だが、かつてはセクハラ行為で逆に知名度を上げ、人気者になってしまった議員がいる。
泉山三六(いずみやまさんろく)は東京帝国大学(現・東京大学)を卒業後、銀行員をしていたが、戦後に退職し、1947年に行われた衆議院議員選挙に日本自由党公認で出馬し初当選を果たす。翌年には元銀行員の経歴を買われてか、大蔵大臣に大抜擢される。
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ただ、この年の衆議院予算委員会に泥酔状態で出席し、議員食堂の廊下で女性議員の手を握り抱きつく事件を起こす。女性議員は激しく抵抗したところ、泉山からあごに噛みつかれたという。一連の騒動は「国会キス事件」として語り継がれる。
泥酔して国会へ出るのも問題だが、酒を飲んだ場所が国会内の食堂だったというのも何とも時代を感じさせるエピソードだ。泉山は1896年生まれなのでこの時は50歳過ぎ。当時ならば中年を越えて老人扱いの年齢だ。実に節操のない行動だと言えるだろう。さらに事件は、酒好きの泉山がわざとハメられたのではないかという陰謀論も存在する。泉山は事件を受けて議員辞職。ここまでは当然の流れと言える。
だが、泉山は「国会キス事件」で知名度が向上し、酒を飲んで泥酔する人物を指す「大トラ大臣」のあだ名も与えられる。1950年には参議院に鞍替え出馬。全国区で約40万票を獲得して7位で当選。2期を務める。1953年には著作『トラ大臣になるまで:余が半生の想ひ出』(東方書院)も出版している。
今ならば考えられないが「セクハラで知名度向上」を果たし、全国区での参議院議員選挙で有利となり当選を果たした議員が存在したのは驚きだ。