幸徳秋水といえば、日本史の教科書にも登場する歴史的な人物です。幸徳秋水は明治4年9月23日に高知県幡多郡中村町で生まれました。彼は中江兆民の門弟で、秋水の名は兆民から与えられたと聞きます。
幸徳秋水は当時の社会主義思想家で、明治20年に同郷の中江兆民の門弟となり、自由新聞の記者となりました。後に萬朝報の記者となり、ゴシップ誌のさきがけとなりました。
後に幸徳秋水は無政府主義に傾き、社会革命党を結成しますが、明治43年6月に大逆事件で逮捕され、翌年1月24日に処刑されました。彼の罪状は天皇暗殺計画ということです。この大逆事件では多くの社会主義思想家が逮捕され、24名が処刑されました。
その幸徳秋水の信奉者に、井上陽水の祖父がいたということです。大逆事件後に井上家は高知県から九州の福岡県へ移住をしたといいます。井上家の祖父は幸徳秋水の人格に惹かれ、子供の名前に、秋水にちなんで水の付く名をつけたといわれています。ちなみに井上陽水の父は若水といいます。
さて、よく噂されるのが、井上陽水と幸徳秋水が血縁関係にあったということですが、真実はどうなのでしょう。高知県の土佐では両家は親しくしていたそうです。
井上家と姻族関係にあった某家に秋水の妹が嫁いでいるそうですから、かなり薄い血縁関係だと思いますが、一応血はつながっているようです。
(白井正雪)