1909年(明治40年)1月に創設され、史上最多の優勝32度を誇る元横綱・大鵬、玉錦、元大関・佐賀ノ花、大麒麟らを輩出し、初代若乃花や元横綱・玉の海らも在籍した二所ノ関部屋(師匠は元関脇・金剛)が今年初場所(1月13日初日=両国国技館)を最後に閉鎖することが分かった。
同部屋は実に104年もの歴史をもち、後にプロレスに転向して成功した元関脇・力道山、元幕内・天龍(源一郎)らも籍を置いた。
師匠である二所ノ関親方が今年11月の九州場所を最後に定年退職する予定であるうえ、昨年秋に脳梗塞に倒れ、長期入院中で部屋の運営が困難になっていた。同部屋には北陣親方(元関脇・麒麟児)、湊川親方(元小結・大徹)、富士ヶ根親方(元小結・大善)と3人の部屋付き親方がおり、後継を探したが話はまとまらず、閉鎖の結論に至った。
というのが表向きの理由だが、実態として、深刻な角界の新弟子不足に大きな要因がある。かつて、隆盛を築いた同部屋だが、現在は関取もおらず、所属力士は三段目、序二段、序ノ口に1人ずついるだけで、わずか3力士のみ。
これでは部屋に入ってくる収入も限られ、相撲人気低下の状況下では弱小部屋の新弟子獲得はままならならず、運営は極めて厳しい状態。3人の部屋付き親方が苦労するのを分かっていて、後継したくないのは当然のことといえる。
初場所後、北陣親方、湊川親方と所属の行司1人、床山1人は松ヶ根部屋(師匠は元大関・若嶋津)に、富士ヶ根親方は貴乃花部屋(師匠は元横綱・貴乃花)に転籍する見通しで、3力士は引退する予定。
横綱・大乃国(現・芝田山親方)を輩出した放駒部屋も、親方の定年により初場所後に閉鎖されることが決まっており、相撲部屋を取り巻く環境は年々厳しくなっている。
大鵬の納谷幸喜氏は古巣の消滅に、「いろいろな方々で築いてきたものがなくなるのだから、わびしいし、寂しい。二所ノ関一門の力で何とか再興してほしい」とコメントしたが、「かつての名門」というだけで、部屋が再興できるほど、今の角界は甘くはないだろう。
(落合一郎)