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アイドル 2017年06月19日 11時30分
デビュー当時にもSMAP脱退を口にしていた草なぎ剛
元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾のジャニーズ事務所退所が発表された。入所からちょうど30年で下した決断。残留する中居正広、木村拓哉と、ついに袂を分かつ。 そもそもSMAPは、アイドル氷河期の1991年に歌手デビュー。ジャニーズJr.のスケートボーイズから抜てきされた6人(当時)でスタートした。ところがその後、歌番組が相次いで終了。SMAPが堅守したのは、冠のレギュラー番組『愛ラブSMAP!』(テレビ東京系)だった。 同番組は、ジャニー喜多川社長がSMAPの新曲発表の場として提供したバラエティ。91年からSMAPは、およそ3か月に1度のハイペースで新曲をリリースしていたが、オリコンヒットチャートランキングで1位を獲れるほどの実力はなかった。それならばとジャニーさんが、“歌を聴けるバラエティ”を起動させたのだ。 当時の新曲リリースは、ジャニーズタレントで類を見ないほどすさまじいペースだった。デビュー曲の『Can’t Stop!!−LOVING−』は、91年9月の発売。以降、2ndの『正義の味方はあてにならない』は12月、3rdの『心の鏡』は92年3月、4thの『負けるなBaby!〜Never give up』は7月、音松くん名義の『スマイル戦士 音レンジャー』は10月、5thの『笑顔のゲンキ』は11月、6thの『雪が降ってきた』は12月。96年までは、年4〜5曲のシングルを発表している。 当時は、番組制作にジャニーさんみずからが口を挟んだ。安い制作費でSMAPの魅力を最大限に出そうと、タレントも事務所も局側も必死だったのだ。その甲斐あって、6人(当時)のカラーははっきりしてきた。モデルさながらの森且行(現オートレーサー)、リーダーの中居、美男子の木村、弟キャラの香取、女性のような稲垣。唯一、個性があいまいだったのが草なぎだ。そこでトライさせられたのが、元大洋ホエールズの加藤博一さん(故人)の“1,000本ノック”だ。 何時間もかけて、ガチで1,000本を受けきった草なぎ。疲労困憊で終えたとき、ポツリとつぶやいたのが、「SMAPをやめたい…」。10代のアイドルには、過酷すぎた試練。思わず本音がこぼれたようだ。 SMAPといえば、『夢がMORIMORI』や『SMAP×SMAP』といったフジテレビ系バラエティでそのスキルが磨かれたと思われがちだが、ホントの原点はテレ東。アイデアと気力と忍耐でのし上がってきた彼ららしい歴史が、そこにあるのだ。
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スポーツ 2017年06月19日 11時00分
「諦めなけば夢を見られる!」小笠原瑛作、強豪タイの王者をKO葬で天心戦へ大前進!
『KNOCK OUT vol.3』▽17日 TOKYO DOME CITY HALL 観衆 2,000人(超満員) 最終の5R、小笠原瑛作(クロスポイント吉祥寺)が左ローを放つと、ムエタイ界の中でも権威のあるルンピニースタジアム認定スーパーフライ級王者、ワンチャローンが崩れ落ちると同時に、ワンチャローン陣営がタオルを投入。見事なKO劇だった。その瞬間、顔をくしゃくしゃにした瑛作の表情からは、喜びよりも先に安堵感を覚えたように見えた。 「本当にキツかったです。何度も心が折れそうになりました」 昨年12月に行われた『KNOCK OUT vol.0』(TDCホール)で、那須川天心相手に何もさせてもらえぬまま、1R 2分23秒、スバリと決まった左バックスピンキックによりTKO負けという、ルンピニー王者としてこの上ない恥をかいたワンチャローンは「KNOCK OUTのリングでもう一度チャンスが欲しい」とアピール。今回の来日はかなり気合が入りまくっていたという。天心も「ボクはワンチャローンが強いかどうかわかる前に勝ってしまったので」と話していたが、今回の瑛作戦ではワンチャローンの強さが見られるだろうという声はとても高かった。 「僕も天心みたいに強さを出させる前に勝てたらいいんですけどね」戦前に瑛作はこんな話をしていたが、1R、パンチからローキックの連打で、ワンチャローンから先にダウンを奪うなど、瑛作は最初から飛ばすことで、ワンチャローンの強さを封じにかかっていた。しかし、1Rで一気に倒せなかったことで、「瑛作の心は折れてましたね」と山口元気会長は振り返っている。この言葉を裏づけるかのように、直後の2Rではワンチャローンのバックブローが決まり、瑛作はダウンを喫してしまう。その後は瑛作が立て直したことで、試合を優位に進めて、4Rには2度のダウンを奪うが、何度蹴られてもなかなか倒れないワンチャローンの姿からは、ルンピニー王者の強さと意地を見ることができた。