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スポーツ 2018年02月05日 17時30分
【QUINTET】ももクロP佐々木敦規氏が映像演出!桜庭和志が新格闘イベントを旗揚げ
“IQレスラー”“グレイシー・ハンター”として総合格闘技のリングや、UWFインターナショナル、新日本プロレスなどで活躍したプロレスラー桜庭和志が、グラップリングイベント『QUINTET』を4月11日に両国国技館で旗揚げすると発表した。元プロレスラーの馳浩衆院議員が最高顧問に就任。映像演出はももいろクローバーZを手掛けている佐々木敦規氏がプロデュース。AbemaTVで完全生中継されることも決定している。 『QUINTET』は柔道のような5vs5の団体勝ち抜き方式で行われ、不透明決着や試合中の消極的な膠着を避けるため、ヒールホールドを禁止したり、勝ち抜き戦がドローの場合は代表選手による決着戦を行い完全決着制にするなど、ルールを整備していくことで分かりやすさを追求し、観客に伝わる闘いを見せていくという。 1日のリリース現在で出場予定選手として、HALEO Dream Teamの桜庭和志、所英男、中村大介、マルコス・ソウザ、ジョシュ・バーネット、JUDO Dream Teamの石井慧、ユン・ドンシク、チョン・プギョン、POLARIS Dream Teamのグレゴー・グレイシー、ダン・ストラウス、チャールズ・ネグロモンテ、グレイグ・ジョーンズ、SAMBO Dream Teamのテオドラス・オークストリス、マリウス・ザロムスキー、ミンダウガス・ベルツビカス、ミキータ・ミフノ、セルゲイ・グレチコの参戦を発表。日本でお馴染みのレジェンドから未知なる強豪までバラエティに富んだメンバーが、ジャンルやテーマ毎に作られた4チームに分かれて1DAYトーナメントで優勝を争う。未定の選手及び、正式なルールなどは後日発表予定。■桜庭和志のコメント 私が高校でアマチュアレスリングと出会い、格闘技の基礎を学び始めてから実に33年という月日が流れました。 その間、気の遠くなるような練習を重ね、身を削るような試合をくぐり抜け、人生のすべてを格闘技に捧げてきました。2018年はそんな私がプロデビューしてから四半世紀、25周年になります。その区切りの年に、私はこれまでの経験を活かした新たなスポーツイベントを立ち上げることを決意いたしました。 このほど、私を代表としたイベントを主催する新会社も設立いたしましたので、併せてご報告させていただきます。新イベントは、日本に留まらず世界展開を前提にしたグローバルコンテンツとして発展させていく所存ですので、皆様のご理解、ご協力を何卒お願い申し上げます。文・どら増田写真提供・(C)QUINTET
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スポーツ 2018年02月05日 17時11分
【RISE】元A級プロボクサー篠塚辰樹が76秒KOデビュー!セコンドの那須川天心も祝福
『RISE122』▽4日 後楽園ホール 観衆 1,758人(超満員札止め)▼フェザー級(-57.5kg)3分3R延長1R○篠塚辰樹(1R 1分16秒 KO)山川賢誠●アマチュア時代に31戦24勝7敗という好成績を残し、プロに転向すると名門ワタナベジムに所属しA級にまで上り詰めながら、昨年10月12日に篠原武大を相手にTKO勝利を収めると、僅か4試合(3勝1敗)でボクシングを卒業。19歳という若さからプロボクサーとして将来を有望視されていた篠塚辰樹だが、昨年12月にキックボクシングへの転向を発表。同い年の那須川天心がいるTEPPEN GYMに所属し、デビューまで1か月半という短い準備期間の中で、階級が近い天心とともに練習を積み重ねてきた。来週12日のKNOCK OUT大田区総合体育館大会で、史上最強の対戦相手と言われているスアキム・シットソートーテーウとの対戦を控える天心がセコンドで見守る中、篠塚はファンの大声援をバックに独特のオーラと色気を放ちながら堂々と入場。「キックの会場はボクシングより雰囲気が良かったです」と試合後に振り返っていたが、特に緊張はしていなかったようだ。記念すべきデビュー戦の相手は、天心の階級であるRISEバンタム級ランキング5位の山川賢誠。フェザー級の篠塚にとってはひとつ下の階級になるが、強敵だ。1Rのゴングが鳴ると篠塚はジャブで主導権を握り、山川の前蹴りに対しても右ストレートで対応するなど、ペースを渡さない。篠塚はジャブを中心に試合を組み立てていたが、右のインローを放つ場面もあった。しかし、これがローブローになってしまい試合が中断。