社会
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社会 2009年03月04日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(3)
早川徳次は、実は名家に生まれながら、物ごころつかないうちに養子に出される。最初の養母が亡くなると、徳次は苦難の道を歩むことになった。そして長じて後、真実を知る。まるで古典童話のような生い立ちといえるが、紛(まぎ)れもない現実だった。 明治28(1895)年10月、満2歳になる1カ月前、徳次は日本橋久松町の早川家から、深川東大工町(現・江東区白河1、2丁目付近)に住む出野熊八夫妻に養子に出された。 江戸時代から庶民の間での養子縁組は、証文のやり取りで比較的簡単に行われていた。武家における養子が家名の存続のためだったのに対し、庶民間では家業を継続するためというものも多かった。明治に入ると家制度を重視する考え方が政策として各階層に広められたことから、家を維持するためという側面が強くなった。 熊八夫妻は当初、早川家から依頼されて徳次を預かっていたに過ぎなかったが、一緒に過ごすうちに情が移った。それに熊八夫妻には子供がなかった。当時、すでに30歳を超えていた熊八には、幼いながらいかにも利発な徳次に出野家を継がせたいという願いがあったようだ。 熊八は“腸樽(わただる)人足”だった。肥料になる魚の臓物を荷車で集めて回り、それを肥料商に売るのだ。熊八の妻は、縫製業を営む早川家でミシンの縫い子として働いていた。熊八は善良な人物だったが、元々少ない稼ぎのほとんどを酒に使ってしまい、家計は妻の労金で賄(まかな)われていた。 熊八夫妻は徳次を可愛がって育てていたが、徳次を養子に迎えて2年後の明治30(1897)年秋、養母が急病であっけなく他界する。妻に先立たれた熊八は、まだ4歳の徳次を背負って腸樽の荷車を引いたこともあった。いつも酒臭い、優しい熊八と2人の生活は楽しかった。 ところがある日、兄の窮状を見かねた熊八の妹ヒサが、長屋裏の機屋(はたや)で働いていた十代の織り子を熊八の後妻として連れてきた。
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社会 2009年03月04日 15時00分
金融豆知識 ファンドの歴史(3) 日本には明治時代の後半に導入
信託会社は、わが国では明治時代の後半に導入されたといわれている。たとえば、明治33年制定の「日本興業銀行法」に「地方債権、社債および株券に関する信託の業務」とある。 明治38年には「担保付社債信託法」が制定され、有力銀行がこの業務を行うようになる。 この背景には日露戦争後、軽工業から重工業への転換を図る日本経済が多くの資金を必要としたため、海外からの資金を担保付社債信託により集めようとしたためだった。
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社会 2009年03月03日 15時00分
麻生首相 “小泉追い落とし”に竹中取り込み
麻生太郎首相(68)が竹中平蔵元経済財政相(57)に急接近をはかっている。20日から3日間の日程で開催する「経済有事対応のための緊急拡大会合(仮称)」のメンバーに竹中氏をリストアップ。小泉純一郎元首相(67)に公然と批判され、与党内で“麻生降ろし”の風速が強まる中、小泉氏の盟友である竹中氏を取り込む狙いが読める。逆襲なるか? 首相の号令のもと官邸で開かれる同会合には、各界から総勢100人超の有識者らが集結。未曾有の経済危機を脱出するため、官民一体で景気対策を打ち出すという。 すでに人選が進んでおり、大阪府の橋下徹知事ら政財界の人気者に交じって“敵参謀”竹中氏の名前が挙がっている。しかし首相は1日、東京・八重洲ブックセンターで本棚の「小泉純一郎と竹中平蔵の罪」(佐高信著、毎日新聞社刊)を指差しながら、取り巻きの番記者に「この本とか買ったらおもしろいんじゃない? 『麻生首相熟読』とか」とブラックジョークをかましたばかり。さすがに実行(購入)には移さなかったが、小泉&竹中コンビが現政権の反対勢力であることを公然と認めたに等しい。 一方の竹中氏も、自身の公式ホームページの最新報告(2月24日付)の中で「日本の経済と政治はもはや最悪のコースをたどっています。誰も何にも責任を負わないような政治状況…。『百年に一度』なのはサブプライム問題より、むしろ日本の政治です」と政府を猛批判。 精力的に各メディアに露出するなどして、小泉氏と歩調を合わせるように“麻生責め”の姿勢を鮮明にしている。 そんな竹中氏になぜ首相は接近するのか? 永田町関係者は「小泉&竹中タッグの崩壊を狙っているのだろう」と次のように指摘する。 「かつての盟友だろうと何だろうと、小泉氏は引退表明済み。そのうち表舞台には出なくなる。かたやメディアでコメンテーターとして発言している竹中氏にはまだ政財界での野望があり、自分を引き立てる新しい“ボス”が必要。