それは試合後、ワンチャローンが歩いて帰れなかったことからも伺える。 強さを出させずに勝った天心も素晴らしかったが、強さを引き出した上でKOした瑛作も価値ある勝利だったのは言うまでもない。 「正直、話をいただいたときはワンチャローンかよ!リスクがデカイなって、嫌な思いしかなかったです。試合を受けるかどうか悩みましたね。でも、この試合は僕にとって勝敗以上にキャリアアップ出来る試合だと思うし、天心とやるには名のある選手と試合をして、倒さなきゃいけないって常に言ってきたので、やると決めたら気が楽になりました」 カードが発表された直後に瑛作は、ワンチャローン戦を打診されたときの心境をこのように話していた。戦前の予想ではルンピニー王者ワンチャローンの実力は、瑛作よりも遥かに上という声が非常に高かった。小野寺プロデューサーも「今回は、強い選手と対戦することで、瑛作クンが苦しみながらも乗り越えていく姿を見たかった」と述べており、あえて強敵と当てることで、瑛作の新たな一面を引き出したかったようだ。結果、“覚悟”を見せた上で勝利を収めたのだから、瑛作の潜在能力の高さを示すこととなった。 「皆さんにチャンピオンに勝つとこが見せられて嬉しいです。このKNOCK OUT、僕が引っ張っていくんで、皆さん僕についてきてください!あと天心!ミックスルールで忙しいと思うけどたまにはKNOCK OUTに帰ってきてください!」 試合後、いつもの“キラつき”を取り戻した瑛作はマイクを掴むと、リング上からは初めて「天心」の名前を出した。バックステージや一夜明け会見では「お客さんが望むなら、すぐにやりたい気持ちはあります。ただ僕も天心ももっともっと知名度を上げて、世間からもKNOCK OUTがもっと注目されるようになったときに、誰もが見たいカードと思われたいですね」と素直な気持ちを話していたが、大会終了後の総括でKNOCK OUTの小野寺力プロデューサーは、「8月(20日)の大田区総合体育館大会に天心クンの出場が決まってますけど、まだ相手は決まってません。今回、ワンチャローンにああいう勝ち方をしたことで、瑛作クンも候補に入りますね」と注目の日本人対決実現に含みを持たせた。 「ホント今まで諦めずにやってきて良かったです。昔の自分だったら(心が)折れてたと思います。強くなったな自分って思いますね。小さい頃から10年間アマチュアでやってて、なかなか勝てなくて、そんな自分がまさかタイのチャンピオンに5RをKOで倒せるとは思ってなかったので、今勝ててない弱いキッズの選手にいくら負けても頑張って続けて自分を信じ続けたら、ここまで来れるんだよって言ってあげたい。天心は天才で小さい頃から空手のチャンピオンとかになってますけど、僕は負けキャラでチビで弱かったので、キッズの子たちも諦めなければ夢を見られるよっていう言葉を送りたいですね」 会見の最後に自信に溢れた表情で話す瑛作から、“瑛ちゃん”の愛称で可愛がられていた弱いキッズファイターの頃の面影はない。“瑛ちゃん”は“キラつき”を増しながら、立派なキックボクサーに成長を遂げた。成長過程が全く違う天心戦は、瑛作がさらに進化するためにも避けては通れないスーパーバンタム級黄金カード。機を逸することなくベストなタイミングで実現してもらいたい。第3試合 55.5㎏契約 3分5R◯小笠原瑛作 【5R 1分10秒 TKO (タオル投入)】 ワンチャローン・PKセンチャイジム●取材・文/どら増田
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芸能ネタ 2017年06月19日 11時00分
元SMAPメンバーの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾が独立を正式発表!
昨年大みそかに解散したSMAPの元メンバーである稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人が9月8日でジャニーズ事務所との専属契約を終え独立することを、各スポーツ紙が報じている。 すでに、一部メディアではすでに3人がそれぞれジャニーズに契約終了を申し入れていたことを報じていたが、ジャニーズがついに正式に発表した。 各紙によると、3人は今月1日、そろって事務所の関係者と都内で面談。ジャニーズの内規では契約満了の3か月前に更新か契約終了を申し出ることになっているが、9月での契約終了を申し出たという。 ジャニーズは3人の申し出を受け18日に役員会で協議。その結果、3人の独立を承認。9月8日以降の活動については、詳細が固まり次第、3人から報告することになるという。 これを受け、ジャニーズからマスコミ各社に送られた文書にはジャニー喜多川社長のコメントも添えられるという異例の展開。ジャニー氏は「この度3名が自分達の決意で異なる道を歩み始めますが、どこにいようとも、又どのような立場になろうとも、彼らを想う気持ちに変わりはありません」と3人への思いを吐露。元SMAPのメンバーでは木村拓哉と中居正広が契約を更新するが、SMAPについては、「私の心にも永遠に刻み続ける素晴らしい5人です」と“功績”をたたえた。 「おそらく、今回の発表を受け、3人の全レギュラー番組は遅くとも9月いっぱいまでには終了することになる。ジャニーズ時代の仕事をまっさらにして、新事務所で新たに仕事を獲得することになるが、しばらくは各テレビ局はジャニーズの機嫌を損ねることを気にしてオファーを控えるだろう」(芸能記者) 3人の新天地での活躍が期待される。
