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アイドル 2017年06月19日 12時25分
Eカップ女子大生アイドル・横山あみ グラビアと心理カウンセラーを両立!?
アイドルグループ・PPP! PiXiON(ピピピ・ピクション)のメンバーとして活動する傍ら、グラビアでも活躍中の横山あみが、5枚目となるDVD『Sweet Story』(エスデジタル)の発売を記念したイベントが、17日に都内で行われた。 3月に沖縄県で撮影された今作は、カワイイ雰囲気からセクシーな大人っぽいシーンまで、普段のステージでは見れないようなグラビアアイドルとしての横山が存分に楽しめる作品になっている。 その中でもお気に入りのシーンについて聞かれると「普段はあまり着ることの無いスーツを着ているシーンがありまして、そこがオススメです。いま私は大学3年生なんですよ。時期的に同級生は就活の真っ最中ということで、私もDVDの中で就活をイメージしてみました。そこでリアルに面接をするシーンがあるんですけど、私があまりにもぎこちなくて現場にいた皆さんに笑われてしまいました」と明かした。 大学では心理学を学んでいるようで、映像のみならずリアルに就職を考えているところもあるそうだ。「将来的には心理カウンセラーとかをやってみたいですけど、大学院とかに行って資格を取得しなきゃならないんですよね。もし心理カウンセラーになれたとしても芸能界を辞めないで、できるなら両立したいです。計画性を持たないと不安になるんですよ」と力説。 勉強にステージと多忙な日々を送っている横山だが、このままでは恋人もできないまま年を取ってしまうのではと報道陣に心配されたのだが「私の通っている大学が女子大で、サークルにも参加していないので出会いは無いですね。合コンとかにも誘われないです」と告白。今後の出会いに不安はあるが、ファンにとっては一安心なところだろう。 そんな横山は、7月にはPPP! PiXiONのワンマンライブも控え、さらに夏のアイドルフェスティバルなどにも多数出演する予定。こちらも熱いステージになることは間違い無いので、今から楽しみである。
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芸能 2017年06月19日 12時15分
NMB48・須藤凜々花の結婚発表に、元主要メンバーたちも大批判
17日に沖縄で開催された「第9回AKB48総選挙」で突如結婚を発表し衝撃を与えたNMB48の須藤凜々花だが、元メンバーから痛烈な批判の声があがった。 かつて2度総選挙でVを達成した大島優子は、同日夜にインスタグラムで反応。暗い車中でのライブ放送で、「何考えてんのかしら。何でもアリなんですね。わたしも結婚した〜い!」などと笑いながらコメント。続けて「総じて言いたいのは、この帽子がきっと、私の全ての言葉だと思うの。せーのっ」といった後で頭を下げると、白いキャップの前面には「F●●k」の4文字が書かれ、そこで放送は終了した。 初代AKB48総監督の高橋みなみは18日、トークライブアプリ・755で「はあー、結婚発表は…ないな、ふうー」、「久しぶりに高橋さん荒ぶってる」と怒りをあらわにした。各メディアによると、19日に出席したイベントでは「結婚自体は素晴らしい事だと思いますが、あそこの場所で言うのはすごいリスキーだと思う」、「革命的なことが起こった」と話した。 「もしあの場に大島か高橋がいれば、ビンタの一発も須藤にたたき込んでいたのでは。2人はそのぐらいAKBの看板を背負っているという責任感があった。今後、会見するというが、須藤が一体どういう気持ちで発言したかは不明だが、会見後も2人は何らかのコメントをすると思われる」(芸能記者) 各スポーツ紙によると、須藤は18日、那覇空港で報道陣に対応。「また後日、自分の口で話します。よろしくお願いします」とだけ話し、質問には答えず。ただ、胸に英語で「ちきしょう!」といった意味を表すスラング「DAMN」と書かれたTシャツを着用していたという。 言わずもがな挑発的な行為となってしまった須藤だが、会見での発言が注目される。
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スポーツ 2017年06月19日 12時00分
トリプルスリー山田哲人の不振が「東京五輪」にも大打撃