首相は内心では竹中氏を相当憎んでいるはずだが、政権延命のためには小泉氏の発言力を徹底的に弱めなくてはならない。この際、竹中氏とは過去を水に流して“ウイン・ウイン”の関係を築こうというメッセージで、わかりやすい分断工作だ」 同会合には、首相と与謝野馨財務相、河村建夫官房長官に加えてテーマごとに閣僚が参加する。ポスト麻生に名前の挙がっている舛添要一厚労相や石破茂農水相、野田聖子消費者行政担当相のほか、人気閣僚の小渕優子少子化担当相も出席する見込み。メンバーには経済界の重鎮や気鋭のエコノミスト、学識経験者がずらり顔をそろえる。 前出の永田町関係者は「名前を挙げられた竹中氏がこれを断るのは難しい。小泉氏に義理立てをした場合、国民の目には“批判ばかりで行動しない小泉さんのお友達”と映ってしまう。仮に断ったとしてもそれはそれで小泉&竹中コンビのパワーダウンにつながり、自民党内の若手議員への影響力を抑える力学が働く」と解説する。 3日間の会合はテーマごとに10前後のグループに分け、スピード感を重視して会議は各1回1時間程度のみ。景気回復に有効な手立てと判断されればその場で具体化策に取り組み、政策に反映させるという。竹中氏は初日20日の「金融」および「地方自治・経済」グループ入りが濃厚だ。 首相は「従来の発想にとらわれないユニークな意見を求めたい」としており、政府方針に反する意見であっても耳を傾ける姿勢で臨む。竹中氏が小泉氏と同じく「笑っちゃうくらい、ただただあきれている」と述べ、カウンタープランをぶち上げる展開もあり得る。
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社会 2009年03月03日 15時00分
セレブを魅了するドバイの観光資源を探る
世界的な金融危機の影響でバブルが弾けたドバイの不動産市場。その一方、ドバイを訪れる観光客の数は減っておらず、相変わらず観光産業は華やかだ。中東や欧州のセレブたちを魅了する、ドバイの観光資源を探ってみた。 ドバイ観光の目玉はなんといっても豪華なホテルライフである。ドバイ市内だけで、20を越す5つ星ホテルが林立している。中でも群を抜いた豪華さを誇るのが「バージュ・アル・アラブ」(=写真)だ。 アラビア湾に作られた人工島に立つ高さ321メートルのホテルで、その姿はアラビア海を帆走する船の帆を思わせる優美なものだ。 2006年、このホテルはワールド・トラベル・アワードで世界一のホテルと称賛され、以後自ら“7つ星ホテル”と称している。世界一のゴージャスなサービスを提供するため、さまざまな工夫を凝らしている。 エントランスを入ると壮大な吹き抜けに驚かされる。その装飾は本物の金をふんだんに使った豪華なものである。客室はメゾネットタイプ。ソファーやベッドなどの調度品はアラブの王侯貴族のそれと同じもので、すべてがスイートルームとなっている。ライトアップされたホテルの夜景は、絢爛(けんらん)豪華なアラビアンナイトの世界そのものだ。 観光客を魅了するのは、ショッピングもそう。市内には建築中を除いて46ものショッピングモールがひしめき合い、巨大なものだけでも15を数える。世界中のブランドというブランドが勢ぞろいする。カジュアルブランドも多く、あらゆる種類のショッピングニーズに対応している。レストランや映画館の併設は常識。中にはテーマパークや博物館を併設している施設さえある。 モール・オブ・ジ・エミレーツは、なんと内部に人工スキー場を備えており、雪のない中東では人気を集めている。 「街中がタックスフリーショップなの。パスポートを提示するなど面倒な手続きが一切ないのが魅力」と日本人女性客は言い、さらにこう続ける。 「年に数回あるショッピングフェスティバルのディスカウントは世界一。シンガポールやハワイの比じゃない」 確かにハワイのデューティーフリーショップも多くの日本人観光客を飲み込んでいるが、品揃えには限界があるし、品物は空港での受け取りになる。ヨーロッパでも出国時、返金される国があるが、物品購入のときに書類を作成してもらう必要があり、無税対象商品が限られている。さらに申請に手数料を取られるなど、手間がかかる。 ドバイには、元々消費税はなく、物品購入には一切、税金がかからない。日用品もすべて無税なのだ。 ドバイは、女性天国? 豪華なスパの数々。世界中のすべての国の料理が楽しめるからだ。また、服装がいい例で、イスラムの戒律がもっとも緩いことでも知られる。 男性にも少しだけいいことがある。ホテルのレストランではどこでもアルコールが楽しめる。隣国アラブから、アルコール目当てに観光客が集まってくると陰口が叩かれるほどだ。 さまざまな逆風にさらされているドバイだが、夢を具現化する集客力は衰えていない。
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社会 2009年03月03日 15時00分
NY株6800ドル割れ、市場はオバマ経済対策にNO!