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スポーツ 2017年06月18日 16時00分
東京六大学史上最強 法政三羽ガラス裏面史(4)
新宿の花園神社近くの路地裏に『熊の子』というスナックがあった。 青線地帯として栄えた繁華街の面影を残す小さな酒場が密集しており、決して環境がいい街ではない。 そんな場所にあった『熊の子』が法政三羽ガラスの溜まり場となっていた。他大学の選手も贔屓にしており、当時の学生野球選手たちが集い、交流し、闘志を燃やし、情報交換もする――そんな店だった。 店はアットホームで、マスターは我々を学生料金で飲ませてくれ、奥さんが作ってくれる家庭料理を目当てに通う選手も多かった。 夫妻には3人の娘さんがおり、温かい家庭的雰囲気をさらに醸し出していた。野球をするために地方から東京に出てきた多くの選手にとって、新宿は敷居が高い街だったが、『熊の子』だけは安心して自由に飲むことができた。 この店に通い始めたきっかけは、法政三羽ガラスの1学年上で明治大の主力だった高田繁(元巨人)と、2学年上だった東都リーグ駒沢大の大下剛史(元広島)だ。ちなみに、大下は同店の長女と結婚している。東京六大学と東都リーグの密かな交流の場でもあった。 法政三羽ガラスが直接のライバルだった明治大の高田やエース・星野仙一と親しくなったのは、互いに門限を破って深夜に出掛けたこの店で顔を会わせていたからだ。 中でも、話が合ったのが“打倒早稲田”に目の色を変えていた星野と富田勝で、2人は“早稲田包囲網”を作ろうと盛り上がった。 すでに東京六大学の大スターだった田淵幸一に対しては、全員が一目置く雰囲気があったが、親友である富田と仲良くなった星野は田淵、浩二とも親しくなり、その付き合いはプロ入り後もずっと続くことになる。 後に星野は「浩二のことはいろいろと助けたよ」とよく私に自慢していた。 「浩二の奥さんは、大学時代に付き合っていた頃から知っているから、夫婦ゲンカをしたときは、よく間に入って仲裁したもんや」 こんなエピソードがある。法政時代、外野手に転向した浩二がレギュラーとして右翼を守るようになると、ライトスタンドには、必ず双子の可愛い女性が観戦するようになっていた。 「おい! ライトにいる2人の女の子、可愛いなあ」 試合中にもかかわらず、目ざとく気づいた富田がそんなことを口にするほどの美女だった。現在の鏡子夫人である。 「トミ、知らんのか。あれは浩二の彼女や」 星野は同じチームの富田も知らないような話まで、浩二から打ち明けられていたのだ。 星野は学生時代から政治家のような一面を持っており、人脈も広かった。だからプロ入り後も、夫婦ゲンカの仲裁から税金対策にいたるまで、何かと仲間たちの相談に乗っていた。そんな付き合いが続いたのも、『熊の子』で結んだ友情の絆があったからだろう。 それぞれの誕生日や優勝祝賀会などの後には、誰と示し合わせたわけでもなく、自然と全員がこの店に集まっていた。「運命のドラフト」の後、この店が法政三羽ガラスらの集合場所になったのも必然だった。 1968年11月12日。東京・日比谷の日生会館で開かれたドラフト会議は、法政三羽ガラスにとって思いもよらない結果となった。 まだドラフト制度が始まって4年目のことである。名実共に球界の盟主を自認していた読売が、ドラフト制度を巧みに利用し、有望選手を独り占めにする駆け引きを自在に操っていた時代だった。 この年はドラフト史上最高ともいわれる大豊作で、阪急は1位指名・山田久志(2位加藤秀司、7位福本豊)、東京オリオンズは1位有藤通世、西鉄は1位東尾修、中日の3位指名は大島康徳と、後に名球界入りを果たす選手がゴロゴロいた。 その中でも、注目を集めていたのが法政三羽ガラスと明治大・星野の4人の動向だった。 各球団の裏の動きを追いかけてきたマスコミの見立てでは、田淵が巨人、浩二は広島、大阪出身の富田は阪神が有力。明治大の星野は中日が指名すると言われていた。ところが、蓋を開けてみると、田淵を指名したのは指名順が早かった阪神。阪神に指名されると信じていた富田は南海だった。 田淵も富田もこの結果にはショックを受けたが、それも当然だった。アマとプロの接触は禁じられていたが、当時は各球団ともあらゆる裏技を駆使して有望選手にアプローチをかけており、三羽ガラスにも幾つも声が掛かっていた。 