東京ヤクルトスワローズの山田哲人(24)が不振に喘いでいる。打率はセ・リーグワースト(6月18日時点)、2年連続で3割、30本、30盗塁を達成した去年までとは別人のようだが、打撃復調がなければ、東京五輪の野球競技を戦う侍ジャパンにも影響が及びそうだ。 6月18日の日本ハム戦、山田は第一打席で左肩直撃の死球を被った。治療でいったんベンチに下がったが、約10分後にフィールドに帰って来た。しかし、その後の3打席は快音ナシ。前日は弾丸ランナーの本塁打を含む4打点と大活躍だったが、2日連続とはいかなかった。復活までもうしばらく時間が掛かりそうだ。 「WBCの後遺症というより、まさにスランプ。でも、WBCの影響がないとは言えません。本来、キャンプでしっかり身体を作る時期に国際試合を戦ったわけですから。対戦投手も、今まで以上に内角の厳しいところを突いてくるようになった」(プロ野球解説者) 「打ち損じが目立つ」と評する声も聞かれた。自分では仕留めたつもりでも、バットを振るスピード、力加減などで微妙なズレが生じているのかもしれない。 「DeNAの筒香、巨人の小林、日ハムの中田翔なども不振で苦しみました。坂本勇人(巨人)もスタメンを外された試合もありました。国際試合による精神的な疲れが影響しているのかもしれない」(同) キャンプ、オープン戦シーズンに行われるWBCによる後遺症がペナントレースの前半戦に影響を与えた。その「国際試合による疲労感」だが、侍ジャパンが国民の期待を背負って戦う次の大舞台は東京五輪だ。オリンピックは7、8月に行われ、プロ野球各球団はペナントレースの中断も含めた協力体制を決めている。 現時点で五輪を戦う侍ジャパンはプロアマ混合チームになる可能性もあるが、12球団は金メダル獲得に向け、主力選手を派遣する。その主力選手が五輪の国際試合で調子を落とす、あるいは、国際試合による興奮の反動が出るとしたら、それはペナントレースのもっとも大切なシーズン終盤となる。優勝戦線にいるチームの監督は、主力選手の派遣を躊躇うかもしれない。 「プロ野球の選手会はWBC終了からペナントレース開幕まで十分な休養期間が取れなかったと、不満をもらしていました。WBCの熱気をそのままペナントレースに反映させたいとする経営陣の考えも理解できる。経営陣からすれば、国際試合とペナントレースとの並立について、選手会と事細かに話し合いたくないのがホンネ」(ベテラン記者) 山田の不振がこれ以上長引けば、侍ジャパンの選手招集についても影響しそうだ。(スポーツライター・飯山満)写真・セカンドを守る山田哲人
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芸能 2017年06月19日 12時00分
フジテレビの命運を握る篠原涼子月9抜擢の裏事情
フジテレビと心中!? あるいは救世主となるのか!? 女優の篠原涼子(43)の大英断に、テレビ関係者が注目している。なんと、10月期の月9ドラマ『鈴木智子、市長になります(仮題)』のヒロインを受けるというのだ。 「今、“月9”といえば俳優陣にとっては鬼門とも言うべきコンテンツなんです。その理由は、出演しても視聴率が取れないから。4月期の月9『貴族探偵』に出演している嵐の相葉雅紀なんてシングル視聴率を連発しまくりで、もはや“落ちこぼれ”の烙印を押されています。参考までに、このドラマの制作費は1本1億円超え。どんなにお金を掛けても、豪華な共演者を集めても、フジテレビという理由だけで、誰も視聴しない習慣が出来上がりつつあるんです」(制作会社幹部) 結果、多くの俳優がフジの月9と聞いて裸足で逃げ出すようになったという。この危険なドラマコンテンツに名乗りを上げたのが篠原だった。もっとも、彼女とフジテレビの結びつきは思いのほか強いという。 「ドラマ『アンフェア』で知り合ったスタッフを信用しているんです。篠原にしてみれば、俳優の市村正親と結婚し、子供ができたあとに女優復帰をバックアップしてくれたのがフジ。人妻の色気を売りにする戦略を提案しPRしてくれたのです。だから、頭が上がらないんですよ」(放送作家) 実際、日本テレビやテレビ東京の単発ドラマに出演はしているものの、連ドラといえば'15年10月に放送されたフジ系のドラマ『オトナ女子』だけ。もっとも、最近の篠原に対するテレビ界の評判だが…。 「最近の篠原は、いい具合に年を重ねて艶熟してきたという声もあるが、その反面、顔がパンパンでメークなのか何なのか分からず、いつも脂でテカっているように見えるという意見もある。正直なところ、人妻の色気が今でも通用すると信じ込んでいる篠原をヒロインにキャスティングする局は、おそらくフジテレビくらいではないでしょうか」(芸能プロ関係者) 何はともあれ、フジテレビの苦境を救うことになった篠原。今回もお約束のお色気シーンはしっかりとキープされているという。そんな篠原の出演料だが…。 「今回の出演料は1本200万円〜。前社長の亀山千広氏だったら300万円〜は大丈夫だったでしょうが、6月から宮内正喜氏が新社長になり、大リストラが敢行される。これまでのように莫大な出演料は支払えないんです。もしかしたら、出演料を巡って降板なんて事態も起こり得るかもしれない」(テレビ関係者) フジテレビの受難はまだまだ続きそうだ…。