再開すると左右上下のパンチが的確に山川を捉え、山川が右のローを放つと、逆に篠塚の左ボディーが入り、ここが勝機と見た篠塚はパンチを連打。これには山川もたまらずダウン。山川の状態を見たレフェリーが試合をストップさせた。試合後、天心から祝福を受けて喜びを分かち合うと、マイクを持ち「キックボクサーになれましたか?」とファンに問いかけ、次回3月24日に行われる『RISE123』への参戦と、ベルト獲りをアピールし、「フェザー級は誰がいるのかわからないけど」と挑発を交えながら、花田元誓が保持しているRISEフェザー級王座に狙いを定めた。■篠塚辰樹バックステージコメント−−あっという間のKO勝利だったが?ローを蹴って来たので顔に当てやすかったなと。−−山川の印象は?印象は特になかったんですけど、自分ができることをやればいいと思っていたので。−−自分ができることをどのように組み立てた?会長、天心…みんないいサポートの中、練習を積み重ねて来たので。あとはやるだけだったので。−−結果的には1分ちょっとでKO勝利。手応えは?手応えは…早かったですね。もう少しいろんなことをやりたかったですが、楽しかったので。−−マイクパフォーマンスも見事だったが?フェザー級に誰がいるかわからないんで。とりあえず誰でもいいので強い人と試合がしたいです。−−改めてキックボクサーに転向してみてどうだったか?パンチでは自分が強いので、あとはキックに慣れるだけかなと。早く慣れてどんどん蹴っていきたいですね。−−2018年の目標は?年内にベルトを獲って。とりあえずベルトを獲りたいので、強い人とやりたいです。−−ファンに一言。年内にベルトを獲るので応援をよろしくお願いします。天心と一緒にこの試合のセコンドに付いていたTEPPEN GYMの那須川弘幸会長は「すぐにチャンピオンになりますよ」と篠塚の衝撃的なデビュー戦に目を細めていた。RISEのフェザー級戦線は、チャンピオンの花田の他、森本“狂犬”義久、工藤政英ら激闘系のファイターが揃っている。特に狂犬は篠塚の試合を篠塚側のリングサイドから目を光らせながら観戦しており、黙っているタイプではない。フェザー級戦線に彗星の如く現れた篠塚のデビュー2戦目も注目だ。キック界の新たなスターが誕生した記念すべき試合だった。取材・文・カメラ / どら増田
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スポーツ 2018年02月05日 15時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ジャイアント馬場」“東洋の巨人”は希代のアスリート
米国において最も評価の高い日本人レスラーの1人であったジャイアント馬場が、大腸がんの転移による肝不全で亡くなってから早19年が経過した。 馬場がアメリカにおいてNWA、WWWF、WWAの王座に連続挑戦を果たしたのは、自身2度目の遠征となった1964年(昭和39年)のこと。 それぞれ王者は、ルー・テーズ、ブルーノ・サンマルチノ、フレッド・ブラッシーといった、いずれ劣らぬ大物ぞろい。当時における世界三大チャンピオンシップであり、各団体がライバル関係にある中で、その垣根を越えてリングに上がったのは極めて異例の“事件”であった。 分かりやすく例えるならば、大みそかに『紅白歌合戦』の舞台に立つと同時に、『ガキ使』をはじめとした民放各局の裏番組に出演するような事態で、普通ではあり得ないことだった。 つまり、そんな“非常識”が許されるほどに、アメリカでの馬場人気は高かったわけである。今から50年以上も前のことで、その頃の馬場を生で見たことがあるのは、現在60歳以上の限られたファンであろうか。 逆に言えば、ほとんどのプロレスファンが、馬場の全盛期を知らないということにもなる。巨体に似合わぬ細い腕、あばら骨の浮いた胸板、スローモーな動きと、効いているのかも分からない16文キック…。 馬場に対するネガティブイメージは今でも根強く、これはビートたけしの『オールナイトニッポン』における馬場ネタや、関根勤のモノマネの影響も大きいだろう。 だが、馬場がプロレス界に入る前、巨人軍に在籍した当時の、いわゆる“職業野球”は、今ほどのハイレベルではなかったものの、それでもスポーツエリートの集まりであったことに違いはない。 そんな中にあって馬場は、高校2年の時点で青田買いのスカウトを受け、入団後も二軍とはいえ3回の最優秀賞を獲得。一軍で先発した唯一の試合でも、5回無失点の好投を見せている。 「それでいて一軍に定着できなかったのは、実力の問題ではなく、馬場の巨体が観客から見世物的に見られることを、ダンディーで知られる当時の水原茂監督が嫌ったためだとの説もあります。