2015年に亡くなった第55代横綱の北の湖さんと共に、「輪湖時代」を築いた輪島さん。1985年に角界を去った後は、プロレスラーやタレントとしても幅広く活動していたが、2013年に咽頭がんを患ってもいた。
今回の訃報を受け、ネット上には「間違いなく偉大な横綱でした」、「自分にとっては今でも1番の力士です」、「素晴らしい思い出をありがとうございました」といった追悼の声が数多く寄せられている。1981年の現役引退から30余年、今なお根強い人気を誇る昭和の名横綱の勇姿は、これからも末永く語り継がれていくことだろう。
ところで、訃報を知らせる報道の中では、輪島さんが史上唯一の“学生相撲出身横綱”・“本名横綱”であることも合わせて伝えられている。もちろん、土俵上の功績を伝える上で、これらの記録は外すことができないものだが、その一方で輪島さんはもう1つ史上唯一の記録を保持している。それは星取表に「休」の字が刻まれた“休場優勝”だ。
今から約45年前の、1973年11月場所。前場所で通算3回目の優勝を全勝で決めていた輪島さんは、この場所も初日から12日目まで白星を並べ続けていた。
しかし、勝利を収めた12日目の貴ノ花(元大関)戦の最中に、輪島さんは右手の手のひらを負傷。これにより翌日13日目の北の富士(元横綱)戦を落としたばかりか、残る2日は休場を余儀なくされてしまった。
ただ、全勝の輪島さんを3敗で追っていた琴櫻(元横綱)、北の湖(当時関脇)の2名は同日に敗れており、取組前の時点で輪島さんの優勝は既に確定。「12勝2敗1休」という成績で、結果的には2場所連続4回目の賜杯を手にすることとなった。
不戦敗を含む優勝は千代の富士(元横綱)もしているが、休場した力士の優勝は、後にも先にもこの時の輪島さん1人だけ。これもまた、輪島さんを名横綱たらしめる、偉大な記録といえるのではないだろうか。
(文中一部敬称略)
文 / 柴田雅人