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アイドル 2017年06月19日 11時30分
デビュー当時にもSMAP脱退を口にしていた草なぎ剛
元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾のジャニーズ事務所退所が発表された。入所からちょうど30年で下した決断。残留する中居正広、木村拓哉と、ついに袂を分かつ。 そもそもSMAPは、アイドル氷河期の1991年に歌手デビュー。ジャニーズJr.のスケートボーイズから抜てきされた6人(当時)でスタートした。ところがその後、歌番組が相次いで終了。SMAPが堅守したのは、冠のレギュラー番組『愛ラブSMAP!』(テレビ東京系)だった。 同番組は、ジャニー喜多川社長がSMAPの新曲発表の場として提供したバラエティ。91年からSMAPは、およそ3か月に1度のハイペースで新曲をリリースしていたが、オリコンヒットチャートランキングで1位を獲れるほどの実力はなかった。それならばとジャニーさんが、“歌を聴けるバラエティ”を起動させたのだ。 当時の新曲リリースは、ジャニーズタレントで類を見ないほどすさまじいペースだった。デビュー曲の『Can’t Stop!!−LOVING−』は、91年9月の発売。以降、2ndの『正義の味方はあてにならない』は12月、3rdの『心の鏡』は92年3月、4thの『負けるなBaby!〜Never give up』は7月、音松くん名義の『スマイル戦士 音レンジャー』は10月、5thの『笑顔のゲンキ』は11月、6thの『雪が降ってきた』は12月。96年までは、年4〜5曲のシングルを発表している。 当時は、番組制作にジャニーさんみずからが口を挟んだ。安い制作費でSMAPの魅力を最大限に出そうと、タレントも事務所も局側も必死だったのだ。その甲斐あって、6人(当時)のカラーははっきりしてきた。モデルさながらの森且行(現オートレーサー)、リーダーの中居、美男子の木村、弟キャラの香取、女性のような稲垣。唯一、個性があいまいだったのが草なぎだ。そこでトライさせられたのが、元大洋ホエールズの加藤博一さん(故人)の“1,000本ノック”だ。 何時間もかけて、ガチで1,000本を受けきった草なぎ。疲労困憊で終えたとき、ポツリとつぶやいたのが、「SMAPをやめたい…」。10代のアイドルには、過酷すぎた試練。思わず本音がこぼれたようだ。 SMAPといえば、『夢がMORIMORI』や『SMAP×SMAP』といったフジテレビ系バラエティでそのスキルが磨かれたと思われがちだが、ホントの原点はテレ東。アイデアと気力と忍耐でのし上がってきた彼ららしい歴史が、そこにあるのだ。
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スポーツ 2017年06月19日 11時00分
「諦めなけば夢を見られる!」小笠原瑛作、強豪タイの王者をKO葬で天心戦へ大前進!
『KNOCK OUT vol.3』▽17日 TOKYO DOME CITY HALL 観衆 2,000人(超満員) 最終の5R、小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)が左ローを放つと、ムエタイ界の中でも権威のあるルンピニースタジアム認定スーパーフライ級王者、ワンチャローンが崩れ落ちると同時に、ワンチャローン陣営がタオルを投入。見事なKO劇だった。その瞬間、顔をくしゃくしゃにした瑛作の表情からは、喜びよりも先に安堵感を覚えたように見えた。 「本当にキツかったです。何度も心が折れそうになりました」 昨年12月に行われた『KNOCK OUT vol.0』(TDCホール)で、那須川天心相手に何もさせてもらえぬまま、1R 2分23秒、スバリと決まった左バックスピンキックによりTKO負けという、ルンピニー王者としてこの上ない恥をかいたワンチャローンは「KNOCK OUTのリングでもう一度チャンスが欲しい」とアピール。今回の来日はかなり気合が入りまくっていたという。