過去にはワイドショーなどで連日マスコミをにぎわした、梅宮アンナとの交際騒動も記憶に新しい。「誠意大将軍」と自称し、アンナパパへのアピールを繰り返していた羽賀研二は、どのように道を踏み外し逮捕されるに至ったか。
梅宮アンナとの交際は1994頃から始まった。父親の梅宮辰夫が二人の交際に反対、羽賀研二の必死のアピールが連日報道された。羽賀研二は29歳の時に保証人になったことで2億4千万円の多額の借金を背負っていた。
1995年、羽賀研二と梅宮アンナはペアヌード写真集を出版。借金返済のための出版とマスコミ関係者などからは揶揄される。交際相手の梅宮アンナは羽賀研二から借金の返済の手助けをするように頼まれ、金策に走らされていた。沖縄ではレストラン、ブディック、美容室を経営。それらを実際に切り盛りしていたのは梅宮アンナだった。
1999年に二人は破局。その後に2001年からサイドビジネスで宝石販売業を開始。この商売が軌道に乗り、借金を完済したと当時のワイドショーなどで報道された。2004年には再び芸能活動に力を入れるも、鳴かず飛ばず。2006年、元テレビ制作会社社員で数年間羽賀の身の回りの世話をしていた女性と結婚する。
そして2007年、元プロボクサーで世界チャンピオンの渡辺二郎、某暴力団関係者ら3人と共に、恐喝未遂・詐欺で起訴される。
裁判は紆余曲折あり、とうとう今年の6月17日、判決が下るまでに至った。
主演作にオリジナルビデオ「サギ師一平 おカネ大好き!」がある羽賀研二だが、まさしく役名通りの顛末が皮肉である。