社会
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社会 2016年02月15日 15時00分
18位から転げ落ちそうな日本の「世界腐敗度ランキング」
政府や企業の汚職問題に取り組む国際的なNGO『トランスペアレンシー・インターナショナル』(TI)が先ごろ発表した2015年の「腐敗認識指数」ランキングで、日本は英国と並び18位(指数76)だった。ちなみに米国は日本より一つ下の19位だ。 同指数はTIが1995年以来毎年公表しているもので、公務員と政治家にどの程度の腐敗があると認識されているか、その度合を国際比較し国別にランキングしたもの。世界168カ国・地域を対象に腐敗レベルを0から100で数値化しランキングしている。 数字が高いほど「清潔度」が高いというわけだが、最悪と判定されたのは納得の北朝鮮と内戦と貧困にあえぐソマリア、アフガニスタンの3カ国でともに8。民主化で後れを取っているスーダンとミャンマーがこれに続いている。 汚職が横行していると指摘されている世界第2位の経済大国・中国の汚職度は80位で前年から5ポイントダウン。TIは「経済大国たるもの、政府機関を完全に透明にし、トップに説明責任を持たせるといった手本を世界に示すべきだ」とキツイ一発を放つ。 数字が低いのは新興工業国に多く、日本が入れ込むインドは94位、ロシアは133位だった。欧州では財政緊縮政策が実行された役人天国のギリシャが昨年の80位から94位へと転落した。リビア、オーストラリア、スペイン、トルコもランクダウン。 今年8月にリオ五輪を控えているブラジルも76位と前年から7ランクも順位を落としている。どうやらペトロブラスなど国営企業が絡んだ大規模な汚職スキャンダルが影響したようだ。 清潔度が最も高かったのは前年に続きデンマークで、フィンランド、ニュージーランド、スウェーデン、シンガポールと続く。 日本の来年の順位は、甘利明前経済再生相のベタな金銭スキャンダルが原因で陥落は必至だろう。
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社会 2016年02月14日 15時00分
人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第6回
新潟の一家を長男として背負う責任から夢だった海軍兵学校入学を断念、無念の涙を流した田中角栄だったが、頭の切り替えは早かった。家具屋の2階で自炊生活を送りつつ、中村という知人がやっていた設計技術屋、2、3人がいる個人事務所へもぐり込んだのであった。 ここに身を置いたことで、田中の事業家への道は一気に開けることになった。何と15歳で上京した折、住み込み書生として紹介された理研コンツェルン総帥の大河内正敏子爵と奇遇の再会を果たし、やがて理化学研究所関係の仕事を引き受けることで事業は一気に拡大していく。本郷の大河内邸を訪ねたが折から子爵は不在、女中に追い返されるように大雪の中をトボトボと引き揚げた日から、約2年が経っていた。 ある日、理研のエレベーターに、偶然乗り合わせた田中に大河内は言った。「君が新潟から来たあのときの人か。理研は今後、全国的に工場をつくる。新潟にもつくる。ヤル気はあるか。ただし、勉強を怠るな」と。 これを機に田中は理研関連の仕事を受注、早稲田大学の建築に関する専門講議録で勉強を重ねる一方、機械製図から測量、工事業者選定、工事監督など身を粉にして働き、一級建築士の資格も手に入れていくことになる。しかし、この事務所を経営していた中村が応召、軍隊に引っ張られたことをきっかけとして田中は事務所を辞め、これを機に独立、『共栄建築事務所』の看板を掲げた。昭和12年春、19歳であった。この頃、無精ひげにちょっと手に入れてみると妙に似合ったことから、これ以後しばし“チョビひげ”をたくわえるようになっている。事業の方は理研の工場建設などを中心に、順風満帆一途であった。 しかし、世は常に好事魔多し、田中にも応召が待ち構えていた。昭和13年春、入隊検査で甲種合格、16年10月に除隊となるまで在満州勤務の盛岡騎兵第三旅団第二十四連隊第一中隊への所属を余儀なくされた。除隊は北満州でクルップス性肺炎に胸膜炎を併発、2週間の危篤状態が続き内地送還となったものだった。 ちなみに、当時の軍隊では兵隊が病気して死去するまで、親元に3回の電報を打った。第1報は危篤状態のときで「ヤマイオモシ」と軽めに伝えられ、死去寸前で初めて「キトク」、死去して「シス」の2報、3報と続く。2報になると、1階級特進が発令されている。 しかし、田中の病状は内地送還後、奇跡的に回復した。田中は後日、こうした自らの“強運”ぶりを、いささか神妙に述懐している。 「先に逝ったすぐ下の妹に続き、応召中にまたもう一人の妹が病死した。私が助かったのも、この妹が私の宿業を背負っていってくれたに違いない。大河内先生との奇遇の出会いも、二度とできない貴重な体験とともに広範囲な分野で勉強させていただき、このとき学んだことが後の私の知識の全部だとも思っている。