠組み条約特別作業部会で会見し、福島第一原発の事故を受け、2020年までに温室効果ガス排出量を1990年比で25%削減するの目標値を見直す可能性を示した。しかし、この発言に宮城県入りしている松本龍環境大臣(59)は「温暖化対策に取り組んでいくという決意に変わりはない」と述べ、すぐさま事務次官発言を打ち消した。 永田町関係者はこう話す。「福島第一原発事故を受けて、世論は反原発へと流れ始めている。現在建設中や計画中の原発は中止や変更になる可能性が出てきたなかで、それでは、何で発電するのかという問題になる。原発に頼れなくなる以上、火力発電の稼働量を上げていかなくてはならないが、ネックになるのは2009年の国連会議で当時の鳩山由起夫首相が宣言してしまったCO2の25%削減目標なんです。政権与党なので、いまさらできませんとは言えない状況ですね」 発表当初、民主党内からも「鳩山首相の人気取りパフォーマンス」だと揶揄された削減目標だったが、この東日本大震災で「あのとき、あんなこと約束しなきゃ良かったのに…」という声まで出ているという。今回、事務方からの声が挙がったということは、民主には任せていられないという官僚の思惑も見え隠れする。民主党も本音はCO2削減目標なんて撤回したいところだろうが、早計に判断するとまた「マニフェスト破り」と批判されかねないのが頭痛のタネだ。今となっては鳩山前首相の「負の置きみやげ」が恨めしいに違いない。
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社会 2011年04月04日 11時45分
孫正義社長が東日本大震災で100億円を寄付
ソフトバンクグループ創業者の孫正義氏が、東日本大震災の義援金として100億円を寄付すると発表した。併せて2011年度から引退するまでの報酬も寄付する。この発表は4月2日に動画サイト・ユーストリームやニコニコ生放送で生中継された「田原総一郎×孫正義 対談 〜東日本大震災について〜」で行われた。 この番組では評論家の田原総一朗氏や原子力発電所の設計者を交え、福島第一原発事故についての深い議論がなされた。番組の冒頭ではソフトバンクの復旧への取り組みなどを説明した。被災地入りしたソフトバンクの社員からは、小学生が避難した屋上まで津波が襲ったと生々しい被害状況が語られた。孫氏は「一日も早く通信設備を復旧させたい」と述べた上で、寄付を発表した。 本題は孫氏と田原氏、原子炉圧力容器の設計技師の田中三彦氏(サイエンスライター)、格納容器の設計技師の後藤政志氏の4人により、福島第一原発事故について議論された。田中氏は福島原発4号炉の設計者であったが、反原発の立場に変わったという。 反原発に変わった理由を田原氏に尋ねられた田中氏は「原発事故は人々の暮らしを変えてしまう」と答えた。一方、会社で設計していた頃は「事故が起きたら、どうなるかということは中々考えない」と述べた。 後藤氏は福島第一原発が「冷やす、閉じ込める」に失敗したと断言した。格納容器の本来の圧力は1気圧であり、事故後に9気圧になったのは極めて異常という。田原氏は政府や東京電力が炉心溶融を発表することが遅れたことに激しく憤っていた。 田中氏は政府のデータ隠しと判断誤りの可能性を指摘した。首相官邸は原子炉内の水位や圧力などのデータを公開しているが、そのデータの更新時刻は地震発生から約12時間後の3月12日2時以降になっている。1号機は津波による電源喪失ではなく、地震を原因とする典型的な冷却材喪失事故の可能性が高い。それは地震直後の原子炉のデータで判断できるが、それが公開されていない。 また、公開データを分析すると、1号機の水位が低下して燃料棒が露出しそうになっているが、政府の文書などでは2号機に注目していた。判断誤りの可能性があると指摘した。その結果、1号機の水素爆発を予想できなかったという。 対談では、安全を強調する政府の発表やマスメディアの報道姿勢も批判対象となった。震災に乗じたデマが問題になっているが、根拠なく安心を強調することも流言飛語という点で見解が一致した。 放射線量が低下していると報道されているが、後藤氏は楽観ムードを戒めた。放射線量が低下しても、放射性物質がなくなったり、薄まったりするわけではない。また、気象条件によって特定地域に放射線量が高いホットスポットが生じることもあるという。 前半では設計者の二人による原発の説明が中心で、孫氏は聞き役になっていた。説明が一通り終了し、田原氏の退席後は三人により産業構造や政治を含む様々な話題が取り上げられた。孫氏は原発問題についてツイッターで積極的に発言してきたが、この番組でも孫氏の原発への高い危機感が浮き彫りになった。孫氏は福島原発周辺の住民に避難を説得したというエピソードを紹介した。また、孫氏が高速増殖原型炉「もんじゅ」の炉内中継装置落下事故の影響を尋ね、設計者が二人とも沈黙してしまう場面もあった。(林田力)
