1972(昭和47)年2月、大阪府内の小学校校舎とプレハブ小屋が全焼する火事があった。
火事が発生したのは、放課後の夕方6時過ぎ。児童の多くは帰宅しており幸いにも死者や怪我人は出なかったものの校舎が使用できなくなり一時的に休校になったという。
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警察が教師らに話を聞くと、火事の数時間前に一度、小さなボヤ騒ぎがあったといい近所では「放火魔のしわざではないか」とうわさになったという。
しばらくして容疑者が捕まったのだが、その人物はこの小学校に通う8歳の小学2年生2人だったのだ。2人は学校を燃やす目的で火を放ったという。
当時、この学校は歩いてすぐの場所に新校舎を建設中。上級生は既に新しい校舎に移動したものの、1、2年生は人数が多くプレハブ小屋と築30年以上の旧校舎を使っていた。
2月のプレハブ小屋は当然冷える。2年生の2人は教室内の寒さをしのごうと、給食室に置いてあった段ボール箱と木くずに火をつけようとした。だが、火の手は2人の予想以上に高く上がってしまい逃げ出したという。
この時の火は教師によって消し止められたが、「早く新校舎へ行きたい」と考えた2人は「もっと火をつければ新校舎へ移動できるかも」と考え、教師たちが帰宅した時間を見計らい、再び段ボール箱や紙、木くずなどなどを集め放火したのだという。
今度はもくろみ通りプレハブは燃えたが、放火は重罪。児童と保護者は社会的制裁を受けることになり、結果的に新校舎の完成も遅れることになった。
「寒い校舎から移動したい」という気持ちで学校を燃やした小学生。この問題は設備のそろっていないボロ校舎で勉強する小学生の現実を社会に突きつけた。