アスリートとしての能力は相当高かったようで、歴代の日本人プロレスラーの中でもナンバーワンなのでは?」(ベテランスポーツ紙記者) 運動神経抜群のいわゆる“動ける巨人”だったわけで、後世のレスラーを見ても2メートル超の身長でいながら、ドロップキックまで放つ選手はそうそういない。アメリカで人気が出たのも、ただデカい東洋人が珍しいということだけでなく、馬場が上質な試合を繰り広げていたからこそであった。 そうしてみれば日本プロレス時代に、アントニオ猪木が馬場の上に行けなかったこともうなずけよう。人気や集客力が重視されがちなプロレス界だが、格闘技という性質を含む以上、まったく力量の劣る選手が長く上に立てるはずがないのである。 しかし、その猪木が全盛を迎える頃に、一方の馬場が“守り”の姿勢にあったことは、今の40〜50代ファンの馬場に対する評価を下げる要因となった。 「力道山の死後、アメリカへの完全移籍を強く求められた馬場が、高額年俸の提示を蹴って帰国したのは、日本プロレスを守ろうという義理人情の部分がありました。加えて、大きな故障をしたときに、生活の保障がないことへの危惧があったからだともいわれます。巨人軍時代に脳腫瘍を発症していたことで、将来への不安も大きかったのでしょう。それもあって馬場は、全日本プロレス旗揚げ後、自身の闘いよりも団体の安定経営に力を入れるようになりました」(同) 馬場自身が絶対的エース格でありながら、それだけでは、馬場に何かあったときにはいっぺんに団体が傾いてしまう。 そのことを力道山死後の日本プロレスで、身に染みて感じていたからこそ、自分が欠けても興行を続けられるようにザ・デストロイヤーやビル・ロビンソンら一流外国人選手を日本陣営に加え、また、ザ・ファンクスとアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークの抗争など、外国人対決を目玉の一つとしていった。 そんな馬場の一歩引いた姿勢は、自分自身が常に最前線で闘う猪木と正反対のものであり、そのためモハメド・アリ戦などで猪木から強烈な刺激を受けたファンからすると、馬場の姿勢は物足りなく映ることにもなった。 「スタン・ハンセンが全日に移籍して、馬場が互角以上の闘いぶりで抗争を繰り広げたことに、ファンは驚きました。しかし、もともとの身体能力からすれば、まったく不思議ではありません」(同) 晩年にはその人格や存在感を評価されることが多くなった馬場だが、そもそもが傑出したプロレスラーであったことは、ぜひとも記憶にとどめておきたい。ジャイアント馬場生没年:1938年1月23日〜1999年1月31日(61歳没)。新潟県三条市出身。身長208㎝、体重136㎏。得意技:16文キック、32文人間ロケット砲、脳天唐竹割り。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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芸能ニュース 2018年02月05日 12時50分
女子アナブームの立役者・有賀さつきさんが死去
元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが52歳で亡くなっていたことを、5日付の一部スポーツ紙が報じた。 記事によると、有賀さんは先月末に死去。死因や葬儀日程など詳細は明らかになっていないが、昨年から闘病していたという。 元夫でフジテレビ解説委員を務めた和田圭氏には、訃報が伝えられたのだとか。 有賀さんの最後のテレビ出演は、今月4日未明に放送された日本テレビ系通販番組「日テレポシュレ」。昨年収録済みの映像で出演していたが、闘病を隠して笑顔でテレビに出続けていたというのだ。 東京都出身の有賀さんは、父親の転勤で5歳から8歳まで米ニューヨークに住んでいた帰国子女。フェリス女学院大学文学部英米文学科卒業後、88年にフジテレビに入社。同期入社のアナウンサーだった河野(現・花田)景子さん、現在フリーの八木亜希子アナとともに「花の三人娘」と呼ばれ、その後の女子アナブームの立役者となった。 入社からわずか4年後の92年に、フジテレビを退社してフリーに転身。テレビ朝日系「ミュージックステーション」でサブ司会などを務めるなどしていたが、00年に芸能界を引退。得意の英語を生かそうと、通訳の勉強をスタートさせていた。 02年にはかつて上司だった和田氏と結婚。同11月に長女が誕生したが、06年に離婚。長女の親権を持ち、離婚後には芸能活動を再開させていた。 そんな中、元フジでフリーの山村美智アナが5日、同局の「とくダネ!」に電話出演。昨年、同局のバラエティー番組「ネプリーグ」で共演した際、有賀さんがショートカットの髪形とほほがこけた顔つきから「激ヤセ」と噂になったが、有賀さんからカツラ着用を告白されたことを明かした。 闘病中でのプロ意識の高さから、オファーを受けた仕事はきちんとこなしていたようだ。 今後、有賀さんの死因が発表されるというが、有賀さんのご冥福をお祈りしたい。