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社会 2011年04月02日 17時59分
愛知県西三河地方の伝説「衣の里の匂い桜」
愛知県豊田市挙母町にある挙母(ころも)神社の境内には、豊田市が指定した天然記念物や名木が数多く植えられている。 その中に香り高い名木として知られる「匂い桜」が忠魂碑の前にある。「匂い桜」は由緒ある桜として、昔から歌にも詠まれていた。現在は2代目になってしまったが、『富士紀行』、『覧富士記』、『爲家歌集』、『三河紀行』、『夫木和歌抄』などに詠まれた句が載っている。 また、境内の拝殿近くに台座を含めて約1m程の自然石できた「匂い桜」の歌碑が建っている。「立帰り猶見てゆかん さくら花 衣の里ににほう盛りを」と刻まれており、昭和45年に建立された。この歌は鎌倉時代・文永2(1265)年、三河守左近中将呉氏が詠んだとされ、白河殿歌合せ、『夫木和歌抄』にも収録されている。 桜の前には、「木のもとに 汁も鱠も 桜かな」と、俳聖・松尾芭蕉(1644〜1694)が詠んだ句碑も建っている。この桜の句は、元禄3(1690)年3月2日、芭蕉が伊賀上野にある風麦亭で作られた句であるが、このような句碑は、全国各地の桜の名所に多く建てられているものである。 松尾芭蕉の句碑は寛政11(1799)年10月12日に建立されたが、建立者は不明である。もともとは挙母神社の境内にある桜の根元の草むらに台座なしの状態で埋もれていた。大正15(1926)年、地元の俳人・松村晩翠と俳人衆13名によって、現在の匂い桜の前に移され、石積みされた。 また、挙母神社がある付近一帯は衣の里と呼ばれ、古くから名勝地であったため、その名は様々な文献に書かれている。「ころも」という文字は衣、許呂母、来藻、挙呂母などの漢字があてられた。『和漢三才図絵』には「衣の里二村山之来た一里」と、『千載集』には「ほど近く衣の里になりぬらん 二村山を越へてきつれば」と、『東方説話』には「左の方に衣の里衣街道といふあり、衣の里へ行く道とや、春は霞、桜・梅、夏は卯の花・ほととぎす、名に負ふ衣の里と云へ侍べれど、程遠ければ見にも行かれず」とある。(写真「挙母神社の芭蕉句碑」愛知県豊田市挙母町5丁目1番地) (皆月斜 山口敏太郎事務所)
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社会 2011年04月02日 17時59分
被災した「なんでんかんでん」川原社長が語る東日本大震災の惨状(4)
仙台で被災した、マネーの虎でおなじみのラーメン店「なんでんかんでん」川原ひろし社長(47)が大震災体験を語った最終回。着の身着のまま仙台を脱出する様子や被災地に対する想いを告白してくれた。 −−川原社長の実害部分について? 川原 地震の翌日、イベントホールの中覗いてみたんだけど、キレイサッパリ流されてたね。ここに100店舗の出店があったのに…根こそぎ消えていた。乗ってきたワゴンは木の間にひっかかってましたけど、中も含めてぐちゃぐちゃ。でも、生きてるだけで感謝しなくちゃね。「なんでんかんでん」の食材が入っていた冷蔵庫があったんですけど…これは、奇跡的に見つかった。イベントホールから2キロ流されてました。 −−極限状態を体験して何を感じた? 川原 生きていくことに貪欲になりましたよね。突然、非日常の世界に入ったみたいで本当に「夢じゃないのか」と思うこともありましたけど。いろいろなモノが喪失していくなかで、なんとか自分はやっている、というのを見せたかった。極限状態でどう動けばいいのかとか常に問われていた数日間だったと思う。