人間、中途半端な努力では何もできないことも知った。私は運だけでここまで来たような気がする」と。「人生は邂逅である」という言葉がある。邂逅とは、人との出会いである。この出会いをどう生かすかで人脈を得たり、運のよさと向き合えるかが決まる。 田中の人生を振り返ると、数々の挫折を何とかなるさという、持ち前の楽天主義も手伝ってこれを乗り越えてきたことが分かる。何事にも成功者を見ると、この楽天主義者が多い。楽天主義とは苦境に立ってなお屈託なく、今日のことは1日にて忘れ、明日があるさ、くよくよしても始まらないとする。他人を妬まず、陥れず、常に地に足を付け、志捨てず、人の見ていないところで努力は人の2倍、3倍、どっちみち人は死ぬのが定めという透徹した精神を指すのである。 除隊からいったんは郷里新潟へ帰ったもののすぐに上京、今度は『田中建築事務所』を開設、理研の信用も一段と高まる中、大工事の設計など事業規模拡大で業績はさらにうなぎ上り、昭和17年にこれを組織変更して現在のJR飯田橋駅前に『田中土建工業株式会社』を設立する。翌18年には、すでに年間施工で全国50位以内に入る実績をつくり上げている。 田中自身の収入も田中建築事務所当時にして並みの勤め人のそれの10倍は越えており、若くして大金を手にすれば次はオンナ遊びも大方の常、田中また人後に落ちなかった。時にすでに結婚、長男・正法に次いで後に政界入りし外務大臣となる長女・真紀子も誕生したばかりであった。 飯田橋駅を線路ひとつ隔てれば花柳界の「神楽坂」、田中の豪快かつモテモテの“オンナの光景”が始まるのである。(以下、次号)小林吉弥(こばやしきちや)早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。
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社会 2016年02月14日 09時00分
握力は長寿の秘訣! 鍛えることで長生きできる理由
ペットボトルの蓋を開けるときに、手こずった経験ありませんか? それは、握力の低下が原因かもしれません。 普段の生活でものを強く握る機会は少なく、鍛えることもあまりしないので、握力は意外と落ちやすいんです。でも、実は握力は長生きと関係が深いとされ、重要な筋力でもあるのです。 今回は、医師の小田切ヨシカズ先生に、握力と長生きの関係についてお話をお聞きしました。■握力の強さは病気のリスクに関係 「握力と長生きの関係は、さまざまな研究で明らかになっています。握力の強い人と弱い人とに分けて行った実験によれば、強い人の方が脳卒中や認知症のリスクが少ないという結果が出ています。他にも、心臓病などの循環器系の病気の発症リスクも、握力の強い人の方が少ないとも言われています。また、単に歳を取ると足腰が弱くなり転倒しやすくなるところを、瞬時に近くのものを掴んで回避できるという、日常的な面でのメリットも、長生きに関係していると言えるでしょう」■握力は低下に気付きにくい 「握力とは、具体的に言えば前腕部の浅指屈筋と深指屈筋、指を動かすための母指内転筋と長・短母指屈筋などを組み合わせたものです。男性の平均が48キロ程度。女性が29キロ程度といったところ。40代前半あたりでピークを迎え、そこから徐々に落ちてきます。握力はなかなか測る機会もないため、衰えていることに気が付きにくいというのも、低下を招く要因となります」■開いて閉じて簡単に筋力向上 「握力を鍛えるのには、ハンドグリップを使うのが一般的です。もしなくても、手を広げたり閉じたりを繰り返すだけでも効果はあります。それをお風呂の中など、水中で行うとさらに負荷が大きくなり、より効果も得られます。近くに公園などある方は、鉄棒にぶら下がってみるといいでしょう。体重を支えるのに、指の力や上腕の力が必要になります。そこから懸垂をして体を持ち上げれば、背筋や胸筋などの全体の強化に繋がります。ちなみに、テレビなどで見かけるリンゴを握りつぶすシーン。あれを可能にするには、80〜90キロぐらいの握力が必要になります。新たな特技を身につけたい方は、チャレンジしてみてもいいのではないでしょうか」 握力と長生きの関係性をお伝えしましたが、握力のみを鍛えることが、必ずしも長生きに繋がるとは限らないようです。実験においても、握力のみ強い人を対象にしたわけではないからです。握力の強い人の多くは、その他の筋力も発達しています。握力を鍛えつつ、バランスよく全身も鍛えるのが正しい健康法と言えるでしょう。【取材協力】小田切ヨシカズ湘南育ちのサーファー医師。ワークライフバランス重視の36歳。現在、横浜の内科クリニックに勤務中。
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社会 2016年02月12日 18時00分
森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 同一労働同一賃金の真意は?