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芸能ニュース 2018年02月05日 12時40分
メイド服にウィッグ…菊池桃子 息子に女装癖を問いただす
2月2日に放送された『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に、菊池桃子が出演し、現在抱えている悩みを語った。 まず、語った悩みは「婚活中という目で見られるのが嫌だ」ということ。 菊池は「久本(雅美)さんの番組に出た時に、久本さんのトークの面白さにつられて『婚活しようかな』って言ってしまったら、いろんな方面から『本当に結婚考えてるんですか?』っていうのが来て、肉食系の方たちからのアプローチとか少しはあった」とノリで結婚願望を口にしてしまったことがキッカケで、婚活中だと思われているのが嫌なのだという。 そもそも、菊池は「一人がいい。(再婚の意思は)ないです」と一切結婚願望なしで、さらに、「一人暮らしをしてみたい。今家族で生活していると、おうち綺麗にしてた方がいいなとか…羽目を外せない。自分の寝室をめちゃくちゃにしてみたい」と誰にも気兼ねすることのない生活に憧れていると口にした。 また、息子が高校生の時に、息子の部屋から男性用のメイド服や女性用のカツラが見つかったことがあり、菊池は「息子に女装癖があるのではないか」という悩みを抱え続けていたらしい。 菊池は「すごく苦しんでるんだったら、お母さんに聞かせてもらいたいと思って…『何か言いづらいことありませんか?』」と真実を聞こうとすると、「『いや、みんな持ってる。田中も谷口も…』」と息子は全否定。 「男子校の運動会って、そういうの着て走ったりするんですって」と運動会の種目で女装する機会があったため、メイド服やカツラを持っていたと息子に釈明されたようだ 以上の話を聞いて、松本は「ちょっとわかんないね。答えは藪の中…」と口にし、結局息子の真意はわからず菊池にとっては不完全燃焼の結果になった。
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芸能ニュース 2018年02月05日 12時30分
異色のラブラブ夫婦から一転…周囲も予想できなかった、中島美嘉の離婚
歌手の中島美嘉が男子バレーボール元日本代表の清水邦広と離婚した。清水は自身のTwitterで、「2人でしっかり話し合いを続けてきた結果、別々の道という選択肢がお互いの将来のために最善であると考えました」と、離婚を報告。そして、「これまで一緒に過ごした時間はかけがえのないものですし、感謝しています」と前向きのコメントをした。投稿は中島との連名で綴られている。 結婚から3年余り。あんなにラブラブだった2人の姿を見ていた関係者たちは「なぜ?」と一同に口をそろえる。 交際のきっかけは2011年に、中島が清水のバレーボールの試合を観戦したことだ。その時の様子はテレビでも放送されたのだが、自身の連絡先を清水に恥ずかしそうに渡す中島の姿は、普段のクールなイメージからはとても想像できないものだった。 遠距離恋愛を経て2014年、見事ゴールインを果たした時、中島はその結婚報告を武道館の自身のコンサートで行っている。「(結婚できて)よかった! 今、幸せです」とまるで初恋をした少女のように話す姿は、ファンたちを喜ばせたものだ。 しかし、清水は大阪府枚方市を拠点とするパナソニック・パンサーズに所属し、中島の拠点は主に東京だ。2人が「東京と大阪でのそれぞれの生活が多く、家族としての時間を作ることが難しかった」と説明するように、完全に同居することができず、すれ違いが生じたようだ。 「美嘉さんが清水さんに一目ぼれをしたことで始まった交際。美嘉さんは応援にも来ていましたし、旦那さんを大切にする美嘉さんとそれを嬉しそうに受け止める清水さんの姿が印象的でした。最近も仲がいいような話しか聞かなかったのでびっくりです。円満に今後のことを考えての離婚でしょうね」(関係者) 清水は、2016年に出演したテレビ番組で、普段のデートの様子やプロポーズのエピソードを披露していたのだが……。距離には勝てなかったということか。