あの未曾有の災害で生き残った者として、ここで負けてられんというか…。 −−どうやって帰京できた? 川原 結局、二日目の夜もホテルで過ごしました。食材に関しては幸運なことに問題はなかった。冷凍してあった海鮮モノ(自然に解凍されていたけれど)で鍋やったりしてね。しかし、これからどうする? 途方にくれてたんですが、仙台放送さんがワゴン車を回してくれると。ただ、東京方面への道は使えそうにないので秋田、山形方面には行けます、とのことだった。ちょうど新潟に出店したばかりだったので、なんとかそこまで乗せて行ってもらえればと。新潟経由で帰ってきました。 −−被災地への想いは? 川原 ボクらも被災者だが、踏ん張っていきましょう。また仙台でのイベントに参加することができる日が来ることを願っています。自分が被災してしまったので、炊き出しなどのボランティアなどやるという状態じゃなかったのが悔やまれる。東北の人たちにウチのラーメンをまた楽しんでもらいたいね。(おわり)
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社会 2011年04月02日 17時59分
菅総理、野党時代の大失言! 「天災をストップさせるには…」その仰天内容とは
3月11日に発生した東北関東大震災に関し、石原慎太郎東京都知事が地震を「天罰」と称したり、民主党三宅雪子代議士が自身のブログにて地震発生数日後にも関わらず「アロマオイルの香りを楽しみながら英語の勉強」等と書き込むなど、政治家の“失言”が物議を醸している。 そんな中、菅直人総理大臣が野党時代にこのような発言をしていた事が明らかになった。 「昨日今日と愛媛、高知の台風被災地の視察。高知では堤防が波で破壊され、20トンを超えるコンクリートの塊が住宅に飛び込み、3名が亡くなった現場を見る。(中略)それに加えて新潟で地震。あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」 以上の文言は、2004年10月23日付『菅直人公式サイト』の『今日の一言』に記載された、当時は野党議員であった菅総理の公式発言である。この日の午後5時56分、新潟県中越地方を震源として最大震度7の直下型地震が発生しており、死亡者68名、負傷者4,805名、倒壊家屋はおよそ1万6000棟を記録している。また、震災地域には柏崎刈羽原子力発電所も存在していたが、発電所への被害は無かった。 さすがにこの発言は不謹慎であるとの意見が寄せられたようで、菅総理自信も翌日の記事にて「台風の上陸が重なり、四国の被災地を視察して帰京した直後に地震のニュースがあり、これ以上災害が重ならないようにという気持ちで書いたもの。決して茶化したわけではないが、そのように感じられた方には謝りたい」と記している。 未だ被害の全容も見えず、復興への見通しも立たない現在。 かつて自分が前述のように発言した時と酷似した状況に立たされている菅総理であるが、過去の自分の発言を見直した時、何を思うのだろうか。※菅直人公式サイトhttp://www.n-kan.jp/ (現在サイトは残っているが更新は停止中。『今日の一言』は首相官邸ブログ「先を見すえて」に移動している)※注:記事画像は菅直人公式サイト 今日の一言 2004年10月23,24日付記事より。
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社会 2011年04月01日 15時30分
東京ディズニーランド営業再開にブーイングも…
日本最大のテーマパークである東京ディズニーランド、東京ディズニーシーは、東北関東大震災の影響で休園している。 施設内では駐車場の一部に、液状化現象が見られたが、すでに復旧工事を終え、全施設が営業可能な状況だという。そんななか、両リゾートを運営するオリエンタルランドでは、4月上旬にも営業再開すべく、検討に入っていることが明らかになった。 そうなると、不足している電力問題が大きく浮上する。施設運営に当たり、全リゾートが稼動すれば、1日の電力使用量が一般家庭の約5万7000世帯分にも相当するのだ。東京ドームで野球の試合を行った場合、電力使用量は一般世帯の3000〜4000世帯分といわれている。