天心も「ボクはワンチャローンが強いかどうかわかる前に勝ってしまったので」と話していたが、今回の瑛作戦ではワンチャローンの強さが見られるだろうという声はとても高かった。 「僕も天心みたいに強さを出させる前に勝てたらいいんですけどね」戦前に瑛作はこんな話をしていたが、1R、パンチからローキックの連打で、ワンチャローンから先にダウンを奪うなど、瑛作は最初から飛ばすことで、ワンチャローンの強さを封じにかかっていた。しかし、1Rで一気に倒せなかったことで、「瑛作の心は折れてましたね」と山口元気会長は振り返っている。この言葉を裏づけるかのように、直後の2Rではワンチャローンのバックブローが決まり、瑛作はダウンを喫してしまう。その後は瑛作が立て直したことで、試合を優位に進めて、4Rには2度のダウンを奪うが、何度蹴られてもなかなか倒れないワンチャローンの姿からは、ルンピニー王者の強さと意地を見ることができた。それは試合後、ワンチャローンが歩いて帰れなかったことからも伺える。 強さを出させずに勝った天心も素晴らしかったが、強さを引き出した上でKOした瑛作も価値ある勝利だったのは言うまでもない。 「正直、話をいただいたときはワンチャローンかよ!リスクがデカイなって、嫌な思いしかなかったです。試合を受けるかどうか悩みましたね。でも、この試合は僕にとって勝敗以上にキャリアアップ出来る試合だと思うし、天心とやるには名のある選手と試合をして、倒さなきゃいけないって常に言ってきたので、やると決めたら気が楽になりました」 カードが発表された直後に瑛作は、ワンチャローン戦を打診されたときの心境をこのように話していた。戦前の予想ではルンピニー王者ワンチャローンの実力は、瑛作よりも遥かに上という声が非常に高かった。小野寺プロデューサーも「今回は、強い選手と対戦することで、瑛作クンが苦しみながらも乗り越えていく姿を見たかった」と述べており、あえて強敵と当てることで、瑛作の新たな一面を引き出したかったようだ。結果、“覚悟”を見せた上で勝利を収めたのだから、瑛作の潜在能力の高さを示すこととなった。 「皆さんにチャンピオンに勝つとこが見せられて嬉しいです。このKNOCK OUT、僕が引っ張っていくんで、皆さん僕についてきてください!あと天心!ミックスルールで忙しいと思うけどたまにはKNOCK OUTに帰ってきてください!」 試合後、いつもの“キラつき”を取り戻した瑛作はマイクを掴むと、リング上からは初めて「天心」の名前を出した。バックステージや一夜明け会見では「お客さんが望むなら、すぐにやりたい気持ちはあります。ただ僕も天心ももっともっと知名度を上げて、世間からもKNOCK OUTがもっと注目されるようになったときに、誰もが見たいカードと思われたいですね」と素直な気持ちを話していたが、大会終了後の総括でKNOCK OUTの小野寺力プロデューサーは、「8月(20日)の大田区総合体育館大会に天心クンの出場が決まってますけど、まだ相手は決まってません。今回、ワンチャローンにああいう勝ち方をしたことで、瑛作クンも候補に入りますね」と注目の日本人対決実現に含みを持たせた。 「ホント今まで諦めずにやってきて良かったです。昔の自分だったら(心が)折れてたと思います。強くなったな自分って思いますね。小さい頃から10年間アマチュアでやってて、なかなか勝てなくて、そんな自分がまさかタイのチャンピオンに5RをKOで倒せるとは思ってなかったので、今勝ててない弱いキッズの選手にいくら負けても頑張って続けて自分を信じ続けたら、ここまで来れるんだよって言ってあげたい。天心は天才で小さい頃から空手のチャンピオンとかになってますけど、僕は負けキャラでチビで弱かったので、キッズの子たちも諦めなければ夢を見られるよっていう言葉を送りたいですね」 会見の最後に自信に溢れた表情で話す瑛作から、“瑛ちゃん”の愛称で可愛がられていた弱いキッズファイターの頃の面影はない。“瑛ちゃん”は“キラつき”を増しながら、立派なキックボクサーに成長を遂げた。成長過程が全く違う天心戦は、瑛作がさらに進化するためにも避けては通れないスーパーバンタム級黄金カード。機を逸することなくベストなタイミングで実現してもらいたい。第3試合 55.5㎏契約 3分5R◯小笠原瑛作 【5R 1分10秒 TKO (タオル投入)】 ワンチャローン・PKセンチャイジム●取材・文/どら増田
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芸能 2017年06月19日 11時00分
元SMAPメンバーの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾が独立を正式発表!