安倍総理が1月22日に衆院本会議で施政方針演説を行った。総理の発言で最も注目すべきは、この春にも取りまとめる予定の「ニッポン一億総活躍プラン」のなかで、「同一労働同一賃金」の実現に踏み込む考えを表明したことだ。私は、正直言って耳を疑った。昨年、野党が提出した同一労働同一賃金の法案をつぶしたのは、他ならぬ安倍政権だったからだ。 派遣法改正案が国会に提出されるのとタイミングを合わせて、維新、民主、生活の3党が、議員立法で「同一労働同一賃金推進法案」を提出した。同じ仕事をしている場合には、正社員と派遣労働者など、雇用形態が異なっても、賃金を同一にすることを義務付けようという法案だった。 同一労働同一賃金は、いまや世界の常識となっている。同一労働同一賃金さえ確保されていれば、派遣労働者の雇用が、派遣法改正によって不安定になったとしても、少なくとも雇われている間は、人並みの生活ができるだろうという目論みだった。 ところが、維新の党が裏切った。抜け駆けをして、単独で与党との法案修正協議を行い、当初案の「待遇の均等を図る」を「待遇の均等および均衡の実現」に修正してしまったのだ。 この文言修正によって、正社員と派遣社員は、同じ仕事をしていても職位や抱えている責任が異なるという理由で、同一賃金を保障する必要がなくなってしまった。完全な骨抜きだ。 もちろん、維新と水面下で交渉し同一労働同一賃金を葬り去ったのは、自民党だ。その自民党政権が、舌の根も乾かぬうちに、今度は自らの政策に採り入れると言っても、にわかには信じられない。だが、万が一、総理の決意が本当だとすると、私は日本の労働市場は革命的によくなると思っている。 同一労働同一賃金にするということは、パートやアルバイトの時給を正社員に揃えるということだ。いまの正社員の時給は2000円程度だから、同一労働同一賃金にするためには、パート・アルバイトの時給を倍増させるということになる。 それだけの時給がもらえるのであれば、年間2000時間働けば年収400万円だ。十分、家族を養っていける年収だから、無理して正社員にこだわる必要がなくなるのだ。 そのことは、サラリーマン社会を根底から覆すだろう。これまで、クビになったら後がないと考えていたから、サラリーマンは理不尽な要求に耐えてきた。いつでも辞表が叩きつけられるようになれば、サラリーマンは、ストレスから解放されるのだ。 ただ、そこでひとつ心配がある。それは、安倍総理が「同一労働同一賃金」を、非正社員の時給を2倍にするのではなく、正社員のクビを切りやすくし、賃金も半分にして、非正社員と同じ処遇にしようと考えているのではないかということだ。それでも、「同一労働同一賃金」は達成できるのだ。 安倍政権は、手切れ金さえ払えば正社員をクビにできる「金銭解雇」を可能にする法案を整備する意向だという。だとすると、やはり、安倍総理の言う「同一労働同一賃金」は、正社員の非正社員化なのかもしれない。
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社会 2016年02月12日 10時00分
ジカウイルス感染症 リオ五輪閉会後に日本に急拡散の恐れ
どこにでもいる蚊がウイルスを媒介するという! ジカウイルス感染症(ジカ熱)が、中央・南アメリカ大陸を中心に猛威を振るっている。WHO(世界保健機関)は先ごろ、300万〜400万人が感染する恐れがあることを明らかにした。今夏、リオ五輪が開催されるブラジルでは、このうち150万人が発症する恐れが指摘されている。 「ジカウイルスを媒介する蚊の広い分布と世界を往来する人々の流動性とが結び付けば、ジカ熱が第2のエボラ出血熱となる可能性は小さくない。この夏開催のリオ五輪による人の移動で、閉会後に日本に持ち込まれることも懸念されます。他にアフリカやアジア太平洋地域での発生が確認されていますが、死亡者は出ていません。ただし、ブラジルでは昨年10月以来、3900人近い小頭症の赤ちゃんが誕生していることや、神経の難病ギラン・バレー症候群の発症も増えているという報告があります。同国は世界で初めて『小頭症はジカウイルスを持つ蚊によって発症する』という因果関係を発表していますが、その感染メカニズムはまだ分かっていません」(医療ジャーナリスト) 死亡例がないことは一安心だが、どんな病気なのか。 「デング熱とよく似ており軽度の発熱や頭痛、発疹、筋肉痛、関節痛、倦怠感などの症状が2〜7日間程度続きますが、症状は自然に治まる。一度ジカ熱になると抗体が体内にできるため、二度は発症しません」(同) それでもジカ熱が注目を集めている理由は、感染範囲の急拡散だ。 「昨年5月にブラジルで最初のジカ熱が報告された後、今年1月23日までの9カ月間に21カ国・地域に急速に拡大しました。ジカウイルスは、ネッタイシマ蚊やヒトスジシマ蚊によって媒介されることが確認されている。ネッタイシマ蚊は日本には常在していませんが、ヒトスジシマ蚊は秋田県や岩手県以南の地域に存在し、日本でもタイのサムイ島から帰国後にジカ熱と診断された日本人旅行者に一例が報告されています」(国立感染症研究所) 今のところ、ジカ熱用ワクチンや治療薬は存在しない。そのため流行地域を訪れる際にはできるだけ肌を露出せず、蚊に刺されないように注意することが予防策となる。 しばらくは流行地域への渡航は控えた方がよさそうだ。
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社会 2016年02月11日 18時00分
世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第161回 今こそ第2次新幹線整備計画を!
