『遺恨あり』は、慶応4年に秋月藩で両親を惨殺された臼井六郎(藤原竜也)が明治に入って仇討ちを成し遂げる物語である。江戸時代において仇討ちは武士の義務であり、美談であった。ところが、明治時代に入ると仇討ちは禁止され、謀殺の罪に処せられるようになった。江戸時代と明治時代の価値観の逆転が物語の見どころであるが、ステレオタイプにならない描き方がドラマを引き立たせた。
六郎は一貫して仇討ちに突き進む。藤原竜也の演技は、序盤では舞台俳優のような大げさな演技が目についたものの、中盤以降では抑制が効いていた。表情や話し方、間、立ち居振る舞いで「心をなくした」人物を好演した。
山岡鉄舟(北大路欣也)ら多くの人から復讐の無益さを説かれるが、六郎は決して翻意することはない。しかし、六郎が仇討ちという封建的価値観に縛られていた訳ではない。むしろ六郎の動機は父母の無念を晴らす復讐であった。この点で現代人も六郎に感情移入できる。
両親の惨殺時に国家老・吉田悟助(石橋蓮司)は、下手人の処罰を不問とする不公正な裁きを行った。現代でも警察や司法制度の問題によって、桶川ストーカー殺人事件や光市母子殺害事件のように被害者や遺族が浮かばれないことも少なくない。六郎の行動は時代錯誤ではなく、現代の被害者遺族の無念の代弁でもある。
一方で近代国家を目指す明治政府にとって、仇討ちは許すべからざる犯罪であった。その明治政府の立場をドラマでは、六郎の仇討事件を担当した東京上等裁判所判事・中江正嗣(吉岡秀隆)に代表させた。この中江が中盤の主役とも言うべき味を出している。
土佐の郷士出身で上士に虐げられる立場であった中江は、仇討ちなどの武士道的な価値観に反感を抱いていた。「私情を挟まない」と言いつつも、繰り返し郷士出身であることを強調しており、その法治主義を目指す姿勢も、傍から見れば明らかに特権身分であった武士への反感が原動力になっている。
私情を出発点に正義を語るキャラクターが登場したことは、日本社会の成熟を示す。これまでの日本社会は正義を唱える人に対して過度の倫理性を求める傾向があった。正義を唱える人が少しでも私的利益を得ようものならば、偽善者として猛烈なバッシングを受けた。
しかし、欧米では私的利益と公的な正義を相反するものとは考えない。たとえば欠陥品の被害者が自らの損害回復という私的利益を求めて消費者訴訟を起こすことは、同種被害を減少させるという公的正義にも合致する。この点で中江は単に明治政府の立場を単に代弁するだけの存在ではない。自らの体験した社会矛盾を出発点として世の中を変えたいと考える現代人が感情移入できるキャラクターになった。
ドラマでは復讐の虚しさを描きながらも、救いのあるラストで幕を閉じた。仇討ちを成し遂げても得るものは何もない。それは事実である。しかし、仇討ちがなければ最後の救いも存在しない。無責任に「復讐心を捨てろ」「嫌なことは忘れろ」と言うだけでは済まない悲しみが、視聴者に突き付けられたドラマであった。
(林田力)