昨年大みそかに解散したSMAPの元メンバーである稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人が9月8日でジャニーズ事務所との専属契約を終え独立することを、各スポーツ紙が報じている。 すでに、一部メディアではすでに3人がそれぞれジャニーズに契約終了を申し入れていたことを報じていたが、ジャニーズがついに正式に発表した。 各紙によると、3人は今月1日、そろって事務所の関係者と都内で面談。ジャニーズの内規では契約満了の3か月前に更新か契約終了を申し出ることになっているが、9月での契約終了を申し出たという。 ジャニーズは3人の申し出を受け18日に役員会で協議。その結果、3人の独立を承認。9月8日以降の活動については、詳細が固まり次第、3人から報告することになるという。 これを受け、ジャニーズからマスコミ各社に送られた文書にはジャニー喜多川社長のコメントも添えられるという異例の展開。ジャニー氏は「この度3名が自分達の決意で異なる道を歩み始めますが、どこにいようとも、又どのような立場になろうとも、彼らを想う気持ちに変わりはありません」と3人への思いを吐露。元SMAPのメンバーでは木村拓哉と中居正広が契約を更新するが、SMAPについては、「私の心にも永遠に刻み続ける素晴らしい5人です」と“功績”をたたえた。 「おそらく、今回の発表を受け、3人の全レギュラー番組は遅くとも9月いっぱいまでには終了することになる。ジャニーズ時代の仕事をまっさらにして、新事務所で新たに仕事を獲得することになるが、しばらくは各テレビ局はジャニーズの機嫌を損ねることを気にしてオファーを控えるだろう」(芸能記者) 3人の新天地での活躍が期待される。
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スポーツ 2017年06月18日 16時00分
東京六大学史上最強 法政三羽ガラス裏面史(4)
新宿の花園神社近くの路地裏に『熊の子』というスナックがあった。 青線地帯として栄えた繁華街の面影を残す小さな酒場が密集しており、決して環境がいい街ではない。 そんな場所にあった『熊の子』が法政三羽ガラスの溜まり場となっていた。他大学の選手も贔屓にしており、当時の学生野球選手たちが集い、交流し、闘志を燃やし、情報交換もする――そんな店だった。 店はアットホームで、マスターは我々を学生料金で飲ませてくれ、奥さんが作ってくれる家庭料理を目当てに通う選手も多かった。 夫妻には3人の娘さんがおり、温かい家庭的雰囲気をさらに醸し出していた。野球をするために地方から東京に出てきた多くの選手にとって、新宿は敷居が高い街だったが、『熊の子』だけは安心して自由に飲むことができた。 この店に通い始めたきっかけは、法政三羽ガラスの1学年上で明治大の主力だった高田繁(元巨人)と、2学年上だった東都リーグ駒沢大の大下剛史(元広島)だ。ちなみに、大下は同店の長女と結婚している。東京六大学と東都リーグの密かな交流の場でもあった。 法政三羽ガラスが直接のライバルだった明治大の高田やエース・星野仙一と親しくなったのは、互いに門限を破って深夜に出掛けたこの店で顔を会わせていたからだ。 中でも、話が合ったのが“打倒早稲田”に目の色を変えていた星野と富田勝で、2人は“早稲田包囲網”を作ろうと盛り上がった。 すでに東京六大学の大スターだった田淵幸一に対しては、全員が一目置く雰囲気があったが、親友である富田と仲良くなった星野は田淵、浩二とも親しくなり、その付き合いはプロ入り後もずっと続くことになる。 後に星野は「浩二のことはいろいろと助けたよ」とよく私に自慢していた。 「浩二の奥さんは、大学時代に付き合っていた頃から知っているから、夫婦ゲンカをしたときは、よく間に入って仲裁したもんや」 こんなエピソードがある。法政時代、外野手に転向した浩二がレギュラーとして右翼を守るようになると、ライトスタンドには、必ず双子の可愛い女性が観戦するようになっていた。 「おい! ライトにいる2人の女の子、可愛いなあ」 試合中にもかかわらず、目ざとく気づいた富田がそんなことを口にするほどの美女だった。現在の鏡子夫人である。 「トミ、知らんのか。あれは浩二の彼女や」 星野は同じチームの富田も知らないような話まで、浩二から打ち明けられていたのだ。 星野は学生時代から政治家のような一面を持っており、人脈も広かった。だからプロ入り後も、夫婦ゲンカの仲裁から税金対策にいたるまで、何かと仲間たちの相談に乗っていた。そんな付き合いが続いたのも、『熊の子』で結んだ友情の絆があったからだろう。 それぞれの誕生日や優勝祝賀会などの後には、誰と示し合わせたわけでもなく、自然と全員がこの店に集まっていた。