北陸新幹線の敦賀以降、すなわち敦賀-新大阪間の延伸ルートの議論が本格化してきた。従来の小浜ルート(小浜から新大阪へ)、米原ルート(敦賀から直接米原に)、湖西ルート(敦賀から琵琶湖西岸を通り京都へ)という三つのルートに加え、JR西日本や西田昌司参議院議員(北陸新幹線敦賀以西ルートを議論する与党検討委員会の委員長)が新たな案を出し、今年5月をめどにルートを絞り込む予定になっているのだ。 JR西日本は、小浜から京都を経由し、東海道新幹線に乗り入れ新大阪に至るルートを提示した。また、西田議員は小浜から舞鶴を経由し、京都経由で南下し、関西国際空港にまで接続するルートを提案している。 新幹線の整備のプロセスについて、あらためて整理しよう。 新幹線の整備は、ステップ1:基本計画ステップ2:整備計画ステップ3:事業化 と、三つのプロセスをたどる。実際に線路整備の「工事」が行われている段階が事業化の段階だ。整備計画が決定されている北陸新幹線の新大阪までの延伸は、ルートが決まらないために事業化は始まっていない。 左ページの図(※本誌参照)の通り、わが国では、○北海道新幹線の旭川までの延伸○新青森から秋田、新潟を抜け、北陸新幹線に接続される羽越新幹線○大阪から鳥取、松江を抜け、下関に至る山陰新幹線○大阪から大分まで結び、高知まで延ばす四国新幹線(及び四国横断新幹線)○松江から岡山まで中国地方を横断する中国横断新幹線○九州の東海岸を走る東九州新幹線○大分から熊本までつなぐ九州横断新幹線 などの「基本計画」は決定されているのである。とはいえ、基本計画はあくまで単なる「計画」だ。基本計画を整備計画に落とし込まなければ、事業化のプロセスには進まない。 先述の通り、北陸新幹線の新大阪延伸は整備計画の段階にある。九州新幹線の長崎ルートは、整備計画は決定され、すでに一部が建設中だ。また、北海道新幹線の新青森-新函館北斗間は、今年の3月26日に開業予定となっている(札幌までの延伸は2031年の予定)。 北陸新幹線の敦賀-新大阪間のルート選定に際しては、自治体の利害が絡み、調整が難航するのではないかと考えられている。というわけで、各自治体も納得するであろう新幹線整備の手法を提案したい。 「自治体の利害」といえば、最ももめそうなのが「舞鶴市」関連である。湖西ルートや米原ルートの実現性が下がっているため、敦賀延伸で小浜市を通過するのは、ほぼ確実だ。同時に、経済合理性の点から見ても、京都を経由しないわけにはいかない。 そうなると、最も重要な争点は、京都までのルートが「小浜-京都」になるのか、「小浜-舞鶴-京都」になるかに絞られる。5月の候補絞り込みまで、舞鶴を経由するか否かが最も激しく議論されることになるだろう。つまり「難航」するわけだ。 あらためて考えると、要は新幹線整備の話について整備計画が決定されている北陸新幹線の敦賀-新大阪延伸に限っているため、もめるのだ。ならば、北陸新幹線のルートを小浜-京都-新大阪とすると同時に、小浜-舞鶴経由の山陰新幹線も整備計画に落とし込むべきだ。 さらに、北陸新幹線を関空まで延ばすのはもちろんのこと、同時に和歌山市に向けて南下し、淡路島経由で四国、大分までつながる四国新幹線も整備計画化するのだ。 もともと、四国新幹線は明石海峡大橋経由で四国につながる「基本計画」が策定されているが、整備計画段階において関空経由に変更する必要があると考える。四国新幹線の基本計画が決定された1973年時点では、関西国際空港は存在しなかった(関空の開港は1994年)。 上記、二つの新幹線基本計画を整備計画に落とし込むことで、大分から四国を経由し淡路島、関空、新大阪、京都から米原、もしくは小浜・敦賀に向かうルート、さらには鹿児島中央から熊本、福岡、下関を経由し、そのまま山陰側を出雲・松江、鳥取、舞鶴と通り、小浜に達し、京都もしくは敦賀へと向かうルートも実現に向かい、歩みを始めることになる。 いかがだろうか。夢が広がらないか。 これ以外にも、西日本に新幹線「ネットワーク」を構築するためには、中国横断新幹線や東九州新幹線、九州横断新幹線の整備が必要だが、とりあえず北陸新幹線の延伸の際に、「新大阪から関空を抜け、四国に渡り、大分に至る四国新幹線」と「小浜から舞鶴を通り、鳥取、出雲・松江経由で下関に至る山陰新幹線」の二つを整備計画化するのである。これで、舞鶴などの地方自治体との調整も「難航」はなくなるだろう。 無論、筆者は土木工学やインフラ技術の素人である。これは筆者の「夢」にすぎない。