週明け2日のニューヨーク株式市場のダウ工業株30種平均は、金融危機の拡大懸念が強まったことから全面安の展開となり、前週末比で299.64ドル安の6763.29ドルで取引を終えた。NY市場がオバマ大統領の金融危機回避策に「NO!」を突き付けたかたち。東京市場をはじめ世界中のマーケットが影響を受けそうで、オバマ氏の株も大暴落間違いなしだ。 NY市場はオバマ氏の金融危機対策に“12年ぶりの安値”で答えた。現地発の共同通信によると、2日のNY市場ダウ工業株30種平均は4営業日続落で下げ幅は計587ドルに達し、終値ベースで1997年4月下旬以来の安値水準に沈んだ。2007年10月につけた史上最高値の1万4198.10ドルから52%超下落した計算になる。現地の証券マンは立っていられないほど落ち込んでいる。 米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が米企業史上最悪の赤字決算を発表したことを受けて、金融関連だけでなく幅広い銘柄に売りが広がった。金融大手シティグループ、電機・金融大手ゼネラル・エレクトリック、自動車最大手ゼネラル・モーターズなどが軒並み10%以上下落。市場からは「金融機関の業績が底入れする兆しが見えない。株を買う環境にない」(米市場アナリスト)との声が聞かれた。 オバマ政権は新たな金融安定化策の下、AIGへ最大300億ドル(約2兆9000億円)の追加支援に踏み切るほか、金融大手シティグループ株の36%を握って公的管理下に置くと決めたばかり。こうした一連の金融危機回避策を市場は評価しなかった。 こうなると、世界のマーケットも敏感に反応するもの。英ロンドン発の共同通信によると、週明け2日の欧州の各地の株式市場は、ロンドンのFT100種株価指数が前週末比5.3%安の3625.83と03年3月以来6年ぶりとなる安値を記録、軒並み下落した。 AIGの巨額赤字決算に、英大手金融グループHSBCによる大規模増資の発表が重なって、欧州金融機関に対する経営不安が再燃。銀行株を中心に売られた。 米金融危機に端を発した昨秋の“世界同時株安ショック”が再び襲来する危険性が高まってきた。
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社会 2009年03月03日 15時00分
経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(2)
早川徳次は、一人では支えきれないような困難な境遇から出発し、“シャープ”という世界規模の会社を創りあげた。才能と精神力、行動力の人だった。その事業家としての発想や行動に学ぶところはとても大きい。 さらに徳次は、幸の薄かった幼少時代や自らに降りかかった災難を恨(うら)むのでなく、むしろ、その苦難の日々に自分が受けた“恩”に感謝し、自己の不幸を他の人々に対する共感へと高めた人物だった。 人とのつながりや信頼が、いつの場合でも最優先された。「幸せや喜びを分かち合う」ことを実践し、分かち合えたことがまた自らの幸せや喜びを生むと感じていた。社員に「真似される商品を創れ」と繰り返した。 何かを開発するということは苦労を重ねることである。しかし、その労を惜しむことなく、“真似されることは、結果的には競争を生み、会社の技術を向上させ、それは社会を発展させることにつながる”という考えを持っていた。 他社に真似されることも、結局は自社の、さらには社会の発展につながると発想したのだ。秘密にして自分だけのものにしておこうとならないところに、徳次のスケールの大きさがある。 幸せや喜びを他者と分け合おうとすることも、商品を真似されることを自社の発展につなげて捉(とら)えることも、実際にはとても難しいことだ。しかし徳次にとってそれは言葉だけではなく、常に行動を伴うものだった。 昭和55(1980)年6月24日、午前0時20分、早川徳次は86年間の生涯を閉じた。シャープ株式会社によって行われた社葬には、国の内外から1万人を超す会葬者が詰めかけて、会場の東本願寺難波別院境内を埋めつくした。そしてその中には、多くの一般市民の姿があったという。徳次が、人間として尊敬され、愛された証(あかし)の一つといえるだろう。