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芸能ニュース 2018年02月05日 12時20分
広瀬アリス「臓器が好き」妹すずやこじるりが明かす本性
2月2日に放送された『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に広瀬アリスが出演。妹・広瀬すずやプライベートでも交流のある小島瑠璃子がアリスのプライベートを暴露し、ダウンタウンや坂上忍を驚愕させた。 まず、すずから「毎日お姉ちゃんの気分屋に振り回されています。嬉しいことがあればずーっと機嫌が良くて、何かあると不幸オーラ全開でアピールしてくる。気分が良くない時に『お姉ちゃ〜ん!』って声を掛けると、テンション高いところにキレて、『もっと普通に話してよ!』ってすぐケンカになる」とかなり気分屋であると暴露される。 小島も「アリスがご飯に来るかどうかは、当日にならないと分からない…」とアリスに振り回された経験があるようで、松本人志は「本当イライラする」と苦言を呈した。 次に、小島が「『このマンガがすごい!』っていう自分の好きなマンガを5つ挙げる結構人気の雑誌があるんですよ。そこで、いろんなタレントさんや女優さん、俳優さんとかが5冊を挙げてるんですけど、アリスが読んでたマンガが臓器売買のマンガだったんですよ」とバイオレンスなマンガが好きなことを暴露される。 アリスのオススメのバイオレンスなマンガを見せられた浜田雅功は、険しい表情を見せながら「どういうのが良いの?」と質問し、アリスは「いや、もう臓器。結構そういうのが好きです。ブチャーみたいなのが」と涼しい顔で答えた。 また、番組ではアリスの恋愛観が話題に。どういう男性がタイプなのかを質問されたアリスは「基本的にヘラヘラしてるんですね。だから、一緒にヘラヘラふざけられたりできる人が良いです。あと、私が本当に良く喋るんで、全部聞いてくれる人がいいです」と回答。 続けて、坂上が「例えば芸能人の見かけで言うと、こういう人がタイプってあるの?」と見た目のタイプを聞く。「見た目だと水嶋ヒロさん」と口にするアリスに松本は「結局イケメン…」と変わった感性を持っていながらも、イケメンを選ぶアリスに少し物足りなさそうな表情を見せた。
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芸能ニュース 2018年02月05日 12時10分
「自分の罪は自分で背負う」小泉今日子と豊原功補、生コメントも状況変わらず
1日にそろって不倫関係を公表した女優で歌手の小泉今日子と俳優の豊原功補だが、小泉が2日に報道陣に対応し、豊原が3日に都内で会見したことを各メディアが報じている。 小泉は現在、3月2日に開幕する主演舞台「毒おんな」(東京・下北沢のザ・スズナリ)の稽古中で、稽古場入りする際、報道陣に対応。 「豊原さんと結婚するんですか?」「なぜ不倫を公表されたのですか?」などと矢継ぎ早に質問を投げかけられると、「(1日に発表した)文書をちゃんと読んでください。結婚するとかそういうわけではありません」と毅然とした口調で結婚を否定。 さらには、「自分の罪は自分で背負って生きていきます」と話し、「お騒がせしてすみません」と頭を下げて稽古場へと入っていったという。 一方、豊原は会見で、「どんな石でも投げつけたい方は僕に投げてください」と、自らが矢面に立つ覚悟を口にしたのだとか。 しかし、妻との離婚問題について突っこまれると終始、歯切れの悪い答え。にもかかわらず、「女性として恋愛感情があるのは小泉さん?」と聞かれ、「はい」と明言。 自分にとっての小泉の存在を聞かれると、「天然記念物。面白い人です」と笑顔で話したというのだ。「当事者の2人はかなりの英断だと思っているようで、“見えない力”があるので、マスコミは2人に“忖度”し過ぎ。しかし、小泉は豊原の妻子に対してまったく謝罪していないし、豊原も離婚問題をのらりくらりと交わす始末。2人が不倫を公表後、ネット上では2人に対する批判が殺到。日に日にその数は増えているのが現状」(週刊誌記者) なんとか急場を乗り切った小泉と豊原だが、この先、大きな“波乱”が待ち構えていそうな予感がするのだが…。
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芸能ネタ 2018年02月05日 12時00分
早くも続投の声が噴出する内村光良のNHK『紅白歌合戦』司会