とはいえ、偉そうなことを言わせてもらえるならば、人類の進化とはこの手の「夢」が提示され、夢を共有した大勢の人々が動き出し、研究開発や建設投資等にリソースが投じられることで実現してきたのだ。昨今のわが国の政治家の最大の問題は、この種の「夢」を国民に抱かせる情熱を失ってしまったことではないだろうか。 参議院選挙も近いことであるし、北陸新幹線延伸の議論において、是非とも国会議員の皆様には大いに「夢」を議論してほしいと切に願っているのである。日本、今こそ新幹線の第2次整備計画を決定するタイミングなのだ。みつはし たかあき(経済評論家・作家)1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、分かりやすい経済評論が人気を集めている。
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社会 2016年02月11日 10時00分
マクドナルド米本社“株主優待廃止”に個人投資家「イチぬ〜けた!」
日本マクドナルドホールディングス(HD)の株主優待券が値下がりしている。マクドナルドの優待券は1年前に比べて1割下がった。 そんな中、米マクドナルドの経営トップが先ごろ、業績低迷の続く日本マクドナルドホールディングスの一部株式売却を検討していると表明した。ところが、米本社は昨年末から投資ファンドなどと交渉しており、何もあらためて表明の必要はない。市場筋は「交渉を有利に運ぶためMBO(経営陣による買収)に含みを持たせ、決断を迫る作戦」と解説する。 背景にあるのは、米本社が希望する売却額と各社が提示した金額に「かなりの開きがある」(情報筋)ことだ。マック株の約50%を保有する米本社は最大33%を売却する方針で、時価総額から約1000億円の価格を提示したという。しかし、商談に名乗り出たベインキャピタル(米国)やペルミラ(英国)などの投資ファンドは「収益力から判断して希望価格は割高」と主張、交渉の長期化どころか「決裂に終わる可能性がある」との観測も浮上している。 そんな折も折、米本社が“売却”をあらためて表明したのである。今後、キーワードとして浮上するのは市場筋が口にしたMBOだ。 「マックは2期連続の大赤字で米本社が『このままでは生き残れない』とサジを投げたドロ船です。ところが株主優待への期待から個人投資家が買い支えるため、株価は割高で推移している。米本社が算出した1000億円の金額は、その株価がベースになっています」 そう前置きして、証券アナリストが語る。 「マックの株主優待は、バーガー、サイドメニュー、ドリンクの組み合わせによって食事券約1万円分の価値があることから個人に大人気。これがなくなれば個人投資家が“イチぬ〜けた”と離れて株価は急落する。裏を返せば、その段階での株価がマックの適正な市場価格となる。市場にくすぶるMBO観測は、商談が不成立の場合に米本社が現在よりもはるかに安い価格でマック株を買いあさって非上場会社にし、その後は遠慮することなく苛烈リストラを実施して会社を復活させるというシナリオにつながるのです」 米本社の“二方面作戦”は日本撤退の可能性も含んでいる。
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社会 2016年02月10日 10時00分
共同運航先送り ANAスカイマーク支援の大誤算
やっぱり、同床異夢だったのか−−。航空関係者が「不安、的中」とばかりに言い放った。昨年9月、全日本空輸(ANA)を傘下に持つANAホールディングスの支援で再建の途に就いたばかりのスカイマークと、そのANAの間に早くも亀裂が生じた。スカイマークが今年10月の冬ダイヤから始める予定だったANAとの共同運航(コードシェア)を先送りしたのだ。 コードシェアとはANAがスカイマークの座席を3〜4割ほど買い取り、安定収入を確保することでスカイマークの再建を側面から支援する仕組み。本来ならば大歓迎のはずだが、なぜスカイマークは躊躇するのか。前出の航空関係者が打ち明ける。 「ANAはコードシェアに際し、自社の予約システムを導入するよう求めている。すでに傘下に組み込んだエアドゥやソラシドエアなどが導入しており、スカイマークを例外にしない戦略です。ところがANAの予約システムを導入した場合、コードシェア便だけでなくスカイマークの予約情報がANAに筒抜けになり、詳細な経営情報までが読み取られかねません。まして予約システムの一体化はANAの軍門に下り続けることを意味し、将来の再上場を目指すスカイマークが簡単に飲めるわけがない。