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フジロック降板騒動で株を下げた制服向上委員会の社会派的特徴

 原発を正面から批判する『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』で注目を集めながらも、フジロックフェスティバルへの「降板」騒動で株を下げた制服向上委員会。当初から想定できなかったことではないが、『脱・原発の歌』はテーマ性の故に「イベントでも歌唱禁止条件の参加やCDショップでもポスターすら貼って頂けない状況」と苦境を明らかにし、通販でも提供するとオフィシャルサイトで発表した。

 「降板」騒動については飛び入り出演の中止と説明した上で、「関係者へのご迷惑とファンの方へ不快感を与えた事について、深くお詫び申し上げます」とのお詫びを掲載した。一方で通販の告知文には「フジロックの件も含め話題となっております」との文言も掲載されており、話題性狙いとの批判も燻っている。
 同じ反原発ソングでも斉藤和義はフジロックで反原発ソング『ずっとウソだった』を熱唱し、明暗を分けた。制服向上委員会の空回りの背景にはアーティストがストレートな社会派ソングで勝負することが受け入れられにくい日本の土壌がある。
 斎藤和義の場合は自らが過去に発表した曲の替え歌であって、『ずっとウソだった』をリリースする意図も、それでアーティストとして勝負する意図もなかった。これに対して制服向上委員会は『脱・原発の歌』を勝負曲にしている。日本社会には社会派にだけ高い倫理性を要求し、私的利益を得る社会派を偽善者とバッシングする傾向がある。その傾向が制服向上委員会へのバッシングを大きくしている。
 曲自体も『脱・原発の歌』はストレートである。『ずっとウソだった』も激烈な歌詞で、電力会社も名指しするが、原発の安全神話が嘘だったとの指摘が主眼である。『脱・原発の歌』も「忘れない」を繰り返し、原発推進派の嘘を忘れないことを主眼にしているが、タイトルや歌詞で強調される「脱原発」が社会派的主張そのものを表している。

 実は社会派ソングには主張をストレートに出さず、メタファーを駆使しているものが少なくない。沢田研二の『我が窮状』は日本国憲法第九条擁護のメッセージが込められているが、「九条」という表現は使わず、「窮状」でたとえる。しかも、「麗しの国日本」や「英霊」など反戦平和主義者の対極に位置する層が好みそうな言葉を使いながら、反戦平和を歌っている。
 また、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『ネオテニー』では隠れた在日米軍批判ソングである。「古着屋 USアーミー」(古着屋に置いてあった米軍の軍服)と「空に轟音で鳴くジェット機」という何気ない言葉が在日米軍基地のメタファーになっている。そして「それは本当に必要?」との歌詞によって米軍基地の存在に疑問を投げかける。
 これらの社会派ソングと比べると、『脱・原発の歌』は文学的には捻りがなく、薄っぺらいと評することも可能である。一方でメタファーを駆使した社会批判は、直接的な批判ができなかった時代の制約の中で生まれたものである。
 表現の自由が保障されている現代でもスポンサーなどの関係から、メタファーを駆使することでしか社会批判ができない状況であるならば、『脱・原発の歌』は制服向上委員会の勇敢さを示すものになる。

(林田力)

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