昨年の大晦日『NHK紅白歌合戦』の総合司会を務めた内村光良(53)の評判がウナギ上りだ。局内では、早くも今年度も“司会続投”との声が飛び交っている。 「昨年末の紅白が終了した際、関係者のみを集めた打ち上げの席での出来事です。うちのお偉いさんが内村さんのマネージャーを捕まえてさっそく、大晦日のスケジュールを空けて欲しいと非公式にお願いしていたんです。こんなことは異例中の異例ですよ」(制作幹部) そもそもお笑い芸人の総合司会は、'83年のタモリ以来。当初は局内外で不安視する声も相次いでいたという。 「いくら日本テレビの『イッテQ!』で視聴率20%超えを成し遂げているといっても、しょせんは民放局。NHKの歴史や品格に内村自身が耐えられるのかと…。もっとイヤらしく言えば、視聴率を取れるのかということです」(NHK関係者) 確かに視聴率的には、歴代最低だった'15年の39.2%を0.2ポイント上回ったものの、微妙な結果に終わってしまった。当初の下馬評では視聴率40%超えが確実視されていたのだ。 「9月に引退すると公表し、紅白には出場を固辞していた安室奈美恵を何とか拝み倒した。さらに、朝ドラ『ひよっこ』の主題歌を担当した桑田佳祐を特別枠で出演してもらうことに成功した。これで視聴率40%超えが達成できないわけがないと上層部は考えていたようです」(レコード会社幹部) ところが、視聴率不振に対し、司会の内村が責任を問われることは一切なかったという。 「制作スタッフらが、視聴率は演出の問題だとする報告書をまとめたからです」(テレビ関係者) 内村がここまでスタッフの信頼を勝ち得た理由は、安定感と傾聴力、そして卓越したアドリブ力にあった。 「放送直後、一般視聴者からのSNS上の書き込みは内村を絶賛する声が圧倒的だった。司会者を称賛するなどという現象は初めのこと。おまけにギリギリになって安室の出場が決定した。当初、NHKは20分の安室枠を想定していたが、10分になってしまったんです。この空白を埋めたのが内村の即興コント。『LIFE!』の人気キャラクターである、ゼネラル・エグゼクティブ・プレミアム・マーベラス・ディレクターの三津谷寛治をほぼリハなしでやり遂げたんです」(制作会社プロデューサー) さらに内村がスタッフから絶賛された理由の一つがリーズナブルな出演料だ。 「民放ではゴールデン帯で1本300〜500万円と言われていたんですが、リハも含め、15日間拘束で200万円〜。かなり、リーズナブルな金額ですよ」(NHK幹部) 内村の総合司会は、もはや既定路線か。
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社会 2018年02月05日 08時00分
天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 竹下登・直子夫人(下)
竹下登の天下取りが“親分”田中角栄元首相の呪縛の前に長き逡巡と忍耐をよぎなくされたように、直子との結婚も曲折があった。実は再婚であり、直子とのそれは周囲への抜群の「気配り」と「辛抱」で笑顔を絶えさせることがなかった一方で、秘めた「マレに見る意志の固さ」で成就させたものであった。 竹下は全面積の85%が山林の“木材の町”として知られる島根県飯石郡(現・雲南市)の、約300年続いた庄屋の長男として生まれている。生家は慶応年間に酒造りの権利である「酒座」を譲り受け、造り酒屋としても繁盛した。その一人息子の竹下は、当然のように使用人たちからチヤホヤされる立場にあったが、母・唯子はそれを拒否、その教育が以後の竹下を大きく変えたようであった。 唯子は旧制の松江女学校で教育を受けたが、当時は大正デモクラシーが盛んで、唯子はそこで教鞭をとっていた社会主義者の福本和夫の影響を強く受けた。福本は東京帝国大学を出、ドイツ留学でマルクスの研究に専念した人物である。大正15年(1926年)の日本共産党再建大会で、その指導理念として「福本イズム」を提唱した経緯もある。ために、息子・登に対しても、厳しく律する教育をほどこした。 その教えの一つが、「他人さまに対して絶対に怒ってはいけない」であった。この教えを、竹下は終生、守り通し、それが生きた形でやがて天下を手にしたということでもあった。 その母が亡くなった2カ月後、当時、旧制早稲田第一高等学院の学徒として陸軍飛行学校にとられていた竹下は、2度目の訃報を手にする。入隊直前に結婚したばかりの新妻・政江の死を告げられたことだった。 やがて、敗戦。竹下は早稲田大学への入学を決めて郷里・島根県から上京、昭和20年(1945年)秋、ここで直子に“再会”した。“再会”したとは、実は竹下と直子は遠縁にあたり、直子が東京の旧制十文字高女で保母になる夢をふくらませていたとき、再び出会うことになったということだった。