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社会 2009年03月03日 15時00分
金融豆知識 ファンドの歴史(2) 教会への土地寄進制度から発展
ファンドが制度として明確になるのは、中世のイギリス。当時のイギリス人は信仰が厚く、死後自分の土地を教会に寄進するのが習慣になっていた。これに異を唱えたのが封建領主たち。土地が教会のものになってしまうと自分たちが税金を取れなくなってしまうため、この寄進を禁止した。このため人々は死後、信頼できる人に土地を譲渡し、そこからの収益を教会に寄付してもらうようになる。 15世紀のバラ戦争のときには、貴族にもこの制度が広がり、その後、領主との間に紆余(うよ)曲折はあったが、制度として定着している。 この制度はアメリカに渡り大きく発展する。1861年の南北戦争をきっかけに、鉄道の建設や鉱山の開発など新しい事業が盛んになり、巨額の資金が必要になった。このため、鉄道会社や鉱山会社が発行する社債を引き受け、広く大衆に販売して資金を供給したのが信託会社だった。
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社会 2009年03月03日 15時00分
永田町血風録 本格化し始めた“政界再編”の波
「アメリカは(大統領が)チェンジした。さあ日本も今こそチェンジの波が押し寄せた」 民主党の最高顧問、渡部恒三が側にいた同じ最高顧問の藤井裕久とこう声を掛け、お互いにヒザをポンと叩きあった。その席に元首相で同じ最高顧問の羽田孜の姿はなかった。このメンバー、かつて自民党の経世会の仲良し。経世会が天下取りが不可能と思うと、そのリーダーの小沢一郎が「よう、みんなで団結して天下取りをしよう」と語らい、そして集まった。 今年初めは「総選挙して国民に信を問え」と彼らの番頭格、鳩山由紀夫が声高に叫んでいた。しかし、首相の麻生太郎は彼らの挑発には乗らず、ノラリクラリ。たまたまアメリカでブッシュからオバマにリーダーが交代したとき「チェンジ」という単語をしきりに発し、これが世界の流行語になった。 日本の野党の親分、小沢一郎も「このチェンジという言葉を使わない手はない。自民から民主へチェンジだ」。小沢はマスクとマフラーを外して、地方でこうがなりたてた。 「ありゃ、小沢のパフォーマンスだよ。本人は政権を握ったらどうするというビジョンはない。だから真剣に政権取りなんか考えていないはず」 かつて自民党にあって故金丸信を支えていた小沢元副総裁を、山崎拓はしたり顔でこう語っていた。けだし名言。 とはいえ、その山崎だって、なにがあってもマイクを握り、とんでもない言葉で麻生の足を引っ張る。 元行革相の渡辺喜美が「民主党が単独で(過半数を)取った場合にはキャスチングボート勢力になることはあり得ないが、結構自民党が頑張ったらありえないわけではない」と第三極を目指す考えを強調した。 それを伝え聞いた渡部恒三は「自民党の中で心ある人たちに期待したい。われわれと一緒にやろうというのであれば、早めに自民党を出ていただきたい」と改革派議員に離党を呼びかけた。 山拓は「渡辺を抱き込めばいいではないか。渡辺はひとりではどうしようもないからな」と離党した男に秋波を送るが、山拓は元幹事長で自民党副総裁などを経験した自民党の領袖のひとりである自覚にかける。 今、自民党内には「山拓にモノを言わせるな」といった意見が多い。自民党の一部は「山拓が誤った自分の意見を言うから最近、自民党の議員の中には公然と政府や与党を批判したり、国民感情を逆なでする議員が多く出る」。中山成彬元国交相の辞任も、そして中川昭一財務相のシドロモドロの記者会見で辞任と支持率の低下と同じように閣内はガタガタ。 だからチェンジして小沢に任せろ、と鳩山らは言う。しかし、その小沢も肝心なところになると「オレ、辞めた」と細川内閣や羽田内閣を作ったあと、投げ出した。それだけに「あの悪夢がまた」と、小沢はあまり信じられていないから首相経験者の羽田が渡部らとの寄り合いに顔を出さなかったらしい。政界はまさに一寸先は闇。
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社会 2009年03月02日 15時00分
今こそチャンス!ドバイ不動産にV字回復の兆しあり!?