プロ野球では政府の要請もあり、4月中の同会場での試合中止を決めた。その遥かに上を行く膨大な電力を使用するディズニーが営業再開ともなれば、一般市民も看過できない問題となる。 東京電力による計画停電は、気温の上昇と節電効果で3月29日以降は実施されていない(4月1日現在)。しかし、これだけ大きな電力を使用するディズニーが営業すれば、それが原因で電力不足に陥り、計画停電再開の憂き目にも遭いかねない。 「せっかく、みんなの節電努力で計画停電が回避されているのに、ディズニー再開で停電させられたらたまらない」(千葉県在住の30代の会社員A氏)などといった強硬な意見も、数多く聞こえてくるのだ。 オリエンタルランドでは再開に当たり、夜間営業の自粛、ランドかシーのどちらか1パークのみ営業等の対応策を検討しているもよう。とはいえ、それでも膨大な電力を使うことに変わりはなく、思案のしどころ。同社には一般市民が納得いくような形での営業再開を望むばかりだ。(蔵元英二)
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社会 2011年04月01日 08時00分
被災した「なんでんかんでん」川原社長が語る東日本大震災の惨状(3)
仙台で被災した、マネーの虎でおなじみのラーメン店「なんでんかんでん」川原ひろし社長(47)が大震災体験を語ってくれた。あの大津波が襲来した翌日、目に入った景色は壮絶なものだった。 −−津波が引いたあとは地獄絵図だった? 川原 道路がみんな砂浜みたいになってるのよ。まず車(乗ってきたワゴン)を探しましたね。まあ、流されてるだろうな、とは思ってたんだけど。でもなんとか見つかった。やっぱりぐちゃぐちゃですよ。悪夢のような一夜だったけど、ある意味「夢」みたいだったんだよね。でも、この瞬間に理解しましたよ。「あ、ボクらは被災者なんだな」って。電気、ガス、水道全部止まってる。余震も怖い。しかし、ボクらはここを、この時間をなんとか生き延びなくちゃならない。言葉は適当ではないかもしれないけど「戦時下」の状態ですよ。遠くでは火力発電所の燃料タンクが爆発して黒煙上げているし、周りは瓦礫の山だし…。少し瓦礫を動かすと逃げ遅れた方々の遺体が何体も目に入る。でもどうすることもできないんだよね。 −−生き延びるためにどう行動? 川原 とりあえず、宿泊していたホテルに戻ろうと。イベントで同じ宿に泊まっていた人たちと感覚を頼りに歩き出しました。ホテル・ルートイン多賀城は一階部分は車などが突っ込んでメチャクチャでしたけど、ボクらの部屋は4階だったから大丈夫だった。助けがくるまで数日間、何とかしなくちゃいけない。でも、近くのコンビニエンスストアもぐちゃぐちゃで機能していなかった。最近の報道で火事場泥棒みたいなのが出没してるってのを聞いたけど、震災翌日の被災者の行動は大目に見てほしいな。生きるので精一杯だったんだから。 −−水や食べ物はどうした? 川原 ボクらが幸運だったのはフードショーに出店するために来ていたこと。もうひとつ幸運だったのは出店していた店舗が共用していた食材の大型冷凍車が1台だけ奇跡的に流されずに残っていたんだよ。バスぐらいのデッカイやつだったからね。密封性が良くて、ほとんど水が入っていなかった。中には食材がいっぱい入っていて助かったんです。ホテルに持ち帰ってカセットコンロで焼いて食べることができました。また、ホテルの手前に「ビックリドンキー」(ハンバーグ店)があって、その店主がこのままだと腐ってしまうからと言ってハンバーグを差し入れてくれたんです。人の温かみをこんな時にヒシヒシと感じましたね。 −−外部との連絡は取れなかった? 川原 電話はまったく繋がらなかったね。でもみんなかけるから電池が切れる。なかにはたまたま電池式の充電器持ってる人がいて、一躍ヒーローでしたね。電気がないからテレビは当然見れない。ラジオからの情報が少し、あと新聞は読めたな。だけど、こんな東北地方全体にひどいことになってるとは思わなかったな。 −−避難所には行かなかったのか? 川原 ホテルの従業員に安全の保証ができませんと言われたので、避難所に行ったのよ。13日のことだったかな。でも、もう満杯で入れませんってことだったのかな。鍵が掛かっていた。仕方がないとホテルに戻ったんですよ。(つづく)