その経緯を耳にしている竹下と親交のあった古い政治部記者の証言がある。 「前夫人の死から、まだ時間も経っていない。周囲の反対もあったようだが、ここで竹下の意志の固さが垣間見られた。竹下は廃墟となった日本の立ち直りに、政治家として身を投じる決意を固めていた。それを、こんこんと直子さんに語った。直子さんも、心の支えになって竹下の大望を成就させてやりたいということで保母への夢を捨て、竹下に一生を託す決心をした」 ここでは竹下の無類の「意志の固さ」の一方で、直子のそれも浮き彫りにされるのである。 かくして直子と結ばれた竹下は、大学卒業とともに地元に戻り、英語の教師として中学の教壇に立つ一方、青年団活動にも力を入れて政治家へのチャンスをうかがったのだった。 ついに、26歳でそのチャンスがやってきた。島根県会議員選挙に出馬、初当選を飾ることができた。県議2期を経て、やがて34歳で念願の衆院選初当選を果たすのである。この初当選で、直子が竹下と出会って、生涯初めての感涙にむせたことは前回に記した。 以来、竹下を支え続けた直子が、次のような感慨を漏らしたという、竹下後援会の古老の話が残っている。 「竹下先生の首相当時、直子夫人に伺ったら、これまでの人生でつらかったことが二つあったと言っていた。 一つは、初めて県議選に出たときで、夫人は竹下に地盤がないためにメガホンを持って自転車に乗り、ほこりまみれになりながら応援に死力を尽くした。直子夫人の父親は銀行マン、“お嬢さん”にしておだやかな生活環境に育っただけに、これは並大抵のことではなかったと思われる。 二つは、竹下先生が、『創政会』をつくり、以後、田中角栄先生との間で何かとギクシャクが伝えられたときだったそうだ。夫唱婦随、『決して怒ってはいけない』の思いの中で、これらが交錯することが多々あったのだと思われる」 「長期政権」が大勢の中で、竹下政権は日米関係の良好さ、悲願でもあった「消費税」導入を果たしただけで政権は意に反して「短命」に終わった。 退陣後の竹下は、一時は沈黙していたが、一方で「しぶとさ」が身上、政財官界に張りめぐらされた人脈の広さ、厚さをバックに、その後も影響力を発揮し続けた。以後の宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一政権を演出、そして当時、社会党の村山富市を首班とする「自・さ・社」3党連立政権のシナリオをも書いてみせたのだった。 「人生は回り道」「(生きるということは)おのが力と思うなよ」、竹下はそんな“名言”も残している。 平成22年10月、すでに膵臓がんで波乱の人生を閉じていた竹下のもとへ、享年84、直子もかけつけた。=敬称略=(次号は宇野宗佑・千代夫人)小林吉弥(こばやしきちや)早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。
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2010年07月28日 16時00分
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2010年07月28日 15時30分
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2010年07月28日 14時00分
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「ドラゴンボール・エボリューション」みたいになっちゃう? コスプレ・キムタクやCG映像の「宇宙戦艦ヤマト」
2010年07月27日 18時00分
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安藤遥「すごく海がきれいでした」
2010年07月27日 17時30分
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レジャー
ムンムン熱中ライフ・佐藤あいこ(16) 女優帽
2010年07月27日 17時00分
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芸能ニュース
【ドラマの見どころ!】日本語が怪しいゆとり世代が主演の『日本人の知らない日本語』
2010年07月27日 16時30分
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山口敏太郎の映画評『借りぐらしのアリエッティ』(ネタバレ注意)
2010年07月27日 16時00分