だからこそ自社システムに固執しているのです」 たとえスカイマークが屈服したとしても、システムの準備には1年程度かかることが予想される。そのためコードシェアの実施そのものが「視界不良」(関係者)の状況なのだ。 むろん、ANAホールディングス伊東信一郎会長-片野坂真哉社長コンビとて、支援に名乗り出た当初からスカイマークが徹底抗戦するだろうことは察しがついたはずである。それにもかかわらず、いち早く手を上げたのは「日本航空(JAL)対策」だったという点で関係者の見方は一致する。 経営破綻し、一時国有化を経てV字回復を遂げたJALは、2016年度まで新規投資や路線開設が制限されている。JALが“眠れる獅子”を決め込んでいる間にナショナルフラッグの地位を確保し、そのステータスにふさわしい実績作りを狙ったANAがスカイマークへの影響力を強めることで「JAL、蹴散らし作戦」を敢行したと受け止められた。実際、ANAは貪欲だった。 「スカイマークが持つ羽田空港の発着枠(1日36便)は国内線の“ドル箱”といわれ、これが他陣営に渡るのは“もってのほか”がANAの本音でした。そこで米イントレピッド=デルタ航空陣営と壮絶な争奪戦を演じた末にスカイマークを自陣に抱き込んだ。羽田枠の6割を押さえ込んだとあって、ANA首脳陣は鼻高々でした。しかしデルタ陣営が優位との観測を覆し、土壇場で逆転したのは、デルタ支援に傾いていた大口債権者のエアバス社を自陣に抱き込んだからなのです」(経済記者) 関係者を絶句させたのが、その手法だ。スカイマークは欧州エアバスと大型航空機『A380』の売買契約を結んだが、経営不振から契約破棄を通告され、これを機に経営破綻に追い込まれた。 「どうしてもスカイマークが欲しかった」(関係者) ANAは買い手がつかず、宙ぶらりん状態だったA380の購入をエアバスに打診、これに同社が飛びつき一気に形勢が逆転した。昨年8月のことである。 そのA380は総2階建ての超大型機で、乗客数はレイアウト変更により最大853人と一般的な航空機の2倍もある。カタログ価格は1機約530億円。実際の売買価格はこれを多少下回るにせよ、ジャンボ機を凌駕する“空飛ぶホテル”とあって使いこなすのは容易ではない。よほど営業力がなければ宝の持ち腐れで、世界の航空会社からは敬遠されているのが実情。現にこの2年間は1機も発注されていない。 そんなイワクつきのA380を3機購入したANAは、ハワイ路線に投入するという。 「ハワイはJALのドル箱路線とあってANAが真っ向勝負を挑む図式です。その心構えはあっぱれですが、パイロットや整備士の育成費用などを加味すると3機では投資効果が見込めず、最低でも10機は必要との指摘もある。カタログ価格で計算すれば実に5300億円ものビッグマネーです。エアバスは含み笑いを抑えるのに必死。一方のANAはスカイマーク抱き込みのバカ高い代償をつかんだ格好です」(証券アナリスト) そこで目が離せないのが来年度以降のJAL戦略だ。スカイマークは以前から「JAL傘下での再生」が悲願だった。ANA(約20%)以外の株主がJALを“駆け込み寺”にすれば、ANAはエアバスに対する巨額の“負の遺産”を背負い込むことになる。 ダボハゼ支援の吉凶の行方が、がぜん注目される。
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社会 2016年02月09日 10時00分
“甘利”にもひどい 石原伸晃・経済再生担当相抜擢にあの黒幕
思わず記者会見で「経済財政運営分野があまり得意じゃないかもしれないが、頑張ってもらうことを期待している…」と溜め息交じりに洩らした麻生太郎財務大臣。その皮肉の先にいるのは、献金疑惑で電撃辞任した甘利明経済再生担当大臣に代わって就任した、石原伸晃元自民党幹事長だ。 「石原氏と聞いたとき、これまでの様々な舌禍事件と軽率な行動が次々と頭に浮かんだ。どうしてこの人物に甘利氏の代わりが務まるのかと。誰がこの軽量大臣を仕掛けたのか、総理はお仲間なのでいいだろうが危うい、のひと言ですよ」(自民党関係者) 石原氏といえば、石原慎太郎元都知事の長男。その威光を笠に着てなのか、数々の失言騒動を引き起こしてきた。 直近では'14年の安倍内閣環境大臣時、福島第一原発の除染廃棄物中間貯蔵所候補地に絡み、反対の声に「最後は金目でしょ」と発言し大顰蹙。'12年にも同じく福島第一原発をオウム真理教になぞらえ“サティアン”呼ばわり。