昨年の9月まで、うなぎのぼりに上昇していたドバイの経済が金融危機のあおりを受けて崩壊した。一時は年400%の利回りを記録し、多くの億万長者を生み出したドバイの不動産市場も流動性を失い下落を続けている。しかし、ドバイ政府に動揺はない。富裕な隣国アブダビのバックアップがあるからで、投資対象としての魅力は失われてはいない。 ダウンタウンのブルジュドバイでは住宅価格が22%以上下落し、ブルジュドバイタワーでは50%以上下がったといわれている。下落が顕著なのは、投資物件が集中したハイエンドなものほど激しい。投資家は損切りをしても早く額を確定したいため売り急いでいる。 数多(あまた)あった巨大プロジェクトも中止や延期を余儀なくされている。高さ1000メートルを越すビルバージャルドバイの建設やジュメイラガーデンシティーの建設スケジュールも延期が検討中である。 従業員の解雇も激しく、ドバイ不動産を牽引してきたナキール社も全従業員の約15%にあたる500人が突然解雇されたのをはじめ、多くの企業で解雇が日常化している。 これに対してドバイ政府はドバイ国民の解雇を禁ずる法令を施行した。したがって解雇されたのは外国人のみである。ホワイトカラーがこういう状態だから、現場労働に従事していた外国人労働者の解雇はなおさら激しい。そもそもドバイ政府は外国人労働者の存在を、経済のショックアブソーバーだと明言していた。非常に明快で割り切っているのがドバイの政策の特徴である。 バブル崩壊の一方で、今年もドバイショッピングフェスティバルが盛況のうちに閉幕した。賞品もレクサスや金や現金など総額約20億円。相変わらず派手な演出が施された。 ドバイに投資していた欧米の投資銀行や投資機関は一斉に資金を引き上げたが、底値で買うのが投資の鉄則である。基本的なドバイの強みについて投資コンサルタントの市川恵氏は、「ドバイ政府はあたかも一つの企業のように決定が迅速で徹底している。人口の平均年齢が32歳と非常に若いこと、アジアとヨーロッパを結ぶハブとしての立地の良さ」をあげている。 ドバイ興隆の礎を築いた故シェイクラシッドはまず港湾の整備を手始めに、ハブとしての機能をはかるために数々のインフラを整備した。輸入金額の約4割をイランなど他国に再輸出した。エミレーツ航空もハブ戦略に特化しており、ドバイ空港は世界220国と直接結ばれ、年間利用者は3437万人。3500万人の成田空港を追い越す勢いだが、その利用客の7割がトランジット客である。 ドバイのバブル崩壊後の経済情勢は、短期的には、アブダビの存在が大きい。同じUAEのなかの隣の首長国だが、豊富な石油資源を背景に巨大な資金力を有している。UAEは7つの首長国が集まってできた国で、必ずしも一枚岩とはいえないが、UAEのGDPの3割を占めるドバイの存在を無視するわけにはいかない。現にエミレーツ航空がアブダビに身売りする情報が流れ、ドバイ政府が否定したばかりである。 今後、アブダビの支援次第で、V字回復は充分期待できる。さらにインド経済の回復も重要な要因である。 古代のダウ船による季節風貿易の時代から、ドバイとインドの繋(つな)がりは深い。現在でも輸出入ではトップの相手国であると共に、外国人労働者の7割がインド人である。 「ドバイがインドで最も美しい都市」といわれる所以である。そのインドの経済見通しが楽観的なのも心強い。インドの自動車販売台数は底を打ち、株価も持ち直し始めた。財閥関係者は、「インド経済は半年で持ち直す」と語っている。インド経済が回復すれば、徐々にドバイに好影響を与える。 さらに前述の市川氏は「ドバイの不動産で大きく高値をつけたり大きく下落した物件は一部の象徴的な物件で元々、割高な価格で取引されていたものです。一般的な不動産価格はバブル当時から比較的安く取引され、中心部の100平方メートルのマンションでも3500万円程度が中心。現在の下落幅も大きくはない」と楽観的だ。 ドバイ経済が華々しくV字回復するか、文字どおり砂上の楼閣と化すか当面、目が離せない。
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社会 2009年03月02日 15時00分
金融豆知識 ファンドの歴史(1)「信託」の起源は古代エジプト
金融庁による「ファンド」の定義は、1、他者からお金を集め2、なんらかの事業・投資を行い3、その収益を出資者に分配する仕組み とあり、広い意味での「ファンド」は株式会社やその他の事業を含んでいることになる。 世界最初の株式会社は、1553年に設立されたロシア会社といわれる。この会社はロシアとの交易に将来性があると見たロンドンの毛織物商人たちが、資本を集めて起こしたもの。船を仕立ててアジアと交易をすれば大儲けができると、出資者を募り航海に出た16世紀のオランダ人たちもファンドの原型といえよう。 狭義のファンドは投資信託の意味。投資信託はその起源を信託制度に持つが、信頼できる人に自分の資産を任せるという意味で、古代エジプトやローマにその萌芽が見られるという。