田淵はすでにこの年の夏頃から、巨人に入団していた高田繁と極秘で会っている。『熊の子』での交遊もある。高田から「会ってくれ」と言われれば、田淵に断ることはできなかった。 違反行為のため、誰にも話すわけにはいかない。高田と食事を約束した日、田淵は当時付き合っていた彼女から「誰に会いに行くの? 私も一緒に連れてって」とせがまれ、ケンカになった。彼女も悪い予感がしたのだろうが、「男の仕事場に行きたいなんて」と田淵は失望し、その日で交際が終わった。私は2人の仲睦まじい関係をよく知っていただけに、破局したのはとても悲しかった。 ともかく、田淵は高田と会い、巨人が希望球団である意思を伝えた。高田が取り持つ形で、当時の川上哲治監督とも極秘に会って食事をしており、川上監督はその席で、「君のために背番号2を用意している」とまで約束したという。 若い田淵が信じたのも無理はない。ドラフト前日には読売系のスポーツ報知が「待ち望む巨人のくじ」と田淵を1面トップで報じ、私も友人としてツーショットで紙面を飾った。それだけ巨人が田淵を単独で指名することは確実視されていた。誰より田淵自身がそう信じて疑わなかった。 にもかかわらず、田淵を強行指名したのは阪神だった。読売のドラフト戦略なのか、まんまと利用された形となった純真な田淵はその夜、荒れ狂った。 当時、私はマスコミ取材などで何かと身辺の騒がしかった田淵を手助けするため、田淵家に泊まり込んでいたのだが、田淵はよほど悔しかったのだろう。夜中になって、こもっていた部屋から出てきた田淵は、フィリピン遠征で買ってきたという宝刀を手にしていた。 「ふざけるな! なんでだ!」 吠えるような怒りの言葉を撒き散らした。そして私を見つけると、いきなり斬りかかってきた。宝刀で斬られた私の額からは血がダラダラと流れた。大暴れして自室に戻った田淵は、開け放った部屋の窓から夜空を見上げ、いつまでも涙ぐんでいた。 田淵の苦しみを思えば、不思議と痛くも痒くもなかった。世の中の汚い部分を見たような気がした。 それから田淵が阪神入りを決断するまで、19日間かかっている。田淵の自宅前には連日、スポーツ紙の記者が張り込んだ。私も池袋の自宅に帰ることができず、田淵家に泊まり続けた。余計なことを話さないよう、田淵の父親もお調子者の私を外に出さなかった。 田淵の父親は毎日新聞系販売会社の会長をしており、読売新聞系の巨人入りを熱望する息子のため、ドラフト前には背広の内ポケットに辞表をしのばせていた。 「幸一が巨人に行くと決めたとき、会社を辞める覚悟はできている」 と話していた。息子の希望を叶えてやりたいという親心が痛いほど私に伝わってきた。社会人野球や海外での浪人を経て巨人入りを貫く選択肢もあったが、田淵は父親が会社を辞めることはどうしても避けたがっていた。 衝撃のドラフトから数日後、新宿の『熊の子』に仲間たちが集合した。 中日に指名された星野が口火を切った。 「実は、巨人からも俺を指名すると言ってきてたんだ。ブチと同じだよ。裏切られた感じだ」 田淵「えっ! 仙ちゃんも巨人から話があったんだ」 星野「それで、ブチは阪神と聞いてどうだった?」 田淵「金槌で頭の後ろから殴られた感じだ。事前のあいさつは一度もなかった球団(阪神)からだからな」 驚く田淵の横で富田がボヤく。 「俺だってあいさつのない南海だ。それに巨人は俺にも同じことを言ってたんだぞ。それにしても、よりによって阪神がブチとはなぁ〜」 「俺だけか、希望球団だったのは…」 広島に指名された浩二が、申し訳なさそうにグラスを傾ける。 どうやら、巨人は田淵だけでなく、星野と富田にも声を掛けていたことになる。 この年のドラフトは予備抽選で指名順を決め、重複指名での抽選がない、早い者勝ちのシステムだった。 実際の指名順は東映、広島、阪神、南海と続き巨人は8番目、中日は10番目だった。巨人は星野にも指名すると言っていたようだが、中日より順番が先の巨人が指名したのは武相高校のエース・島野修だった。 つい半年前までは、まさか『熊の子』でこんな話をすることになるとは、誰ひとり想像もしていなかったに違いない。 その後、浩二はもちろん、星野も富田もプロ入りを決め、田淵も「どこの球団でも、野球ができる幸せを感じなければいけない。親父に会社を辞めさせるわけにはいかないから」と阪神入りを決断した。 もっとも、阪神側は“異例の強行指名”のため、当時の規定である契約金1000万円を大幅に上回る金を田淵に用意していた。どういう名目かは分からないが、実際は手取りで7000万円。阪神のスカウトが田淵の自宅まで現金で持参し手渡している。 後に、三つの銀行に預けに行く際には、私が田淵の母親のボディーガード役として付き添ったことを覚えている。ちなみに、当時の大卒初任給は約3万円という時代だった。 とにかく、田淵は阪神入りを決めた。先に南海入りを快諾していた富田もこの決断を喜び、田淵家を訪ねてきた。田淵を挟んで両親、富田、そして私が笑顔で写る写真はその時のものだ(※本誌198P写真参照)。 