「運命のドラフト」の後、この店が法政三羽ガラスらの集合場所になったのも必然だった。 1968年11月12日。東京・日比谷の日生会館で開かれたドラフト会議は、法政三羽ガラスにとって思いもよらない結果となった。 まだドラフト制度が始まって4年目のことである。名実共に球界の盟主を自認していた読売が、ドラフト制度を巧みに利用し、有望選手を独り占めにする駆け引きを自在に操っていた時代だった。 この年はドラフト史上最高ともいわれる大豊作で、阪急は1位指名・山田久志(2位加藤秀司、7位福本豊)、東京オリオンズは1位有藤通世、西鉄は1位東尾修、中日の3位指名は大島康徳と、後に名球界入りを果たす選手がゴロゴロいた。 その中でも、注目を集めていたのが法政三羽ガラスと明治大・星野の4人の動向だった。 各球団の裏の動きを追いかけてきたマスコミの見立てでは、田淵が巨人、浩二は広島、大阪出身の富田は阪神が有力。明治大の星野は中日が指名すると言われていた。ところが、蓋を開けてみると、田淵を指名したのは指名順が早かった阪神。阪神に指名されると信じていた富田は南海だった。 田淵も富田もこの結果にはショックを受けたが、それも当然だった。アマとプロの接触は禁じられていたが、当時は各球団ともあらゆる裏技を駆使して有望選手にアプローチをかけており、三羽ガラスにも幾つも声が掛かっていた。 田淵はすでにこの年の夏頃から、巨人に入団していた高田繁と極秘で会っている。『熊の子』での交遊もある。高田から「会ってくれ」と言われれば、田淵に断ることはできなかった。 違反行為のため、誰にも話すわけにはいかない。高田と食事を約束した日、田淵は当時付き合っていた彼女から「誰に会いに行くの? 私も一緒に連れてって」とせがまれ、ケンカになった。彼女も悪い予感がしたのだろうが、「男の仕事場に行きたいなんて」と田淵は失望し、その日で交際が終わった。私は2人の仲睦まじい関係をよく知っていただけに、破局したのはとても悲しかった。 ともかく、田淵は高田と会い、巨人が希望球団である意思を伝えた。高田が取り持つ形で、当時の川上哲治監督とも極秘に会って食事をしており、川上監督はその席で、「君のために背番号2を用意している」とまで約束したという。 若い田淵が信じたのも無理はない。ドラフト前日には読売系のスポーツ報知が「待ち望む巨人のくじ」と田淵を1面トップで報じ、私も友人としてツーショットで紙面を飾った。それだけ巨人が田淵を単独で指名することは確実視されていた。誰より田淵自身がそう信じて疑わなかった。 にもかかわらず、田淵を強行指名したのは阪神だった。読売のドラフト戦略なのか、まんまと利用された形となった純真な田淵はその夜、荒れ狂った。 当時、私はマスコミ取材などで何かと身辺の騒がしかった田淵を手助けするため、田淵家に泊まり込んでいたのだが、田淵はよほど悔しかったのだろう。夜中になって、こもっていた部屋から出てきた田淵は、フィリピン遠征で買ってきたという宝刀を手にしていた。 「ふざけるな! なんでだ!」 吠えるような怒りの言葉を撒き散らした。そして私を見つけると、いきなり斬りかかってきた。宝刀で斬られた私の額からは血がダラダラと流れた。大暴れして自室に戻った田淵は、開け放った部屋の窓から夜空を見上げ、いつまでも涙ぐんでいた。 田淵の苦しみを思えば、不思議と痛くも痒くもなかった。世の中の汚い部分を見たような気がした。 それから田淵が阪神入りを決断するまで、19日間かかっている。田淵の自宅前には連日、スポーツ紙の記者が張り込んだ。私も池袋の自宅に帰ることができず、田淵家に泊まり続けた。余計なことを話さないよう、田淵の父親もお調子者の私を外に出さなかった。 田淵の父親は毎日新聞系販売会社の会長をしており、読売新聞系の巨人入りを熱望する息子のため、ドラフト前には背広の内ポケットに辞表をしのばせていた。 「幸一が巨人に行くと決めたとき、会社を辞める覚悟はできている」 と話していた。息子の希望を叶えてやりたいという親心が痛いほど私に伝わってきた。社会人野球や海外での浪人を経て巨人入りを貫く選択肢もあったが、田淵は父親が会社を辞めることはどうしても避けたがっていた。 衝撃のドラフトから数日後、新宿の『熊の子』に仲間たちが集合した。 中日に指名された星野が口火を切った。 「実は、巨人からも俺を指名すると言ってきてたんだ。ブチと同じだよ。裏切られた感じだ」 田淵「えっ! 仙ちゃんも巨人から話があったんだ」 星野「それで、ブチは阪神と聞いてどうだった?」 田淵「金槌で頭の後ろから殴られた感じだ。事前のあいさつは一度もなかった球団(阪神)からだからな」 驚く田淵の横で富田がボヤく。 「俺だってあいさつのない南海だ。それに巨人は俺にも同じことを言ってたんだぞ。