新撰組局長として京都で勇名を馳せた近藤勇だったが、慶応4年4月流山で官軍の薩摩藩士・有馬藤太によって捕縛された。当初は、幕臣・大久保大和と名乗っていたが、元新撰組隊士の面通しによって近藤勇と判断され、慶応4年4月25日処刑されてしまった。この時、近藤勇は坂本龍馬を暗殺した犯人として、谷守部や香川敬三によって一方的に断罪され、処罰されているのだが、現在では無実であった可能性が高くなっている。
斬首された後、首は京都に晒され、胴体はその他大勢と一緒に埋められたが、近藤勇の娘婿である近藤勇五郎が、見張り役の役人に金を握らせ、胴体だけは掘り起こし、多摩の龍源寺に埋葬した。なお、近藤の首は京都に晒されたあと、行方不明になり、愛知県に埋葬されたとも、福島県に埋葬されているとも噂されている。
因みに この板橋の墓所は永倉新八によって建立されている。戊辰戦争の途中、近藤勇と袂をわかった永倉新八だが、晩年は旧友たちの名誉回復に努めている。なお、同所の石碑には「近藤勇宜昌」と書かれているが、「近藤勇昌宜」が正しい表記である。また石碑には、土方歳三義豊之墓とも彫られ、両側面には110名もの新選組隊士の名前が刻まれている。現代でも近藤勇や新撰組の武功を称え、参拝する人が多く、常に人で賑わっている人気のパワースポットなのだ。
なお毎年、近藤勇の命日である4月25日には近藤勇供養祭が行われている。近藤勇の決断力と実行力にあやかりたい人はぜひ行ってもらいたい。
新撰組局長・近藤勇場所
住所
北区滝野川4-22-2
最寄駅
地下鉄都営三田線 新板橋駅・西巣鴨駅 徒歩8分
JR埼京線 板橋駅東口 徒歩10分
山口敏太郎
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou