フットワークが軽く、デリカシーがない。そんな“残念な兄”せいじの伝説を挙げれば、枚挙にいとまがない。たとえば。
新幹線にて。その日は偶然にも、車内がガラガラ。そんななか、おじさんが隣の席に座った。気を効かせて別の席に移動しないおじさんに、「なんで俺が知らんおっさんの横に座らなあかんねん」と、怒鳴り散らすせいじ。おじさんのマジメさが、仇となった。
ドラマの収録の休憩時間にて。巨漢のFBI役の外国人たちが、喫煙スペースで固まっていた。その輪にズカズカと入りこみ、「自分どこ出身なん? なんの煙草吸ってんの? ヨーロッパやろ? わかるわ!」と話しかけ。外国人エキストラたちは、その驚異的な距離の詰め方に、ビビった。
人生で最も大事な瞬間のひとつであるプロポーズも、がさつだった。
妻はもともとせいじのファンで、“ファンと行く沖縄ツアー”の参加者だった。芸人になって3年目のころに出会い、のちに、東京と大阪の遠距離で愛を育んだ。そんなある日、「東京に来る?」と、せいじ。まだ20代前半だった妻は、「結婚じゃなきゃ嫌だ」と尻込み。すると、せいじは、「じゃあ、結婚でええわ」と、そっけない捨て台詞で、プロポーズした。
当時の千原兄弟は、絵に描いたようなド貧乏。ジュニアと神社の賽銭を見つめ、「それはアカン」とギリギリで踏みとどまったことがあるほどだ。1袋のチキンラーメンを2人で分けて食べたり、知人のマンションに忍び込んで、冷蔵庫にあった4本のウィンナーを、2本ずつ分けて食べたこともあった。完全歩合制で、ワンステージ500円。源泉が引かれて、450円。銀行から、おろすことさえできなかった。
およそ8年前、大阪の病院でひとり息子の夕くんが産まれたことを、仕事先の東京で聞いたとき、うれしさのあまり拳を突き上げると、天井を突き破って、2階に届いた。
伝説は、“すべらない”のだ。(伊藤由華)