さらに『報道ステーション』(テレビ朝日系)で中国の尖閣諸島侵攻危機の度合いを聞かれ「攻めてこない。誰も住んでいないのだから」などと答え、その危機管理能力を疑われた。攻めにも弱く、'03年国交大臣時には道路公団民営化を巡り、道路族の猛反撃を受け涙目になっていた。 この“舌禍”と“軽量”ぶりに加え疑問視されているのは、その経済、財政への姿勢だ。 全国紙経済部記者が言う。 「安倍政権は、経済活性化で財政再建させる成長戦略派。その最前線の司令塔が甘利氏で、経産官僚を動かし法人減税なども次々に仕掛けて“スーパー経産相”と言われた。それに対し石原氏は、財政規律派で財務省寄り。直前まで自民党税調の副会長を務め、財務省の代弁者として軽減税率の適用範囲をできるだけ狭めようと暗躍した人です。それがアベノミクス成長戦略の司令塔になりうるのか」 となれば、石原氏の就任は、安倍首相の切実な希望からだったのか。 「確かに'99年当時、息の合う二世議員を中心に政策集団グループを立ち上げたのが安倍氏と石原氏。この2人に塩崎恭久厚労相、根本匠元復興相らが加わり、それぞれの頭文字を取って“NAIS”として暴れまくった。今でも4氏は、折に触れてプライベートでもゴルフや会食をする親密な間柄。それもあって、甘利氏辞任の窮地に幹事長経験もある石原氏の豊富な政治実績を頼ったという説もある。しかしそれは違います」 こう明かすのは、安倍首相を支える中核、自民党細田派の幹部。 「安倍氏は週刊誌による疑惑報道後、1月25日に甘利氏と約40分にわたり会談し、続投で行けると踏んだ。ところが、それを厳しく諌めたのは菅官房長官だと聞く。菅氏は東京地検が並々ならぬ勢いで事件化の意欲を見せているとの情報を、安倍、甘利両氏に伝えたという。さらに菅氏は、甘利疑惑のさらなる追加裏情報をも匂わせた。それで強気だった2人も完全に戦意喪失したと聞いています」 しかし、安倍首相も粘った。誰がポスト甘利役をこなせるのかと。 「その時、菅氏が強く推したのが石原氏。安倍氏は相当抵抗があったようです。もちろん石原氏とは今も仲はいいが、最近は警戒すべき相手でもある。というのも、'12年の総裁選での激突に加え、石原氏は財政規律派で財務省寄りなのは重々承知している。しかし、躊躇する安倍氏に菅氏は、『国会と捜査で甘利氏は早晩火だるまになる。それに耐えられる自信は私にはありません。こんな時、政治経験豊富な石原氏はベストです』と言及。そうした綱引きが週明けからずっと続き、安倍氏も甘利氏も28日ギリギリになって辞任の腹を固めたのです」(同) 本誌は先週号で、甘利氏の献金疑惑が吹き出した際、“安倍氏が近いうちに終焉を迎えると見切りをつけ、裏でポスト安倍への動きを猛然と仕掛け始めた菅氏が、ポスト安倍に橋下徹前大阪市長を担ぎ上げる”との動向を伝えた。その延長で菅氏は、さらに水面下で動いていたというのだ。 「続投にこだわる甘利氏の辞任を画策し、疑問符がつく石原氏をポスト甘利にゴリ押しすることで、安倍内閣の失速をさらに早めさせる動きです。首相の女房役に徹する姿勢を見せながら、実は後ろからバンバン鉄砲を撃ちまくっている」(党内事情通) 果たして今後、政局はどう展開するのか。 「甘利氏の疑惑は辞任で終わっていない。野党は甘利氏や献金会社関係者や接待を受けた秘書の国会参考人招致で疑惑を徹底追及する構え。これに加え、株安、そして安倍首相の健康不安説も再び飛び交っている。この3点セットでの安倍内閣の大失速は十分にある。政権が5月の伊勢志摩サミット、夏の参院選まで持たないとも囁かれだした今、早いうちの内閣総辞職や“甘利解散”もあり得ます」(政治部記者) 甘利氏というアベノミクスの要を失った今、「菅氏の動きに同調するかのような自民党内反安倍の動きも蠢きだしつつある」(前出・党内事情通)との情報もある。いよいよ終わりの始まりか。
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社会 2016年02月08日 15時00分
人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第5回