それにしても、よりによって阪神がブチとはなぁ〜」 「俺だけか、希望球団だったのは…」 広島に指名された浩二が、申し訳なさそうにグラスを傾ける。 どうやら、巨人は田淵だけでなく、星野と富田にも声を掛けていたことになる。 この年のドラフトは予備抽選で指名順を決め、重複指名での抽選がない、早い者勝ちのシステムだった。 実際の指名順は東映、広島、阪神、南海と続き巨人は8番目、中日は10番目だった。巨人は星野にも指名すると言っていたようだが、中日より順番が先の巨人が指名したのは武相高校のエース・島野修だった。 つい半年前までは、まさか『熊の子』でこんな話をすることになるとは、誰ひとり想像もしていなかったに違いない。 その後、浩二はもちろん、星野も富田もプロ入りを決め、田淵も「どこの球団でも、野球ができる幸せを感じなければいけない。親父に会社を辞めさせるわけにはいかないから」と阪神入りを決断した。 もっとも、阪神側は“異例の強行指名”のため、当時の規定である契約金1000万円を大幅に上回る金を田淵に用意していた。どういう名目かは分からないが、実際は手取りで7000万円。阪神のスカウトが田淵の自宅まで現金で持参し手渡している。 後に、三つの銀行に預けに行く際には、私が田淵の母親のボディーガード役として付き添ったことを覚えている。ちなみに、当時の大卒初任給は約3万円という時代だった。 とにかく、田淵は阪神入りを決めた。先に南海入りを快諾していた富田もこの決断を喜び、田淵家を訪ねてきた。田淵を挟んで両親、富田、そして私が笑顔で写る写真はその時のものだ(※本誌198P写真参照)。 残念ながら、富田勝はこの世を去ってしまった。南海に入団したトミと大阪スポニチ記者時代の私はよく難波で朝まで飲み歩いたものだ。血を吐きながらハシゴするトミの姿がいまでも脳裏に焼き付いている。 「だるま! もう1軒行くぞ!」 私は仲間から『だるま』と呼ばれていた。(了)【スポーツジャーナリスト:吉見健明】1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高では田淵幸一と正捕手を争い、法政三羽ガラスとは同期で苦楽を共にした。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書に『ON対決初戦 工藤公康86球にこめた戦い!』(三省堂スポーツソフト)等がある。
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芸能 2017年06月18日 12時00分
ドラマ関係者たちが呆れる武井咲の意外過ぎる素顔
芸能界で早くも大コケ確定と囁かれているのが、武井咲(23)主演の7月期ドラマ『黒革の手帖』(テレビ朝日系)だ。武井といえば男女を問わず人気を集める女優だが、現場の評判は最悪だという。 「とにかく多いのが『聞いてない!』とダダをこねること。マネージャーが武井に謝らないと、事が収まらない。以前ですが、彼女の楽屋の前を通ったときに聞こえてきたのがわめき声。『なんでこんな仕事を受けたの!?』とか『私のことを考えてくれてる?』のオンパレードで、聞いているこっちがいたたまれなくなりましたよ」(制作会社AD) すでに、今回のドラマでも似たような話が漏れ伝わってきているのだ。 「濡れ場が出てこないという話しなんです。『黒革の手帖』は、元銀行員の原口元子が、己の肉体を武器に次々と男を手玉に取り、のし上がっていく松本清張の同名小説。過去に何度もドラマ化され、武井の事務所の先輩である米倉涼子も激しい濡れ場を演じて話題になった。キスシーンはあるものの、場面展開で男と朝を迎えるなど、ふざけた演出がなされているようです」(ドラマ関係者) 同ドラマから濡れ場がカットされた理由だが、 「台本を読んだ武井が、またしても『聞いてない』とヘソを曲げたからです。一度、言い出したら絶対に自分の意見を曲げない。米倉の後輩だからヒロインに抜擢されたという裏事情を知らないんです」(放送作家) ちなみに、気になる武井の出演料といえば、 「1本150万円〜。テレ朝は当初、110万円で交渉したが『ドクターX』のご威光が最後は利いたようです。ただし、濡れ場に関してはテレ朝サイドも完全削除というわけにはいかず、話し合いが続けられている。あまりに武井がゴネ続けると最悪、降板なんて事態も起こりえますよ」(テレビドラマ事情通) 武井が、ポスト米倉として名前が挙がるようになるには、まだまだ時間が掛かるようだ。
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スポーツ 2017年06月18日 12時00分
棚橋が渾身のテキサスクローバーで内藤を撃破しIC王座奪取! 今度こそ棚橋色に染め上げるか?