残念ながら、富田勝はこの世を去ってしまった。南海に入団したトミと大阪スポニチ記者時代の私はよく難波で朝まで飲み歩いたものだ。血を吐きながらハシゴするトミの姿がいまでも脳裏に焼き付いている。 「だるま! もう1軒行くぞ!」 私は仲間から『だるま』と呼ばれていた。(了)【スポーツジャーナリスト:吉見健明】1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高では田淵幸一と正捕手を争い、法政三羽ガラスとは同期で苦楽を共にした。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書に『ON対決初戦 工藤公康86球にこめた戦い!』(三省堂スポーツソフト)等がある。
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芸能ネタ 2017年06月18日 12時00分
ドラマ関係者たちが呆れる武井咲の意外過ぎる素顔
芸能界で早くも大コケ確定と囁かれているのが、武井咲(23)主演の7月期ドラマ『黒革の手帖』(テレビ朝日系)だ。武井といえば男女を問わず人気を集める女優だが、現場の評判は最悪だという。 「とにかく多いのが『聞いてない!』とダダをこねること。マネージャーが武井に謝らないと、事が収まらない。以前ですが、彼女の楽屋の前を通ったときに聞こえてきたのがわめき声。『なんでこんな仕事を受けたの!?』とか『私のことを考えてくれてる?』のオンパレードで、聞いているこっちがいたたまれなくなりましたよ」(制作会社AD) すでに、今回のドラマでも似たような話が漏れ伝わってきているのだ。 「濡れ場が出てこないという話しなんです。『黒革の手帖』は、元銀行員の原口元子が、己の肉体を武器に次々と男を手玉に取り、のし上がっていく松本清張の同名小説。過去に何度もドラマ化され、武井の事務所の先輩である米倉涼子も激しい濡れ場を演じて話題になった。キスシーンはあるものの、場面展開で男と朝を迎えるなど、ふざけた演出がなされているようです」(ドラマ関係者) 同ドラマから濡れ場がカットされた理由だが、 「台本を読んだ武井が、またしても『聞いてない』とヘソを曲げたからです。一度、言い出したら絶対に自分の意見を曲げない。米倉の後輩だからヒロインに抜擢されたという裏事情を知らないんです」(放送作家) ちなみに、気になる武井の出演料といえば、 「1本150万円〜。テレ朝は当初、110万円で交渉したが『ドクターX』のご威光が最後は利いたようです。ただし、濡れ場に関してはテレ朝サイドも完全削除というわけにはいかず、話し合いが続けられている。あまりに武井がゴネ続けると最悪、降板なんて事態も起こりえますよ」(テレビドラマ事情通) 武井が、ポスト米倉として名前が挙がるようになるには、まだまだ時間が掛かるようだ。
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スポーツ 2017年06月18日 12時00分
棚橋が渾身のテキサスクローバーで内藤を撃破しIC王座奪取! 今度こそ棚橋色に染め上げるか?
新日本プロレス『DOMINION』大阪城ホール大会が11日に開催され、11,756人(札止め)の大観衆を動員し、会場は終始熱気に包まれていた。 セミファイナルでは内藤哲也が持つIWGPインターコンチネンタル王座に、エース復権を掲げる棚橋弘至が1.4東京ドーム大会に続いて再挑戦。右腕の負傷により前シリーズを全休した棚橋や、7月のロサンゼルス大会から新設されるIWGP USヘビー級王座に対して怒りの内藤は、ベルトを破壊するなどの暴挙にでていただけじゃなく、勝てばインターコンチ王座の封印もしくは返上を宣言。一方の棚橋は破壊されたベルトについて「ビンテージ感がある」とファッション的な観点から評価。「内藤の土俵でケリをつける」と強い口調で言い切った。 試合は、1.4ドームを超えるハイレベルな攻防の末、終盤スリングブレイド2連発で勝機を掴んだ棚橋は一気にコーナーに登り、終生のライバル中邑真輔が乗り移ったかのように“滾る”と大阪城ホールからは大きなどよめきが…。そして必殺のハイフライフローを決めるも、内藤はギリギリでキックアウト。すると、普段であればもう1発ハイフライフローを決めにかかるところだが、テキサスクローバーホールドで内藤を締め上げた。1度はロープ際まで逃げようとした内藤だが、棚橋は再びリング中央まで引き戻し、渾身のテキサスクローバーホールドを高角度でガッチリ決めると、内藤も堪らずギブアップ。 内藤は調印式で、「棚橋選手には、結果で俺を黙らせてほしいなと思います。そして、かつてのライバルであり、IWGPインターコンチネンタル王座のかつての主である中邑真輔の気持ちも背負って、棚橋選手には大阪城ホール大会のリングに立ってほしいなと思います」と話していたが、棚橋からすればお望み通りの形で葬ったことになる。 