日本で女性参政権導入の議論は戦前からあったが、実際に実現したのは戦後になってからである。1946年に行われた衆議院議員選挙で39名の女性議員が誕生した。
そのうちの一人、園田天光光は「てんこうこう」というユニークな名前を始め、あらゆる意味で注目を集めた。当初は日本社会党に入るも、予算案に反対して除名処分を受けるなど行動派の人物だった。
>>辻元清美「ブーメランの女王」だけじゃない、「たわし」や「検討使」も ネット発、政治家の絶妙なニックネーム<<
さらに、代議士であった園田直と熱愛関係に陥る。当時の所属政党は直が民主党、天光光が労農党であり、「党派を越えた熱愛」と話題となった。直は妻子ある身であったため、不倫スキャンダルと言える。当初は事実関係を否定するも、やがて彼女の妊娠が発覚。駆け落ち同然に結婚し、松谷から園田姓となる。不倫スキャンダルも、妊娠と出産も天光光が女性国会議員として初の経験者となった。
直の前妻は、義父の看病を続けながら夫が戻る日を待ち続け、世間の同情を集め、天光光に非難が殺到した。さらに、一連のスキャンダルは「白亜の恋」と呼ばれ、彼女をモデルとする小説「栄誉夫人」が平林たい子によって書かれた。これに対し、天光光が作者や出版社を名誉毀損で告訴するなど、泥沼の争いを繰り広げる。政治家のスキャンダルを巡るマスコミとの訴訟沙汰は、当時から存在していたと言えるだろう。また、この騒動が影響したのか彼女は、その後の選挙でも落選が続き、夫のサポート役に回ることになった。
そして、1984年に夫が死去すると、夫と前妻の長男・博之と天光光の間で後継者を巡り、骨肉の争いを繰り広げたことも話題となった。
天光光は国会以外の場でも活躍した。数多くの文化団体の役職を務めたほか、今ではおなじみのプレーンヨーグルトを日本に広めた立役者の一人と言われている。さらに、歌集を出版するなどマルチな活躍を見せた彼女は、2015年に96歳で亡くなっている。
(文中敬称略)