新日本プロレス『DOMINION』大阪城ホール大会が11日に開催され、11,756人(札止め)の大観衆を動員し、会場は終始熱気に包まれていた。 セミファイナルでは内藤哲也が持つIWGPインターコンチネンタル王座に、エース復権を掲げる棚橋弘至が1.4東京ドーム大会に続いて再挑戦。右腕の負傷により前シリーズを全休した棚橋や、7月のロサンゼルス大会から新設されるIWGP USヘビー級王座に対して怒りの内藤は、ベルトを破壊するなどの暴挙にでていただけじゃなく、勝てばインターコンチ王座の封印もしくは返上を宣言。一方の棚橋は破壊されたベルトについて「ビンテージ感がある」とファッション的な観点から評価。「内藤の土俵でケリをつける」と強い口調で言い切った。 試合は、1.4ドームを超えるハイレベルな攻防の末、終盤スリングブレイド2連発で勝機を掴んだ棚橋は一気にコーナーに登り、終生のライバル中邑真輔が乗り移ったかのように“滾る”と大阪城ホールからは大きなどよめきが…。そして必殺のハイフライフローを決めるも、内藤はギリギリでキックアウト。すると、普段であればもう1発ハイフライフローを決めにかかるところだが、テキサスクローバーホールドで内藤を締め上げた。1度はロープ際まで逃げようとした内藤だが、棚橋は再びリング中央まで引き戻し、渾身のテキサスクローバーホールドを高角度でガッチリ決めると、内藤も堪らずギブアップ。 内藤は調印式で、「棚橋選手には、結果で俺を黙らせてほしいなと思います。そして、かつてのライバルであり、IWGPインターコンチネンタル王座のかつての主である中邑真輔の気持ちも背負って、棚橋選手には大阪城ホール大会のリングに立ってほしいなと思います」と話していたが、棚橋からすればお望み通りの形で葬ったことになる。 棚橋がタイトル戦においてテキサスクローバーホールドをフィニッシュに選んだのは、2007年11月に、海外遠征から凱旋帰国し、波に乗っていた後藤洋央紀が初挑戦したIWGPヘビー級選手権が思い出される。あの時の後藤も棚橋を執拗に挑発しており、相手を黙らせるためには「ギブアップさせるしかない」という考えがあるのかもしれない。現に試合後の内藤は、今後インターコンチ王座に関わらないだろうというコメントを残しただけで、試合についての言いわけや、棚橋に対する憎まれ口を叩くことなく、会場を後にしている。内藤を黙らせるほどの説得力が、この日のテキサスクローバーホールドにはあった。 「まだ死んでなかったでしょ。棚橋は生きてるから、“Tanahashi still alive”。休場明けの横綱が強いように、故障明けのホームランバッターがいつでもホームランを打つように、少し休んでもエースはエースだから。そんなに年数経ってないのに、この貫禄。これにダメージデニムも合わせて、カッコよく着こなすから。ベルトは、腰に巻かれることによって、本来の意味をなす。今日、久しぶりにこのベルトは、“腰に巻かれる”という役目を与えられて、初めてこの世に存在します」 久々にシングル王座のベルトを腰に巻いた棚橋は、このように感情を一気にまくし立てると、少し落ち着いたのか、本音を語りはじめた。 「ホント言うとね、怪我のタイミングが最悪で、『なんでこのタイミングで、怪我なんだろ』って思ったけど、その試練を越えた。これから、どんなことがあっても、立ち向かっていけます」 と不安があったことを吐露すると、続けて中邑を意識した滾るパフォーマンスをだしたことについても語った。 「もうとっくに消化してるって言ったし、内藤に言われて、どうこう思ったところもないし。ただ、インターコンチを巻くにあたって、去年の長岡(ケニーとの王座決定戦)からずっとモヤモヤしてたものがあったから。かつて、あれほど鬱陶しいほど絡んでいったのに、急に何もなしですかっていうのは、あまりに素っ気ないし。ちょっとだけです」 昨年2月に中邑真輔の気持ちを引き継いだ形で、ケニー・オメガとの王座決定戦に臨むも敗れ、大阪城で訪れた挑戦のチャンスも怪我で失い、そして、今年の1.4ドームではマイケル・エルガンから同王座を奪取した内藤に挑戦するも、惨敗。世代交代まで言い渡されてしまった。インターコンチの神様から見放されているようにも見えるが、棚橋の頭の中には2014年1月に中邑を破り、3か月間保持していたインターコンチ王座に対して、“棚橋色”に染め上げられなかったという悔いがずっと残っている。 「前は何もしてあげられなかったから、今度あのベルトを獲ったら“棚橋色”に染めあげますよ!」 これは王座決定戦が決定した直後に棚橋がだしたコメントである。昨年の1.4ドーム大会でオカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座に挑戦し敗れて以来、インターコンチ王座に固執し続けたのは、中邑との思い以上にこんな理由があったのだ。実に2年4か月ぶりのシングル王座戴冠となった棚橋が、ビンテージ感を増した白いベルトを今度こそエースのベルトにできるのか? その初陣は来月2日のロサンゼルス大会。元WWEスーパースターのレジェンド、ビリー・ガンを挑戦者に迎えて幕を開ける。(どら増田) 【新日Times vol.70】※写真・(C)新日本プロレス
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