棚橋がタイトル戦においてテキサスクローバーホールドをフィニッシュに選んだのは、2007年11月に、海外遠征から凱旋帰国し、波に乗っていた後藤洋央紀が初挑戦したIWGPヘビー級選手権が思い出される。あの時の後藤も棚橋を執拗に挑発しており、相手を黙らせるためには「ギブアップさせるしかない」という考えがあるのかもしれない。現に試合後の内藤は、今後インターコンチ王座に関わらないだろうというコメントを残しただけで、試合についての言いわけや、棚橋に対する憎まれ口を叩くことなく、会場を後にしている。内藤を黙らせるほどの説得力が、この日のテキサスクローバーホールドにはあった。 「まだ死んでなかったでしょ。棚橋は生きてるから、“Tanahashi still alive”。休場明けの横綱が強いように、故障明けのホームランバッターがいつでもホームランを打つように、少し休んでもエースはエースだから。そんなに年数経ってないのに、この貫禄。これにダメージデニムも合わせて、カッコよく着こなすから。ベルトは、腰に巻かれることによって、本来の意味をなす。今日、久しぶりにこのベルトは、“腰に巻かれる”という役目を与えられて、初めてこの世に存在します」 久々にシングル王座のベルトを腰に巻いた棚橋は、このように感情を一気にまくし立てると、少し落ち着いたのか、本音を語りはじめた。 「ホント言うとね、怪我のタイミングが最悪で、『なんでこのタイミングで、怪我なんだろ』って思ったけど、その試練を越えた。これから、どんなことがあっても、立ち向かっていけます」 と不安があったことを吐露すると、続けて中邑を意識した滾るパフォーマンスをだしたことについても語った。 「もうとっくに消化してるって言ったし、内藤に言われて、どうこう思ったところもないし。ただ、インターコンチを巻くにあたって、去年の長岡(ケニーとの王座決定戦)からずっとモヤモヤしてたものがあったから。かつて、あれほど鬱陶しいほど絡んでいったのに、急に何もなしですかっていうのは、あまりに素っ気ないし。ちょっとだけです」 昨年2月に中邑真輔の気持ちを引き継いだ形で、ケニー・オメガとの王座決定戦に臨むも敗れ、大阪城で訪れた挑戦のチャンスも怪我で失い、そして、今年の1.4ドームではマイケル・エルガンから同王座を奪取した内藤に挑戦するも、惨敗。世代交代まで言い渡されてしまった。インターコンチの神様から見放されているようにも見えるが、棚橋の頭の中には2014年1月に中邑を破り、3か月間保持していたインターコンチ王座に対して、“棚橋色”に染め上げられなかったという悔いがずっと残っている。 「前は何もしてあげられなかったから、今度あのベルトを獲ったら“棚橋色”に染めあげますよ!」 これは王座決定戦が決定した直後に棚橋がだしたコメントである。昨年の1.4ドーム大会でオカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座に挑戦し敗れて以来、インターコンチ王座に固執し続けたのは、中邑との思い以上にこんな理由があったのだ。実に2年4か月ぶりのシングル王座戴冠となった棚橋が、ビンテージ感を増した白いベルトを今度こそエースのベルトにできるのか? その初陣は来月2日のロサンゼルス大会。元WWEスーパースターのレジェンド、ビリー・ガンを挑戦者に迎えて幕を開ける。(どら増田) 【新日Times vol.70】※写真・(C)新日本プロレス
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レジャー 2017年06月17日 21時00分
女がドン引く瞬間(31)〜“頭ポンポン”行為はセクハラと同じ!?〜
昨今、「彼氏からされたら嬉しいこと」や「胸キュンする仕草」などがテーマのランキングで、必ず上位に入っているのが、男性から頭をポンポンと撫でられる行為である。 しかし都内でOLとして働くロングヘアーの優子さん(仮名・26歳)は、頭に触れられるボディタッチが、もっとも不快感を抱く仕草だと話す。 「頭をポンポンする男性は、“女性はこうすれば喜ぶんだろう”と思っている気がして不快に感じます。そういう人は、一部のアンケートや恋愛マニュアルを真に受けている気がしますね。それに女性にとって髪の毛は大事なもので、時間をかけた髪型が崩れるのも嫌ですし、なんだか子供扱いされているような気がしてイラッとします」 好きな人や交際している男性からの頭タッチも冷めると話す優子さん。そのため、仲の良い男性以外からの頭ポンポンは、不快感を超えて恐怖しかないという。 「以前、会社の飲み会で、上司から仕事を褒められた際、頭の上に手をポンと置かれたことがあります。その瞬間、全身に鳥肌が立ち、反射的に相手の腕を掴んでしまうほどドン引きしました。特に潔癖症というわけではないのですが、その日は帰宅してすぐに頭を必死に洗いましたね。彼の上から目線の行動や、手の汗と付着している菌が付いたと思うと本当に気持ちが悪かった。恋人以外で勝手に触れてくるのは痴漢のようなものです」 セクハラで訴えたいほど気分を害したという優子さん。その後、他の男性の手が頭に伸びてた場合は、すぐに頭を横に移動し、なるべく避けるよう心がけているという。(取材/構成・篠田エレナ)
