さてNYでも人気の衰えない「セックス・アンド・ザ・シティ」の記念すべきファーストシーズンの第1話は原作「セックスとニューヨーク」にもっとも近い。ディテールは多少異なるものの「私の非感情教育-マンハッタンで恋愛ができる? さあ、それはどうかしら」の中の投資銀行に勤めるエリジブルな(申し分のない)投資銀行家のティムもイギリス人ジャーナリストもドラマに出てくる。
ドラマ版では画廊のオープニングで出会った2人は2週間ラブラブで、ロマンチックなレストランで食事をし、「ワンダフルなセックス」を堪能し、ジャーナリストのエリザベスは両親に会ってくれと言われたのにも関わらずその後2週間も連絡なしで怒り心頭。
住居を一緒に見に行ったり、両親に会わせるというのは結婚が前提なのに、思わせぶりな2度の電話の後にぷっつりと関係が切れてしまったのだから、こんな時女たるもの(何が起こったの? 一体私のどこがいけなかったの!?)と自問自答するところだ。
が、キャリーは終わった恋はさっさと忘れるべきよ、(傷付かない為の)自己防衛と「クロージング・ザ・ディール(引き際)が肝心」と容赦ない。エリザベスのような女が何万人もいると男女関係にすっかり醒めている。原作には、この街ではセックスは盛んだが、とても恋愛とは呼べない。本物の恋人がいる者は1人もいやしない、とバッサリ。
そう、原作本「セックスとニューヨーク」はドラマと違ってセックスや恋愛に関してかなりシニカルで悲観的だ。なぜかって、実際のニューヨーカーがそうだから! そんな恋愛のバミューダ・トライアングルに、海図も持たずに踏み込めば悲惨な結末は目に見えている。そんな危険な「海域」でキャリーのような不安定なハイヒールで歩いている女性はまずいない。皆フラッツ(ヒールのない靴)だ。中には通勤服に素足でゾウリという、東京ではあり得ない格好のOL(という言葉はないけれど)もけっこういる。ロマンチックなパリと違ってNYでは皆サバイバルに必死で恋の気配はあまり漂っていない。キャリーが言うようにセックスは盛んだが、恋愛は少ないのだ。それでも出会いのチャンスは東京よりははるかに多い。私が見るところ、NYの「出会える度」は東京の10倍ぐらいだと思う。ただ、「出会っても出会っても恋に発展しない度」も東京の10倍ぐらい上なのだけれど。 (セリー真坂)