>>伝説アウトローの少年犯罪・伊達順之助事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】<<
さて、そんなボニーとクライドの和製版ともいうべき存在が戦後すぐの東京にいた。1950(昭和25)年9月22日、東京都千代田区丸の内近くで銀行帰りの車が2人組に襲撃され現金を奪われた。奪われたのは日本大学職員への給料約191万円で、輸送していたのは同じく日大に勤めていた職員であった。
警察は日大内部に精通している者の犯行ではないか、と推定し調査を開始。すると日大の職員A(当時19歳)と日大教授の娘B子(当時18歳)が数日前から行方不明になっていることが分かった。
警察は2人が強盗事件の犯人ではないかとし、指名手配された。手口が粗かったこともありAとB子は3日後の9月25日にそろって逮捕された。
捕まった時、Aは頭にハットを被り、上物の上着をまとっていた。B子も同じく時代を考えればオシャレなツーピース姿だった。
彼らは捕まった後もふてぶてしい態度をとっており、取り調べ中も英語交じりで話すなどしていたという。
大学教授の娘であるB子と一緒に家出するため、金欲しさに犯行に及んだという。
Aは勤め先の日大で、B子に一目ぼれし交際に発展した。だが教授の娘で箱入りだったB子の父は、Aとの交際を認めてくれなかった。B子はAに家出することを告げるが、金がないため仕方なく銀行強盗を思いついたという。
本事件は「不良少年と教授の娘の逃避行」として話題になった。本事件の俗称は「日大ギャング事件」であるが、外国かぶれのAが警察に逮捕された時に叫んだとされる「オー!ミステーク!(失敗した)」という言葉をもじって「オー・ミステーク事件」と呼ばれることもある。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)