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被災した「なんでんかんでん」川原社長が語る東日本大震災の惨状(3)

 仙台で被災した、マネーの虎でおなじみのラーメン店「なんでんかんでん」川原ひろし社長(47)が大震災体験を語ってくれた。あの大津波が襲来した翌日、目に入った景色は壮絶なものだった。

 −−津波が引いたあとは地獄絵図だった?

 川原 道路がみんな砂浜みたいになってるのよ。まず車(乗ってきたワゴン)を探しましたね。まあ、流されてるだろうな、とは思ってたんだけど。でもなんとか見つかった。やっぱりぐちゃぐちゃですよ。悪夢のような一夜だったけど、ある意味「夢」みたいだったんだよね。でも、この瞬間に理解しましたよ。「あ、ボクらは被災者なんだな」って。電気、ガス、水道全部止まってる。余震も怖い。しかし、ボクらはここを、この時間をなんとか生き延びなくちゃならない。言葉は適当ではないかもしれないけど「戦時下」の状態ですよ。遠くでは火力発電所の燃料タンクが爆発して黒煙上げているし、周りは瓦礫の山だし…。少し瓦礫を動かすと逃げ遅れた方々の遺体が何体も目に入る。でもどうすることもできないんだよね。

 −−生き延びるためにどう行動?

 川原 とりあえず、宿泊していたホテルに戻ろうと。イベントで同じ宿に泊まっていた人たちと感覚を頼りに歩き出しました。ホテル・ルートイン多賀城は一階部分は車などが突っ込んでメチャクチャでしたけど、ボクらの部屋は4階だったから大丈夫だった。助けがくるまで数日間、何とかしなくちゃいけない。でも、近くのコンビニエンスストアもぐちゃぐちゃで機能していなかった。最近の報道で火事場泥棒みたいなのが出没してるってのを聞いたけど、震災翌日の被災者の行動は大目に見てほしいな。生きるので精一杯だったんだから。

 −−水や食べ物はどうした?

 川原 ボクらが幸運だったのはフードショーに出店するために来ていたこと。もうひとつ幸運だったのは出店していた店舗が共用していた食材の大型冷凍車が1台だけ奇跡的に流されずに残っていたんだよ。バスぐらいのデッカイやつだったからね。密封性が良くて、ほとんど水が入っていなかった。中には食材がいっぱい入っていて助かったんです。ホテルに持ち帰ってカセットコンロで焼いて食べることができました。また、ホテルの手前に「ビックリドンキー」(ハンバーグ店)があって、その店主がこのままだと腐ってしまうからと言ってハンバーグを差し入れてくれたんです。人の温かみをこんな時にヒシヒシと感じましたね。

 −−外部との連絡は取れなかった?

 川原 電話はまったく繋がらなかったね。でもみんなかけるから電池が切れる。なかにはたまたま電池式の充電器持ってる人がいて、一躍ヒーローでしたね。電気がないからテレビは当然見れない。ラジオからの情報が少し、あと新聞は読めたな。だけど、こんな東北地方全体にひどいことになってるとは思わなかったな。

 −−避難所には行かなかったのか?

 川原 ホテルの従業員に安全の保証ができませんと言われたので、避難所に行ったのよ。13日のことだったかな。でも、もう満杯で入れませんってことだったのかな。鍵が掛かっていた。仕方がないとホテルに戻ったんですよ。

(つづく)

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