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アイドル 2017年06月17日 21時00分
【帰ってきたアイドル親衛隊】「花の中三トリオ」で一番アイドルらしく可愛かった桜田淳子
1970年代から80年代前半にかけて放送されていた『スター誕生』(日本テレビ系)は、アイドル歌手の登竜門と言われ、ここから多くのアイドルが輩出された。 山口百恵というビッグスターも出身であり、同い年で同期として桜田淳子と森昌子がいた。この3人を「花の中三トリオ」と呼ぶようになり、芸能界でも大きな注目を浴びるようになった。 その中でも今回は桜田淳子に注目してみたいと思う。桜田は3人の中では一番アイドルらしく笑顔が可愛くて同年代の男子から絶大な支持を受けていた。私も3人の中では桜田派だったこともあり、桜田が出演する歌番組は欠かさず見ていた程だ。 あくまでも芸能人はテレビの中の人という認識でいたが、ひょんなキッカケで桜田に会えることになったのだ。 1979年9月頃、小学5年生の私はドラマなどを収録している生田スタジオに行けることになった。というのも同級生で児童劇団に入っていた友達が『ちょっとマイウェイ』(日本テレビ系)というドラマにレギュラー出演することになり、その収録スタジオに連れて行ってもらえることになったのだ。スタジオに行くとテレビでしか見たことの無い芸能人がたくさんいて、ビックリのしっぱなしだった。 そんな時に食堂の前を通りかかると、何と桜田淳子が目の前にいるではないか。桜田は当時『かたぐるま』(日本テレビ系)というドラマに出演していた。目の前を桜田が通っても声すらかける勇気も無く、ただ通り過ぎるのを見届けるだけとなってしまったが、生で桜田を見れただけでも満足だったので、これで後悔をすることがなかった。 女優にアイドル歌手にと売れっ子だった桜田は、バラエティ番組にも精力的に出演していた。 あれは忘れもしない1981年5月のことだった。私が中学1年生になってすぐのことで『TVジョッキー』(日本テレビ系)の『ザ・チャレンジ』という素人が芸をやって面白かったら勝ち抜けるというコーナーに出演することになった。ここからとんねるずや柳沢慎吾・竹中直人などが勝ち抜いて有名になっていった。そんなすごいコーナーに、12歳のクソガキが見事にオーディションを突破して出演することになったのだ。 この時にゲストとして桜田が登場。まさか自分の芸を桜田の目の前でやるとは思っていなかったが、気になるアイドルの前で芸をやれたことは、今でも誇りである。番組の終了の時に私から桜田に声をかけて話しをすることもできて、しかもサインまで書いてくれた。番組では私の芸が未熟だったことで勝ち残れなかったが、最後に桜田とコンタクトを取れたことで、自分の中では『TVジョッキー』で、大きな爪あとを残せたと思っている。 その後1983年の『眉月夜』を最後に歌手活動を終え、女優メインの活動となる。こうなると桜田と会える機会なんてほとんど無いと思っていたが、1988年に芸人になったばかりの私に、渋谷ビデオスタジオでの収録番組の仕事が入った。そこで桜田も出演していた『ニューヨーク恋物語』(フジテレビ系)の収録が行われていたようで、廊下でたまたま桜田とすれ違ったのだ。「あっ」と思ったが、そのまま桜田は歩いていってしまった。この時が私にとって最後に生で見る桜田の姿になった。 それから数年が経ち、1992年に統一教会の合同結婚式に桜田が出席するということが発表された。これをキッカケに桜田は公の場から姿を消してしまい、事実上の芸能界引退へとなってしまった。 そして20年以上も公の場に出ることは無かった桜田が、2013年にかつて所属していたサンミュージックの相澤秀禎会長のお通夜に参列したことで話題になった。 葬儀から約半年後の11月には、銀座博品館劇場で『Thanks40スペシャルファン感謝DAY』と題したファンイベントが行われ、さらに17年4月には同じく銀座博品館劇場で『スクリーン・ミュージックの宴 with ピアニスター・HIROSHI』にゲスト出演して、オリジナル曲を5曲を披露している。 今後は本格的なコンサートの開催も夢ではないので、近い将来を楽しみにしたいと思う。【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。
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レジャー 2017年06月17日 18時15分
ユニコーンステークス(GIII、東京ダート1600メートル、18日) 藤川京子のクロスカウンター予想!
