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伝説アウトローの少年犯罪・伊達順之助事件【衝撃の未成年犯罪事件簿】

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 明治初期から第二次世界大戦終結までの約80年間、アジアには「大陸浪人」と呼ばれる日本人の一群がいた。
 戦争で日本側の勢力が拡大した際、男たちは新天地を日本以外の大陸に求め、単独で政治活動および放浪生活を行っていたとされる。

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 特に知名度の高い大陸浪人として名前が挙がるのが、後に中国名・張宗援を名乗る伊達順之助である。
 伊達順之助はその苗字が表す通り、戦国武将・伊達政宗の直系子孫である。伊達家は華族であり、英才教育を順之助に施したが、正宗の血がそうさせたのか。生まれながらにして素行が悪かったようで、多くの学校を転々としていたという。

 学生時代から順之助には敵が多かったようで、登校する際には「いつでも勝てるように」と懐に凶器を隠し持っていたという。
 そんな順之助が殺人を起こしたのは、18歳の頃、立教中学在学中の1909年(明治42年)5月13日のことであった。殺されたのは現在の東京都中央区の一帯を牛耳っていた不良学生の一人で、胸には2発の弾丸の跡があった。

 順之助と殺された不良学生は前日にイザコザを起こしており、翌日の放課後に決闘を申し込んだ。
 相手の不良学生は鉄製の十手を手にして戦ったが、順之助はよほど腹に据えかねたのか、5連発のピストルをいつもの出刃包丁の代わりに仕込んでおり、幼い頃から乗馬と拳銃の訓練を受けていた順之助は2発の弾丸を不良学生にぶち込んだ。

 順之助とその一派は殺人罪で逮捕され、懲役12年の判決が出たが、順之助の出身が名家かつ18歳と若かったことなどで、伊達家の雇った弁護士の手腕によって、無罪を得て釈放となっている。
 その後、順之助は日本を離れ、中国大陸に渡り、乗馬と拳銃の腕を活かし、中国名を名乗り馬賊(馬を使って荒らし回る賊)となった。

 第二次世界大戦が始まると、順之助は日本軍の中国制圧を目的とする別動隊となり、戦後は中国青島にて日本人戦犯として連行され56歳の生涯を閉じた。

 人を殺した少年犯罪者が中国へ渡り、戦争に参加していたというアウトローの実話は後に多くの小説の題材にもなっている。

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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