何事にも誠心誠意、全力投球というのが、田中角栄の若き日からの一貫した姿勢であったことはすでに書いた。しかし、15歳で上京、全身全霊を打ち込んだ初の井上工業での現場仕事も監督のいささかの無理強いにガマンがならずで、1年足らずで退職を余儀なくされた。失業である。折りから世の中は不景気。次にようやく新聞広告でもぐり込んだのが、主筆兼編集長の社長と若い記者2人だけの『保険評論』という小さな雑誌社、記者の卵としてであった。 田中はそれまであらゆる本をむさぼり読んでいたこともあり、文章はもともとうまかった。高等小学校を卒業後、トロッコ押しなどの現場仕事のさなかに新潮社が出していた月刊『日の出』創刊号に「三十年一日の如し」なる懸賞小説に応募、佳作に入賞してトロッコ押しの月給の3倍の5円の賞金を手にしたくらいであった。子供心に、小説家への夢も馳せたものであった。 加えて、向学心は衰えずだったことから、ここでも保険の歴史、各社の業績分析はもとより、後にわが国経済界の大物となる富国徴兵保険の根津嘉一郎、小林中といった経営者の人物研究、数学も大得意だったことから保険数理も完璧にマスターしてしまった。これが生きて、後に大蔵大臣になったときでも保険業界お歴々を前に一席、大いにケムに巻いたこともあった。恐るべき勉強家、アッという間に記者の卵は“大記者”に変身してみせたということである。 しかし、母思いの田中はこの記者稼業も、折りから新潟の母・フメが病いの床に伏したことを心配、見舞いを決意し、会社に迷惑も掛かることから1年足らずで潔く退職してしまったのだった。久しぶりに田中に会ったフメは、わが子を前にみるみる元気を回復したのである。 またまたの失職。今度は求人広告ではなく自ら「夜学生、雇われ度し、住込みもよし」の三行新聞広告を出し、声を掛けてくれたのが芝琴平町にあった輸入貿易会社『高砂商会』であった。 高砂商会での田中の仕事は、輸入した高級カットグラス製品などを自転車を駆ってデパートに納品するというものだった。ところが、井上工業での事故と同様、夜学に間に合うように飛ばしたことでカーブを曲がり切れず転倒、日本橋高島屋への高級カットグラス製品を粉々にしてしまった。 田中は五味原という社長に詫びながら破損の弁償を申し出たが、「怪我がなくてよかった。お得意さんに代わりを届けてくれたのは何よりだった」と弁償は不要、むしろいたわってくれたのだった。弁償すれば、原価で計算しただけでも月給の4、5カ月分を返上しなければならない額だったのだ。 田中はこのときのことを、次のように述懐している。 「奥さんを含めて、五味原さんから“寛容”ということを学んだ。誰にも不注意による過失はある。以後、こうしたことは絶対にとがめずの原則、処世訓を身に付けた。私は、一貫して人に恵まれて仕事ができた。つくづく運のいい男だと思っている」 「運」は、誰にでも恵って来るものではない。田中が全身全霊で働く中で恵ってきた。「天網恢々疎にして漏らさず」、天はその人の行いを見ている。その配剤によってのみ、好運と巡り合えるということのようであった。 そうした中で、田中には長い間の憧れ、夢が芽生えていた。折りから満州事変が始まり、若者には軍人志望熱が高まり田中もまた海軍兵学校に憧れていた。まず、相談したのは母であった。大将までは望まぬ。せめて、大尉にでもなって巡洋艦の艦長にでもなれればと心した。母はキッパリと言った。「おまえは自分の将来をしっかり決める能力を持っていると思うから、おまえの言うことは信用し、賛成します」と。 田中は、この母の言葉をもって直進した。高砂商会を辞め、友人の機械設計の図面作成の下請けで生計を確保すると、中央工学校の一方で、神田三崎町の研数学館、正則英語学校、錦城商業学校などで猛烈な勉強を開始した。海軍兵学校は中学(旧制)4年2学期修了程度の学力が必要。それも学校で首席か2番くらいまでしか入学できぬほどの難関だったからであった。結果、身体検査は1万3千人余の受験生の中で13番で合格、残る学科試験も自信満々であった。 しかし、ここでも田中は思うようにいかなかった。一家の生計を担う母がまた病気になった。仮に入学して大尉に昇進するまで、10年はかかる。その大尉としての月給では、とても母を支えることができなかった。 結局、海軍への憧れを捨てた。「私の夢を追うことだけで許されないことがあった。長男として一家を背負う責任は果たせない。母の重荷を分担、背負ってこそ私の責任だと思った。長い夢との訣別を決断した夜、さすがに涙が止まらなかった」というのが述懐だ。 これを機に、田中は人生を事業家として賭けることを心に決める。19歳での新たな旅立ちが始まるのである。(以下、次号)小林吉弥(こばやしきちや)早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。
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