−−「下衆(げす)の極み」と発しているほうの浜谷さんは、『THE MANZAI』以降、顔がさすようになったのでは?
浜谷「これは半々ぐらいで、神田うのの弟ってほうがやっぱり強いです」
神田「うちらコンビそろって、“じゃないほう芸人”なんです(笑)。僕は、下衆の極みじゃないほう。相方は、うのの弟じゃないほう」
浜谷「珍しいパターンなので、同時にできた目標として、漫才で有名になりたい!で一致しました」
−−そもそも、あのフレーズの数々はどのようにして生まれたんですか?
神田「ずっと“漫才コント”をやってたんですけど、『M-1グランプリ』(※1)で9年目まで、ぜんぜんダメで。ラストイヤーは、すべってもいいから、漫才コントをやめようってことにしたんです。そしたら、半年ぐらいはずっとすべって」
浜谷「人生でいちばんすべり続けた時期だね」
神田「じゃあ、罵ってみようかと。それもうまくいかなかったんですけど、たまたま、僕にたいする悪口だけはポンポン出た(笑)」
浜谷「普段はぜんぜん怒んない人間なんですけど、神田さんにだけは怒りが出てくる。で、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系列)に出られたとき、『人に非(あら)ず』って言ったんです。『遠山の金さん』のイメージの決め台詞を、言ってみたかったんで」
神田「その次に出たとき、ノリで『下衆の極み』って言ったら、たまたまパネラーに歌舞伎役者さんがいて。『あれ、言ってみたくなるね〜』って言いだして、やりだした感じ」
−−『M-1グランプリ』で決勝戦に進めなかった悔しさと、『THE MANZAI』で優勝できなかった悔しさ。違いはありますか?
浜谷「鋭い質問ですね(苦笑)。たしかに、違います。『M-1』には、箸にも棒にもかからない悔しさ、はがゆい、自他共に認める実力不足っていうのがあったんですけど、去年は優勝戦線に絡めなかった悔しさ…がありました。おこがましい話ですけど、もっと上に行けると思ったのに、認めてもらえなかったっていう」
神田「『M-1』は、打席にも立てなかった。『THE MANZAI』は、結果を出せなかったっていう悔しさ。でも、逆にラクになれて、僕も相方にだけは底意地が悪いところがあるから(苦笑)、そこをネタに落としこんで、お互いに地が出はじめてる」
−−作りこむことをやめた芸人さんは、おもしろくなりますよ。
浜谷「もうね、10年以上も売れてないから、ヤんなっちゃうんです(笑)。努力してネタを作ってすべるんだったら、体ひとつで行ってすべったほうが、飯がうまいって話ですよ! こっから稼いでも、同級生には追いつけないですから。ただ、ひとつだけわかってほしいのは、力を抜くってことが、どれほど恐ろしいかってこと」
神田「昔は、できるツッコミだと思われたいとか、センスあるトークでバシバシ回したいとか、あこがれてましたけど、できないことを無理してやっても楽しくない。楽しそうだと思って入ってきた業界で、苦しんでどうするんだって。そう思ってから、変わりましたね。今ですか? 何やったって楽しくって、しようがない!」
(※1)2010年に終了した漫才日本一決定戦は、エントリー資格がプロ・アマ問わず結成10年以内に限定されていた
【プロフィール】浜谷健司(左) ‘77年11月生まれ、埼玉県出身。神田伸一郎 ‘77年3月生まれ、神奈川県出身。2000年結成。ケイダッシュステージ所属。
浜谷のブログ http://hamakan.blog77.fc2.com/
神田のブログ http://kandashin.blog77.fc2.com/
(この連載の次回更新は11月の最終週)