ダート1600mのレースですが3歳戦なので、まだ本気で走っていない可能性のある馬に注意しながら予想していきます。 1400mでは連勝していますが、両方とも重馬場だったので、未知数ながら走りを見ていると、前でも後ろからでも騎手の指示に従って走る事が出来そうなサヴィ。前走は、最後方からの末脚だけでごぼう抜きの鮮やかな走りを見せてくれました。但し、重馬場だった事を考えると走破タイムはあまり早くありません。他の馬が遅かっただけと言う可能性もありますが同時に、後ろからだったので、本気で脚を使っていない可能性もあります。 それとテイエムヒッタマゲは、前走は芝の阪神1800m毎日杯レースで8着でしたけれど、その前は中京ダート1400m昇竜Sで勝っています。このレースには前走青竜Sで3着だったシゲルベンガルトラも出走していましたが、これに勝っています。人気はありませんが侮れないと思います。 このレースの傾向は、やや長めの距離を経験した馬の方が馬券に絡みやすい傾向があります。できたら前走は1600m以上の方が望ましいようです。そこから探すとアンティノウスは、前走は東京ダート1600mを好タイムで勝っているし、1800mの経験もあります。馬券に絡む条件が揃っています。 また、前走は芝ですがG1NHKマイルで2着。地方ながらダートの経験があり、勝っているリエノテソーロ。3走前はこのレースにも出走しているシゲルコングとも全日本2歳優駿で、大差で勝っています。但し、2戦したダートは重馬場だったので、乾いた砂での経験はありません。そこだけが不安材料です。 それと前走の青竜Sで勝った馬は、サンライズソア。1800mのダートの経験もあり勝っています。 但し、全体的に見渡すとメンバーの構成が例年と違う気がしますし、前走が重馬場だったりと荒れそうな気もしてきました。そこで、一発狙いで馬券を組み立てます。(4)◎リエノテソーロ(5)◯サヴィ(16)▲トラネコ(12)△テイエムヒッタマゲ(13)△ウォーターマーズ(7)△アンティノウス(15)△サンライズソアワイドBOX(4)(5)(16)(12)3連複一頭軸(4)軸(5)(16)(12)(13)(7)(15)※出走表などのデータは、必ずJRA公式発表のものと照合して下さい。
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スポーツ 2017年06月17日 18時00分
GM更迭!「動かないヨシノブ」はクビにできない…
交流戦も苦戦、成績不振の責任を取って、堤辰佳ゼネラルマネージャー(以下=GM)が退任した。その後任には“元プレーヤー”の鹿取義隆氏(60)が選ばれたが、高橋由伸監督(42)の表情は晴れない。 「歴代の巨人GMは『サラリーマンGM』でした。堤氏は慶應大学野球部のOBで高橋監督も絶大な信頼を寄せていました。でも、プロ野球経験者を望む声がフロント内にも出ていました。高橋監督は就任2年目なので彼を庇う声も多い。ペナント低迷の責任は誰かが取らなければならないし、そうなると、大型補強を強行した堤氏が…」(球界関係者) 巨人は83年に及ぶ球団史のなかで、ワーストとなる12連敗も喫した(6月7日)。プロ野球記録は98年、千葉ロッテの18連敗。2ケタ連敗を記録したチームはほかにもある。連敗は「13」でストップさせたが、ここまで低迷したチームをどう建て直すのか、それが新GMの使命となる。 90年以降、大型連敗を喫したチームは、以下の通り。98年 千葉ロッテ=18連敗08年 現DeNA=14連敗99年 広島 =13連敗15年 埼玉西武=13連敗98年 阪神 =12連敗99年 阪神 =12連敗12年 オリックス=12連敗05年 東北楽天=11連敗(2度) 2ケタ連敗を喫した後、そのチームが優勝するまで何年を費やしたか…。 千葉ロッテはシーズン優勝こそ逃したが、日本一に輝いたのは、05年。7季を要したわけだ。広島は2016年までの長いトンネルを経験した。阪神が暗黒時代を抜け出したのは、03年。東北楽天はチーム創設から優勝まで「3251日」を費やした。 鹿取GMは今後、チームをどんな戦力補強し、どうやってチームを再建するのかを高橋監督と話し合わなければならない。しかし、GMが交代しても、当面の巨人は「沈んだまま」と見る声も多く聞かれた。その理由は、高橋采配にある。 「高橋監督は『動かない指揮官』です。失敗したときのリスクを恐れるというか、走者が出たら、エンドランを仕掛けるようなことはほとんどありません」(前出・同) その一例が『盗塁』である。 前任者・原辰徳氏のラストイヤーとなった15年、チーム総盗塁数は「99」。だが、高橋監督になって、「62」まで激減した。原監督は僅差の場面でもノーアウトで走者を出すと、代走を送り、盗塁を仕掛けた。前任者は失敗よりも、成功したときを考えていた。高橋采配の全てを否定するつもりはないが、今の戦力では今季中の首位戦線復帰は難しいだろう。 また、高橋監督はスタメンオーダーこそいじるが、走者を置いた場面では単独スチールのサインを滅多に出さない。結果、相手チームのバッテリーに「巨人は走ってこないから」とナメられ、たとえ代打が投入されても、バッターとの「一対一」の単純勝負になってしまうのだ。 こうした“采配の未熟さ”を補うのが、コーチ陣のはず。一軍コーチの顔ぶれを見ると、指導者経験の少ない40代も目立つ。二軍担当の年長コーチとの入れ替えも妙案だが、こんな声も聞かれた。 「コーチ陣の入れ替えですが、巨人に限らず、それを最終判断するのは監督です。連敗中、コーチ陣の入れ替えが進言されていましたが、高橋監督は受け付けませんでした」(ベテラン記者) 連敗中、高橋監督は「(敗戦結果を)受け止めるしかない」とも語ってきた。責任感の強い人柄がそう言わせた。コーチ陣を庇い、敗戦の責任を自分一人で抱え込むつもりでいたのだが、フロントは待てなかった。その結果が、もっとも信頼する先輩の“更迭”となってしまった。鹿取GMが最初に着手すべきは、戦力補強ではなく、高橋監督の性格を把握することではないだろうか。(スポーツライター・飯山満)※写真・高橋由伸監督(42)
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