>>男子高校生が小学生を切りつける「日本の切り裂きジャック事件」【衝撃の未成年事件簿】<<
この事件の犯人は梅川昭美(うめかわ あきよし)という当時30歳の男であったのだが、実は梅川はこの三菱銀行人質事件を起こす16年前の15歳時にも事件も起こしていたのだ。
「大竹市強盗殺人事件」と呼ばれる広島県大竹市で発生した本事件は、少年時代の梅川が起こした猟奇殺人事件である。
昭和23年(1948年)に同市で生まれた梅川は、学生時代から不良で有名であり、高校生の頃にはオートバイを盗んだ罪で補導されたこともあったという。
工業高校を中退した梅川は、実家のある同市でブラブラしており、遊ぶ金欲しさに強盗を思いつく。
昭和38年(1963年)12月、梅川は一時期アルバイトをしていた建設業の社長宅に押し入り、切り出しナイフ(木などを削る工具の一つ)を持って、留守をしていた社長親族のMさんを殺害。現金や預金通帳などを持って逃亡した。Mさんの遺体はナイフによって胸などを刺されているほか、何発も殴打された箇所があり、見るも無残な状態であった。
翌日には梅川は逮捕。成人であれば無期懲役か死刑が妥当なところだが、未成年であったため少年法が適用されて少年院送致となり、1年半で退院し社会へ戻ってきた。
その後も梅川は非行を続けていたようで、金融会社に多額の借金を重ねていたほか、交際する女性と同居するも、気に喰わないことがあると外に放り出すなど、やりたい放題を重ねていたという。
そして、30歳となり、借金で首の回らなくなった梅川は、銀行強盗を思いついたのであった。
少年時代に殺人を犯した人物が、成人後に再び殺人を犯したという事実に、世間は恐怖し、少年法の見直しや銃砲所持資格の厳重チェック(梅川は前科持ちがあったが、少年時代だったこともあり2年前に猟銃の所持資格を持っていた)を要求する声が挙がった。
残忍な銀行強盗事件として知られる「三菱銀行人質事件」。だが、その背景には少年法の問題点が隠れていたのである。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)